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第34話:バーテンダーの本領

「準備分すべて完売? 驚きだな」

 閉店後、お店の片づけをしていると香月さんが早めに出勤してきた。バータイムにはまだ随分早い。様子を見に来てくれたんだろうと思った。

 壁際のコルクボードを見て、急に増えたインスタント写真を眺める。

「リリちゃんとユリちゃんのお陰ですよ。やっぱり女の子が多かったので、食べてるところを写真撮らせてもらえました。あと入口にもいくつか飾ろうと思っています」

 わたしはお店の雰囲気に合うポップを考え始めていた。来週も需要があれば開きたいが、もう全員来てしまったのではないかと思うほどの盛況ぶりだ。

「一応来週も考えていますけど、さすがにもう余ると思うので、バータイムでお通しに使ってください。芦谷さんにはもう味付けをお願いしてあるので」

「了解。そのあたりは気にしないでいいよ。かぼちゃは今月いっぱい持ちそうだね。もらいものだけど、ちょうどよかったよ」

 香月さんは、金糸瓜が入った段ボールをちらりと覗く。金糸瓜は残り3個ほどになっていた。週1回の催し物と考えれば、順調に消費できていた。


「やっぱりあれ? 愛着作戦が功を奏したわけ?」

 香月さんは、片づけをする芦谷さんの邪魔にならないように動きながら、自分の飲み物を作り始めた。

「どうでしょう。でも、確かに残す人はいませんでしたね」

「それはすごい。アンなんて結構残したのにな」

 アイツにもやらせるか、と言って香月さんはどっと笑った。芦谷さんはその大笑いにも一瞥もせず、片づけを続ける。

「あとは、タイミング的にパンケーキなどメイン料理にいい感じに目が移りやすかったのと、どなたも複数人での来店だったので、その後もお話が弾んで金糸瓜が長く注目されなかったことがラッキーだったんじゃないかと思います」

 香月さんは、できあがったお酒を片手に、「あまり注目されない方が心象いいだなんて、なんか複雑だな」と苦笑を浮かべた。それを聞き、カウンターの内側から「だからたいしたものじゃないって言ったじゃないの」と芦谷さんが追い打ちをかける。

「でも、あのぱらぱらと崩れる果肉は面白がられていましたね。ただの野菜だからどうなるかと思いましたけど……目新しさは強い!」

 何がウケるか分からない。ぼんやりとSNSを眺め、正解が分からず頭を悩ませたわりに実感が湧かない。


「このあと予定は? 帰るだけなら一杯作るよ」

 香月さんは、飲んでいたグラスを置き、新しいグラスを出し始めた。このあと予定がなかったわたしは、香月さんの言葉に甘えることにした。

「桜のリキュールがあと少しだから、使っちゃっていい? その代わり特別なのをあげるよ」

 そう言って、香月さんは、ここに初めて来た日にアンが出してくれた「桜のモヒート」を作ってくれることになった。従来使用しているミントシロップの代わりに、桜のシロップを入れる。

 わたしは出しっぱなしだったペンを片づけに、席を立った。ほどなくして戻ると、エプロンを付けたままカウンターの客席に座る。ふと横を見ると、お酒を断った芦谷さんには、代わりにフルーツジュースが提供されていた。

「はい、できた。葉桜モヒートです」

「花がないだけじゃないですか」

「こういうのは言い方なんです」

 香月さんは、わざと頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向いた。ふふっと笑うわたしは、さっそくカクテルといただく。口含んだ途端、ふわりと苦みが鼻を抜けた。

「あれ、以前いただいたものと味が違うような……」

 唇を離し、グラスの中を覗く。

「お、瀬野ちゃん分かる? さすがだね」

「でも何が違うかまでは……。ちょっと苦い気がします。でもそれが逆に甘さを引き立てているような……? 複雑な味がします。これ、何が入っているんですか」

 すると、香月さんはトニックウォーターのボトルを目の前に出した。

「炭酸水をトニックウォーターに替えてある。トニックウォーターに含まれるキニーネは、マラリアの特効薬だったんだ。今はその構造を利用して、副作用が少ない薬が作られている。その歴史があって、健康をもたらすカクテルになったんだよ」

 へえ、とわたしは香月さんの話に聞き入った。カクテルについての雑学は、さすがのバーテンダーだった。アンもこうして彼から教わったのだろうか。

「じゃあ、これはお疲れ様のカクテルなんですね」

「そう。バーテンダー的な気遣い。いつもと違うことして疲れたかなって。バーテンダーは、季節もだけど、客の状態も結構見てるもんさ。体調とか気分とか。それを踏まえてレシピを変えることもあるわけ。たまにね」

「かっこいい」

「もっと言ってくれてもいいよ」

 すっかり上機嫌になった香月さんのすぐ横で、「ばかばかしいわね」と、独り言にしては大きな声で芦谷さんが言う。片づけはすべて終わり、芦谷さんは近づく定時に向け、エプロンを脱ぎ始めていた。

「でも本当に知らなかったです。そんな気遣いがあるなんて。ちょっと医者っていうか、薬剤師っていうか、それらに近しいものがありますね」

「一応聞いてからやるもんだけど、俺のお客さんはそのへん分かってるから、最近は出しちゃってる。『まずかったら替えるから』とは言ってある」

 へえ、とまた自然に漏れる。ふたつの味がするモヒートは、飽きが来ることはない。

「案外繊細でしょ? 俺」

「……それは、どうですかね」

 ちょっと、と笑って凄む彼を尻目に、わたしはまた葉桜のモヒートを口にした。


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