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第九十七話

大地の動脈のように広がる街道が、まるで一点に収束するかのように集まっていく。

その中心に位置するのが、かの街──フリードウインド。

大陸の心臓部とも呼ばれるその場所では、世界中の文化が渦を巻くように混ざり合っていた。


「おぉ──相変わらずの賑わいだね」


アドリアンの言葉通り、街の入り口からは活気に満ちた喧騒が漏れ聞こえてくる。

石畳の広場では、ドワーフの職人が丹精込めて作り上げた武具が並べられ、その隣ではエルフの調香師が森で採取された香草を売っている。

獣人の行商人は色鮮やかな毛皮を誇らしげに掲げ、人間の商人は遠い港町から運んできた珍しい調度品を声高に売り込んでいた。


「すごい……!色んな種族がこんなにいっぱい!」


レフィーラの驚きの声に、アドリアンは懐かしむような微笑みを浮かべる。


「ここはね、誰もが自由に行き交える場所なんだ。どの国にも属さない都市──だからこそ、この街には世界中の文化が集まってくる」


世界のどこでもない、だが世界中の要素が詰まった街。

それが、フリードウインドなのだ。

そうして、街を歩いていると、メーラが小さく呟いた。


「今日のお宿を探さないとね」


その言葉に、アドリアンは意地の悪い笑みを浮かべる。


「何を言っているんだいメーラ。宿ならもう決まってるじゃないか」

「え?」


首を傾げるメーラ。その横でレフィーラとケルナも、きょとんとした表情を浮かべていた。

だがアドリアンは意味ありげな笑みを崩さない。


「覚えてない?ほら、昼から酒を煽ってるドワーフの工房長が、素敵な工房を切り盛りしているじゃないか。まぁ、実際は娘が仕切ってるみたいだけど」


アドリアンの皮肉めいた言葉に、メーラの瞳が大きく見開かれた。


「あっ……」


懐かしい記憶が、メーラの胸の中で花開いていく。

工房長アデムと、その娘のライラ。あの時──全てが不安に包まれていた時期に、二人は何の見返りも求めず、アドリアンとメーラを温かく迎え入れてくれた。


「で、でも急に行ったら迷惑じゃないかな?」


メーラが心配そうに眉を寄せると、アドリアンは大袈裟に肩を竦めた。


「いやいや、アデムのおっさんはあの戦争真っ只中のランドヴァールの街に、よりにもよって俺たちを使いっ走りにしたんだよ。そのお返しとして、酔いが醒めるくらい嫌味を言ってやろうと思ってたところなんだ」

「そういう問題じゃないと思うけど……」


メーラが呆れたような溜息をつく横で、レフィーラの瞳が輝きを帯びていく。


「ドワーフの工房!?わぁ、楽しみ!泊まってみたい!」

「おや、レフィーラ。帝国で散々見てきたと思うけど。あれだけ立派な工房が並ぶ帝都で、飽きるほど見物したんじゃなかった?」

「なんていうかね……こういう普通の街の工房と、帝都にある工房って、なんか違うと思うのよね。生の工房っていうか……エルフの国にはそんなものないから、新鮮なの!」


そういうものなのか──。

メーラは首を傾げながら、レフィーラの言葉を反芻していた。確かに、帝都の工房は洗練されすぎていて、どこか人工的な雰囲気を纏っている。

それに比べて、この街の工房には日々の暮らしが染み込んでいるような、生活の匂いがするのかもしれない。


そんなことを言うレフィーラとは対照的に、ケルナは姉の影に身を寄せるようにして歩を進めていた。行き交う人々の視線を避けるように、さらに姉の後ろへと隠れていく。

アドリアンはそんなケルナの様子を見て、クスリと笑みを浮かべ、口を開く。


「それじゃあ決まりだ。いやぁ、タダ宿だと思うと足取りも軽くなるな!」


その軽薄な言葉に、メーラは呆れてしまうが、確かに懐かしい場所に向かう足取りは自然と軽くなっていた。

南に向かって進むにつれ、街並みは商店街から工房街へと移り変わっていく。

金属を打つ音、木材を削る音、職人たちの活気のある声が通りに響き渡る。

そうして、記憶の中の道筋を辿っていくと──。


「う~ん……このシャヘライトも小さいなぁ……」


作業着姿の小柄な女性が、工房の前で何やら悩ましげに佇んでいた。

ドワーフの女性、ライラだ。

手には光を放つ鉱石──シャヘライトを掲げ、それを様々な角度から覗き込んでは、時折首を傾げている。


「よぉライラ!今日もご機嫌だね!少女みたいで可愛らしいけど、50歳の誕生日はまだだよな?」


アドリアンの意地の悪い声に、ライラは手にしていたシャヘライトを握りしめながら、ピクリと体を止めた。

そして勢いよく立ち上がると、まるで獣のように牙を剥いて振り向く。


「あ゛ぁん!?なんつった今!?アタシャまだ48……」


だが、その怒りの言葉は途中で止まった。


「ア、アドリアン……?それに、メーラも」


その声には、驚きと共に温かな感情が滲んでいた。

ライラの瞳には、かつての放浪者の姿から一転した──アドリアンの凛々しい佇まいと、ドレス姿のメーラの優美な姿が映っている。


「久しぶりじゃないか!いやぁ心配してたんだよ!」


ライラの声が弾むように響き、その小さな腕がアドリアンとメーラの肩を次々と叩いていく。


「アンタたちが出て行ってからさ、街が大変なことになったじゃないか!?後から噂を聞いてみたら、なんでも『大魔法使い』が現れて街を救ったとか、その『大魔法使い』がアンタたちだったって話で!?アタシャまだ信じられないけど……まさかここに泊まってた二人が、そんな大仕事をやってのけるなんてさぁ!」


ライラの豪快な笑い声が工房街に響き渡る。


「それになんだい!?メーラのその恰好!」


ライラの目が丸く見開かれる。

その視線は、メーラの纏うドレスを見上げては、まるで信じられないものを見るかのように瞬きを繰り返していた。


「まるでお姫様じゃないか!いったい何があったってんだい!?」


以前この工房に泊まっていた時のメーラは、魔族の少女という以外、何の変哲もない娘だった。

それが今や、異国の王族のような気品を纏っている。


「しかも、アドリアン!アンタ、後ろにエルフの美人さんまで連れてるじゃないか!いつの間にそんな艶福家になったんだい!」


ライラの畳みかけるような勢いのある物言いに、メーラもエルフの姉妹も圧倒されていた。

帝国で出会ったドワーフたちの几帳面で礼儀正しい態度とは正反対の、下町の「おばさん」そのものの空気感。

見た目こそ可愛らしい少女のようでいて、その物腰は完全な別物なのだ。


「どう、レフィーラ?帝国では見られなかった、本場のドワーフのおばちゃんの洗礼は」

「なんていうか……とっても生って感じ!」


意味不明な返答だが、レフィーラの表情からは純粋な喜びが溢れている。

アドリアンは苦笑を浮かべながら、ライラの方へと向き直った。


「俺が艶福家だなんて、笑えない冗談は置いておいて……ライラ、アデムのおっさんはどこだ?」

「オヤジ?わかるだろ、酒場だよ」


ライラの即答に、アドリアンは「やっぱり」と言わんばかりの表情を浮かべる。


「前にもあった展開だな。まぁ、『もう昼間』だからな。しょうがないか」

「そうそう、『もう昼間』だからね。……ところでアドリアン。こんなに立派な一行を引き連れて、ウチに何の用だい?」

「あぁ、それはね」


アドリアンは、当然のことを言うかのように、にこやかな笑みを浮かべた。


「今日、四人泊めてくれ。あ、それと食事も作ってくれると嬉しいな。久しぶりにライラの手料理が食べたいね」


彼女の手から、シャヘライトが転がり落ちた。

それはアドリアンの厚かましさを際立たせるように、カランカランと工房の前で転がっていった……。




♢   ♢   ♢




フリードウインドの酒場区域──そこは昼夜の区別なく、活気に満ちた空間が広がっていた。

通りに並ぶ酒場からは、労働者たちの笑い声が絶え間なく漏れ聞こえてくる。

ドワーフはもちろんのこと、エルフや獣人までもが、真昼間から酒を片手に談笑している。

ここでは種族の垣根を超えて、みな等しく酒に溺れているのだ。


「オヤジ!エール5つだぁ!」


そして、その喧騒の中にいるのは──工房長アデムの豪快な声。


「おいアデム。最近ますます飲むようになってきたな。このままじゃ、テメェの工房より内臓が先に潰れるぞ」


隣に座る獣人の酔っぱらいが、犬の尻尾をふらふらと揺らしながら忠告めいた言葉を投げかける。

だがアデムは、「がはは!」と豪快な笑い声を響かせた。


「なぁに、健康のことを考えて、一日一樽に抑えてるんだぜ!これでも節制してるってもんよ!」


獣人は呆れたように肩を竦めると、自らも杯を傾け始めた。

グビグビとエールを飲み干すアデム。

あっという間に四つのジョッキが空になり、いよいよ五つ目に手を伸ばした、その時──。

ひょい、と音もなく横からジョッキが取り上げられた。


「あぁ!?なにしやがる!」


怒鳴り声と共に振り向いたアデムの目に、呆れた表情を浮かべる黒髪の青年が映る。


「昼間から飲む酒は美味いか?おっさん」

「おっ……!?」


酔いに赤く染まった顔で、アデムはアドリアンを見つめる。

その瞳が、意識を取り戻すように少しずつ焦点を結んでいく。


「昔から疑問だったんだけど。ドワーフって飲みすぎると、逆に長生きできるんじゃないか?俺も酒が飲める歳になったらドワーフになりたいもんだ」


アドリアンの皮肉めいた言葉が、酒場に響く。

その瞬間──。


「アドリアンじゃねぇかぁぁ!!!」


アデムの叫び声が、酒場中に轟き渡った。

その声に驚いた客たちが一斉に振り向く中、アデムの赤ら顔が歓喜に満ちた笑顔へと変わっていった。


「おいおい!街を救ってくれた英雄様がこんなところにいるだなんてよぉ!どうしたんだぁ!?」


アデムの大きな手が、バシバシとアドリアンの腰を叩く。

その力強さは、先ほどのライラとそっくりで──間違いなく、親子の血を感じさせた。


「アンタを探しに来たのさ。昼間から飲んだくれてる、ドワーフの鑑を見物にね」

「がはは、そんなに褒めるな!」


アドリアンは思わず目を細める。皮肉もまったく通じていない。

これだけ酔っているのだから仕方ないが……いや、そもそもアデムは素面でも皮肉が通じない人物だった。


「実はね、工房に泊めてもらう代わりに、ライラから『このダメ親父を連れ戻せ』って依頼されたんだ。悪いけど、素敵な昼飲みの時間は終わりだよ」


その言葉に、アデムはピクリと眉を吊り上げ、酔いが醒めたかのような鋭い眼差しを向けてきた。


「まだ一滴ぐらいしか酒飲んでねぇのに誰が帰るか。泊まりてぇなら勝手に泊まってけ。俺は帰らんぞ」


五つのジョッキを空にしておいて、よくもまぁ「一滴」なんて言葉が出てくるものだ──


「それより……アドリアンよ。ここに長居していいのか?絡まれても知らんぞ?」

「絡まれる?」


アドリアンがその言葉に首を傾げた時、背後から巨大な影が三つ、彼を取り囲むように忍び寄った。


「……」


猫の耳をぴくりと動かす獣人、狼の牙を覗かせる獣人、そして熊のように巨大な男(恐らく人間だろう……)。

酒場の空気が、一瞬で張り詰めていく。


「おっと」


アドリアンは呆れたように肩を竦める。

以前と状況があまりにも似ているので、誰かが演出しているのではないかと疑いたくなるほどだ。

だが──。


「だ……」


三人がゆっくりと口を開く。緊張感が酒場を支配する中、彼らは震える声で叫んだ。


「だ、大魔法使いさまぁぁぁ!!!」


その予想外の展開に、アドリアンの表情が凍りついた。

酒場には、以前とは全く違う種類の静寂が広がっていく。


「お、あの時は本当にありがとうごぜぇますだぁ……!」


猫耳の獣人が声を震わせながら、頭を床に擦りつける。

その横で狼の獣人も、普段の獣人らしい誇り高さを忘れたかのように、涙を流しながら叫ぶ。


「あぁ、大魔法使い様がいなかったら俺たち、市場で焼け死んでた!」


三人の巨漢が揃って土下座をする姿は、周囲の目を一斉に引きつけた。

その光景に、酒場の中はざわめきが広がっていく。

そして、その叫び声を聞きつけた人々が、外からも次々と押し寄せてきた。


「大魔法使い様が帰ってきたって!?」

「おぉ、フリードウインドの街を救った英雄が!?」


瞬く間に酒場は人で溢れかえり、アドリアンを取り囲むように群衆が集まってくる。

酔っぱらいたちの興奮した声が、狭い店内に響き渡る。


「……やぁみんな、ありがとう!でも、静かに飲んでてくれた方が『大魔法使い』としては嬉しいんだけど」


酒臭い民衆たちに囲まれ、アドリアンは深いため息をつきながら、天井を仰ぐ。

その視界の端に、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるアデムの姿が映った。


「がはは!言わんこっちゃない!テメェは人気者だからなぁ!」


アデムの豪快な笑い声が、群衆の歓声に重なっていく。

どうやら、この展開も分かっていたらしい──アドリアンは再び、長い長いため息を吐くのだった。


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