ドワーフという種族は、宴を愛する種族だ。
どんな些細な出来事でも、彼らは理由を見つけては酒を酌み交わし、歌い、踊る。
喜びの時も、苦しみの時も、そして避けられない絶望が迫る時さえも。
彼らにとって宴とは、ただの酒盛りではない。それは命の証であり、絆を確かめ合う儀式のようなものなのだ──。
「がははは!!酒がうめぇや!」
宮殿前の大広場には、帝都の復興も半ばというのに、巨大な宴の渦が巻き起こっていた。
至る所で酒樽が開けられ、肉が焼かれ、歌声が響く。
男も女も地面に座り込んで酒を酌み交わし、貴族の令嬢が庶民の青年と冗談を言い合い、子供たちは広場を駆け回る。
「この酒、あのシャドリオスどもに壊されかけた酒場から救い出した最高級品だぞ!」
「子供たちにはキノコジュースをな!」
「まったく……明日からの復興作業、大丈夫かしら?」
「なーに、酔っ払って働くのは得意分野よ!」
この時、この場所には、身分も立場も関係ない。
「あ……あの……これ、食べていいのでしょうか?」
額にツノを生やした魔族の青年が、震える手を肉に伸ばしながら、おずおずと主人──いや、かつての主人であるドワーフに尋ねる。
すると、髭を蓄えたドワーフは豪快な笑い声を上げ、大きな肉の塊を魔族に差し出した。
「おいおい、何言ってやがる!お前はもう奴隷でも何でもないんだぞ。俺たちと同じ帝国の仲間だ。誰にも許可なんて取らなくていいんだ!」
その言葉に、周囲にいた魔族たちは最初こそ戸惑いの色を見せたが、やがておずおずと食事を口に運び始める。中には涙を流しながら肉を頬張る者もいた。
そう。帝国にいる奴隷は全て解放されたのだ。
もう、彼らを縛る鎖は存在しない。かつての主人と奴隷が、同じ地面に座り、同じ酒を酌み交わす。それこそが、新しい帝国の姿なのだ。
元奴隷たちとドワーフたちが酒を酌み交わし、笑い声が広場に響く。
そんな中……。
「お父さん!私、彼と結婚したいの!」
「なにぃ!?って魔族じゃねぇか!しかもウチの商店の奴隷だったやつ……!?いつの間におめぇら、そんな仲になってやがった!?」
ドワーフの娘と、額にツノを生やした魔族の青年が、互いの手を握り合っている。
青年は緊張した面持ちながらも凛とした瞳で、娘は頬を薄く染めながらも決意に満ちた表情で父親を見つめていた。
どうやら二人は、奴隷と主人の娘という立場でありながら、こっそりと愛を育んでいたようだ。
父は腕を組み、微妙な表情で二人を見つめる。そして、大きなため息と共に──。
「まぁいいさ。本人どうしが決めたことだ」
と言うなり、巨大な酒樽を魔族の青年の前に置いた。
「ただしな。これくらいは一気飲みできないと、うちの娘はやれないぜ?ドワーフの婿になる覚悟、見せてもらおうじゃないか」
その巨大な酒樽を前に、魔族の青年は顔を青ざめさせる。
周囲のドワーフたちは、その様子を見て大いに盛り上がった。
「そ、そんなの飲んだら死ぬ……!?」
「頑張れ若いの!これからの人生、毎日この倍は飲まされることになるんだぞ!」
「えぇ!?」
宴の輪は更に大きくなり、魔族の青年を中心に歓声と笑い声が渦巻いていく。
よくよく見渡せば、元奴隷の魔族とドワーフたちの間には、奴隷制度の下でも確かな絆を育んでいた者たちが数多くいた。
片隅では、小さな魔族の少年をひざの上に乗せ、優しく頭を撫でるドワーフの老婆の姿。少年は嬉しそうに甘えている。おそらく、奴隷として買われた時から、我が子のように可愛がってきたのだろう。
また別の場所では、魔族の少女とドワーフの少年が、まるで本当の兄妹のように笑い合いながら、キノコジュースを分け合っている。二人の間には、どこか血の繋がりを超えた親しみが感じられた。
商人のドワーフは、長年共に働いてきた魔族の青年と杯を交わしながら、まるで本当の親子のように昔話に花を咲かせている。
そこかしこに、制度や種族の壁を超えて育まれた、確かな絆の形があった。
「みんな、奴隷なんておかしいと思ってたのさ。ただ、言い出せなかっただけで……」
誰かの呟きが、宴の喧騒に紛れて消えていく。
「魔族の姫様に感謝しなきゃな」
「あぁ……メーラ姫に、乾杯!」
「英雄アドリアンに乾杯!」
次々と魔族の姫を称える声が上がる。ドワーフも魔族も関係なく、その声は広場中に響き渡っていった。
「そう言えば、姫様は今どこにいるんだ?」
「ああ、きっと宮殿で偉い方々とご一緒に、窮屈な椅子に座って上品なパーティを楽しんでいらっしゃるんじゃないかな?可哀想に」
「うーん、ここの方が絶対に楽しいのになぁ」
大広場の奥には、夜空に向かってそびえ立つ宮殿。
その威厳ある姿は、大広場の喧騒とは無縁であるかのように、静かに佇んでいた──。
♢ ♢ ♢
大広場とは打って変わって、宮殿の大ホールは気品に満ちていた。
シャヘライトのシャンデリアが柔らかな光を放ち、壁には金糸で織られた芸術的な織物が飾られ、大理石の床には職人の技が光る模様が刻まれている。
ドワーフの上位貴族たちは、優雅に会話を交わしながらパーティを楽しんでいた。華やかなドレスに身を包んだ貴婦人たちは扇を揺らし、厳かな衣装の貴族たちはワイングラスを傾けている。
そんな中、メーラは輝かんばかりドレスに身を包み、目の前に広がる豪華な料理の数々に目を輝かせていた。
金の粉末で輝きを放つ前菜、宝石のように美しい色とりどりのデザート、職人技が光る芸術的な一品料理の数々。
「わ……わぁ……!すごい御馳走だね……!」
そんなメーラの傍らには英雄アドリアンの姿。
いつもの外套ではなく、刺繍が施された純白の燕尾服に身を包み、まるで童話から抜け出してきたような優雅な佇まい。
「ここの料理は全部無料サービスだってさ。遠慮なくどれだけでも食べられるよ?」
アドリアンのからかうような言葉に、メーラは慌てて首をぶんぶんと振った。
「わ、私は『お姫様』なんだからそんなはしたないことはしません!それに、このドレスも汚れちゃうし……」
メーラが纏うドレスは、美輝公が彼女のために特別に仕立てさせた逸品。
帝国中から腕利きの職人たちが集められ、一糸一糸に魔力を込めながら織り上げられた布地は、星屑を散りばめたかのように輝いている。
裾には金糸で魔族の伝統的な紋様が描かれ、シャヘライトの粉末で装飾された生地は光を受けるたびに虹色に輝く。
それは『魔族の姫』の品格を象徴する、この世で唯一の芸術品だった。
「あぁ、そんなことを気にしてたのか。──ほら、あそこを見てごらん」
アドリアンが指し示す先には、エルフの少女・レフィーラの姿。
彼女は森林国の大使護衛に相応しい、優美な森のドレスを身に纏っている……のだが。
「あ、これおいしい!ねぇねぇ、もっとちょうだい!キノコステーキと、モグラ肉の地底グラタン、あと深淵マッシュルームのフライも!」
『優雅』な種族として名高いエルフだが、どうやら彼女は族の掟とはかけ離れた存在のようだ。
豪快に料理を平らげる彼女に、ドワーフの給仕たちは慌てふためきながら次々と料理を運んでいく。
その横では、ペトルーシュカが「エルフの誇りはどこにいったのかしら」と呟きながら深いため息をつき、ケルナは申し訳なさそうに周囲に頭を下げていた。
大使フェイリオンは少し離れた場所でドワーフの貴族と談笑していたが、時折貴族の視線がレフィーラに向かうたびに、さりげなく新しい話題を振り、エルフの威信を守ろうとする彼の必死の努力が垣間見えた。
「ね?あんなに楽しそうなんだから、メーラも遠慮なんかしなくていいんじゃない?」
「レ、レフィーラさんは……その、特別だから」
メーラは言葉を濁すが、孤児院育ちの彼女ですら思わず苦笑いを浮かべてしまう。
特別、という言葉には色々な意味が込められているが……それを口に出すことはない。
そうしていると、大きな影が二人の前へとのそりとやってきた。
「メーラよ。楽しんでおるかね?」
ザラコスである。
彼はリザードマンの巨体に似つかわしい正装を……と言いたいところだが、いつも通りの鱗を露出した姿だった。
どうやら流石の帝国の職人たちとて、リザードマン用の正装をすぐには作れないらしく、皇国の騎士団長という重鎮でありながら、いつも通りの姿でパーティに出席している。
「ザラコスさん!うん、楽しんでるよ……あっ、いえ、楽しんでおりますわ」
メーラは慌てて言葉遣いを改める。姫としての振る舞いを意識しているのが微笑ましい。
「……そうか。安心したわい」
ザラコスは、まるで実の娘を見守るような温かな眼差しでメーラを見つめていた。
思い返せば、彼女の成長は目覚ましい。あの日、フリードウインドの街で出会った時は、怯えるばかりの小さな魔族の娘。
それが今やどうだ、凛とした佇まいの魔族の姫として輝いている。
ザラコスは心の中で、自責の念を感じていた。シャドリオス討伐という危険な任務に、彼女を巻き込んでしまったのだから。
だが、今この瞬間、彼女の成長した姿を目の当たりにすると、どうしようもない感慨深さが込み上げてくる。
それは、立派に育った我が子を見る親の様な──そんな気持ちだった。
「どうだいザラコス。魔族の姫の晴れ着姿は」
「うむ……ワシが見てきた、どんな姫よりも、美しく……そして気高い……まさに、姫の中の姫だ」
それはザラコスの本心からの言葉だった。
彼の真摯な瞳には、メーラへの純粋な賞賛の色が宿っていた。
しかし、その会話を聞いていたメーラは顔を真っ赤に染め、頬を膨らませた。
「もう!また二人してからかって!」
そう言い残すと、メーラは足早にエルフたちの方へと逃げ出してしまった。
残された二人は顔を見合わせ、思わず肩を竦める。
「からかってないんだけどね」
「思春期の娘は難しいのう」
そうして、パーティは舞踏の時間を迎える。
シャンデリアの下で、ドワーフの貴族たちがペアを組んで優雅に踊る。重厚なドレスの裾が大理石の床を滑るように、優美な旋律に合わせて動いていく。
その中には四大公爵たちの姿もあった。
中でも目を引くのは機計公ベレヒナグルと一人の女性とのダンス。彼女は以前、彼の婚約者だった人物だ。
「ま、まさか……戻ってきてくれるのか!?」
「……まぁ。私も感情的になりすぎましたわ。それに、最近のベレヒナグル様は魔導機械だけでなく、生身の女性にも目を向けてくださるようですし?」
ベレヒナグルの表情は、いつもの無機質なものとは違っていた。
その瞳には温かな光が宿り、純粋な喜びに満ちた表情で彼女と視線を合わせている。
そして──美輝公シェーンヴェルに目を向ければ……。
「このようなお粗末なステップで私と踊れると思ったの?私と踊る資格が欲しいなら、来世でもチャレンジしなさい」
そう言い放つと、相手の貴族の足を優雅に踏みつけ、クルリと背を向けた。
「そ、そんなぁ……!」
──魔環公ザウバーリングは、愛娘のエレノアとワルツを踊っている。
「エレノアよ。お前に相応しいドワーフは中々いない……のは分かっているのだが、どうしてこの父とダンスを……?」
「あら、お父様以上の殿方がいらっしゃれば、もちろん踊らせていただきますわ。ただ、残念ながらまだ見つかりそうにありませんの。このままですと、私、一生お父様と踊ることになりそうですわ」
「え、いやそれは跡取り的にまずい……」
──アイゼンに至っては……。
「かぁっー!!おーい、酒を持ってきてくれぃ!」
上品な舞踏会など眼中にないのか、片隅で豪快に酒を煽っている。周囲の貴族たちは困ったように視線を逸らすが、本人は全く気にする様子もない。
思い思いの形で舞踏の時を過ごす四公爵を見て、アドリアンは微笑みを浮かべた。
「──良かった」
そう。これこそが、アドリアンが知っている四公爵たちの本当の姿だ。
貴族という仮面の下には、帝国と民を愛する情熱的な素顔が隠されている。堅苦しい礼儀作法に縛られながらも、人情味にあふれた彼らこそが、帝国の真の支柱なのだ──。
そんなアドリアンに、ザラコスが不意に声をかけてきた。
「おいアドリアン。英雄様も誰かと踊ったらどうだ?魔族のお姫様とか」
その言葉に、アドリアンは一瞬、深い思索に耽るような表情を見せ……そして、フッと申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「──残念だけど、先約があるんだ」
「……なに?」
そして、アドリアンは優雅に歩を進める。
その瞬間、会場の空気が一変した。
音楽も、会話も、踊りも、全てが止まったかのように……宮殿のホールにいる全ての者の視線が、英雄アドリアンに注がれていく。
そして、アドリアンが向かったのは──皇帝がいる玉座。
「陛下。本日は、このような華やかな宴にお招きいただき、光栄に存じます」
恭しく頭を垂れるアドリアン。
皇帝ゼルーダルは満足げな表情を浮かべ、長い髭に手をやる。
「礼など要らぬ。英雄どのがおらなければ、今頃この帝都は闇に飲まれ、瓦礫の山と化していたやもしれん。感謝すべきはこちらよ」
そして、皇帝は続けた。
「しかし、魔族があれほどの力を持つとは……思いもよらなんだ」
皇帝の目に、僅かな憂いが浮かぶ。
今まで非力な種族だと思われていた魔族が、シャヘライトさえあれば全ての種族を凌駕する存在となり得る──。
そんな存在を奴隷から解放した影響は、果たしてどれほどのものか。
ゼルーダルはそう考えるも……すぐに穏やかな微笑みを浮かべた。
「まぁ……先々の懸念はあるが、今宵は祝宴の時。難しい話は後日に譲ることとしよう」
「ご心配なく、陛下。何か起きたとしても、この英雄アドリアンがいる限り──全て解決してみせますよ」
その言葉に皇帝ゼルーダルは大きく笑みを漏らす。
この男は礼儀作法など何処吹く風だが、それが不思議と心地よい響きを持っていた。
アドリアンは、四公爵の不和も解消し、帝国に潜む邪悪をも打ち払ってくれた。
──まさしく、英雄の名に相応しい男。
「ところで英雄どの。せっかくの舞踏の時間だというのに、この髭面と話していて楽しいのかね?まさか、この老いぼれとダンスがしたいわけではるまい」
その言葉にアドリアンは微笑んだ。
「陛下との社交ダンスも魅力的ですが……あまりにも壮観な光景を見た観客の皆様が、吐き気を催してしまいそうですから、今日は遠慮させていただきます」
アドリアンはそう言うと……。
ゼルーダルの横に座っていた少女へと、静かに視線を移す。
「……」
退屈そうに頬杖をついて、貴族たちのダンスを眺めていた煌びやかな少女。
燃え盛るような赤色の髪と、気高い紅の瞳を持つドワーフの皇族──皇姫トルヴィアだった。
「……え?」
アドリアンはトルヴィアの前で片膝をつき、王子のように手を差し伸べる。
その突然の出来事に、トルヴィアは赤みを帯びた瞳を見開いたまま、言葉を失っていた。
「姫様。遠い世界を越えて、あなたとの約束を果たしに参りました。この英雄に、一曲お付き合いいただけますでしょうか」