「何人来るの? 看護師さん」
今後の訪問の説明をしていると、ももさんは訪問体制についていくつか質問をしてきた。医者が来ることはあるのか来るのか、看護師はひとりで来るのか、ふたりで来るのか、そして人は入れ違いになるのか。
わたしは彼女の些細な質問に答えた。
「看護師は今のところひとりで訪問しますが、固定ではなく、何人かのスタッフで対応させていただく予定です」
眞鍋院長に言われていたこと念押しで伝える。それを聞いたももさんは、ふたたび不服そうに唇を尖らせ、目を細めた。
「えー。なっちゃん来てよ。他の人は来なくていい」
その姿はあまりにも幼く、幼稚だった。希望通りにならないと駄々をこねる。
「そうもいかないです。いろんな看護師の目が合った方が、よりしっかりサポートできますから」
「年代は? どれくらいの人? 怖い?」
ももさんは探るように質問を繰り返した。
「50代です。他のスタッフも確かそのくらいで。怖くないですよ。ベテランさんで」
だから心配することは何もない、と言うつもりだった。それなのに、ももさんの表情は一向に明るくならない。それどころか髪の毛をいじり、ぶつぶつと何かつぶやいている。ところどころ聞き取れず、わたしは「ももさん?」と声をかけた。
「おばちゃんが来るなら別にいらない。……お母さんが『友だちになればいい』って言ったからOKしただけなのに!」
そう言って、またツンした表情でそっぽを向いている。
看護師と利用者は、看護師と利用者の関係にしかなれない。
これまでも、家まで来るからとつい親近感を持たれがちだった。距離が変わってしまうことが往々にしてあるのが訪問看護だった。友達にも恋人にも、息子の嫁にもなれない。
「少々年上でも、打ち解けられると思いますよ」
友達になれるとは言えないが、太田さんを受け容れてもらえるように話をしないといけない。
「お母さんはよくいらっしゃるんですか」
このマンションには人気がなかった。広めの部屋だったが、わたしとももさんだけがいるようだった。
「来るよ。来るって言うか、最上階に住んでるの。わたしは大学に入るときからここにひとりで住んでる。ほら、
思わず黙り込む。わたしが知っている自立とはだいぶかけ離れていた。
話を聞くと、彼女の両親はやはり大家だった。9階建てのマンションの最上階に、今も夫婦で住んでいる。一人っ子の彼女は
「どうですか、そのひとり暮らしは」
「悪くはないよ。でもなんかね」
「なんか?」
「うん。なんか、ね」
彼女はよくしゃべるが言葉にするのは苦手だった。「なんか」ばかりを繰り返し、行き詰まると「別に」「なんでもない」「分かんない?」といらつきを見せる。
訪問中、終始勢いのある話し方と言いよどむ姿を交互に見せた。総合病院は退院できたが、とても安定したようには見えなかった。
すべての訪問を終えると、わたしはクリニックで眞鍋先生を捕まえた。今日知り得た家族関係や生活の様子を報告する。
「意外でした。植木さんは、診察では大人のように振る舞うんですが」
眞鍋院長は顎を触り、天井を見上げる。
「先生の前だとそうなのかもしれないですね。権威の前では、じゃないですが」
わたしは慎重に言葉を探しながら話をした。
「そうですね、生い立ちから、士業には何か思う面もあるのかもしれません。現に、社長や弁護士の前では紳士的に振る舞う人はいました。『分かっている自分』が心地よいこともありますね」
裕福な実家で生まれ育った彼女は、同じく裕福であろう人々の前でなにを思うのか。自分を同等に見せたいと考えるのだろうか。
「これからですが、どうしていったらいいか、正直悩んでいます。彼女はまだ自分に対する指摘を受け容れられる時期にありません。些細な事で気を立て、物を叩いたり、苛立ちを独語のように話していたりすることがあります」
もう相談できる先輩ナースはいない。常勤の太田さんなどはこの時間は訪問に出ていて、眞鍋先生が頼みの綱だった。
「難しいですよね。看護師と友達になりたがったり、自分の名前を下の名前で呼ばせようとしたり、かなり強い執着がありそうです。やはりパーソナリティーなので、見捨てられ不安は常にあるんだと思います。この前の警察沙汰も、彼氏からの別れ話をされたことがきっかけでの自殺未遂でした。今は表上落ち着いたと本人も思っているのでしょうが、そんなにかんたんにはいかないでしょう」
先行きが暗い。これまで安定していた利用者さんを受け持ってきた手前、今回の植木ももえさんの訪問には頭を抱える。
「訪問看護が嫌にならないように根気強く行く必要はありますが、意外と彼女にとっていいきっかけになれるかもしれないですね」
不安を顔に出したわたしに、眞鍋先生はにっこりと微笑んだ。