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第27話:カフェタイムのお客様

「どれですか」

 芦谷さんが指さす方向を見ると、大判のコルクボードがあった。そこにはわたしが書いた紙と、が書いた紙だけが貼られていた。

――木漏れ日と猫のしっぽ。

 意味を聞いておけばよかった。名前もないその紙を、芦谷さんはじっと見ていた。

「それ、この金糸瓜をくれた常連さんのところで働いている子が書いたんですよ。シャイだったのに、案外メルヘンで」

 へえ、とだけ言って、芦谷さんは口を結んだ。使った調理器具を洗い始める。

「やっぱりこちらも全然増えてないですね。昼間もすすめていきたいですけど、案外お酒が入っていないと手は伸びないかもしれません」

 バータイムとは違うアプローチが必要かもしれない。わたしは食器拭きを手に持ち、芦谷さんが洗ったボウルを拭き始める。

「今日は次に来たお客さんに、写真をお願いしてみましょ! やはり売り込みが大事ですね。写真OKの方にこの金糸瓜のからしマヨ和えをサービスしてもいいかもしれないですし」

 大量に残った和え物を前に、彼女は「そうね」と淡泊に返した。これはわたしがやるなら別に構わない、という彼女なりのGOサインだ。実に気難しい。

 もちろん、スタッフ紹介で写真を撮ることは叶わなかった。



 15時になる少し前、ドアが開いた。

「いらっしゃいませ」

 わたしは作業していた手を止め、開いたドアの方へ回る。高校生くらいの女の子たちだった。ふたりはわたしを見るなり、バッグからスマホを取り出した。

「あの、今日はもう終わっちゃいましたか? そうめんの」

「そうめん?」

「今日SNSに上げてたやつです」

 ようやく彼女たちが金糸瓜の話をしていることに気づくと、わたしは芦谷さんを見た。芦谷さんは瞼をいつもより数ミリ多めに上げ、こちらを見ていた。

「茹でてるところを撮りたいんです」

「自分たちで?」

「はい」

 けろっと答える若人の勢いに負けそうになりながら、わたしはもう一度芦谷さんを見た。

「まだまだありますもんね」

「一個くらいならいいわよ。夜にお通しに使えるなら使ってもらうようにメモしておくわ」

 そう言うと、芦谷さんは「こちらにいらっしゃい」と彼女たちを手招きした。

「いいんですか? やったー!」

 無垢に喜ぶ彼女たちに、微笑ましさを覚える。芦谷さんは意外と面倒見がよかった。彼女たちをカウンターのコンロ前に座らせ、湯気の風向きに配慮しながら再び段ボールから金糸瓜を取って洗った。


「あなた、向こうの出身なの?」

 芦谷さんは、右側に座った女子高生に話しかけた。突然のことに、彼女はびくっと肩を弾ませた。

「ほら、そうめんって。あっちの人しか言わないじゃない」

 答えが返ってこなかったことが気になったのか、芦谷さんが「……言わないっていうか、こっちの人は知らないのよ」と言葉を重ねると、合点がいったのか、女子高生は落ち着いた声で「おばあちゃんが広島で」と答えた。

 芦谷さんの愛想のなさはいつも通りで幸先が暗いかと思われたが、いつの間にか女子高生たちと打ち解けていた。SNSで動画を見てやってきたこと、ふたりとも通信制の学校に通っていることなどを話していた。わたしはSNSの話が出たときに、話に入ろうと構えていたが、世間話の合間に急遽、芦谷さんが「ほら、構えなさい」と声を張った。

「構えなさいって……」

 思わずわたしは吹き出した。随分手厳しい先生だ。しかし女子高生たちは何とも思わないといった表情で、芦谷さんの指示に忠実になって動いた。スマホを煮立った鍋に向ける。

 やがて、果肉がほろほろとほぐれ始めた。何とか見てもやはり感動する。どうして野菜なのにこんな別も食べ物のようになってしまうのか不思議でならなかった。


 女子高生たちは思い思いにスマホを鍋へ向ける。

「これってSNSに載せても大丈夫ですか」

「ぜひ。お店の宣伝にもなるし」

「やったー。ありがとうございます。ここ、結構穴場ですよね。全然聞いたことないです」

 きっぱりとした若さに思わず笑ってしまう。穴場と呼んでくれるなら、多少は居心地が良かったのかもしれない。


 彼女たちは、この辺りの雑居ビルに入る通信制高校の在校生だった。たまにあるスクーリングで、この近くに来ていた。どうやら引きこもりということではなさそうだ。仕事でもしているのだろうかと思うほど、大人慣れしている受け答えだ。身なりもどちらかといえば整っている。つるんとした髪は手をかけているのが分かった。大き目のトートバッグは学校で使う物たちが雑多に詰め込まれていたが、感じもしない。

 初対面であれこれ詮索するもの何だか気持ち悪い気がして、わたしは彼女たちの話をそこそこに、インスタントカメラを手に持った。

「今、表の看板やこのフロアのボードに飾るためにお客さんに写真をお願いしているんだけど、もし大丈夫ならふたりにもぜひお願いしたくて」

 すると、ふたりは顔を見合わせるとすぐにどちらともなく快諾してくれた。

「何枚か撮っていいですか? 写りが気になるので」

「全然気にしないで。オーナーに請求するし」

 へへっと笑ってみせる。自然と出た。愛想笑いでも何でもなかった。彼女は何よりほしかったお昼のお客さん第一号だ。フィルム代など惜しくもない。

 わたしは頷きながら、彼女たちにカメラを差し出した。ふたりはカメラを預けられたことに目を丸くしていたが、すぐに理解したようだった。

 わたしが撮るより、ふたりが互いに撮り合った方が美しく撮れるかもしれない。好きにとってほしいと伝えると、髪の短い女の子がインスタントカメラを握り直した。そしてもうひとりのロングヘアーの女の子が近くにあった椅子に座る。黒髪をなびかせながら、彼女は慣れた様子でポーズを取り始めた。


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