そして終業時間まで、優菜は皆に必要最低限しか関わらずにいた。
周りもそうしていたため、変に話すようなことはしない方が良いと思ったのだった。
よし、帰ろう。優菜がそう思った時だった。
「ちょっとだけ、これやってから帰ってくれますよね? この前、優菜さんが居なかった時の分なんですけど」
そう同僚に言われ、仕方なく仕事を片づけることとなったのだった。
気づけば空はすっかり暗くなってから、更衣室で着替えて、陽に仕事が終わったとメッセージを送る。
「ごめん。残業やってた。今終わったよ」
「え、マジで? お疲れ様。今から迎えに行くよ」
そう書かれていて、優菜が急いで会社から出ると、陽がスマホ片手に優菜を待っていた。
「遅くなってごめん、陽!」
「ううん。大丈夫。今日のために、俺半日休み作っておいたから。行こうか」
「うん! ……なんだか、大人っぽくなった?」
「大人っぽくも何も、俺、優菜より大人だから」
「うーん、そうなの?」
「まあね。いろいろあるから。やっぱりどこでも、さ。それより、行こう。……とりあえず、カラオケにでも行こうか。なんか、凄い疲れてるみたいだから、その話を聞きたい」
「え、わかるの?」
「わかるって。俺のこと、誰だと思ってるの。人の些細な表情の違いもわからないようじゃ、俳優なんてやってられないよ。ほら、行こう!」
陽は優菜の背中を押して、歩き出す。
「わっ、わかった! 行くから、もう! そういうところ、変わらないね」
「元気出たでしょ」
「うん!」
そして二人はカラオケに向かって行った。
カラオケに着くと、二人は最大三人用の小さな部屋に通され、そこでライトを明るくして、カラオケの音量をゼロにして二人は話せる空間を作った。
「優菜、改めてだけど、久しぶり」
「うん。久しぶり」
「元気……じゃないよね。あの令と姫乃に何かされた?」
「そういうのは……ノーコメントで」
「ってことは、あったんだ。あの馬鹿、一回締めようか?」
真剣な表情で陽がそう言うと、優菜は本当にあの馬鹿と言われている令が締められるのではないかと思って、慌てて言う。
「しなくていい、しなくていい!」
「優菜ならそう言うと思った。でも、あまり無理してると、その内爆発しちゃうよ。何か、あったんでしょ。俺になら、話せる? どう?」
「……」
(今朝あったことを、話せる人と言ったら、陽くらい、かなぁ。話してもいいのかなぁ)
「秘密は厳守するよ。こう見えて、口が堅いからね」
「じゃあ……」
「うん」
「話しても、いいかなぁ……っ」
優菜は自然と涙が溢れていた。
それを見た陽は、優菜の手を握る。
「話して大丈夫だよ。俺は、絶対に優菜を裏切らないから。だから、安心して話して」
そして優菜はゆっくりと陽から手を離し、鞄の中にある封筒を震える手で取り出した。
封筒を陽に渡し、陽が中身を確認すると、陽は見る見るうちに怒りで表情を歪ませていくのだった。
「これ、いつやられたか、わかる?」
「わからない。今日、会社に行ったらロッカーに入ってて、他に何もなくて……。気味が悪いの。ずっと、誰かに見られてたんだって思うと、凄く怖い」
顔を手で覆って泣き出した優菜を、陽は「本当は、こんなことしちゃいけないかもしれないけれど」と言いながら抱きしめるのだった。
「警察には?」
「まだ……。でも、警察には行かない。令にも、迷惑掛かるかもしれないし」
「令のことより、自分のことを心配しろよ。こんなの撮られてるってことは、いつでもどうにでもしてやれるってことだろ。もっと危機感持てよ!」
「……っ」
優菜はぎゅっと目を瞑る。
「ご、ごめん。突然大きな声出して……。だけど、それだけ心配してるってことは、わかってほしい」
「うん……。それは、わかるよ。ありがとう。でも私にも私の都合があるの。どうしても、避けられないことも、あるの」
「避けられないこと? それって」
「あのね、私……ううん。なんでもない」
「……優菜。他にも、何か嫌がらせとか受けてるんだよね? 教えて。話せば、すっきりするかもよ」
「全部を、話すわけにはいかないよ。きっと陽、怒っちゃうもん」
「それって、やばいってことだよね。何で、俺に話さないの。令に言えないのはわかるけど、俺になら話せることだってあるでしょ?」
「陽……。な、なんか、怖いよ」
「ごめんね。でも、話してよ。解決するかしないかは、わからないけれど」
「う、うん……」
優菜がぽつりぽつりと話し始めたその内容が、陽の思っていたものよりも酷いもので思わず顔を顰めてしまうくらいだった。
「手を踏まれたり熱湯掛けられそうになったり、挙句の果てには本当にコーヒーぶっ掛けられたって? 服を脱がされたって話も、ただのいじめじゃねえか。令は何してたんだよ」
「……令は、助けてくれる時は助けてくれるように、なったよ」
「なったって……。つい最近の話だろ? その前は、ここまで大きくないにしても、酷いことをされていて、それを令は」
「知っていたかもしれないし、知らなかったかもしれない。だから、もういいの」
「何だよ、それ」
「話、聞いてくれて、ありがとうね」
それが優菜による話を終わらせるという合図だった。
「……優菜」
「何か、歌う?」
「いや、いいよ……。歌なんかより、優菜と話していたい」
「……うん!」
陽は令に優菜が何故こんな目に遭わなければならないのかと恨んでいた。しかし、同時に少しばかり感謝もしていた。お陰で、優菜に近づける口実が出来たと。
そして写真の件を知っているのは自分だけかもしれない。ならば、それを上手く使うしかないと思ったのだった。
陽は少々歪んだ気持ちを優菜に向けていた。
陽は優菜に対して好意を持っている。それはただの好意ではなく、歪んだ愛だった。どんなことをしてでも優菜を自分のものにしたい。昔、自分を助けてくれたから、今いる地獄から自分のいるところまで助けてあげたいと、自らの檻の中に優菜を入れようとしているのだった。
「ねえ、令なんかやめてさ。俺と一緒にならない?」
……陽は気づけば自然とそう言っていた。
「それは……、出来ないよ」
「なんで? あんなやつより俺の方が優菜を守れるよ。姫乃と今も仲良くしてるんでしょ、あいつは。俺なら優菜をこんな風に辛い目に遭わせないし、一緒の時間をもっと作るよ。寂しい想いなんてさせない。だから、俺と一緒になろうよ……」
「ごめんなさい。そういう気持ちには……」
「今すぐじゃなくてもいいんだ。待ってるから」
「ごめん。帰るね」
そう言って、優菜はお金を置いてカラオケルームを出て行った。
陽はそんな優菜を追って、急いで会計をするのだが、ファンに気づかれてしまい、ちょっとした騒ぎになってしまった。
(早く優菜のところに行きたいのに……! ファンの子達が……! クソ!)