焦りだすふたりをよそに、わたしはけろっとしていた。「全然大丈夫ですよ」と言っても、ふたりはどこか怪しんでいる。確かに何口かで飲んでしまうようなお酒の味はしていなかったが、甘い香りでさほどきにならなかった。
「瀬野ちゃん、お酒強かったのか。知らなかったな」
諦めた香月さんは、そうつぶやいて席を立つ。
「どうなんでしょう。強いお酒はあまり試さず来たので……」
特段手元がぶれる感じもない。わたしは引き上げたお皿やグラスを洗いながら、水の冷たさを確かめていた。
「『香月スペシャル』って、香月さんが作ったんですか」
ふと、これまで疑問に感じていたことについて質問する。琥珀色の透き通ったお酒は、むやみにあれこれ混ざられたものには見えなかった。
「あれはね、シェリー樽のウイスキーを使ったラスティーネイルだよ。もともと俺が好きで飲んでやつで」
名前は常連さんが勝手につけたのが始まり、と香月さんは思い出したように言った。
「ラスティ―ネイル? それってどんなお酒なんですか」
初めて聞いた「ラスティ―ネイル」というお酒の作り方について香月さんに聞く。香月さんは、ええと、とリキュールの瓶が並ぶ棚を開け、なにやら始めた。
「スコッチウイスキーとドランブイをステアして作るの。さっき言った『シェリー樽』は、シェリー酒を熟成させた樽のことなんだけど、それをウイスキーの熟成時に使ってる。これで、より複雑で深い甘みが出るわけ。単純な作りだけどね。そして結構強い」
にやりと見せた不敵な笑みに、アルコール度数は聞けなかった。でも、いつもお客さんに合わせてお酒を選ぶ香月さんだ。彼が好きだというお酒は一口飲んでみたくなる。
「ドランブイってのも、初めて聞いたかもしれません」
「そうだっけ。いろいろ使うけど、まあ、そんな多く出るものじゃないかもね。ああ、あった。ドランブイはね、はちみつやハーブを使ったウイスキーベースのリキュール。これが甘いから要注意」
比率は変えられるけどね、と話す香月さんは、わざわざ棚から取り出したリキュールの瓶を振って見せた。茶色の光沢があるラベルに、先ほど見た色と同じ液体が中で揺れている。
「苦痛を和らげる、なんて意味合いもあったりして。何でもいいから強いお酒が飲みたい、なんて言う人にはこれを出してたんだよ。大体そう言う人は何か忘れたそうにしているからね」
香月は、「甘いのが好みじゃないひとには――」と話を続けた。
お酒について膨大な知識がある彼は、お客さんのお酒の好みやその日の気分で提案するものを変えている。リキュールの歴史や、混められた願いがあったりすると、そんな雑学を添えてお酒を提供する。静かに飲む人も多いので、バーテンダーとは数言しか話さず終わるお客さんもいる中、香月さんはタイミングを読むのがこの上なく上手だった。
「勉強になります」
「そんなに聞かれることはないだろうけど、知ってても面白いよね」
上機嫌に話す香月さんを見て、自然とこちらも笑顔になる。
自分が看護師以外の仕事をしているなんていまだに信じられないが、案外、面白いと思えさえすれば、どうにかなるのかもしれない。
今日は休みにも関わらず、アンはカウンターの中に入って締め作業をしようとしていた。
「いいってば。今日はお客さんなんだから」
はい、はい、と手払いして、アンを追い返す。
なにやら不服そうにカウンター席に戻るアンに、わたしはやっと話を聞くことができた。
「今日、時間取れてよかったね」
一瞬にして表情を曇らせるアンを見て、選ぶ言葉を間違えたことを知る。
「どうなんでしょうね。分かりません」
グラスは下げられた。アンは手持ち無沙汰にスマホを探していた。
「手切れ金とかじゃないと思うけどな。単純に、これまでお疲れさま、ってことなんじゃないの」
もし仮に
「入院費を払ってくれるのは助かります。もしかしたら向こうで保険とかかけてたのかもしれないですけど。まあ、お金がある人の考えは分からないです」
スマホを諦め、カウンターに頬杖をついた。その姿もまた不憫で、なんと声をかけるべきか悩む。
「依存症の治療ならすぐ退院してくることはないだろうから、アンも少しゆっくりしなよ。好きなことしたりさ。さっき香月さんも言ってたけど、旅行とかいいと思うよ」
彼が普段、どんなことをしているかも知らない。インドア派かアウトドア派かも定かでない中で、ゆっくりだ、旅行だと、どちらでもいいような言葉をかける。
「じゃあ付き合ってください」
アンは、頬付けを付いたまま、視線だけを正面にいるわたしに向けた。
「アン、もうやめろって。瀬野ちゃんが店辞めたらどうすんだよ」
香月さんが、きつめにアンをたしなめた。睨みながらアンに近づいていく。