目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第百五話

草原の東側、パンテラ大部族の領域。高く整えられた木々と革で作られたが並ぶ大きな集落は、他の小部族のテント群とは一線を画す豊かさを誇っている。

パンテラは、クロヒョウの特徴を持つ優美な種族だ。漆黒の髪と耳、長く美しい尻尾を持ち、その整った顔立ちと均整の取れた体格は、獣人の中でも特に気品があるとされている。

しかし、美しいだけではない。パンテラという部族は、この大草原において確固たる地位を築いてきた由緒ある大部族。

速さと力を兼ね備えた勇猛なパンテラ一族は、大草原全域でその名を知られ、恐れられる存在なのだ。


そんなパンテラ部族の集落は、今現在慌ただしくなっていた。走り込んできた伝令の報告に、住居から次々と戦士たちが出てきている。


「その話は本当か?」


鋭い目に、金色の瞳を持つクロヒョウの獣人の青年が厳しい声で問いただした。端正な顔立ちと筋肉質な体に身に着けた上質な革の装束が、彼の地位の高さを物語っている。

普段は穏やかさを秘めた端正な顔立ちだが、今はその身から戦士としての圧倒的な威圧感が漏れ出ていた。


「は……はい!その……戦士クローネが他部族に捕らえられ……」


伝令の獣人は頭を下げながら震える声で答えた。

その言葉を聞き、クロヒョウの青年は眉を寄せ、一瞬の逡巡の色を浮かべた。風が彼の黒い髪を揺らし、長い尻尾が静かに左右に動いている。


「クローネが易々と敵に捕まるとは思えんが……」


青年は思案げに言った。眉間に皺を寄せ、鋭い金色の瞳が遠くを見つめている。

戦士クローネ。幼いながらも、戦士として確かな実力を持つパンテラ一族の若き女戦士だ。彼女には周辺にある果物の収穫地の防衛を任せていたが、あの場所の付近には弱小部族しかいない筈。

大部族相手なら分が悪いだろうが、あの場所ならば彼女に敵う者はいないというのに、何故このような事態に?


「どこの部族だ?リノケロスの一派か」


青年の鋭い問いに、伝令の獣人は耳をぴくりと動かし、口を濁らせながら言った。


「それが……エルフと思われる女に……」

「エルフ?」


青年は耳をピクリと動かし、驚きを隠せない様子で聞き直した。それもそうだろう、何故いきなりエルフが出てくるのか。

フェルシル部族連合と、エルフの国は同盟を結んではいるものの、国土が遠すぎる故か互いの種族は殆ど見ることはない。


「見間違いではないのか」


金色の瞳が伝令を鋭く見据える。


「いえ、確かにエルフです。尖った長い耳と金髪の髪……そして、エルフは近くの廃棄集落に入っていったとの報告を受けています。クローネを担いで……」

「廃棄集落にエルフが……?」


青年は低く呟いた。その瞳に疑問の色が浮かぶ。

廃棄集落とは、どの大部族の保護下にもない、だからといって中立を保っているわけでもない弱者が集まった集落のことだ。

大部族間の争いから逃れた獣人たちや、部族を持たない者たちが寄り集まり、辛うじて生きながらえている場所。

そこに足を踏み入れる者は、草原の秩序からはじき出された存在と見なされることが多い。


「ふむ」


青年は考え込むように呟いた。考えても謎が深まるばかりだが……兎にも角にも、救出せねばならない。

草原の部族は面子を重んじる。仲間が攫われて、助けにもいかぬのであればそれは配下の部族たちにも示しがつかない。

殺さずに捕らえたというのであれば、命が奪われる心配はあまりなさそうだが……。


「今すぐに戦士たちを招集せよ。エルフが何の目的でクローネを攫ったのかは知らんが……まぁ、廃棄集落ならば三、四人の戦士を向かわせれば片付くだろう。……弱者の集まりだ、無駄な血は流さぬよう言い含めて……」


青年がそう言った時であった。他の戦士が慌てた様子で、尻尾を大きく振りながら青年の前に駆け寄ってくる。彼の顔には緊張と焦りが混じっていた。


「大族長!申し上げます!」

「……今度はなんだ」


青年は少し苛立ちを見せながらも、背筋を伸ばして新たな報告者を見据えた。

パンテラ部族の戦士は、一枚の巻物を恐る恐る青年に手渡した。それは細い紐で縛られ、見慣れぬ素材で作られている。


「これは?」


青年は眉を寄せながら問いかけた。


「集落の近くの樹に、矢が打ち込まれていました。その矢に、この手紙が括り付けられており……」


青年は無言でその手紙を受け取り、紐を解いて広げた。彼の瞳が左右に素早く動き、文面を追っていく。

そして突然、彼の目が大きく見開かれた。黒い尻尾が一瞬で逆立ち、わなわなと全身を震わせ始める。

彼から漏れ出す闘気に、周囲にいた戦士たちがびくりと震え、耳の毛を逆立てた。


「大族長……?」


恐る恐る問いかける伝令の声は、青年の怒りの波にかき消されていた。


「──俺が向かう。それと、活きのいい戦士を何人か連れて行くぞ」

「!?」


青年の言葉に、戦士たちが驚愕に目を見開いた。彼らの尻尾が一斉に固まり、互いに視線を交わす。


「だ、大族長……!?貴方自らが向かわれるとは!一体その手紙には何が書かれていたのですか!?」


辺りが騒然とする中、青年……このパンテラ部族の大族長であるゼゼアラは手紙を握りしめ、その手に力を込めた。

紙が彼の鋭い爪で引き裂かれ、風に舞い散る。彼の目は今や怒りに燃え、金色の瞳の中に獣性の光が宿っていた。

そして、低く唸るような声で言った。


「我らに対する、挑戦状だ」




♢   ♢   ♢




──場面は少し前に遡る。パンテラの大族長が手紙を読む前の出来事だ……。


「おいコラ!この縄をほどきやがれ!卑怯者ども!こんな罠を仕掛けるなんて、まともに勝負する度胸もないのかぁ!ぶっ殺してやる!」


弱小部族たちの集落の中央、アドリアンたちは円を作って地面に座り込み、その中央で縄でグルグル巻きにされている一人のパンテラ一族の少女戦士を眺めていた。

少女の声は高く甲高いが、その言葉には大人顔負けの凶暴さがある。彼女の体つきはまだ幼く、おそらく十代前半だろうか。

しかしその金色の瞳には獣のような野性が宿っていた。


「こら!大人しくしなさい!」


そんな少女を、レフィーラが両手を腰に当てて一喝した。彼女の金色のポニーテールが怒りに揺れている。

しかし少女はそれでも収まる気配がなく、「ガルルルル」と獰猛な唸り声を出してレフィーラを威嚇し続けた。


「貴女ねぇ!悪い事したんなら、お仕置きされて当然なの!


レフィーラはメッと諭すように言うが、少女は耳を平たく倒し、更に激しく暴れ始めた。縄に身体を擦りつけ、時折は地面を転がりながら、彼女は一向に収まる様子を見せない。

周囲の獣人たちは恐れと不安の入り混じった表情で、この光景を遠巻きに見守っていた。


「お、おい……やべぇよ……」

「な、なんでこんなことに……」


草食の獣人たちは、大部族の戦士を捕縛しているという現実を見て顔を真っ青にしていた。

シカの長老は震える手で角に触れ、ウサギやリスの子供たちは親の後ろに隠れている。鷹の獣人たちも翼を縮こませて、互いに寄り添うように怯え竦んでいた。

しかし、アドリアンはそんな光景を見て笑いを堪えるように言った。


「メーラ、大きな猫さんはとってもかわいいね。特にあの耳と、怒りに震える牙が実に魅力的だ。自分より強い相手に会ったことがないせいか、楽しそうに暴れる様子は見ていて楽しいねぇ」

「そ、そうかな……」


アドリアンは心底楽しんでいるように笑うが、メーラの頬は引き攣り、小さな角が緊張で震えていた。


「アドリアン様……申し訳ございません……!」


愉快そうな様子のアドリアンに、ケルナが申し訳なさそうに深く頭を下げた。

彼女はレフィーラと違い、どうやら状況の深刻さを把握しているようだ。


「いいさ。それで?どんな素敵な事情があったのかな?きっと物語を語る価値のある壮大な冒険があったんだろうね」

「それが……」


ケルナがポツリポツリと話し始めた。彼女の小さな声に、周囲が静かになる。


──それは、レフィーラとケルナが果物の自生地に着いた時の話だ。

様々な果樹が生えている場所……そこの前でたむろしている、お世辞にも強いとは言えない、弱者であろう獣人たちがレフィーラの視界に入った。

彼らはやせ細り、怯えた様子で自生地の前で立っていた。


『貴方たち、こんなところでなにしてるの?』

『エルフ……?あぁ、いや……貴女方も果物を取りに来たのか?』

『なら、行くのはやめといた方がいいよ……パンテラ一族の戦士が守ってるんだ……』

『パンテラ?』


ケルナの話によると、ここの果物が取れる場所は以前はどの部族でも使っていた共有地だった。小さな獣人部族たちが協力して世話をし、実りの季節には皆で分け合っていたのだ。

しかし大草原が混乱に陥った時から、パンテラ大部族がここを占有し始めた。弱い獣人たちはそこの果物を食べられなくなってしまい、ひもじい思いをしていたという。


『なによそれ!横暴すぎるわ!』


レフィーラの瞳に、痩せ細った獣人たちの姿が映り込んだ。子供たちの貧相な身体付きは飢えを物語り、老人たちの目には諦めの色が浮かんでいた。

彼女はそれを見て、瞳を鋭く煌めかせた。正義感が、彼女の心に火を灯す。


『待ってて!私が悪い奴を懲らしめて、みんなに果物を持ってきてあげる!』

『え?しかし相手は大部族の戦士相手で……』

『お、お姉ちゃん待って!まずはアドリアン様に相談してから……』


獣人やケルナが必死に止めるのも聞かずに、レフィーラは木々の間を駆け抜け、果樹園へと突撃していった。

困り果てたケルナも、仕方なく姉の後を追いかける。


そして、レフィーラは出会ったのだ。

クロヒョウの特徴を持つ少女の戦士と……。


『なんだお前!ここは我がパンテラ部族の所有地だ!さっさと失せろ!』


果樹の枝の上で、黒い尻尾を揺らしながら威嚇する少女がいた。鋭い牙と爪を見せつけ、金色の瞳で下界を見下ろしている。

その姿は年齢の割に威厳があり、訓練された戦士の風格を漂わせていた。

それを見た瞬間、レフィーラの憤りが最高潮に達した。彼女の目には、飢えた獣人の子供たちの姿が浮かんでいる。


『貴女ね!みんなを苦しめてる悪い奴は──!』


レフィーラは後先考えず、精霊武器を顕現させた。彼女の周りに青白い光が渦巻き、魔力の奔流が草原の風を震わせる。

次の瞬間、レフィーラの手には森の精霊が宿る壮麗な弓が姿を現した。

それを見たパンテラの少女は驚きに目を見開く。


──エルフ?しかも、なにもないところから弓を取り出した?

というかなんだ、その魔力は──!?


『ちょっ……お前、待て、戦うにしても最低限のマナーがあるだろ!まずは名乗りを──』


まさかいきなり攻撃してくるとは思っていなかったクロヒョウの少女が、慌てて身構えたその瞬間、レフィーラの放った矢が彼女の足元に炸裂した。

青く輝く衝撃波に巻き込まれた少女は、悲鳴を上げながら、盛大に吹き飛び、無様にも気絶してしまったのだ。


『きゅう……』

『独占するのは悪い事なのよ!?これからお説教して、性根を叩きなおしてあげるから!』


そうしてレフィーラは気絶した少女を発見すると、持っていたエルフの特製縄で縛り上げた。

そして大量の果物をケルナと一緒に抱えつつ、途中でひもじい思いをしていた獣人たちに分け与え、そのままこの集落に帰ってきたのだった……というのが、今回の騒動の経緯だった。


「……と、いうわけなんです」


ケルナは申し訳なさそうに俯き、手の指をもじもじと絡ませながら説明を終えた。

こんな独断専行をすれば怒られても仕方ないと思っていたケルナであったが……。


「……素晴らしい!」


アドリアンの感極まる声に、ケルナがハッと顔を上げた。彼の表情には満足感が溢れ、にやりと笑みを浮かべている。


「流石レフィーラだ。弱きを助け、強きをくじく……うん、キミこそが真の英雄だよ。肝心なところで空気を読まず、最大の効果を生み出す才能は天才的だね。このタイミングで大部族の戦士を捕まえるなんて、わざとやったとしても難しいのに」

「え?ア、アドリアンに褒められるのは照れるなぁ……」


その言葉に照れてくねくねするレフィーラの様子は、微笑ましいと言えば微笑ましいが、状況を考えればあまりにも場違いだった。

そんな和やかな光景とは対照的に、タカの獣人たちが顔を真っ青にしてアドリアンに詰め寄ってきた。


「そ、そんなこと言ってる場合じゃねぇよ親分!?どうすんだよ、このままじゃみんな殺されちまうぞ!」


見ると、クロヒョウの少女は未だにガルルルと唸り声を上げ、瞳に憎悪の炎を燃やしながら、今にもこちらを噛み殺さんとばかりに暴れている。

それを見て、アドリアンはフッと笑って言った。


「大丈夫大丈夫。これから、パンテラさんたち宛の手紙を書くから」

「はぁ?手紙……?そんなもんで大部族の怒りが収まるわけが……」


鷹の獣人の不安げな声をアドリアンは人差し指で軽く遮った。


「手紙にはね、こう書くのさ」


彼の目には楽しげな光が宿り、唇には確信に満ちた笑みが浮かんでいる。

そして、アドリアンはにやりと笑って、言った。


「『親愛なる毛並み美しきパンテラ部族様へ。弱き獣人たちを虐げ、彼らの食料を独占する才能には感服いたします。猫というのは本来、気まぐれで気高いものですが、あなた方は「強欲」という新たな魅力を猫族に付け加えましたね。


さて、あなた方の子猫戦士をお預かりしています。捕らえたというわけではなく、彼女があまりにも弱かったため、少し小突いただけで気絶してしまったので「保護」しているだけです。おそらく子猫の育て方が間違っていたのでしょう。


もしよろしければ、パパかママ、できれば部族の頂点に立つ大きな猫様が直々にお迎えにいらしてください。もっとも、小さな子猫一匹すら守れないような大族長様ならば、強き者と戦う勇気もないのでしょうが……。それとも、毛玉吐き出すのに忙しいですか?これは失礼いたしました。


敬具、弱者の味方より』」


静寂が辺りを支配する中、集落にヒュウと風が吹き抜けた……。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?