アデムの工房、二階の居住スペース。
広い食卓には、豪快な量の料理が所狭しと並べられていた。
肉の塊を丸々焼き上げたもの、ドワーフ風のスパイスが効いたシチュー、香草をたっぷりと纏った焼き野菜──どれもが食欲をそそる香りを放っている。
「ほら、たんとお食べ!遠慮なんかしないでね!」
ライラが両手を腰に当て、誇らしげに言う。
その豪快な一声に、メーラたち目を輝かせながら手を伸ばしていった。
「わぁ、ありがとうライラさん!」
「おいしそう!これが、ドワーフの家庭料理ってやつね!」
レフィーラは嬉しそうに手を叩くと、早速大きなお皿に料理を山盛りにし始める。
メーラとケルナも口いっぱいに頬張りながら、感嘆の声を上げる。
宮廷料理とは違う、素朴な味わいが懐かしさを誘うのか、彼女の表情には純粋な喜びが滲んでいた。
そして、その対面に座るアドリアンとアデムの様子はというと……。
「それでさ、驚いたんだよ。平和な街に荷物を届けるだけのはずが、なんと軍隊がひっきりなしに行き交う危険地帯だったとはね。そんな場所に若者を送り込むドワーフのおっさんって、どんな顔してるのか見物だよね」
アドリアンの皮肉たっぷりの言葉に、アデムは顔を赤らめながら酒を一気に飲み干した。
「う……うるせぇな。俺だって知らなかったんだ!いつまで嫌味言ってんだテメェは!?」
延々と続くアドリアンの皮肉攻撃に耐えかねたアデムが反撃に出るも、それすらも愉快そうに受け流すアドリアン。
そんな二人の前に、突如として巨大な皿がドンと置かれた。
「ほらほら、アドリアンもオヤジも、くだらない話なんてしてないでたんと食いな!」
ライラの豪快な声に、二人の言い争いは一時停止する。
皿の上には、山のように盛られた肉の塊。それを見て、アデムの目がたちまち輝きを取り戻した。
しかし、彼の目にテーブルに並ぶ豪勢な料理の数々が入ってくると、徐々に冷静さが戻ってくる。
「……おいライラ。こりゃちょっと派手すぎないか?こんな高い食材を一気に使っちまって大丈夫なのか?」
上質な肉、珍しい香辛料、新鮮な野菜──どれも安い買い物ではない。
アドリアンたちを迎え入れるのは喜ばしいことだが、これほどまでの歓待は家計に響くだろう。そんな心配がアデムの顔に浮かんでいた。
だが、そんな懸念をよそに、ライラの表情は異様なほど明るい。
普段なら無駄遣いを一番に気にする娘なのに……。
「おいアドリアン。ライラのやつ、妙にご機嫌だがどうなってんだ?」
アデムの疑問の目が、アドリアンへと向けられる。
するとアドリアンは爽やかな笑みを浮かべながら、顎で棚の上に置かれた『とある物』を指し示した。
「年甲斐もなく、俺に惚れたのかも……って冗談は置いといて、多分あれが原因かな」
アデムがその方向に目を向けた瞬間、彼の顔から血の気が引いていく。
そこにあったのは──巨大なシャヘライト。それも、見たこともないほどの美しさで輝きを放つ高純度の……。
「なっ……!?」
アデムの声が震える。あれは工房長として一生に一度見られるかどうかという代物だ。
その価値は一家族が数年間は働かずとも暮らしていける財産に匹敵する。
アデムが目を丸くして、驚愕の表情でアドリアンを見つめる。
その視線を受け止めたアドリアンは、いたずらを成功させた子供のような満足げな表情で、軽く肩をすくめた。
「流石の俺でも、こんな大勢の食い倒れ軍団を連れてきて、タダ飯をたかるのは気が引けるからね。お陰で家計を気にせず、美味しい料理を頂けるというわけ」
あのシャヘライトは、帝国を混沌に陥れた魔族──ノーマが持っていたもの。
帝国を救った英雄への褒美として、皇帝からアドリアンに与えられたものだった。
しかし、英雄の加護を持つアドリアンにとっては無用の長物。彼の体には無限に魔力が湧き上がってくるのだから、あんな鉱石など必要ない。
だが、アデムはそんな事情も知らず、顔を真っ青にしてアドリアンに詰め寄った。
「お、おめぇ……まさかこんな高級品、どこかの金持ちの屋敷にでも忍び込んで掠め取ってきたんじゃないだろうな?」
「……おい、オッサン。アンタが俺のことをどう見てるかよーく分かったよ」
そしてアドリアンは壮大な物語を、日常の出来事を語るかのような調子で話し始めた。
テーブルに肘をつき、時折料理を口にしながら──彼の語る言葉は、アデムの常識を次々と覆していく。
「実はね、メーラは、魔族のお姫様なんだ。皇国の騎士団長に依頼されてね、俺たちは世界中を旅して、シャドリオスという存在に対抗するための連合を結成している最中なんだよ」
「その過程で、アルヴェリア王国の大貴族とも親交を深めて、最近では、グロムガルド帝国で起きた混乱を鎮め、皇帝陛下から直々に英雄の称号を頂いてね──」
壮大すぎる物語に、アデムは目を丸くしたまま言葉を失っていた。
こんな話、信じられるはずがない。あの頼りなさそうな放浪者と、おどおどした村娘が、今や世界を股にかける英雄と姫になっているなんて──。
だが、目の前の証拠は否定できない。
「ライラさん、アデムさん。あの時は黙っていてごめんなさい。実は私、お姫様で……」
メーラの纏うドレスは確かに高級品で、その佇まいからは気品が漂っている。
そして森林国の重鎮を思わせるエルフの姉妹の存在。
「あ、私も実は森林国では偉い役職を持ってるのよ!ケルナは違うけどね」
「お姉ちゃんは、『守護者』っていう森林国の地位を持ってるんです。貴族とは違うけど……」
レフィーラはもぐもぐと料理を食べ、ケルナはそんな姉を恥ずかし気に見ている。
「ドワーフのおじさん。アドリアン様は、とてつもない御力を持つ英雄様です。帝国も救ったのも……私たちが実際に目にしたので、間違いありません」
「むぅ……」
ケルナの言葉に、アデムは唸った。彼とて、目の前のエルフの姉妹が只者ではないことは雰囲気で分かる。
それに何より……棚に置かれた高純度シャヘライトの煌めき。
それは、アドリアンの語る物語が真実であることを、雄弁に物語っていた。
「まだ信じられない?それじゃ、これはどうかな」
そう言い、アドリアンは静かに右手を虚空へと差し出した。
すると、その場の空気が微かに歪み始める。水面に石を投げ入れたような波紋が、アドリアンの手の前に広がっていった。
「うお……!?」
アデムの目が瞠られる。収納魔法──空間に物を収めることができる高度な魔法の発動だ。
普通の魔法使いなら、せいぜい小物を一つか二つしか収納できない。
それがアドリアンの場合──
ゴトン、ゴトン……と。テーブルの上に次々と出現する物品。
「これらはね、帝国の公爵様方と、皇族の方々からいただいた『素晴らしい贈り物』なんだ。まぁ、どれも使い道に困るような代物ばかりなんだけど」
テーブルの上に並べられた宝物の数々は、帝国の頂点に立つ権力者からの贈り物だった。
シェーンヴェルの繊細な装飾が施された宝石箱からは、メーラのために選ばれた宝石たちが煌めきを放っている。
ベレヒナグルからは複雑な構造の魔導機械が並び、その用途すら理解できないほどの最先端技術が光を放つ。
アイゼンからは、名工の手による宝剣が、研ぎ澄まされた刃を見せている。
そして、最後にアドリアンが取り出したのは──
「特にこのぬいぐるみなんて、本当に処分に困るんだ。焼いても焼いても、魔力で再生するからね」
彼の手には、アドリアン本人を模したぬいぐるみが握られていた。
その縫い目からは淡い魔力が漏れ、不思議と本人の表情に似た皮肉めいた笑みを浮かべている。
「これはザウバーリング卿という魔法使いの贈り物でね。俺への嫌がらせの集大成みたいなものさ。魔力を込めたこのぬいぐるみには、どこか捻くれた感情が染み込んでる……」
アドリアンの眉間にしわが寄る。
「更に困ったことに、メーラが気に入っちゃってね。魔族のお姫様は、夜になるとこいつを抱きしめて寝るんだよ」
その言葉に、メーラの頬が赤く染まり、彼女は慌てて手を振った。
「ち、違うよ!そんなことしてないから!」
「でも……可愛いと思います……!」
メーラの慌てた声と、ケルナのおずおずとした声が同時に響く。
その慌てぶりが、真実を物語っているのだが……。まぁそれは置いといて。
「これでも信じられないなら、ドワーフの皇女さまに頂いた勲章も出して見せようか?あれは特に格式が高くて──」
「いやいや!もういい!分かった、分かったからよ!」
アデムは両手を振り回して、焦ったようにアドリアンを制止した。
テーブルに並ぶ品々に刻まれた各公爵家の紋章は、偽造不可能な証拠だった。
世情に疎いフリードウインドの下町のドワーフであっても、帝国の公爵家の紋章くらいは識別できる。
そして、これ以上畏れ多いものを目の前に出されて、万が一それが傷ついたりしたら──アデムは背筋に冷たいものを感じた。
「まったくよ……いつからそんな大物になりやがった、アドリアン」
「おや……前におっさん、言ってたじゃないか」
アドリアンが懐かしむように目を細める。
「『人間ってのはちょっと見ねぇ内に成長するもんだ』ってさ」
その言葉に、アデムは首を傾げた。酔いのせいか、記憶の片隅に沈んだ言葉を探り当てることができない。
「そんなこと、言ったかねぇ……まぁ、人生の大先輩として色々と金言を残してるだろうから、言ったのかもしれねぇな」
アデムは半ば諦めたように肩をすくめると、遠い目をして周りを見渡した。
メーラやエルフの姉妹が美味しそうに料理を頬張り、嬉しそうなライラが次々と料理を運んでくる──そんな穏やかな光景に、彼は静かに目を細める。
「ま、オメェが大魔法使いだろうが、英雄だろうが、俺にゃ変わりねぇよ。所詮は人間の若造で、酒も弱けりゃ肝も据わってねぇ」
その素っ気ない言葉に、アドリアンは不思議と心地よさを感じ、柔らかな微笑みを浮かべた。
「やっぱりおっさんのところに泊まって正解だったよ。英雄だと周りから持ち上げられて疲れるんだ。アンタみたいに遠慮も礼儀もなく、下品でだらしないおっさんと話すと、妙に安心するんだよね」
「おい、もう嫌味はいいぞ!つーか下品は余計だ!」
アデムの怒りの声が居住スペースに響き渡るが、その目は確かに笑っていた。
そんな二人の会話を聞き、ライラも厨房から顔を出して、笑いながら加わってくる。
「ガキの頃のアンタを知ってるアタシらにとっちゃ、いつまでも人間の子供だけどね~!」
彼女の明るい声に、アドリアンは眉を上げて応じる。
「まぁそうだよな。ライラだって、俺が子供の頃からずっとおばさんだったから、いつまでもおばさんって感じがするし。年を取っても若く見えるっていうのは美輝公の魔法よりすごいかも」
「……嫌味だけは、一人前どころか達人級になっちまったね!昔はもっと素直でかわいいガキだったのに!」
ライラが拳を振り上げながらも、その目は確かに笑っていた。
メーラとケルナは、ライラとアデムの豪快な物言いに戸惑いながらも、その包み込むような温かさに心地よさを感じていた。
「ね?フリードウインドって、いい人ばっかりでしょケルナちゃん」
メーラの問いかけに、ケルナは小さく頷いた。
「うん……エルフの私たちも、快く迎え入れてくれて……」
二人の穏やかな会話が続く中、メーラはふと違和感に気づいた。
いつもなら真っ先に話に割り込んでくるレフィーラが、妙に静かなのだ。
そう思い、視線を向けると──
「むぐ……むぐぅ!?」
レフィーラの頬は両側に膨らみ、リスのような姿になっていた。
どうやら美味しさのあまり、口に入るだけ詰め込んでしまったようだ。
「レフィーラ。いくら料理が美味しいからってエルフとドワーフの友好のために命を懸けるつもりかい?」
テーブルを囲む一同から笑い声が漏れる。
ケルナは真っ赤な顔で「お姉ちゃん……」と呟きながら、レフィーラの背中を優しく叩き始めた。
「がはは!エルフのお嬢ちゃんにも認められるとは、ウチの料理も捨てたもんじゃないな!」
アデムの豪快な笑い声が響く中、ライラは「まだまだあるよ!」と言いながら、次の料理を運んでくる。
窓の外では、フリードウインドの夜の灯りが優しく揺れている。ここは、種族も地位も名声も関係ない、ただの「家」なのだ。
明日からまた始まる大きな物語の前に、彼らはこうして小さな家族のような時間を過ごしていた──。