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第百三話

翌朝。

草原の朝風が心地よく頬を撫でる中、アドリアンとメーラの二人は集落を見て回っていた。

レフィーラは大草原にしかない珍しい果物が自生する場所が近くにあると聞き、出かけてしまった。勿論、嫌がるケルナも無理やり連れていかれたのは言うまでもない。


「レフィーラさんを放っておいていいのかな……?」


メーラが不安そうに、草原の彼方を見るが、アドリアンは苦笑いする。


「まぁ駄目だと思うけど。でも、たまには彼女を信じてみようかな。悪い方向にね」


その言葉にメーラの不安そうな表情はより一層深まったが……今は集落の様子を把握しなければならないと、気持ちを切り替える。

集落では既に活気ある動きが始まっていた。鹿の角を持つ女性が、幼い兎の子どもたちに食べ物を分け与えている。

狐の特徴を持つ年配の男性は、壊れかけたテントの修繕を手伝い、狼の少年は水場から水を運んでいる。様々な獣人たちが、種族の違いを超えて互いに助け合う姿があった。

それを見て、アドリアンは慈しむような笑顔を浮かべながら、呟く。


「メーラ、見てみなよ。獣人ってのは、本来とっても優しいんだ。人間や他種族からすれば『鋭い牙と爪を持つ恐ろしい野獣』に見えるけどね。でもほら、実は弱い者を守る、世界で一番優しい種族なんだよ」


アドリアンは横にいるメーラに言った。

その言葉にメーラは頷いた。彼の言う通り、メーラの目には互いに助け合っている獣人たちの姿がはっきりと映っている。

幼い子どもに食べ物を分け与え、年老いた者を労わる姿。それは確かに美しい光景だった。


しかし……。


「なんで、大草原はこんなことになってるんだろう?」


メーラの瞳に疑問の色が浮かぶ。獣人たちが優しいのならば、何故このような、血で血を洗うような騒動が草原に蔓延っているのだろうか。


「そうだね……」


アドリアンが草原の果てまで続く青い空を見上げる。風が彼の髪を優しく揺らし、遠くから獣人の子どもたちの笑い声が聞こえてくる。

彼にも、その答えは分からないのだ。何が彼らをこのような状況に追い込んだのか。秩序を齎していたリガルオン一族はどうなっているのか。


「あ、あの……」

「?」


アドリアンとメーラが逡巡している時であった。

声のした方を振り向くと、ウサギの耳と尻尾を生やした獣人の少年と、リスの耳と尻尾を生やした少女の姿があった。二人とも少し緊張した様子で立っている。


「おや、随分と可愛らしいウサギくんとリスちゃんだ」


アドリアンとメーラは思わず微笑んだ。獣人の子供というのは、確かにとても可愛らしい。ふわふわもふもふの尻尾と耳が、本能的に撫でたいという思いを抱かせる。

ウサギの少年の大きな耳は不安そうにピクピクと動き、リスの少女の尻尾は緊張からか小刻みに震えていた。


「どうしたの?」


メーラが二人を怯えさせないように、ゆっくりとしゃがみこんで二人の目線に合わせる。

魔族の姫としてではなく、一人の魔族の少女としての優しい笑顔に、子供たちの表情が少しだけ和らいだ。


「アドリアン様と、お姫様にお礼がしたくて……」


よく見ると、ウサギの少年はアドリアンが助け、そしてメーラが治療を施した少年であった。

昨日の水場で鷹の獣人に蹴られた彼だ。そしてリスの少女は、友達だろうか?

お礼をしにきたのか、少年の手には粗末な花の髪飾りと、干し肉が握られていた。


「おや……」


アドリアンの目が細まった。

手作りの花飾り、そしてみすぼらしい干し肉……恐らくは、これが彼の持っているすべての「財産」なのだ。

少年は精一杯のお礼をするために、大切なものを差し出そうとしている。その光景は、彼の窮状を静かに物語っていた。


「ううん、いいの、お返しなんてもらわな……」

「──いや」


メーラが彼の境遇を察し、断ろうとそう言いかけたその時、アドリアンがそれを遮るように、言った。彼の表情は真剣で、少年をまっすぐ見つめている。


「ありがとう。有難く受け取っておこう」


「アド……?」


メーラは何故アドリアンがそんなことを言い出したのか分からなかった。

このような、窮している少年から物を受け取るだなんて。彼女の顔には戸惑いが浮かんでいる。

そんなメーラの疑問が分かったのか、アドリアンはメーラに小声で言った。


「メーラ」


アドリアンの目にはいつもの軽薄さはない。代わりに、メーラを諭そうとする真剣な眼差しが宿っていた。


「この子は覚悟を決めて、自分の全てを投げ打って俺たちにお礼をしようとしているんだ。そのお礼を断るというのは、彼の気持ちを踏みにじること。彼の誇りを傷つけることになるんだよ」


それが、英雄としての矜持。お礼をするというのは、その人にとって対等な関係を築く第一歩であり、自分の尊厳を守る行為なのだから。

メーラはその言葉に目を見開いた。アドリアンの言う「誇り」と「尊厳」。それは彼女が今まで考えたことのない視点だった。その言葉は、メーラの世界を広げるように、彼女の心に染み渡っていく。


「素敵な花飾りだね。キミが作ったのかい?」


アドリアンは少年の手にある素朴な花飾りを見つめ、親しげに尋ねた。


「あっ……僕の妹が……」


そう言って、ウサギの少年は横にいるリスの少女を指した。

彼女は急に注目を浴びて頬を赤らめ、小さな尻尾をピクピクと震わせながら少年の背中に半分隠れた。


「妹……?でも、ウサギさんとリスさんは……」


種族が違う。同じ獣人でも、ウサギとリスは異なる種族だ。

そんなメーラの素朴な疑問に、少年は俯いたまま小さな声で言った。


「この子は……ペララは、みんなが逃げてくる時に、お母さんとお父さんとはぐれちゃったんだ。だから、僕がお兄さんになるって決めたんです。家族じゃなくても、家族になれるから……」


彼の言葉には、子供ながらの決意と優しさが感じられた。


「そう……なんだ」


恐らくは自らも両親がいない孤児なのだろう。大草原で、最底辺の存在であろう少年。

だが、その少年は、自分よりも更に下にいる哀れな少女を庇護している。己の所有するわずかな物すら、こうしてアドリアンに渡したのだ。


「なるほど」


アドリアンは目をつぶった。アドリアンはこの少年の気高さに思いを馳せていた。

この草原の片隅で、何の力も持たない孤児が、自分より小さな命を守ろうとしている。それは、彼が理想とする英雄の姿そのもの──。


「ん?」


その時、上空から翼が羽ばたく大きな音が響いてきた。

アドリアンたちの上に影が落ち、太陽の光が遮られる。空を見上げると、鷹の獣人たちが大きな翼を広げて旋回し、次第に彼らの前へと舞い降りてくる姿があった。


「おやぶ~ん!」


いつぞやの威厳は何処に行ったのか、着地すると、彼らは手を揉みながらへこへことアドリアンにすり寄ってきた。

その姿を見て、少年と少女はビクッと体を震わせ、メーラの後ろに隠れてしまった。小さな尻尾が恐怖に震えている。


「キミたち、わざわざ子供たちを怖がらせるために大きな音立てて降りてきたのかい?それとも翼の使い方を忘れちゃったのかな?静かに降りる方法くらい、鳥のキミたちなら知ってるかと思ったんだけどな」


アドリアンは肩を竦めながら言った。


「え?でもぉ……翼ってのはそういうもんだしぃ……」


一人の鷹の獣人が言い訳めいたことを言うと、隣にいた仲間が肘で軽く小突いた。


「まったく親分はすごいよな。魔法使いでもないのに空を自在に移動できるんだから。人間のくせに俺たちよりも空に慣れてるだなんて、まるで化け物だよな……あ、いや、褒め言葉ですよ!神様みたいだって言いたかっただけで!」


鷹の獣人は焦った様子で手と翼をバタバタと振り、冷や汗を流した。


「素敵な嫌味をありがとう。キミたちは空を飛ぶのが得意なだけじゃなくて、見事な舌の回転も持ち合わせているんだね」


アドリアンがにこやかに微笑むが、その目には冷たい光が宿っていた。それを察した鷹の獣人たちは、ひぃ!と小さな悲鳴を上げて後ずさり、翼を縮こませる。

そんな光景を見て、メーラはアドリアンの服の裾を軽く引っ張った。彼女の瞳には軽い非難の色が浮かんでいる。


「アドリアン、彼らも改心したのですから、怯えさせてはいけませんよ」


メーラの優しい声に、アドリアンは肩をすくめ、演技めいた後悔の表情を浮かべた。


「おっとこれは失礼。姫様の御前で彼らを怖がらせてしまうなんて、この英雄も罰が当たりそうだ」


アドリアンはタカの獣人たちに向き直ると、口を開いた。


「それで?この大草原の絶景を空から堪能してきたところで、何か有益な情報は得られたかな?」


アドリアンは翼を持つ彼らに上空から見たこの大草原の地理を調査する役目と、監視役を任せていた。

アドリアンも空を飛べるが、今は情報を集めなければならない時……そこで彼らに歩哨ならぬ、空哨役を任命したのだ。


「地理っつったって……見渡す限り草原が広がってるだけだしな。よく分かりませんぜ」


一人の鷹の獣人が首を掻きながら言った。


「俺たちゃ東の遠いところから逃げてきたからなぁ、ここらの地形も部族のことも全然知らないし」


別の獣人も肩をすくめて答える。彼らの言葉に、アドリアンは頭を抱えた。

その表情には諦めが浮かんでいる。


アドリアンは頭を掻きながら、この大草原で、どの部族がどの位置に陣取っているかを知りたいと考えていた。

前の世界では、大草原の殆どは魔王軍に占拠されていたので、この世界の大草原の地理は全く知らないのだ。彼の記憶の中の地図は、今の現実とは大きく異なっている。

大部族同士の位置情報を把握できれば、ある程度の戦況が分かると踏んでいたのだが……。


「うーん、こりゃ困った。ドワーフの情報屋さんを連れてくるべきだったかな……いや、幾ら彼女でも草原の事情には詳しくないか」


アドリアンがう~んと唸り、腕を組んで草原の彼方を見つめている。

そんな時であった。


「アドリアン様……草原や部族の状況を知りたいんですか……?」


おずおずと、メーラの背後に隠れていたウサギの少年がアドリアンに声をかけた。

おや、とアドリアンが彼に顔を向けると、少年はウサギ耳をぴくぴくと揺らしながら言った。


「ぼ、僕……色んなところを逃げ回ってきたから、大体の部族の位置や、状況知ってるんです。みんな危ないところは教え合うし、安全な道も覚えてるから…」


少年の意外な言葉に、周囲の人物たちが顔を見合わせた。

メーラは驚いた表情で少年を見つめ、タカの獣人たちも目を丸くして、互いに視線を交わしていた。


「──へぇ」


アドリアンの顔が、にやりと明るく輝いた。彼の瞳には、新たな光が宿っている。


「おいおい、お前みたいなガキが草原のことを知ってるって?俺たちだってよく分からないのに」


タカの獣人たちの言葉に、少年は身を縮めながらも、小さな勇気を振り絞って言った。


「う、嘘じゃないんです!僕、覚えるのだけは得意で……例えばこの辺りの大部族はパンテラとリノケロスで、彼らはリマ湖を求めて対立していて……」


少年の口から次々と溢れ出す言葉は、具体的で明確だった。リマ湖の周辺に住む部族の動向、大部族の最近の侵攻ルート、ある谷間に隠れているという小さな中立部族の避難所……。

この周辺のことは勿論、遠い地方のことにまで具体的に言及する少年の話は、嘘をついているようには見えなかった。

アドリアンとメーラは少年の話に聞き入り、タカの獣人たちは次第に口をポカンと開けていった。


「──素晴らしい」


アドリアンは、とめどなく溢れる少年の言葉を、軽やかな拍手で遮った。

彼の表情には満足感が広がり、瞳に鋭い光が宿っていた。


「少年。キミの名前は?」

「え……?あ……えっと、モルです」


少年……モルは恥ずかし気に顔を俯かせた。その長い耳が緊張から小刻みに震えている。

アドリアンはゆっくりとしゃがみ込み、彼の顔を覗き込むようにして言った。


「モル。俺が知りたかったことを教えてくれてありがとう。キミの頭の中には、この広大な草原の宝の地図が詰まっているんだね。それはとても貴重なものだ」


アドリアンの言葉に、モルの頬が少し赤くなった。彼の隣では、リスの少女ペララがモルの手を掴んでいた。


「宝物をくれたキミには……相応しい対価が必要だ」


そして、アドリアンは手を虚空に翳した。

その瞬間、彼の周りの空気が微かに歪み始めた。まるで水面に石を投げ入れたような波紋が広がり、大気そのものが揺らめいている。


──空間収納魔法の予兆である。

そこから現れたのは山のような食べ物だった。

パンにチーズ、干し肉に果物、蜂蜜の入った瓶まで、小さな丘のように積み上がっていく。

それらはフリードウインドの街で商人たちから貰ったり、買ったりしたものだ。色とりどりの食料が朝日に照らされて輝いている。

モルとペララは見たこともない食料の山を前に、口をぽかんと開けて呆然としていた。モルの長い耳は驚きで固まり、ペララの尻尾は興奮で小刻みに震えている。タカの獣人たちも目を丸くして、食料を見るばかり。


「これは俺の『お礼』だ。さっきキミが俺にくれた贈り物のように、俺も感謝の気持ちを形にしただけさ。キミの知識は、これよりずっと価値があるからね」


アドリアンの言葉と温かな微笑みが、朝の静寂に染み渡る。


「ふふっ。やっぱり、アドは、優しいね」


メーラの小さな呟きは、草原の風に搔き消された。


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