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第十七話

優菜が歩いていると、雨が降り始めてきた。

 折り畳み傘など持ってきていない優菜は、そのまま濡れて帰るしかない。

 そして優菜は自身の家に帰るためにいつも使っている近道を使って帰ろうとしたのだが、なんとなく嫌な感じがした。それでも、きっと気のせいだと思ってその道を通る。

 薄暗くて街灯があまりない。路地裏のような細い道を通っていく。

 だが、その先に背の高い糸目の男が立っていた。

「あれ、おねーさん。お仕事帰り?」

「……」

 優菜はその怪しい人物に話しかけられたが、無視をして立ち去ろうとする。

 しかし、その糸目の男は優菜の先を阻む。

「無視はよくないなぁ。おねーさん。そういうことすると、悪い人に捕まっちゃうよ」

「それはすみません。でも、先を急いでますので。ご心配ありがとうございます。失礼します」

 そう言って逃げようとしたが、その男は優菜の手首をしっかりと掴んだ。

「!? な、何をするんですか!」

「何って、こういうところ通るんだから、そういう覚悟出来てるんじゃないの? おねーさん、ダメだよ。こんなところ、何も知らずに通っちゃ」

 男は優菜の太ももを撫でた。

「……っ、気持ち悪い。触らないで!」

「さすがに今のは傷つくなー。……おねーさん、僕と遊ぼうよ。大丈夫、悪い様にはしないよ。ちょっとばかり気持ちいいことするだけだから」

 その言葉の意味を理解した優菜は必死に逃げようと男に掴まれた手を離そうともう片方の手で必死になる。しかし男はそんな手を、掴まえてる手と一緒に掴んで、優菜を壁際に追い込んで頭上に縫い付けるようにしてしまう。

 もう片方の自由な手で、優菜の顔を固定して、無理矢理キスをする。

「ん……、っふ、うぅ……!」

 顔を背けて必死に抵抗する。

 自然と涙が零れ落ちてきて、糸目の男はそれを舌で舐め取った。

「下手だね。キス。でもいいや。そんなのこれから覚えればいいよ」

「離して! あんたとなんか、したくない!」

「んー、でもしないと後々困るの、君じゃない? 助けを呼んで、人が来ることはないし」

 そう言いながら、男は優菜のワンピースのリボンを解く。

「や、やめて……っ」

「元々中のブラ、雨で透けて見えてるんだから、そんなに拒否しなくてもよくない?」

 そう言いながら、男は優菜のワンピースのボタンを一つずつ外していき、ブラの留め具を外した。

「や、だ。やだやだやだっ! 助けてっ! 助けて、令っ!」

「ん? 男の名前? ダメだよ、こういう時は別の男の名前なんか呼んじゃ」

「そこの糸目、優菜を離せ」

「……陽っ!」

「彼氏か何か? でも、さっきおねーさんが呼んでた名前と違うね。お友達? ま、俺の方が強いけど、どうする? その綺麗な顔、見られないようにしてあげてもいいけどー……。あ、でもそっか。それはダメだった」

「? 何を言ってる。早く優菜を」

「あー、もう。はいはい。面倒事は嫌いだからね。おねーさんは君にあげる。でも、大事なものなら、手離しちゃダメじゃないの? こんなところ通らないように、よく躾けておいてよ。そのおねーさんを」

「もう、二度と通らせるわけないだろ。こんな道」

「ふーん、ま、いいや。おねーさん、またね?」

「……っ」

 糸目の男はどこかへと去って行った。

「優菜、大丈夫じゃ……ないよな……」

「見ないで、見ないでぇ……っ」

 優菜は泣きながらワンピースのボタンを留めようとしていた。しかし、手が震えている分、いつも以上に時間が掛かって、なかなか留められない。

 陽はそれをただ抱きしめているだけしか出来なかった。

 家に陽と一緒に帰ると、令が玄関先で優菜を待っていた。

「陽!? ……優菜、その姿。何をした!」

 令が陽に詰め寄ると、陽はそんな令の頬を殴った。

「何を……っ」

「お前がしっかりしていないせいで、優菜が危険な目に遭った。あのまま、俺が行かなかったら、優菜は今頃知らない男のものになっていただろう。なんで。どうしてだよ! 優菜をしっかり守れないなら、俺に優菜を渡せよ! これじゃ、優菜が可哀想だ! お前のせいで、優菜が……」

「……もういいよ。ありがとう。陽」

「優菜! でも、言わないと令は」

「いいの! ……またね」

「わかった……。またな。あと、令。お前のこと、心底見損なった。最悪だよ。お前」

 そう言って、陽は帰って行った。

 令は優菜の肩を抱こうとしたが、優菜がそれを拒む。

「やめて! ……やめて、ください」

「優菜……。とりあえず、中に入ろう。何があったのかは」

 令は悩んだ。今、聞くべきか。それとも聞かざるべきか。

 だが、聞いたところで、きっと教えてはくれないだろう。

「何があったかは、聞かない。お前が話したくなったら、話せばいい」

 そう言いながらも、少なからず、令も優菜に対して怒りのような感情を持っていた。

 陽と遊ぶのであれば、許可はしなかったし、何故こんなことになっているのかわからない。

 ましてや何があったのかさえもわからない。

 ただ、なんとなくわかったのは他の男のにおいがしたこと。

(気に食わない)

 令は自分の大切なものを荒らされたような気がした。それをしたのは陽ではないはず。昔から優菜のことを気に入っていた陽が、そんな酷いことをするとは到底思えない。だとしたら、考えられるのは……。暴漢。

(……暴漢に襲われたか。陽が居たということは、最悪の事態は回避出来ただろうが、優菜の心が、読めない……。心が閉じてしまったか。当たり前だな。俺は、どうやってお前に詫びればいい)

 優菜が家に入ると、令は今は一人にしない方がいいと判断し、その日は泊まると言うことにした。

「今日、何があったのかはわからない。だが、一人にしておくのは、危ない気がする。今日は泊めさせてもらうぞ」

「いいえ、帰ってください……。今日は、とても令でも泊める気にはなれないの」

「じゃあ、せめて明日は、会社を休んでゆっくり過ごしてほしい。それを受け入れるなら、帰ろう」

「会社を休んでも……どこに休める場所があると言うの……」

「え?」

「ううん。何でもない。……明日は、会社を休みます。それでいいのでしょう? だから、今日は帰ってください。お願いします」

 優菜は令に深々と頭を下げた。

 令は優菜のそんな痛々しい姿を見たくはなかったが、とりあえず明日、会社を休むという言葉を聞いて、少しだけ安心したのだった。

「じゃあ、俺は帰るが、何かあったらすぐに連絡を入れろ。夜中だろうと、駆け付ける」

「……うん。ありがとう。おやすみ、令」

「おやすみ。優菜」

 そして令はキスをしようとしたがやめて、家に帰った。

 優菜は風呂場へ直行すると、服を着たままシャワーを被る。まだ温かくなっていない冷水を頭から被って、優菜は泣いた。

 あんな恐ろしい目に遭ったのは初めてだった。

 そして、自分の身体が酷く汚く感じ、ワンピースや下着は後で捨てることにして、服を脱いで体を洗うのだった。

 風呂上がりに、優菜がスマホを見てみると、陽からの心配のメッセージがたくさん入っていた。令からは、何もない。

 それぞれの性格が出ただけのことなのだが、優菜の心は揺れ動く。

 だが、ダメだ。令も陽も好きになってはいけない。

 敵があまりにも多すぎる。

「そうだ。そうだった。私、命が危ないんだった……。なんで、そんな大事なこと、見えているのにまだ大丈夫なんて思って、二人と一緒に居たんだろう」

 ベッドの隅で膝を抱え、俯く。

 スマホに続々と入って来る陽のメッセージの通知音が、うるさく感じられた優菜はスマホをマナーモードに変えた。

 次第に、眠気を感じ始めた優菜は、布団の中に入って涙を浮かべながら眠りに就いたのだった。

 令は、家に帰ると酷く苛立っていて、鞄をいつもよりも力強くソファーに叩きつけるようにして置いた。

 優菜のあんなにも弱っている、傷ついた顔など初めて見たからだった。

 優菜がされたであろうことを考えると、警察に……と思ったが、それは優菜が望んでいることではない。それに、恐らく犯人は見つからない。

「何も出来ないのか。俺は」

 自分の無力さを嫌と言うほど知り、これから先、どうやったら優菜を守れるか考えた。

 婚約を白紙にすれば、優菜は安全なのだろうかとも考えたが、逆に婚約者という盾がなくなったら、余計に傷つくことになるのは優菜ではないか、と思った。

 何をどう考えても、今出来ることはなく、令は深くため息をついて立ち尽くす。

「どうしろと言うんだ……」

(肝心な時に能力が使えない時がある。だから、今回も気づくのに遅れた。これじゃ、能力も全く意味がない。いっそのこと、姫乃に話して、姫乃を泳がせて……いや、そんなことをしたら困るのは優菜だ。何を考えているんだ、俺は!)

 もう自分でもどうしたらいいのかわからず、部屋の灯りも点けずにソファーに座って、スマホでトークアプリの優菜とのトーク画面を見ていた。

 そしてこれまでの優菜との関わりの中で、自分に見せてくれた優菜の表情の一つ一つが心を占めて、苦しさと愛しさを同時に味わう。

 令は、とりあえず明日、優菜が仕事を休むため、明日考えることにするのだった。

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