アルトリウスが都内エレベートテック学園にやってきて、数日が経った。
「太平洋戦争については真珠湾奇襲、ミッドウェー海戦を抑えておけば、入試にはそれ以外はほとんど出ません。後は、枢軸対連合、という言葉も抑えておいた方がいいですね」
大事なのはそれよりもその前に起きたこととその後に起きたことです、とアルトリウスが続ける。
「まず最初は世界恐慌……」
電子黒板に様々な表示を出現させながら、アルトリウスが授業をしている。
アルトリウスは教職資格を持ってはいるが、本職はシステムエンジニアであったらしく、電子黒板に表示される内容は大変整理されていて分かりやすい。
内容もさることながら、表示されるタイミングや、適度に挟まれるアニメーションが分かりやすさをさらに強化している。
「というわけで、以上が戦後秩序の形成になるわけです」
アニメーションが巧みなのが特にすごい、と仁は感じている。
仁が思うには、アニメーションというのは下手に動かし続けても集中力が削がれ、覚えにくくもなるものだ。かと思えばあまりに動きがなさすぎると、今度は退屈になってしまい、やはり集中力が削がれかねない。
だが、アルトリウスの場合、この動かし方が絶妙なのである。適度に少しだけ動く。というのが基本で、かと思えば派手に大きく動かす時もある。
その動かし方は大変に分かりやすく、また、退屈さから生徒達を救ってくれる。
しかも、この電子黒板に表示した内容と同じものをデジタルノートにして生徒全員の《オーギュメントグラス》に送ってくれるため、復習も用意だ。
この関係で、アルトリウスの授業では板書が必須ではないが、アルトリウス曰く「今時アナログな板書なんて意味が薄いですし、集中力が分散してしまいますからね。もちろん、板書した方が覚えられる、と自認している方が板書するのは止めません」とのことだ。
「今更、旧時代の戦争のことなんて覚えても仕方ない、と思うかもしれませんね。私もかつては同じように思っていたのですが、そのせいで恥をかいたことがあって……」
少し話が脱線する。
だが、アルトリウスの脱線は意図的なものだろう、と仁は感じていた。
アルトリウスの脱線には必ず共通点があった。
それは「今回勉強する内容を覚えていたことが役に立った経験」もしくは逆の「今回勉強する内容を覚えていなかったことで失敗した経験」のどちらかである、ということだ。
思うに、これは生徒に「この授業は今後の人生で役に立つ」と思わせることで、授業への意欲を高める意味があるのではないだろうか。重明などが、この脱線の後は露骨に授業への集中力が上がるのを仁は確認している。
ちなみに、仁がこんな斜に構えてアルトリウスを分析しているのは、言うまでもなくアルトリウスが『キャメロット』のアーサー……、つまり『JOAR』の敵であるからだ。
「そろそろ授業の終わり時間ですね。では、全員、デジタルノートをしまってください。復習小テストを始めます」
そして、極めつけがこの授業終わりの復習小テストだ。
これはアルトリウスが独自に開発したローカルネットワーク上で稼働する小テストアプリケーション上で実施される小テストで、名前の通り、その授業でやった内容をまとめて復習する内容となっている。
時間切れと同時に自動採点が行われ、アルトリウスの元にその結果が届く仕組みだ。
「はいそこまで。ふむふむ、結構良い結果ですが、戦後秩序が少し難しかったですかね? 次回のヨーロッパ第二次大戦史でも似た内容をやるので、次回はそこを強化するとしましょう。
いつも言っていますが、この復習小テストは成績には影響しません。けど、同じ問題が定期テストに出ますので、間違えた方は復習をお忘れなく」
そう、この復習小テストは成績に反映されない。その上その内容がそのまま定期テストに出ると予告されている。
積極的に間違えて、苦手を知ることが出来る上に、そこを復習しておけば定期テストにも反映出来る。
正直、この点は仁からしても関心するしかない部分だ。
また、アルトリウスはこの小テストの結果を活用して、クラスごとに異なる授業を展開しているらしく、アルトリウス側が生徒の理解度を知るのにも活用されている様子だ。
その理解度を元にクラスごとに異なる授業が展開されるわけなので、クラスにとって分かりやすい授業になる一助になっているのだろう。
かくして、数日のうちに、アルトリウスはすっかり校内でも屈指の人気教師になっていた。
とはいえ、分かりやすい授業は仁にとっても歓迎すべきことである。
アルトリウスも仁達の正体を知りながら、特にそれをバラすような行為はしていないし、反「ハーモニクス・ソリューション」教育をしているわけでもないし、当然反「JOAR」な発言をしているわけでもない。
最初は警戒していた仁だったが、やがてなんてことはないのかもしれない、と思い始めていた。
「ねぇ、有子。アリのキーホルダーなんて止めて、有子もマーリンチャームつけない?」
有子の女友達がそんな声をかけているのを仁は耳にした。
「んー、今の所『キャメロット』より、『JOAR』の方が応援したい気分なのよね」
「そっかー」
女友達が去っていく。
「よ、有子。マーリンのチャームなんて売ってるんだな」
「えぇ、最近購買でも売り始めたみたいよ」
「購買で!?」
なんとなく気になって有子に声をかけると、驚きの答えが返ってくる。
「まぁ、今は『キャメロット』は『エレベートテック』の所属なわけだし、売ってても不思議はないでしょ」
「確かに。元々は『ロビン・ルイス』でも売ってたんだしな」
と言いながら、仁は周囲を見渡して……。
「あれ、なんか『キャメロット』グッズつけてるやつ多くないか?」
「今気付いたのかよ、仁」
そこに重明が話に加わる。
「あのアルトリウスが人気になるのと同時に、少しずつ人気になってるぜ、『キャメロット』」
面白くなさそうに重明が鼻を鳴らす。
その気持ちは仁にも分かった。
都内エレベートテック学園ではこれまでずっと「JOAR」人気一強であった。どこを向いてもどこかしらに「JOAR」グッズが見える状況だった。
それは現実世界における「JOAR」人気を象徴していると感じられる出来事で、仁にとって——そして恐らく重明にとっても——心地いい時間だった。
今でも、どこを向いてもどこかしらに「JOAR」グッズがある状況は変わらない。しかし、時折、視界に「キャメロット」グッズが目に入る。
それは、これまで自分達一強の状況だったのが覆り、新しい色が生じたことを意味する。
しかも、重明によればその数は少しずつ増えているとのことで、心地よい時間が奪われたように感じるのだろう。
仁も改めて意識して周囲を見渡すと、かなりの割合で「キャメロット」グッズが目に入ることに気付き、少しだけ不愉快な気持ちになった。
それからさらに数日後。
ついに、「JOAR」グッズがない方向が現れた。
「アルトリウスの奴、どんどん人気になりやがって……」
屋上で弁当を食べながら、面白くなさそうに重明が呟く。
「だな。確かに授業は良い授業だと思うが、こうまで手のひらを返されると流石につまらない」
仁も弁当を食べながらその言葉に頷く。
すっかり名声に取り憑かれた二人である。「JOAR」の名声が次第に減っていくように感じるのは大変に面白くなかった。
重明は周囲の様子を伺ってから小声で仁に顔を近づけて言う。
「俺達がレイド・ウォーで勝ったら、購買で俺達のグッズを堂々と売るように勝久さんにお願いしようぜ」
「はは、そりゃいいな。そうなりゃ、アルトリウスのやつも失業だな」
だが、そんなことを言って笑っていられるのも、この昼休みの終わり際までだった。
【Yuko.M > ちょっとまずい事になってるわ。教室に帰ってくるのはギリギリの方がいいかも】
その始まりは有子からのそんなチャット。
【Satoshi.I > どう言うことだ、何があったんだ?】
【Yuko.M > ごめんなさい、タイピングしてる隙がないの】
【Satoshi.I > どう言う事だよ】
しかし、返事はなかった。
仁と重明はすぐにでも教室にとって返したい気持ちだったが、折角有子が注意してくれたのに、それを破るのも気が引けた。
だから、二人は昼休みが終わるギリギリまで屋上で時間を潰して、教室に戻った。
戻ってくるとすぐに事情は分かった。
教卓の前にたった生徒の背後、電子黒板に刻まれた文章が全てだった。
【JOARはエレベートテックに侵略しようとするハーモニクス・ソリューションの手先に成り下がった裏切り者である。これより我ら「エクスカリバー・フォース」は校内に潜むJOARを発見、排斥する】
クラスの隅で、「JOAR」グッズをつけている小柄な女子生徒が「エクスカリバー・フォース」の構成員である生徒に詰問されている。なぜ構成員であることが分かるかと言うと、ご丁寧に「エクスカリバー・フォース」と書かれた腕章をつけているからである。
「まさか、お前がアリなのか」
気弱な女子生徒は今にも泣きそうで、とても見てられない。
重明が一歩踏み出すのを見て、仁は慌てて止める。
「待て、重明。今出るのはまずい。何が藪蛇になるか分からんぞ。俺達はリアルではただの……どころかひ弱な高校生なんだぞ」
「じゃあ、あの子を見捨てるってのかよ。あんなに詰問されてなお、大事そうにグッズを胸に抱いているんだぞ!」
その声は大きく、クラス中の生徒の注目を集める。当然、「エクスカリバー・フォース」の構成員達も例外ではない。
「誰かと思えば、重明か。お前もオルキヌスのファンだったな。もしかして、お前がオルキヌス本人なのか?」
重明が絡まれたのを見て、有子が頭を抑える。
「認めたら、あの子を詰問するのをやめるってんなら、喜んで認めてやるよ」
「なんだと……?」
「なぁ、思い出したぜ。重明、仁、有子。この三人、この前の金曜日、学校を休んだぜ。ほら、『ピークォド・コーヒー』とのレイド・ウォーの日だよ」
「! 背丈もオルキヌス、ジン、アリと合致するな」
一人の気付きに他の「エクスカリバー・フォース」の面々が顔色を変える。
瞬く間に、有子も机から連れてこられ、三人が一所に集められた。
ちなみに授業開始のチャイムはとっくになっているが、「エクスカリバー・フォース」が教師を強引に追い返している。もはや学級崩壊一歩手前か、もう一歩進んだ後か、と言った様子だが、彼らにとっては自分達の正義が全てらしい。
さらに悪いことは重なる。
「お、思い出したわ! 有子には姉がいるのよ! 長身の姉。確か名前は、恭子! リベレントのキーホルダーをつけてたわ!」
玲子がそんなことを告発したのである。
「ほう、興味深いなぁ、それは。四人そろちまったじゃないか」
教卓に立っていた生徒が三人の元へ歩いてくる。手元には金属製のバット。
「『エクスカリバー・フォース』代表、
周囲の構成員もいつの間にか思い思いの鈍器を手に取っている。極めて危険な状況だ。
「待て!」
だが、そこに優希が声を上げた。
「その三人は『JOAR』じゃない」
「なっ、武田君?」
「なんだと? どう言うことだ、学級委員長」
玲子が困惑した声をあげ、俊太郎が聞き返す。
「少なくともこの前の金曜日、彼らはレイド・ウォーに参加出来ない。何故なら、放課後、俺と一緒にいたからだ」
「なん、だと」
思わぬ展開に仁達も驚いているが、迂闊なことを言わないように口を閉ざす。
「これが証拠だ」
そう言って差し出されたのは恭子と優希が喫茶店で撮ったツーショットの写真。タイムスタンプはこの前の金曜日である。
「他の三人は写ってないが……、上杉君は分かるね?」
「こいつ……、えぇ、こいつが有子の姉よ……」
玲子が認める。
「それから領収書もある。五人分の食事だ」
実はこれらは恭子と優希がデートしたあの土曜日に作成した巧妙な偽造証拠だが、扇動された愚か者にすぎない俊太郎にそれは見抜けない。
「マジかよ……」
ついに「JOAR」を見つけた、とテンションを上げていた俊太郎は肩を落とす。
「いいぜ、テメェらは無罪だ。よかったな」
こうして、「JOAR」一同は「エクスカリバー・フォース」からのマークを逃れた。
彼らのよる魔女狩りまがいの恫喝は続くが、今の「JOAR」にはどうにも出来ないことだった。
翌日。「JOAR」グッズを持つものはいなくなっていた。「エクスカリバー・フォース」を恐れてグッズを隠したのはもちろん、冤罪で学校から追い出された者も少なからずいたらしい。
仁達「JOAR」は、「もはや安息の地とは言えなくなった都内エレベートテック学園は『ハーモニクス・ソリューション』によって変わるべきだ」と感じ始めていた。
皮肉にも「エクスカリバー・フォース」の行動は、却って「JOAR」の士気を高める結果になっているのだが、本人達は知らぬことだった。