次のカフェタイムの日、わたしはさっそく芦谷さんに相談を持ち掛けた。
「芦谷さん、金糸瓜って料理できますか。バーの常連さんがくれたんですけど、上手く調理できなくて」
すると、芦谷さんは隅に置かれた段ボールの中から金糸瓜をひとつ取り出した。
「また珍しいものを。久し振りに見たわね」
ひょいっと持ち上げられた金糸瓜は、よく見るかぼちゃよりも軽かった。
「その常連さん、確か南の方の出身なんです。広島? とうだったかな……」
あの日、何と言っていただろう。必死に思い出そうとする。広島の出身で、野球の話を香月さんとしていたような気がする。
バータイムの記憶を探っていると、芦谷さんが口を開いた。
「住んでたわよ。広島。田舎の方だけど」
わたしは、ぎょろりと芦谷さんの顔を見た。
「芦谷さんってそちらのご出身だったんですか」
「いえ、出身はこっち。広島には夫の仕事の関係で、昔ね。10年はいたかしら」
15年はいなかったはね、と考え込みながら話す芦谷さんは顎を触っていた。
「ここに来るまでに何度か引っ越したのよ。主に中国地方だったけど。まさか最後、あんな田舎に取り残されるとは思わなかったわ」
彼女が自分から身の上話をし始めたので、わたしは驚いて黙った。相槌も忘れ、芦谷さんとフロアの空間を視線が彷徨う。
芦谷さんは、20代で結婚し、旦那さんの仕事の都合で3度引っ越しをした。一番長くいたのが最後の広島だったという。30代から40代の初めまでを過ごし、旦那さんの急死をきっかけに自身が生まれ育ったこの地に帰ってきた。
「固く絞らないと、水っぽくておいしくないわよ。シャキシャキした触感が醍醐味なんだから」
芦谷さんが金糸瓜を湯がくところを動画に収めながら話を聞いていると、急に金糸瓜の料理教室が始まった。
昼時を過ぎ、最後のお客さんが出て行った。おそらく15時ごろまではお客さんの波は落ちつくだろう。パンケーキの短い動画を投稿後、おやつタイムに女性客が少しだけ増えた。どこまで関連があるかはわからないが、またタイミングを見てSNSを更新しようと思っていた。
「もっと! ほら。……そうそう」
しかしそれほどこの料理教室は甘くない。わたしはスマホを構える暇もなくなり、麺状になった金糸瓜の果肉を絞り続ける。
「この前は何を作ったの」
芦谷さんは隣に立ったまま、視線は手元を見たままわたしに話しかけた。
「三杯酢の和え物です。検索したら結構メジャーな食べ方だって出てきて」
そういえば、湯がいた金糸瓜がまだ冷蔵庫にあったはずだが、中を見るとなくなっていた。
「ああ。あれは老人に食べさせるならいいかもしれないけど。あなたたちみたいな若い人には、マヨネーズの方が合うでしょうね。お酒飲みのひとたちにも」
そう言うと、芦谷さんは冷蔵庫からマヨネーズとからしチューブを取り出した。固く絞った金糸瓜の果肉をボウルに入れ、その上から計りもせずマヨネーズとからしを雑多に入れていく。
「待って、待って! それ分量はどれくらい……」
「こんなのいちいち計ってられないわよ! 本当に料理をしないのね」
呆れる芦谷さんを尻目に、わたしはだいたいの分量を目算した。マヨネーズが3回し、からしは1㎝もない。それらをメモしていると、彼女はくるくるっと手早く混ぜ始めた。
「ほら、どう?」
醤油皿として使っている深めの小皿に果肉が盛り付けられる。わたしは近くにあった箸を掴み、味見をした。
「ん! とってもおいしいです!」
金糸瓜はまだ口の中にある。くぐもった返事でも、芦谷さんはどこか満足げだった。
「からしの量はお好みで調節して。あとは、醤油を少し垂らしても味が落ち着くわよ」
そう言って、芦谷さんはわたしの小皿に隠し味程度の醤油を垂らした。一口食べてみると、先ほどとは打って変わって、和風な味に深みが出る。
「どっちもいいです。おいしい! 今度アンにも言ってみます」
思わぬ収穫に、わたしは次のバータイムが待ち遠しくなった。
芦谷さんが鍋やボウルを洗っている間、わたしは再びスマホを握っていた。残りを小皿に盛って、アップと引きの動画を撮る。それをあらかじめ撮影していた湯がくシーンと合わせ、1本のとても短い動画を作成する。
その間、彼女はなにも言わなかった。こんなとき、「スマホばかりいじって」と文句を垂れるタイプとばかり思っていたが、彼女は理由さえ分かれば静かだった。
「見てください。カフェタイムの2本目の動画は、この辺りでは珍しい金糸瓜の小鉢です」
わたしは彼女の目の前にスマホの画面を持っていった。金色の果肉がたちどころに生麺のように分かれていく。不思議な光景をふんだんに流したあとは、からしマヨネーズの小鉢をアップで登場させる。そして数秒置いて、醤油をひと垂らし。
――味変も! あなたはどっち?
やや扇動的なメッセージで締める。
「そんなたいしたものじゃないのよ」
「いいんです。この辺りじゃ見ない野菜ですし、ヘルシーな点とかももっと打ち出せる点はあったんですけど、今回はこのくらいで納めています」
「ああそう」
素っ気ない彼女に戻っていたが、わたしは気にも留めずお店のSNSを更新する。
ついでにフォロワー数を確認していたが、爆発的な伸びはなく、多めに見積もっても、「やや微増」程度だった。継続の大切さを思い知る。
――パンケーキはもっと伸びてからにすべきだったか。
――いや、初回こそフルスロットルで行くべきか。
慣れない心理戦が自身の頭の中で繰り広げられる。
「そういえば、これなに? なにかの暗号?」
その声に反応し、わたしは芦谷さんが指さす方向を見た。