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第88章「異変〜「調和」の意味」

 ある夜。都内ハーモニクス・ソリューション学園。

 まだ冬休みとはいえ三が日を終えると、教師とは忙しいもので、もう学校内で学期明けの準備などを始めている。

 と言ってもそれは日中の話。

 夜になれば僅かな宿直の教師を除いて、人はいなくなる。

 そんな学園の第四グラウンドに降り立つ大柄な人影が一人。

「よっし、まだここの穴は塞がれてなかったか」

 重明である。

 彼は第四グラウンドを覆うフェンスに穴が開いているのを知っていた。

 都内ハーモニクス・ソリューション学園及びその前身である都内エレベートテック学園は登校可能時間に厳しく、決まった時間より遅く校門をくぐると、カメラで記録され、マイナスの評価が入れられてしまう。

 そこで、かつて遅刻常習犯であった重明はこれを潜り抜けるために抜け道を探し、そして見つけていたのである。

 それが第四グラウンドを覆うフェンスに出来た穴であった。

 ちょうど草むらに隠されていて、中からだと見えにくいのでまだ「ハーモニクス・ソリューション」の教師陣も気付いていないようだ。

「さ、教室行くか」

 重明は置き勉していた問題集を取りにきていた。

 本当は昼に取りに行けば、教師が校門を開けてくれるはずなのだが、重明は折角人間評価がほぼリセットされたのに、ここで悪い覚えをされたくないため、こっそり忍び込むことを選んだ。

 暗くちょっと恐ろしくもある夜の学校、その廊下を重明は堂々と歩いていく。


(お、明かり?)

 そこでふと、足を止める。

 教員用の会議室に灯りがあったのだ。

 姿勢を低くして、窓の下の空間に身を隠しつつ、前に進む。

 が、ちょっと中が気になった。

 こんなまだまだ年始の夜中に何を会議しているのか……。

 重明は音が鳴らないように慎重に慎重しそーっと、扉を開けて……。

 教頭先生が《オーギュメントグラス》をつけて、椅子に腰掛けていた。教頭先生は「ハーモニクス・ソリューション」から出向してきた重役という話だったはずだ。

(リモート会議か? ってことは「ハーモニクス・ソリューション」関係の会議にリモートで参加してるってことか?)

 重明の中にむくむくと会話内容を覗きたいという気持ちが湧き出てくる。

 最近の「ハーモニクス・ソリューション」はおかしい。明らかに何かしらの目的があるような気がする。

 思わず扉を開け、会議室に入り、会議に参加している教師のそばまで歩み寄る。

 とはいえ、どうしようもない。重明にはなんの技能もない。リモート会議している彼らのやりとりを盗聴する方法など持ってはいない。

「気になりますか? 会話の中身が」

 直後、重明の真後ろからそんなささやき声が聞こえてくる。

「っ!」

「!」

 思わず声をあげそうになった重明の口が素早く抑えられる。

「静かに。流石にあまり大きな声を出すと流石にフルダイブが解けます」

 完全に五感を仮想世界に投げ渡すフルダイブには、当然安全装置がある。近くで大声が上がるのもその条件の一つだ。

「あ、アルトリウス先生……?」

 モゴモゴと、重明が口に出す。

「おや、まだ私も先生と呼んでくれるのですね」

 アルトリウスが大丈夫と判断し、口を押さえた手を離す。

「な、なんでここに?」

「もうすぐ『ハーモニクス・ソリューション』が重要な会議をすると聞いて忍び込んできたのです。まさか、関原君を見るとは思っていませんでしたが」

「あんたら……まだ『ハーモニクス・ソリューション』と戦うつもりなのか」

 アルトリウスの言葉に重明は警戒心を露わにする。

「おやおや。あなたも『ハーモニクス・ソリューション』への警戒心を抱いていたところなのでは?」

「それも、足音を聞けば分かる……ってことか?」

「えぇ。足音を聞けば概ねの事は分かります」

 重明の緊張した様子の言葉にアルトリウスが頷く。

「さて、見せてあげましょう。彼らの会議の様子を」

 そう言うと、アルトリウスから、重明に何らかのデータが送信されてくる。

「これは……? 実行ファイル? 何かのアプリか?」

 困惑した重明がアルトリウスを見返す。

「えぇ。クラッキングプログラムです。これを使えば、短波通信で近くの《オーギュメントヘッドギア》の視覚と聴覚を盗撮・盗聴出来ます。当然、相手がフルダイブしていればフルダイブ先の視界と聴覚を取得出来ますよ」

「ってことは、これを使えば……」

「えぇ。彼らの会話を覗き見る事が出来る」

 重明は逡巡する。明らかに違法行為だ。

「それでは、私は一足先に失礼します」

 そう言って、アルトリウスが教師の隣に座り、空中に指を走らせ、何かをタップするような動作をする。

 恐らく先ほど重明に分け与えたアプリを起動したのだろう、そのままアルトリウスが背もたれに脱力する。

「……ええい」

 重明もまた、手近な椅子に腰掛けて、アプリを起動する。

 アプリが目の前にいる教師の《オーギュメントヘッドギア》をロックし、起動する。


「以上のように『ハーモニクス』計画は確実に進行中です」

 そんな言葉が聞こえてくる。

 視界に映っているホロスクリーンには世界地図が赤く塗り分けられている。

「はっはっは、これで、イギリスは完全に牧場化か」

 と男の一人が笑う声がする。

 自身の視界がその男の方を向く。

「おい、社長の前だぞ」

 それで状況が分かる。楕円形の会議室に座っていて、そのうちの一角に自分が座っているようだ。

「そうだ。我々は真なる調和のために活動しているのだぞ」

 「真なる調和」に「牧場化」。あまりに不穏な響きに、重明は嫌な予感がした。

「おいおい、『ハーモニクス・ソリューション』の重役は揃いも揃って理想家ばかりか?」

「そちらこそ実力だけを買われて入った外様役員はこれだから……」

 「牧場化」について語った役員が心底呆れ顔でそんなことを言い、対して何人かの役員に「牧場化」について語った役員をなじり返す。

「実力だけとは失礼な。人々の生活を監視・管理し、真なる調和ハーモニクスをもたらす。お題目は夢見物語のようだが、『ハーモニクス・ソリューション』の技術力はそれを可能にする」

「!」

 思わず重明が声を上げそうになる。

「おい、リモート会議中だぞ」

「『ハーモニクス・ソリューション』のリモート会議を盗聴するなんて『エレベートテック』でもなきゃ無理だろ。そして奴らはもういない。いいじゃないか。監視社会のディストピアを実現し、我らが管理者になろうというんだ。小さいことに怯えてどうする」

 心拍数が上がっていくのを感じる。

「そこまでだ」

 そこに静かで厳かな声が響く。社長の隆司だ。

「貴様はこの『ハーモニクス』計画の進行にふさわしくないようだ。退場してもらおう」

 そのゆっくりとした強い言葉が言い終わると同時、役員の姿にノイズが走り始め、やがて消える。

「諸君、決して我々は支配者層になりたいから『ハーモニクス』計画を進めているわけではない。我々はこの世界をより良い世界へと変えるために『ハーモニクス』計画を進めているのだ。そこを勘違いしないようにして頂きたい」

 その社長の言葉は思想面について叱責しているだけだ、と重明は感じた。つまり、実質的には先の消された役員の言葉は何一つ否定されていない。

 重明は慌てて、アプリの処理を中断する処理をして、仮想世界から現実世界に戻る。

「急いでみんなに伝えねぇと」

 重明は急いでその場を離れ、問題集を回収してから、自分の家まで走って帰る。


 そして、即座に「JOAR」のメンバー全員にVR通話を呼び出した。

「どうした、重明?」

 最初に通話に出たのは仁。何やら鉄製の剣を持って素振りをしていた、

「何してんだ?」

「いや、今年はフィジカルをもっと鍛えたいと思ってな。最近は風呂の前に素振りを欠かさないようにしてるんだ。で要件は?」

 それは偉いな、と思いながら、重明は全員が揃うまで待ってくれ、と返す。

 続いて有子と恭子が通話に出る。

「どうしたの? これからお風呂入るところだったんだけど」

 と、二人を代表して有子が尋ねてくる。

「あぁ、急いでみんなに伝えないといけない事ができたんだよ!!」

 重明は堰を切ったように話し出す。

 夜の学校に忍び込んだこと、夜の学校で教頭先生がリモート会議をしていたこと、それをアルトリウスに与えられたクラッキングプログラムを使って会議を覗き見たこと、そしてそこで知った事実、「ハーモニクス・ソリューション」が「ハーモニクス」計画と呼ばれる人類牧場化計画を進行していること。

一瞬、3人とも全員が、重明が冗談を言っていると思った。

 だが、もう直ぐ一年になろうという付き合いである。重明の顔と目を見れば、それが冗談でないことはすぐに分かった。

「おいおい、マジかよ」

 仁のその言葉が、全員の気持ちを代弁していた。

 まさか、「ハーモニクス・ソリューション」の言う「調和」にそんな意味が隠されていたなんて。

 まるでフィクションの悪役である。

「だからよ、俺達何とかしなきゃいけないと思うんだよ」

 知っちまったからには、何かしないわけにはいかねぇよ、と重明が言う。

「うん、重明君の言う通りだと思う。自覚者は責任者だって、昔の言葉にもあるからね」

 まず最初に頷いたのは意外にも恭子だった。ずっと「ハーモニクス・ソリューション」の侵攻計画に疑問を持っていた恭子にとってそれはあまりに自然な反応だった。

 けれども。

「……いや、まだ確証がないだろ。今度、いよいよネットメディアの取材も入るって言われてるんだ、今、『ハーモニクス・ソリューション』を離れるのは……」

「そ、そうよ。今度昇給の話だって出てるのに……」

 名声とお金に取り憑かれた仁と有子の二人の心には思ったほど刺さっていなかったらしい。

「おいおい……。マジかよ」

 今度は重明がその言葉を発する番だった。

「正気か、仁。ネットメディアのインタビュー欲しさに人類牧場化計画を見過ごすって言うのか!」

「有子ちゃんも本気? お金欲しさに『ハーモニクス・ソリューション』の悪事を見過ごすの?」

 重明と恭子が二人に問いかける。

「別に見過ごすとは言ってない……。だが、まだ確証には程遠いだろ。アルトリウスの離間策である可能性だってある」

「そ、そうよ、別にお金に目が眩んでるわけじゃないわ」

「リカン……どういう意味だよ?」

 仁はあくまで冷静ぶって反論し、有子も同調する。

「俺達と『ハーモニクス・ソリューション』を仲違いさせようとしてる作戦じゃないのか、ってことだ。そもそも、見た映像は本当にクラッキングによる映像だったのか? それらしく見せかけただけの映像って線も……」

「な、そこから疑うのかよ!」

「そりゃそうだろ。アルトリウスはまだ諦めてないんだとしたら、『ハーモニクス・ソリューション』の中核戦力である俺達をなんとかしたいと考えるのは全く不自然なことじゃない」

 だ、だったらこのアプリを実際に使って試してやるよ。今からそっち行くから待ってろ。

 重明が通話を解除し、バイクに跨って仁の家に向かう。


「本物か……」

 検証の結果、本物のクラッキングアプリであることを仁も受け入れる事となった。

「だ、だけど……。まだ分からないだろ。何か重明の勘違いかも」

「そ、そうよ。きっと何か勘違いしているだけよ」

 仁はまだ受け入れられない様子で、言い訳を重ね、有子もそれに同調する。

「勘違いってなんだよ! 俺の言うことも信じられなくなったって言うのか?」

 重明が煮切らない二人の態度に少し焦れたような声を出す。

「そ、そう言うわけじゃないが……」

「じゃあなんなんだよ!」

「重明君、落ち着いて。二人はやっぱり名声とお金に魅入られちゃってる。なんとか目を覚させないと」

 恭子が重明に声をかける。

「って言われても、そんな方法なんて……」

 だが、そこで重明の脳裏には閃くものがあった。

 リーダーになりたい名誉欲に眩んだ自分の目を覚させてくれたもの、それは……。

「ならデュエルだ!」

「え?」

 思わぬ言葉に仁が聞き返す。

「俺とリベレントで組むから、そっちはアリと組めよ。それで、勝った方の言うことに従う、それでどうだ?」

「へぇ、面白いじゃない。受けて立ちましょ、仁」

「あぁ、そうだな。リーダーを決めた時の二の舞にしてやるよ」

 有子と仁は受けて立つことを決める。

 四人は『VRO』にログインするのだった。

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