やがて朝がやってきて、優菜はいつもと同じ朝を迎える。
そして会社に行くと、周りからいつものように「おはようございます」と挨拶をするともちろん挨拶を返されるのだが、なんとなくどこか素っ気ない気がした。
まさか、姫乃がまた何かしたのか? と思ったが、姫乃は令にきつく言われたからか、今日はこちらの部署には顔も出していない。それに、何度か挨拶をしていてわかったのだが、素っ気ないのは女性社員ばかり。男性社員からは、むしろ好意的……と言うより、何かいやらしい目で見られているかのように思えた。
「優菜君。ちょっと」
「? はい。課長」
課長が優菜を人気のない会議室に呼んで、話を始めた。
「君が、食堂で火傷をしたと聞いたが」
「……あ、はい」
「その時に、わざと脱いだ、というのは本当か?」
「わざと、脱いだ……!? まさか! そんなのありえません! 私、そんなこと、してないです!」
「でも、小鳥遊部長に手伝ってもらって自ら脱いだそうじゃないか」
「そんな……。私、自分から脱いでなんて、いません……」
「困るんだよねぇ。会社の風紀を乱すようなことをされちゃぁ。それも婚約者がいる身で、何が不満なのかわからないが」
「だから、私は自分からは」
「脱いだのは事実だろう? それだけで十分だよ。そういう相手探しは、別のところで探してほしいものだね」
「本当に、本当に違うんです! 私がそんなことをして、何のメリットがあるんですかっ!」
「今回は随分と突っかかって来るじゃないか。それだけ、何か心当たりでもあるんじゃないの? やっぱり、小鳥遊部長の言った通りだ。あの時、コーヒーを被ったのは小鳥遊部長が悪かったのではなくて、君がわざとぶつかっていったんだろう」
「違う……。私、そんなことは……」
居た堪れなくなった優菜は会議室を飛び出して会社の屋上に走って行った。
なんとなく、皆の視線が冷たい理由がわかった気がした。
屋上で小さくなって泣いていた。好きで人前で肌を晒したわけじゃないのに、課長は姫乃側の言い分だけを聞き、優菜の言い分を聞こうともせず、挙句の果てには優菜がまるで痴女のような扱いをしてきたのだ。悲しく、悔しい。優菜の心にはどす黒い感情が芽生え、そして支配しようとする。
(いっそのこと、小説のような本当の悪役令嬢になってやろうか。命知らずになってしまえば、そうすればこんなに苦しい思いをしなくても済む? あの女が、小鳥遊姫乃が、憎い……)
そんなことを思っていると屋上に姫乃がやって来た。
「優菜ちゃん……」
心配する素振りをして、肩を抱いてくる。
「や、やめてくださいっ」
優菜が思わず姫乃を突き飛ばすと、姫乃は大げさに倒れ込んだ。
「優菜ちゃん、怒ってるのね。それはごめんなさい。だけど、謝罪くらいは、受け入れてほしいな……」
「どうしてそこまで……。あ……っ」
今まで姫乃で見えなかったが、姫乃の背後の屋上への出入り口の辺りに、人が集まっていた。
皆、優菜ではなく姫乃を心配そうに見ている。どう考えても、異常な事態だった。
「な、なんで……」
「みんな、心配してくれてるの。私達のことを」
(違う。心配しているのは姫乃だけ。私のことは、皆どうでもいいと思ってる。どうしよう。こんな不味い状況になるなんて……。ここに、令がいたら……少しは変わっていたのかな。私、どうなるんだろう。いじめられるのかな。あの優しい小鳥遊部長に盾突いたって……)
してやられた。状況を理解するのが遅かった。
突き飛ばしたところを皆に見られてしまっている。これでは、自分が悪いと思われてしまっても致し方ない。きっと姫乃は謝って来るなどと言って、自分が良い子になるように仕組んでいるはずだ。優菜は、自身の甘さを今更ながらに痛感していた。
気を抜くから、こうなったのだと、優菜はその後の人生を諦めようとしていた。その時、聞き慣れた声がした。
「お前達……。また懲りずにこんなことを。さっさと仕事に戻れ」
足音が聞こえて、優菜が顔を上げると、そこには姫乃ではなく令が優菜に手を差し伸べていた。
「優菜、行こう」
「え、でも、令さん……」
「……」姫乃が何とも言えない表情で二人を見ていた。
「今日は、俺も仕事を休む。たまには、二人で息抜きをしよう。お前の上司からは許可を取ってある。後ろのやつらも、姫乃が大事なのはわかるが、一人の人間を大事に出来ないやつが大事にされると思うな」
(俺もだが……)
そして令は優菜の手を引いて、会社を出て行った。
今までと明らかに違う令の態度に、姫乃は顔を歪ませる。
(思い通りにならない。思い通りにならない! なんで! この前まで、あんなに上手くやれていたのに! 優菜は特別変わってはいない。だけど、令だけが変わってしまった。私が婚約者になるためには、令が必要。だから、不要なのは優菜だけ……! 優菜、許さない……。絶対に。私を邪魔する者は、皆消えてしまえばいいのよ)
そんな恐ろしいことを考えている姫乃だったが、立ち上がると、困ったように微笑んで皆にこう言うのだ。
「仲直り失敗。でも、皆、私は大丈夫だから。安心してね」