児童養護施設とは、なんらかの事情で養護が必要になった子どもたちのお世話をする施設だ。児童相談所と連携する公的機関で、生活支援や学習支援などを行っている。24時間365日開いている施設で、小さい子から大きい子まで年齢の幅があるが、基本は高校卒業後に自立を求められる。
話を聞く前から訳ありの雰囲気が流れる。聞いていい話があるのかもよく分からない。手探りだった。
「芦谷さんはどんなことをしていたんですか」
「文字通り“世話”よ。身寄りのない子どもたちは疑い深かったり、逆に信じ込みやすかったりするからね。今からやることをはっきり言う。それが第一の仕事ね」
芦谷さんの実地に基づく感覚は鋭かった。疑い深い子どもは他者を信頼できないでいるし、信じ込みやすい子どもは過剰に適応しようとしている場合は多い。そうなってしまう子どもたちの背景を考えるだけで、胸の辺りが苦しくなった。
「広島にいた話はしたわね」
「はい、旦那さんのお仕事のご都合でしたよね」
芦谷さんは以前、結婚20歳し、それと同時に引っ越しの日々が始まったとぼやいていたことがあった。結婚していないわたしに、「しなくたっていいわよ。どうせひとりになるんだから」といやに説得力のある話をしていたときだった。
「何度か引っ越しをして、広島はここに来る前の場所だったの。10年ちょっといたんだけど、そのときのパートが児童養護施設よ」
一人前の洗い物はすぐに片付いて、昼時をすぎたお店はまた静かになった。わたしたちはいよいよやることがなくなり、冷蔵庫に入れていたスタッフ用の麦茶をグラスに注いで、カウンター内に置いていた丸イスに座った。
「それって何歳くらいのころの話なんですか」
「30代前半かしら? こっちに来たのは40半ばだったから、その前までずっと」
「長いですね」
「そうね。夫が急死して、帰ってきちゃったけど。だっている意味がないもの」
芦谷さんは、もともと
「このお店にはどうして」
「Toute La Journée」は昼も開けているが、内装はシックなバーだ。もともとこの辺りは夜の繁華街で、芦谷さんのようなお堅い人とは似ても似つかない。
「雅也さんと夫が知り合いでね。あの人が死んだことを聞きつけて、『関東に帰ってくるなら』と声をかけてくれたのよ。わたしも働かないわけにはいかなかったし。ちょうどよかったわ」
香月さんの交友関係は分からない。芦谷さんの旦那さんならだいぶ年上になるはずだし、転勤続きで関東にほとんどいなかった人とどうして知り合いなのだろう、と思いながらわたしは話を続けた。
「じゃあ児童養護施設には?」
「なんでだったかしらね。忘れちゃったわ」
急に遠くを見つめた物憂げな瞳に、また触れてはいけない部分にあたってしまったかと怯む。そしてとっさに「どんなところだったんですか」と聞いた。
「田舎だからね、落ち着いたいいところよ。野良猫を放っておくぐらい穏やかで」
「野良猫?」
「ええ、今じゃ地域猫と言うのかしら。一昔前はそんな言葉聞かなかったから、みーんな野良猫と言ってたわ。施設の中を平気で通り過ぎていくの。ご飯ももらっていくし、子どもたちにも相手にされて」
白猫のソラ、と芦谷さんはつぶやいた。「確かそんな名前だった」と、うろ覚えの名前を思い出そうと考え込んでいる。
「いいところじゃないですか。動物が寄り付くなんて」
「まあね。敷地内に広い遊び場もあったし。古かったけど。でもその分、植えられた木も立派よ。隅に大きないちょうの木があって、その太い枝にブランコをぶら下げたりして」
徐々に彼女の中で思い出されていく景色はのどかなものだった。できる限り同じものをイメージできないか、わたしは思いを巡らせる。
「子どもたち、好きそうですね。木にぶら下がるブランコなんて」
まるで童話の中の世界だ。秋はさぞ見ものだろう。みずみずしい緑から黄色に色を変えるいちょうの葉が重たい茎をしならせて枝いっぱいに生えている様子を想像する。
「取り合うように遊んでいたわ。でも本当に取り合っていたの。控えめな子に順番は回ってこないし、すぐ手が出たり口が達者な子たちばかりが遊んでいてね。みんな出自が複雑だから、最初はあんまり強くも言えなくて」
ああ、とまた口ごもり、ついに言葉が出なくなる。それに気づいたのか、芦谷さんは関連のないレジ横に重ねられていた書類に手を伸ばした。
「でも、ここで教えなかったら、もう彼らに『良い』『悪い』を教えてくれる大人はいないかもしれないと思ってね。それからは、変な同情はしないで言うようにしたの」
トントンと軽快な音を立てて書類を揃えると、芦谷さんはそのまま奥の部屋に片づけに行った。動く彼女の背中を自然と追っていたとき、壁に立てかけられたコルクボードが目に入った。
――「木漏れ日と猫のしっぽ」
――「いちょうの木に括られた……」