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第八十二話

宮殿前の大広場。

天井には無数のシャヘライトが瞬き、その下では身分も地位も関係なく、ドワーフたちが最後の宴を繰り広げていた。

テーブルを叩く音、杯を合わせる音、豪快な笑い声。それは明日への不安を打ち消すかのように、賑やかに響いていた。


「まさかあの魔環公がそんな秘密を抱えてたなんて」

「へっへっ!普段は高みから見下すような目つきの魔環公様がよ、ぬいぐるみと一緒に寝てるなんてよ!でもな、今じゃ魔環公様の為なら命も投げ出せる気分だぜ!」


突如として始まった秘密の暴露大会。

まさかの魔環公の告白に、大広場は祭りのような熱気に包まれていた。

戦士たちの笑い声が夜空に響き渡り、酒の勢いで次々と秘密が明かされていく。


そんな中──。


純白のドレスが、夜風にゆらめく。

几帳面に整えられた髪も、今は少し乱れ気味。その姿は、世界一の美姫とは思えないほど──いや、だからこそ愛らしく見えた。


「おいおい、まさか」

「輝美公まで……?」


シェーンヴェルは千鳥足で、フラフラと大広間のど真ん中へと歩いていく。普段の気品も威厳も、酒の前には無力だったようだ。

その小柄な体躯が、舞踏でもするかのように揺れながら進んでいく。


「あはは~!わらひもぉ、秘密を言っちゃうわぁ~♡」


その声は、いつもの高慢な調子とは真逆の、酔いに任せた甘ったるい響き。

場の空気が一気に最高潮へと達する。魔環公に続いて、輝美公までもが秘密を暴露するとあっては、興味を惹くに決まっている。


「実はねぇ~、実はぁ……」


シェーンヴェルは人差し指を立て、子供のような仕草で場を煽る。その姿は、世界一美しい貴婦人というよりも、悪戯っ子のようだった。


「わたしねわたしね、今まで黙ってたけど……実は『永遠の美』っていう魔法で10代の頃から老けないようにしてるの……」


シェーンヴェルの告白に、広場が一瞬静まり返る。

戦士たちは互いの顔を見合わせ、そして──。


「ぎゃーはっはは!今更かよぉ!」

「輝美公、それはもう帝都の『公然の秘密』ですぜ!誰も言わないのは、北方の氷雪鉱山送りが怖いだけでさぁ!」


戦士たちの豪快な笑い声に、シェーンヴェルは頬を膨らませる。その仕草は、まるで子供のようだった。


「もぅ!なんなのよぉ!わたしの告白が台無しじゃないの!」


彼女が足を小刻みに踏み鳴らす様子に、戦士たちの笑いは更に大きくなっていく。

普段なら一睨みで震え上がらせる輝美公が、今は酔いに任せて駄々をこねる姿に、場の空気は最高潮に達していた。


「じゃあ、もっともーっと凄い秘密を言っちゃうんだから!」


シェーンヴェルは純白のドレスの裾をひらひらと揺らしながら、大広場の中央で優雅にクルリと回る。その仕草には、酔いながらも気品が溢れていた。


「毎朝ねぇ、3時間かけて最高の化粧を施すの……。毎晩のお風呂はぁ、とぉ~っても贅沢な金の浴槽にシャヘライトの粉末を溶かしてぇ……。あはは!だってぇ、世界一美しくないと駄目なのよぉ?」


シェーンヴェルは酔いに任せて、くるくると舞い続ける。

大広場を照らすシャヘライトの輝きが、彼女のドレスに煌めきを与え、その光の軌跡が幻想的な光景を作り出していく。


豪快な笑い声も、酒宴の喧騒も、いつの間にか静まり返っていた。

皆が魅入られたように見つめる中、シェーンヴェルは更に舞い続ける。その仕草には、明日への不安も、死への恐れも見えない。


すでに民たちは同盟国へと避難を終えている。

この場に残るのは、帝都と共に最期を迎えることを覚悟した戦士たちだけ。

死を目前にしながらも、彼らは互いの絆を確かめ合うように酒を酌み交わし、そして──シェーンヴェルの舞踏に見入っていた。


「……」


アドリアンはただ黙って、彼女の舞踏を見つめていた。

純白のドレスが空間を切り取り、乱れた髪がシャヘライトの光を散りばめる。


(あぁ、そうか。やっと分かった)


普段は尊大に振る舞い、自らが世界一美しいと信じて疑わない彼女。

だがその美しさは、決して自分のためだけのものではなかった。

彼女は自らの美しさという光で、この世界を照らし続けようとしているのだ。


(まさに、輝美公の名に相応しい人だ)


その理解が、アドリアンの心を強く揺さぶる。

気付けば、彼の足は自然と彼女の元へと向かっていた。

大広場の中央で一人舞う彼女へと、光に導かれるように──。


「気高き貴婦人よ。そのように酔っておられては、その優美な舞踏も台無しになってしまいます。さぁ、この私めの手を」


くるりと回っていた舞踏が止まり、シェーンヴェルは酔い潰れた瞳でアドリアンを見上げた。


「まぁ、あなたったら~。もしかしてぇ、この私を口説こうというの?英雄さんとはいえ、人間の子供が美しき公爵様を?あはは!なんて面白いのぉ」


シェーンヴェルの甘ったるい声に、周囲の戦士たちが思わず吹き出す。

しかし、アドリアンは優雅な微笑みを浮かべたまま、片膝をつき、深々と一礼する。


「おっしゃる通り。貴女の美しさに、この身は光に魅入られた虫のように、抗えずに参上致しました。この不器用な虫けらにご慈悲を」


シェーンヴェルは酔った目で愛らしく瞬きをしながら、アドリアンを子供を見るような目で見つめる。


「そうねぇ……あなたもう少し『渋み』を出してからいらっしゃい?もう少し年齢を重ねたら、この美しき公爵様のお相手もしてあげなくもないわぁ」

「おや、これは厳しい玉砕でしたね。この身の未熟さを痛感致します」


アドリアンの軽やかな言葉に、シェーンヴェルは優雅に扇子を開く。


「だってぇ、人間もドワーフも、男も女も……みんな年を重ねてこそ本当に美しくなるものなのよぉ?そんなことも分からない子供には、この私の手は重すぎるわぁ」


そう言って彼の誘いを断ると、シェーンヴェルは再び一人で舞い始める。

純白のドレスが月光を浴びて輝き、シャヘライトの光が彼女の周りで舞う。それはまるで、気高き舞姫を祝福する精霊たちの光のように……。

アドリアンと戦士たちは、ただ黙って彼女の舞踏を見つめていた。




♢   ♢   ♢




「モグラ共を行かせるでない!挟み撃ちにして焼き殺せ!」


魔王軍の指揮官の咆哮が地底都市に轟く。

帝国の軍勢は一丸となって地上を目指し突き進むが、狭い通路に魔族の軍勢が押し寄せてくる。前方からは新手の軍勢が、側面からは無数の魔族が際限なく攻め寄せてくる。


「ふん、戦術など知らぬ劣等種が……。無謀な突撃など、死に場所を求めているようなものよ」


魔族の魔法使いたちが隊列を組み、青白い魔力を溢れさせる。

彼らの額に生えた角が不気味な輝きを放ち、その先端から禍々しい魔力が渦を巻き始めた。一斉射撃の構えだ。


「──うてい!」


無数の魔法陣が虚空に浮かび上がり、凄まじい炎が吐き出される。

鉄をも溶かし、骨すら焼き尽くすほどの灼熱が、通路を埋め尽くしていく。地獄の業火のような炎の渦が、ドワーフたちを飲み込んでいく。


しかし──。


「な……!?」


魔族たちの驚愕の声が上がった。


「この程度の炎に……我らが屈すると思ったか……!」


ドワーフの戦士たちは、一歩も退かない。

皮膚が焼けただれ、鎧が溶けても、彼らは仲間の盾となって前進を続ける。肉が焼き焦げ、血が沸騰しようとも、その足は決して止まることはない。

灼熱の中を、彼らは前へ、前へと。

鉄のように強固な意志で、炎の壁を突き進んでいく。


「なんてやつらだ……化け物か!?」


魔族の驚愕の声が響く中、焼け焦げた体で戦士たちは魔族の兵を薙ぎ倒していく。その姿は、まさに地獄から蘇った亡者の軍団のようで、魔王軍の兵士に動揺が奔った。


だが──。


次々と、その体は力尽き、倒れていく。

最後の一撃を放った後、静かに、しかし確かな誇りを胸に抱きながら。


「英雄よ……あとは……頼む……」


そう呟いて倒れる戦士の顔には、安らかな笑みが浮かんでいた。

そんな戦士たちの声に呼応するように、一筋の光が閃く。


「はぁーっ!!」


英雄アドリアンの剣が、魔族の陣形を切り裂いていく。

彼の放つ魔法と剣閃が交差し、光の雨のように魔族たちを薙ぎ倒していく。


「くそっ、アドリアンか……!全軍、一旦後退せよ!だが攻撃の手を緩めるな!数で圧倒するぞ!」


魔族の指揮官の怒声が響き渡る。

アドリアンは歯を食いしばりながら、次々と襲い来る敵を両断していく。


(このままじゃ厳しい……。数が多すぎる。このペースじゃ帝国軍を地上まで導くことができない)


アドリアンの瞳に迷いの色が見える中、不意に──一陣の風が吹き抜けた。


輝美公シェーンヴェル。


その姿は、昨夜の酔態とは打って変わって凛として、女王のような気品を漂わせていた。


「──英雄さん。この程度の敵にまごついているなんて、評判に聞く英雄らしくないわね?」


シェーンヴェルは、この地獄のような戦場ですら、舞踏会にいるかのように優雅に身を翻す。

彼女の周りには青く輝く魔法の結晶が舞い、その軌跡は芸術的な光の螺旋を描いていく。


「さっさと敵の大将の首を取ってきなさいな。私?ええ、ここで『優雅』に踊り続けるわ。だって、地上にはもっと魔族がいるんでしょう?そんな疲れそうなところに行きたくないもの」


その皮肉めいた言葉に呼応するように、銀と青を基調とした鎧に身を包んだ騎士団が、まるで一糸乱れぬ舞踏のように剣を掲げる。


「美輝騎士団、突撃!」

「我らが最後の舞台、美しく飾り上げましょう!」


彼女たちの声には、もはや恐れも迷いもない。ただ、最期の時を美しく彩ろうとする、気高い覚悟だけが満ちていた。


「シェーンヴェル、でも」


アドリアンが言葉を紡ごうとした時、彼女は優雅に人差し指を立て、彼の唇に「しーっ」と静かに押し当てる。


「私が疲れないうちに早く戻ってきなさい。そうすれば……昨夜断った貴方の手を、取ってあげないこともなくてよ?」


その皮肉めいた言葉に、どれほどの想いが込められていたのか。

アドリアンは一瞬顔を伏せ、そして──瞳を開く。その眼差しには、もはや迷いの色は微塵もない。


「輝美公!戻ってきたら、貴女に最高の愛の言葉を紡いであげますよ!少しだけ、待っていてください!」


いつもの調子を取り戻したアドリアンは、帝国軍の先頭へと躍り出る。

彼の姿が軍勢を導くように、まるで光となって前方へと突き進んでいく。

その背中を見送りながら、シェーンヴェルは柔らかな微笑みを浮かべた。


「まったく、生意気な子供ね。私に愛の言葉なんて……50年は早いのよ。いえ、100年かしら」


そうして、シェーンヴェルと美輝騎士団は、後方から押し寄せる魔族の大軍を前に静かに構える。

純白のドレスが地底の風に揺れ、彼女の周りには青く輝く魔法の結晶が、最期の舞踏のように優雅に旋回していく。


「さぁ、来なさい無粋な魔族たち」


シェーンヴェルは扇子を優雅に開き、その先端から青白い光が放たれ、そして……。


「この輝美公が、本当の『美』を見せてあげましょう──」




♢   ♢   ♢




広大な地下帝都を、アドリアンはゆっくりと歩いていた。

戦いの爪痕は至る所に残され、無数のドワーフと魔族の亡骸が、過酷な戦いの証のように横たわっている。

無人となった街並みには、もはや笑い声も歓声も響かない。


「……」


そして彼は、その場所に辿り着いた。

優美な鎧に身を包んだ騎士たちが、最期の舞踏を踊り終えたかのように、美しく倒れ伏している。


──そして、その中心で。


華やかな騎士団に守られるように、シェーンヴェルの姿があった。

荒れ果てた戦場の中で、豪華な装飾は泥と血に塗れ、自慢の美貌は傷痕で歪められ、完璧だった姿は跡形もない。


「あら……遅かったわね。遅刻よ……」


かすかな声が、虚ろな空間に響く。


「シェーンヴェル……ごめん、ごめんよ……」


アドリアンは静かに彼女の体を抱き起こす。

その指先が感じ取る生命の灯火は、今にも消えそうなほどに弱々しい。こうして言葉を交わせているのが、奇跡とさえ思えた。


「ふふ、私ったら、随分と『みっともない』姿になってしまったわね……」


震える手で、彼女はアドリアンの頬に触れる。

その指先から伝わる温もりは、あの夜、大広場で酔って踊った時と同じように優しかった。


「私は……世界一美しくないと……いけないんだもの……」

「シェーンヴェル……貴女は美しい。今この瞬間が、俺の見た中で一番輝いている。世界を想う君の心が、こんなにも眩しく……あぁ、ごめんよ。気の利いたことを、言えなくて」


アドリアンの声が震える。取り繕うことも、皮肉めいた言葉も、もはや意味をなさない。

ただ純粋な、偽りのない想いだけを紡ぎ出す。

シェーンヴェルは、その言葉に慈しみに満ちた微笑みを浮かべた。

震える手で、彼女は自分から見ればまだ幼い英雄の頭を優しく撫でる。


「ふふ……本当に、気の利かない子ね。でも──久しぶりに、素顔を見せられてよかったわ」


崩れ落ちた柱の間から差し込む光が、シェーンヴェルの髪を静かに照らしている。


「俺が遅れたせいで……貴女の手を取れなかった……」


アドリアンの声が虚ろに響く。


「そうよね……結局、私の手を取れなかったわ。意地の悪い女ね、私って。最後まで貴方を焦らしてしまったわ」


彼女は最期の一瞬まで、微笑みを絶やさなかった。その表情は、まるで年若い英雄を見守る祖母のような慈愛に満ちていた。


「でも……それが人生というものよ。大切な勉強になったでしょう?ね、英雄さん……」


震える手から、徐々に力が抜けていく。

シェーンヴェルの唇が、最後の言葉を紡ぐ。


「私も勉強になったの……本当の美しさは、外見じゃなくて……内にあるものだったのね。それを最後に、貴方と……話せてよかった」


その言葉と共に、彼女の手が静かに滑り落ちる。

しかし、その顔には穏やかな微笑みが浮かんでいた。

化粧も、装飾も、虚飾も全て失われた彼女の姿。傷つき、汚れ、歪められた姿。

この世界で彼女が思い描いていた『美』とは、かけ離れた最期。


けれど──。


だが、その表情には、アドリアンが見たことのない、最も気高く、最も美しい輝きが宿っていたのだ──。




♢   ♢   ♢




「……」


光の粒子が舞い散る中、アドリアンの意識は静かに現実へと戻っていく。


──彼は今、シェーンヴェルと手を取り合い、戦場を舞踏会の会場へと変えていた。


ワルツを奏でるように踊りながら、アドリアンの放つ魔法がシャドリオスを切り裂いていく。

その魔法に呼応するように、シェーンヴェルの青い魔法が優美な弧を描き、とどめを刺していく。


「如何でしょうか?この不肖な従僕めとの舞踏は」


アドリアンが優雅に問いかけると、シェーンヴェルは扇子で顔を半分隠しながら微笑む。


「まぁ、60点といったところかしら。贅沢を言えば、もう少し優雅さが欲しいわね」


優美に舞う二人の姿に、騎士団も、民衆たちも、ただただ息を呑んで見入っている。

その舞踏が描く光の軌跡に触れたシャドリオスたちは、まるで美しさに焼き尽くされるかのように消えていく。


「ところで、貴方ったら──もしかして私に首ったけ?私の美しさに魅せられてしまったのかしら?」


舞踏の最中、彼女は意地の悪い笑みを浮かべながら尋ねる。

アドリアンは優しく、しかしどこか懐かしむような表情を浮かべて応えた。


「えぇ、惚れていますよ。それはもう、何十年も前から……」


予想外の答えに、彼女はきょとんとした表情を浮かべ、首を傾げる。

その仕草は、世界一の美姫というより、純真な少女のようですらあった。

思わずアドリアンは苦笑を漏らす。


「いつぞやの『渋み』を出せ、というお言葉の通り……年齢を重ね、貴女様の手の重みに耐えられる男になって参りました。如何でしょう?私をパートナーにしてみては」


アドリアンの意味深な言葉に、シェーンヴェルは困惑の色を深める。

そして不意に、「こほん」と咳払いをすると、扇子で顔を隠すように言った。


「ま、まぁ……なんでか知らないけど、若いのに『渋み』はありそうね。でも残念だけど──貴方の大切なお姫様が、私に嫉妬しちゃうでしょう?メーラが可哀想だわ。まぁ、彼女がいなかったら、考えてあげなくもなかったけどね」


その言葉には、いつもの皮肉めいた色が混ざっていた。


「おっとフラれてしまいましたか。今回は間に合ったからいけると思ったのですが……残念、やはり人生というのはままならないものだ」

「ふふ。そうよね。人生って意地悪なものよ。ちょっと、お姫様に遅れを取っちゃったみたいね、私?」


その言葉には皮肉めいた響きの中に、どこか優しさが滲んでいた。

まるで、アドリアンとメーラの関係を温かく見守るような……。

二人の会話が終わる頃には、周囲のシャドリオスは美しい光の渦に呑まれ、跡形もなく消え去っていた。

そして、彼らのワルツが終わりを告げた瞬間──。


「シェーンヴェル様!なんて美しい戦いなんでしょう!」

「英雄様との踊るような殲滅劇……あぁ、この光景は一生忘れられん……!」


歓声が大広場に響き渡る。

その歓声の中、アドリアンとシェーンヴェルは最後の一礼を交わした。まるで、長年の約束を果たし終えたかのように──。


「むーっ……」


ただ一人、メーラだけが頬を膨らませて、その美しい舞踏を睨んでいた。


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