「ハーモニクス・ソリューション」本社、会議室。
極めて優れたIT技術を持つ同社であるが、通信の安全を100%確保出来るわけではない。
故に極めて秘匿性が高い内容を会議する場合、結局会議室で全員が集まることが求められるのだった。
「という次第で、第二目標『ピークォド・コーヒー』との紛争は無事勝利を収めました」
「ハーモニクス・ソリューション」でのレイド・ウォー全般を一任されている智顕がARプロジェクタの前で今回のレイド・ウォーの戦果を発表する。
「ふむ……。
だが、その戦果に対し不満そうに重役の一人が声を上げる。
「はい。計画通り『ピークォド・コーヒー』は弊社の子会社となりました。もう『エレベートテック』を支援することはありません」
「それは確かにそうだろう。だが、私が言いたいのは今回の戦いで生じたこちらの被害のことだ」
バン、と重役の一人が手元に表示されているAR上の資料を机の上に叩きつける。
資料には大まかに言ってこのようなことが書かれていた。
即ち、「遠距離要員がほぼ壊滅」、と。
「被害? これは異な事を。失われたのはゲーム上のレベルやアイテムのみで、これは弊社から何らリソースを投じて得たものではありません。此度のレイド・ウォーにおいて、弊社はなんの経済的損失も計上しておりません」
「だが、これらの兵士を再訓練するのには時間というリソースがかかるのだろうが」
智顕の反論にも、重役の一人は納得した様子を見せない。
「今回、提案されたオペレーション・スリーアローは、矢継ぎ早に三社に攻撃を仕掛け、これを買収することであったはずだ。これほど兵士を損失しては、本命の『エレベートテック』攻撃は延期せざるを得まい!」
「そうだ。これでは『エレベートテック』に準備させる時間を与えてしまうではないか」
「だいたい、『エレベートテック』攻撃そのものが性急だったのではないのかね?」
重役の一人が言葉を続けると、他の重役もそれに続いて、智顕を責め始めた。
「静まれ」
重役達の言葉がそれ以上続くより早く、静かに、そして重く、「ハーモニクス・ソリューション」社長・隆司が言葉を発した。
それはまるで魔法のように一斉に重役の言葉を停止させる。
「
合理的。何よりも隆司が重要視する事項だ。
「しかし、この結果に終わったことは誰かが責任を取らないわけには参りますまい」
重役の中でも歴史の古く、隆司に反論出来る胆力を持った重役が反論する。
「そうだ。だが、まだ智顕は釈明を終えていない。それを待たず結果を急ぐのは合理的ではない。まずは聞こうではないか」
反論の言葉は上がらなかった。
「ありがとうございます、父……、いえ、社長」
智顕は短く礼を述べてから、プロジェクタの表示を切り替える。
「戦力についてですが、弊社の中核戦力である三パーティ、『JOAR』、『デネ』、『パラディンズ』はいずれも健在です。これらは換えの効かない戦力ですから、これらの喪失をこそ損害というべきでしょう。ですが、そうはなっていない」
それらと比べれば他の兵士など何%失おうと安いものです、と智顕は続ける。
「兵士の再訓練? そんなものは不要です。初期化された兵士は契約を解除し、新たに充分なレベルの兵士と契約すればいい」
「簡単に言うがね、智顕君。その新たに契約する兵士を探すのも全くコストを支払わずとは……」
「ご安心ください。そのための方策は既に考案済みです」
重役の反論に被せて、智顕がプロジェクタの表示を切り替える。
「これは……」
「この方法でしたら、流石にすぐに、とはいきませんが、最小限のロスで『エレベートテック』を攻撃出来るかと思いますが、如何でしょう?」
智顕の提案に、重役達は黙り込むか低く唸るのみだ。
「この提案、間違いはないのだな?」
隆司が智顕に問いかける。
「はい、社長」
「ならば良い。他に代案もないようであるし、責任を問うのはこの方策が失敗してからでも遅くあるまい」
そう宣言する隆司の言葉に、重役達は静かに頭を下げた。
「全ては人類の調和のために」
隆司がそう宣言し、重役たちが唱和する。
◆ ◆ ◆
ところ変わって繁華街。
「ピークォド・コーヒー」とのレイド・ウォーの翌日、恭子を除く「JOAR」一同は駅前の低木の影に隠れていた。
「なんでこんな事してるんだ……?」
未だに自分がなぜこんなことに付き合わされているのか理解出来ない仁はそんな事を呟きながら低木の影から、残りの二人が必死で見つめている先に視線を向ける。
そこには一組の男女が立って、何事か言葉を交わしていた。
「ここからじゃ会話内容までは聞き取れないわね。口話翻訳アプリを起動するわ」
「お、俺もそうするぜ」
そう言って二人が空中に指を走らせる。
「……まぁ、俺もつけるか」
なんで恭子をストーキングすることになっているのか、まるっきり理解は及ばないが、ここまで来てしまった以上、二人に合わせたほうがいいだろう、と仁もまた、口話翻訳アプリを起動する。
口話翻訳アプリはその名の通り、口の動きから発話を予測し、視界に字幕を表示するアプリだ。
本来は聴覚を補うためのアプリだが、今回のように盗み聞きにも利用できてしまう。
「ありがとう、優希君! 一度読んでみたかったのー」
「恭子さんに喜んでもらえてよかったです。恭子さんは紙の本がお好きなんですか?」
そう、一組の男女は、「JOAR」最後の一人である恭子と、残り三人とはクラスメイトの関係にある優希の二人だった。
「うん。かなり高いから全然持ってないけど、本物の本をめくる感触っていいよね」
「分かります。そういえば、電子書籍を本風に表示するアプリもありますけど、そういうのは使わないんですか? 疑似触覚もついているタイプだと、かなり本物に近いですよ」
「え、そんなアプリあるの? 知らなかった。ちょっと気になるかも」
「あ、ご存知なかったですか? 立ち話もなんですし、良ければちょっとそこの喫茶店でもう少し喋りません? 本を読むのにも向いている良い喫茶店がすぐそこにあるんですよ」
「うん、気になる。いこいこー」
二人が歩き出す。
「優希のやつ、流れるようにお姉ちゃんをデートに連れ込んだわね」
「だな」
「え、デート? ただ喫茶店で話すだけだろ?」
有子と重明の言葉に仁が首を傾げる。
「仁はちょっと黙ってて」
「むぅ」
納得は行かないが、ようやく状況は見えてきた、と仁は思った。
要はいかなる手段によってか、重明と有子は優希が恭子を喫茶店に誘う展開を予期しており、それをデートと認識し、二人の様子を伺おうと考えた、というわけだ。
仁は有子と重明をに続く形で低木沿いを進み、恭子と優希を追いかける。
「そういえば、本以外にはなにかご趣味はあるんですか?」
「そうだなぁ、有子ちゃんがゲーム好きだから、私もよく一緒に遊ぶよ」
「へぇ、ゲームですか。そういえば、『VRO』も遊ばれているという話でしたね」
「うん、やるよ」
「どんなビルドなんです?」
仁も思わず、二人を凝視する。迂闊なことを答えれば、リアル割れの危険もある事項だ。
「うーん……、あ、そういえば、優希君は『VRO』やってるの?」
「え? いや、やってないです。出来たら、ET学園の大学にそのまま入りたいので好成績を維持しておきたくて」
「ふーん、勉強で忙しいからゲームしてる時間はないってこと?」
「いや、そこまでじゃないですよ。息抜きにゲームくらいはします」
優希からすると話をはぐらかされた形だが、相手から自分に話を振ってもらえたことが嬉しいようで、話題を戻す様子はない。
(? なんで話をはぐらかされたのに気にしてないんだろ)
仁は優希のそのあたりの機微が分からないので、シンプルに首を傾げる。
「ふーん、どんなゲームをするの?」
なんて話をしている間に、二人は喫茶店に入っていく。
喫茶店の前の低木の影で三人……というには仁は加わっていないので、重明と有子の二人は悩み始めた。
即ち、入店するかどうか、を。
外からでは二人の様子は分からない、あと、季節もいよいよ秋が終わりかけており、外は寒い。
しかし、入店すると入店時に発見されてしまう恐れもあった。
「うーん、やっぱり入店はやめておくしかないんじゃないかな。恭子さんにバレたら、恭子さん、いい感情しないと思うし、俺、嫌われたくねぇ」
「そうね」
悩んだ末、重明がそんな結論を出し、有子もそれに同意した。
喫茶店の前で三人は数時間、寒さに耐えながら《オーギュメントグラス》でゲームや勉強をしながら、二人が出てくるのを待った。
数時間後、二人は出てきた。
三人――のうち二人――はさぁ今度はどこへ行く? と様子をうかがったのだが。
「じゃあ、また今度」
「うん、今度は直接喫茶店で会おっか。もう結構寒いもんね」
「はい。その時はまた別の本をお持ちしますね」
二人はその場で解散してしまった。
「うそ。もう解散?」
「本を返すためだろうが、もう次の約束をしてやがるぜ」
二人の様子は親しげで、もしかして、致命的なシーンを見逃したのでは? と三人――のうち二人――は危惧した。
実のところ、その推測はある意味で正しく、ある意味で間違っていた。
三人は重要な会話を聞き逃してしまったが、それは三人――のうち二人――が期待するような色恋よりは少し違った話題だった。
時間を巻き戻し、解散直前の喫茶店内。
優希はテーブルチャージ料を払う事で、奥にある個室を使っていた。
なので、実は三人が勇気を出して入店していたとしても、二人の会話を盗み聞くことは不可能だった。
「そういえば、恭子さん……。昨日、有子さんはお休みだったみたいですが、体調は大丈夫ですか?」
「え? あぁ、うん。もう大丈夫だよ。土日明けには復帰できると思う」
ずっとお互いのことを話すのに終始していた中で、不意に有子の事を聞かれ、恭子は少し困惑しながら返事をする。
「そうでしたか。そういえば、そういえば、昨日も『JOAR』は大活躍だったみたいですね。前半はリベレントさんが大活躍だったと聞きましたよ」
「そうなの? 知らなかったー」
「JOAR」周りの話に迂闊に答えてしまえば、リアル割れにつながる。なので恭子はとぼけたのだが。
「昨日の『レイド・ウォー』の内容は『JOAR』ファンによって充分に拡散されてますよ。『VRO』プレイヤー、まして『JOAR』ファンであるリベレントさんが知らないとは思えませんね」
「えっ!? あー、えーっと、ごめん。知ってたって言うと、不愉快にさせちゃうと思って」
思わぬ反論に慌てて取り繕う。
「そうでしたか。なら、これから『JOAR』の話をしましょう。後半はジンさんが大活躍だったそうですね。彼の新しい武器、何という名前でしたか……」
「《ファンクサスブレード》、だよね」
既に広まっていると知って、恭子は何気なく答えてしまう。
「恭子さん。まだジンさんの新しい武器の名前は広まってませんよ」
「え」
「やっぱり、恭子さんがリベレントさんなんですね」
「え、ちがうよ。そんなわけ無いでしょ」
慌てて恭子は言い訳を探すが、公開情報ではない武器の名前を知っている理由などそう簡単には思いつかない。
「レイド・ウォーのタイミングでの欠席。皆さん四人の年齢層の一致。美少女姉妹、という関係性の一致。もしやと思っていましたが……」
「違うの、優希君、聞いて」
慌てる恭子に優希は続ける。
「安心してください、恭子さん。別に言いふらすつもりはありません。何か対価を求めるつもりもありません」
ただ、聞いてください、と優希は続ける。
「ET学園内では、まだ『JOAR』人気が圧倒的多数ですが、『エレベートテック』に対し敵対的な行動を取る『JOAR』に疑問を覚える人も少しずつ増えています」
いつか、なにかきっかけがあれば、反「JOAR」派閥が生まれてもおかしくない、と優希は言う。
「そうなった時、彼ら本人も知らない味方がいた方が都合が良いはずです。僕をそれに使ってください。僕に、恭子さんの大切な人を、守らせてほしいんです」
優希の目は真剣だった。その言葉に嘘はない、と恭子は思った。
「うん、分かった。有子ちゃん達をお願いね」
ここに小さな約束は成立したのだった。