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第九話

 そして朝を迎えた優菜は、なかなか上手く寝付けなかったのか、目の下に隈を作って会社に出社した。

 するとやはり優菜が思った通り、姫乃が優菜を見つけると優菜の元まで走り寄って勢いよく頭を下げた。

「優菜さん、本当にごめんなさい!」

「えっ、た、小鳥遊部長! やめてください!」

「あの日のことは、悪かったと思ってるわ。それに、この前のあの子達だって、悪気があったわけじゃないの。それは、この前も謝ったから、わかってくれるわよね……?」

(ああ、あざといなぁ。生まれながらに周りを味方につける天才なんだなぁ。きっと。小説を読んでいる時はこのあざとさも好きだったのに)

「……優菜さん? 大丈夫?」

 優菜の肩に触れる姫乃。優菜は目の前の現実に思考を戻し、警戒心を強めた。

 だが、それさえも姫乃には手に取るようにわかるのか、ただひたすら頭を優菜に下げ続ける。

 するとどうだろうか。なかなか動かない優菜に対し、周りからの非難の目が集まり始めた。

「何があったのかわからないけれど、何も無視しなくてもねぇ」

「小鳥遊部長にあんなに頭を下げさせて、心が痛まないのか」

「一体どういうつもりなの」

「ねえ、私聞いたんだけど、この前ちょっと令さんと小鳥遊部長が遊びに行ったんだって。そこで優菜さんと出くわして……」

「女の嫉妬ってやつ? 怖いねぇ」

 周りがひそひそと話をし始める。

 優菜はこの事態を不味いと気づき、やっとの思いで「大丈夫です」と答えるのだった。

 姫乃は満足そうに「そう! ありがとう。受け入れてくれて」と言って、周りにも「巻き込んじゃってごめんね」と明るく言うものだから、刺々しかった雰囲気も柔らかくなる。

 この辺りはさすがだと言わざるを得ない。そのくらい、姫乃は周りの人々の心を掴むのが上手だった。

 優菜も、自分がこれだけ周りの気持ちを掴めるような世界の仕組みに入れていたらよかったのにと、虚しい気持ちになる。

 どんなに頑張っても、姫乃には勝てないからだ。

 やがて、周りが散り始めると、優菜も自分の席に座って仕事をし始める。

 少しの時間ではあるが、また遅れてしまった。

 上司達からの視線が痛い。

 こんなにも不利益を与える社員は、他にいないだろうな……などと、少し自虐的にはなるものの、やるべきことをしなければという当然の気持ちから仕事を続けるのだった。

 昼休みに、優菜は社食を食べながら考える。

 姫乃が少しずつ動いてきた。小説の物語が進もうとしているのだろう。

 前世に読んだ小説の内容は、実のところ少しずつ忘れてきている。

 何年も読まずに記憶の中だけで覚えていなければならないのだから、仕方がない。

 だが、どういう結末だったかは、しっかりと覚えている。

 それを防ぐためには、やはり婚約を破棄するしかない。白紙に、戻すのだ。

(姫乃に婚約者の座を明け渡せば、私は用済み。つまり、自由になれる。それを上手くやらないと、逆に私が酷い目に遭う。小説のように、惨い死を迎えることになってもおかしくはない。でも死を回避出来たとして、私は生きられるの? 普通に生きていけるだけの力が、私にあるの? 前世での私の生活……もう、わからない。覚えていない。どうやって、生きていけばいいのかが、わからない)

 味方がまずいない。親友も、いるにはいるが、どちらかと言えば姫乃寄り。いつ姫乃に奪われてもおかしくはない。だからこそ、その親友と仲の良いまま、付き合っていきたい。姫乃に邪魔されることなく、自分の人生を謳歌したい。

 そんなただの普通の願いすら、通りにくいこの世界は一体……。

 やはりそこは、小説の世界なのだと優菜は思った。

 そして社食を食べ終わって食器を片づけ終わって自分の席に戻ろうとしたその時、背後から熱い液体を背中に掛けられてしまう。

「あ、熱いっ!!」

「ご、ごめんなさい! って、優菜さん! 本当にごめんなさい! 前を見てなくてコーヒーが……! 早く脱いで! 火傷になっちゃう!」

「だ、大丈夫です。このくらい……ああっ!」

 姫乃は優菜の背中を触ると優菜は思わず叫んだ。そのくらい、痛いのだ。

「ほら、こんなに痛いんじゃない! 大丈夫、今は緊急事態だから、皆見なかったことにしてくれる! だから早く服を脱いで!」

 優菜は姫乃の脱がそうとする手を遮るが、それは意味がないようで、あっという間に上半身が下着姿にされてしまった。それも、制服のシャツのボタンは元々きつく縫われていなかったからか、姫乃の力でも無理矢理引きちぎることが出来てしまった。

 それも、シャツは姫乃が持っているから隠すことも出来ずにいる。

 公衆の面前で上半身だけとはいえ、下着姿を晒されてしまった優菜。

 周りには男性社員が多く、口々に優菜への勝手な感想を言い出す。

「すげえ……。脱いだら結構あるんだな」

「華奢だったんだ、優菜先輩」

「ってか背中大丈夫? 赤くなってる」

 好奇の視線に耐えられず、優菜は思わず「いやああああっ!!」と叫び、その場に座り込んだ。

(自分で、自分でどうにかしなくちゃ。でも、こんな状況、どうしようもない……! 何か隠すもの……! 制服のシャツは姫乃に取られてしまっているし、どうしよう……! 誰か、助けて! ……令!)

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