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第25章「日常〜湯村温泉旅行」

「しっかし、なんだかすっごい疲れた……」

 レイドを終え、「JOAR」所有のプレイヤーハウスに戻ってきた「JOAR」一行。

 のんびりとコーヒーを飲みながら、ジンがそんなことを呟いた。

「大丈夫? 大規模な戦いを、指揮官として戦ったから、精神的疲労かな? 大丈夫?」

 心配そうにリベレントがジンに視線をやる。

「精神的疲労か、それかも」

「なら、温泉とかどうよ」

 面白そうにアリが呟く。

「温泉? そんな旅行に行く金なんて……」

 特にジンこと仁はお小遣いだけでやりくりしており、お金は全然ない。

「じゃなくて、『VRO』内で行きましょうよ。私もこの前お姉ちゃんと話してて知ったんだけど、幾つかの温泉は実際に入れるらしいわ」

「そうなの! 熱海温泉とか、下呂温泉とか、色んな温泉地にプレイヤータウンがあって、それぞれ温泉にも入れるようになってるんだって〜」

 アリの言葉にリベレントが嬉しそうに捲し立てる。

「へぇ、楽しそうじゃねぇか」

 それらの話を聞いて、オルキヌスも話に混ざってくる。

 行こうぜ行こうぜ、ともうノリノリだ。

 じゃあ行こうよ! とリベレントが観光パンフレットを取り出す。

「そんなのまであるのか。待て待て。そもそもそんないきなり決めていきなり行けるわけ……」

「行けるだろ」

 ジンがあまりに早い展開に思わず止めに入るが、オルキヌスが自分の車を指し示すだけでその反論は完了してしまう。

 そう、今やオルキヌスの空飛ぶ車にかかれば、『VRO』内の日本中好きなところに行けてしまうのだ。

 かくして、「JOAR」一行は無数の観光パンフレットを見ながらどこに行くかを相談し始めた。

 ちなみにこれらは先ほど話に上がった観光地のプレイヤータウンが発行しているものである。


 そして、結論が出た。

「よっしゃ、じゃあ、ここにしようぜ! 海の幸も山の幸も楽しめる、この湯村温泉ってところに!」

 全員の意見がまとまったと見た瞬間、オルキヌスが素早く宣言する。

 アリが、そういうまとめはジンの仕事でしょ、と嗜める。

「いいじゃねぇか。祭りの宣言、バンバンさせてくれよ!」

「まぁいいんじゃないか、オルキヌスはこう言う祭り好きだし……」

 アリの嗜めを全く意に解さないオルキヌスとそれを庇い立てるジンに、アリはやや呆れた様子だ。

 ともかく目的地は決まった。

 オルキヌスの車に乗り込んだ一行は、そのまま一気に目的地へと飛び立っていく。


 兵庫県新温泉町。

 兵庫県北部、近畿地方最北西端に位置する町である。

 北に日本海と接する海岸は「但馬御火浦」として国の名勝および天然記念物に指定されており、南部の山岳地帯は氷ノ山後山那岐山国定公園と但馬山岳県立自然公園に指定されているなど、景勝地が多いことで知られる。

 が、やはり特筆すべきは今回の物語の舞台にもなる南部の山間部に位置する湯村温泉街だろう。

 岸田川の支流にあたる春来川が中心に流れるその地には、日本屈指の高熱温泉である「湯村温泉」が湧いている。

 その発見は西暦にして848年と言われ、歴史も古い。

 湯村温泉の源泉「荒湯」は、98度もの高熱を持ち、しかも深いボーリングなどを要しない数メートルの深度で毎分2300リットル程度も湧き出していることから、旅館に限らず各家庭にも配湯されており、水道代よりお湯代の方が安いほどだと言う。

「水道代よりお湯代の方が安いってのはすごいよな」

 興味深げに湯村温泉の解説看板を読みながらジンが呟く。

 ここは新温泉町の湯村温泉街、即ち春来川を中心とした街並みに作られたプレイヤータウン「New Onsen City」。とはいえ長いので、基本的には頭文字をとって「NOCノック」などと呼ばれているらしい。

 街全体が『ファンタジックアース』に侵食されており、温泉街の風景は1900年代のままだ。

「温泉に入り放題ってのは羨ましいぜ」

 オルキヌスが早速とばかりに春来川沿いに用意された足湯に浸かりながらジンに返事をする。

 湯村温泉はかつて今のメガコープ「日本放送会社JBC」の前身に当たる組織によってこの地をロケ地としたドラマが放送されたりなど、ある程度のメディア露出こそしているが、そもそも『VRO』内で観光をしようと言う層が少ない中で、この湯村温泉を選ぶプレイヤーは少ないようだ。

 故にあまり人の往来はなく、足湯に浸かるオルキヌスが、荒湯場の前で看板を読むジンに対して大声で話しかけても、特に誰かの迷惑になっている様子はない。

「へぇ、この荒湯に特定のアイテムを投げ込むと、他のアイテムになって出てくるらしいわよ」

 ジンの隣で興味深げに荒湯の解説を読んでいたアリが呟く。

「へぇ、そんな仕組み作れるのか。プレイヤータウンってのもすごいな」

 そのアリの説明にジンも感心する。

 荒湯は98度もの高温。それを示すかのように、荒湯と周囲の側溝からは視界を覆い隠すほどの湯気がもうもうと噴出している。

 ジンとアリは二人で解説の看板を読みながら、交換内容を確認する。

 生卵を入れるとゆで卵へ。所謂「温泉卵」ってやつだな、とジン。

 生野菜を入れると茹で野菜へ。この地域では荒湯による茹で野菜はよく食べられてるって書いてあるわね、とアリ。

 そして。

「練乳を入れると生キャラメルへ?」

 アリが不思議そうに呟く。

「へぇ、生キャラメルなんてすごいね」

 リベレントが面白そう、と足湯から声をかける。

「いくらなんでもファンタジーすぎないか?」

 横からジンがその交換に疑問を呈する。

「この看板によると、現実世界の荒湯でも、五、六時間、練乳チューブや練乳缶を荒湯につけておくと生キャラメルチューブや生キャラメル缶になるらしいわよ」

「へぇ、なんだか不思議だな」

 看板には、98度もの高温を持つ湯村の荒湯だからこそ出来るのが練乳から生キャラメルへの変化である、と記述されていた。

「あと、近くのショップで売ってる瓶入りプリン液を投入するとプリンが出来るみたい。これも現実世界でもやってる売り方みたいね」

 とアリ。

 ジンは、へぇ、直接プリンを売るんじゃなくて、荒湯でプリンを作るって体験を売ってるわけか、と感心した表情。


「おーい、但馬牛のステーキ串とか言うのが売ってたから全員分買ってきたぜー」

 いつの間に湯村橋の向こう側まで遊びに行っていたのか、湯村橋の向こう側からオルキヌスがそんな言葉と共に四本の串に刺さった肉を手に手を振っていた。

「先にあれを食べてから、練乳買いに行くか」

 とジンが言うと、アリとリベレントが頷き、リベレントは足湯から立ち上がる。


 さて、湯村温泉街は山間部にあり、山菜が名産の一つである。

 また、新温泉町には浜坂漁港が含まれており、ここはホタルイカ水揚げが日本一の漁港であったりと、特産品の松葉ガニなど水産物も盛んである。

 そして、兵庫県には先ほどオルキヌスが買い食いしたように、但馬牛というブランド牛も存在する。

 そんなわけで。

「おぉー、豪華な晩飯ー」

 「JOAR」一行は今、旅館で食事の前に立っていた。

 ブランド牛に松葉ガニをはじめとした海の幸、そして多くの山の幸が満載の素晴らしい夕食が並ぶ。

 オルキヌスが品のない嬉しそうな叫び声を上げるが、この豪華さの前ではそれも仕方ない、と三人も目を瞑ったほどだ。

「これを作ったのは相当高い料理スキルの持ち主だね……」

 別方向からそれに感心するにはリベレント。やはり料理スキルを磨いている身としては気になるのだろう。

「ゲーム内とはいえ、こんな美味い飯を好きに食えるなんてな。レイド頑張って良かったー!」

 オルキヌスが感動の声を上げる。

 旅館にも様々なコースがあり、単に素泊まりするコースから料理の等級などによってどんどん値段が変わる。

 それはこの『VRO』でも同じだった。

 そして、今「JOAR」一行が楽しんでいるのは最上級のコース。

 現実世界でひとり頭五万円を超えるこのコースは、『VRO』でも相応に高かった。

 それを苦もなく払えたのは、「JOAR」一行が複数のレイドをクリアし、多額の報酬を得ているからであった。

「お姉ちゃん、松葉ガニはお姉ちゃんにあげるわ。その代わり但馬牛をもっと頂戴」

「いいよ。でも、私もちょっとは但馬牛食べたいから、ちょっと食べてからね」

「ん。いいわ」

 そんな中、アリとリベレントがそんなやりとりをする。

「なんだ、アリ。カニ嫌いなのか?」

「嫌いってか、食べるのが苦手なのよ。みみっちくバリバリ堀り堀りして食べるの」

 というアリの言葉に、ジンとオルキヌスはあー、と曖昧な声で返事をした。

 確かに、アリのキャラにカニは似合わないかもしれない、と思ったのだ。

「よっし、リベレントさん、俺にもアリのカニを半分くださいよ、その代わり、但馬牛の半分は俺がアリに払います」

「いいの? じゃあそうしよっかな」

「但馬牛が同じ量貰えるなら、私はどっちでもいいわよ」

 オルキヌスがとんでもない提案をするが、リベレントもアリもあっさり受け入れる。

「オルキヌスは牛肉とカニならカニの方が食いたいのか、意外だな」

 てっきり肉が好きなんだと思った、とジン。

「ほら、肉って高くなっても言うほど味の違いって分からなくね? でもカニはカニ自体が珍しいじゃん」

 そんなことを言うオルキヌスにジンは、一瞬黙ってから、なるほど、と返事をする。


 そして、ジンお待ちかねの温泉タイムがやってくる。

 肌に優しいph7.58の弱アルカリ泉……がどこまで再現されているのかは分からないが、暖かいお湯に浸かっていると、なんだか心地よく、眠くなってくるほどだ。

 『ファンタジックアース』に侵食されている関係で1900年代の自然が再現されているのもあり、露天風呂は風景も良く、見ていてとても気分がいい。

「ジン、見てみろよー、飾りの水車があるぜー」

 が、そういった風光明媚を解さないものもいる。オルキヌスがその一人だ。

「お前なぁ、これだけ景色良いんだぞ。もっと楽しめよ」

「楽しんでるだろー、おぉ、あっちもなんか面白そうな見た目してるぜー」

 確かに、オルキヌスも風景を楽しんではいる。ちょっと楽しみ方がジンと違うだけだ。

 ジンは深くため息を吐き、オルキヌスに注意することを諦めた。

「ふぁー、広いなー」

 そして、オルキヌスは温泉を泳ぎ始めた。

「一応言っておくが、リアルの温泉でやるなよ」

「やらねーよ。けど誰も人がいないんだからこれくらい良いだろー」


 かくして夜は更けていく。

 男女それぞれが自分の部屋に戻り、眠りにつく。

 VRMMOやVRメタバースの中で眠りにつくと、ゴーグルやグラスが眠りを検知すると同時に自動でゲームを終了、ログアウトする機能があるのが、現代のスタンダードだ。

 自分の気持ちよく眠れる場所で寝られる、というのもVRの特徴と言えた。

 四人はいつものベッドよりふかふかの気持ちの良いベッドの上で、気持ちよく眠りにつき、『VRO』から離脱していくのだった。

 明日の朝ごはんを楽しみにしながら。

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