「リリ、もう少し右に傾いて」
「あんまり撮れないんだから、いいと思った時しか押さないよ」
インスタントカメラを構える彼女は、リリと呼ぶ長い黒髪の女の子へ細かな指示を出した。顎の向きや目線の方向、髪の毛の毛束のぶら下がり方まで見ている。まるで撮影会だ。
「今日チョーきびしいじゃん、ユリ」
「加工なしだからね。勝負して」
リリと呼ばれた彼女は被写体になることに慣れている素振りで、またご自慢のしなやかな黒髪を
そして忘れたころにカシャッと軽い音が聞こえる。
唖然とする芦谷さんとわたしがカウンターの内側で立ち尽くしていると、ユリがカメラを返しに来た。
「インスタントカメラってエモいですけど、賭けですよね。一発勝負なのがドキドキします」
そう言って、リリだけが写る写真を10枚ほどカウンターに並べた。リリは青みがかったグレーのクールな内装に生える凛とした表情で写っていた。やや解像度の悪い暗さが彼女のアンニュイな表情を引き立てる。
「ユリちゃんはいいの? 撮らなくて」
「いいんです。いつもわたしはリリのカメラマンなので」
普段からこんな調子で写真の撮影をしている高校生とは一体何者なのだろうか。
「リリちゃんはモデルさんなの?」
「まあ、そんなときもあります」
「写真お店に貼って大丈夫? 事務所とか……」
急にお金が発生しそうな匂いがして、わたしはそれとなく確認をしようとした。するとそこに、目鼻立ちがスッと整ったリリが話に割って入る。
「個人なんで大丈夫ですよ。事務所入るとサクシュされるだけなんで」
そう言って、彼女はにっこりと笑顔を見せた。モデルさんの世界は甘くないのかもしれない。それ以上積極的には言わない彼女たちを見て、深堀することはやめた。
片づけをすべて終わらせてしまった芦谷さんもカウンターに並べられた写真を覗き込む。
「本当にモデルさんね。でもこの店に謝礼を払うお金はないから、アイスでも食べていきなさい」
芦谷さんは、からしマヨ和えになった金糸瓜の小皿をふたつ出すと、すぐに後ろを向いた。業務用の冷蔵庫を開け、業務用の大きなバニラアイスのケースを取り出したのだ。
「気にしないでください! このかぼちゃだって、わざわざやってもらったんだし」
ユリの制止に、リリが加勢する。
「そうですよ。午前中にアップしてかぼちゃもあわせたら、2個目ですよね? 消費できます……?」
賞味期限を心配するリリがあまりに可愛らしくて、わたしは「それはちょっとやばいかも」と口にしてみた。ざるに上げられた金糸瓜は、山盛りの麺のようだ。カフェタイムのピークも過ぎて、この後の集客はあまり見込めない。バータイムにお願いしても、お通しは小鉢だ。この山盛りの麺がはけるほどの客入りは考えづらい。
「やっぱり? だってもうすぐ閉店なのに、誰もいない!」
リリは本当に素直で、天真爛漫な子だった。わたしは彼女をなだめる。
そのうち、アイスクリームディッシャーを握る芦谷さんを見つけると、「やったー! ラッキー!」「ごちそうさまです」と彼女たちは口々に喜んだ。先ほどまでのプロさながらの気迫は消え、アイスクリームに喜ぶ素直な女子高生にすっかり戻っていた。
芦谷さんはバニラアイスに黒蜜ソースをかけて、ふたりの前に差し出す。
「黒蜜が好きだ」と言いながら食べ始めるリリに、ちゃんと「いただきます」と手を合わせてからスプーンを持つユリのふたりは、対照的な性格をしていた。
「ふたりでアイス食べてるところ、撮ってあげる」
わたしはにこやかに食べるふたりに自然とカメラを向けた。そうして出てきたのは、1枚の写真。
「2回シャッター押せばよかった!」
渡す相手はふたりなのに、写真は1枚しかない。
「別に大丈夫ですよ。それもどうぞお店に飾ってください」
ユリが手を止めて答える間、リリは自分のスマホを取り出し、インスタントカメラで撮った写真をパシャリと撮影した。
「送った」
「うん、ありがと」
その流れは本当に一瞬で、無駄な動きがない。きっと彼女たちにはこれが当たり前の日常なのだろう。
「賢いっていうか、なんていうか」
わたしは、彼女たちの頭の柔らかさに感心していた。何なら画質が上がったのではないだろうか、なんて馬鹿なことまで考えてしまった。芦谷さんは写真を写真に撮るということが理解できておらず、「本当にいらないの?」と聞いていた。
「あ、そうだ。こっちもいらない? いるならもっていきなさい」
そう言って、すでに和えていた分を金糸瓜のからしマヨ和えを、小さめの保存容器に入れてふたりに持たせた。
「えー! うれしー!」
リリはなんでも思ったことを思ったままに口にする。早速バッグにしまっていた。一歩遅れて保存容器を手にしたのは、ユリだった。芦谷さんに向かって、小さくお礼を言う。
「おばあちゃんが亡くなってから、もう向こうに行ってないんです。別に悲しくはなかったんですけど、おすすめでここの投稿が流れてきて、それで……」
ユリの顔には悲しさもつらさもなかった。ただ、血の通わない表情が仮面のように張り付いていた。