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第八十一話

シャヘライトの結晶が幾重にも連なった天井から、柔らかな光が降り注ぐ。

地上の太陽を模したかのような温かな輝きは、この地下都市でも一際美しい空間を生み出していた。

優美な噴水が立ち並び、その周りを取り囲むように咲く結晶の花々。魔導技術と芸術が融合した建造物は、まさに「美」を具現化している。


いや──かつては、そうであった。


「きゃああぁぁぁ!」


悲鳴が響き渡る。

優雅な歩廊を埋め尽くすように、漆黒の影が蠢いていた。

それは人の形を模しているようで、しかし明らかに「人」ではない。

真っ黒な体躯からは粘液のようなものが滴り落ち、その一滴一滴が床を溶かしていく。


「逃げろ!早く!」

「Grrr……」


警備兵たちの叫び声が虚しく響く。

彼らの放つ魔導砲も、刃も、漆黒の化け物たちの前では無力だった。

触れられた武器は瞬く間に闇に呑まれ、握っていた手まで蝕まれていく。


「な、なんなんだこの化け物たちは……!?」


シャヘライトの灯りが次々と消えていく。

地下とは思えない芸術的な空間が、醜く歪められていく光景に、民たちは悲鳴を上げて逃げ惑うばかりだった。


「誰か!あの子を助けてぇ!」


混乱の中、一人の少年が転んでしまう。

その背後に、人の形を成した「影」が忍び寄る。

少年の母親が叫び声を上げた時──。


「我が領地で何をしているのかしら?」


凛とした声が響き渡る。その声には、いつもの尊大さはない。代わりに、確かな威厳が宿っていた。

回廊の先から一筋の光が差し込み、そこには一人の女性が佇んでいた。


──美輝公シェーンヴェル。


「さすがに度し難いわね。こんな醜い化け物たちに我が美しい領地を荒らされるのは」


シェーンヴェルが右手を優雅に掲げると、彼女の周りに魔力の結晶が浮かび上がる。

それは透明な氷のような輝きを放ち、彼女の纏うドレスの装飾の一部であるかのように美しく旋回していく。

その光景は、戦いの場面とは思えないほどに優美で──しかし、その美しさの奥には冷徹な殺意が秘められていた。


「私の領地を穢すなんて──最高の罰を与えてあげましょう」


魔法陣が重なり合い、螺旋を描きながら輝きを増していく。


「giiii……!?」


そして、次々と魔法陣が光を放ち、シャドリオスたちを飲み込んでいく。

青い光の結晶は、氷の華が咲き誇るように美しく拡大し、漆黒の影を凍てつかせていく。

その様は、まさに芸術作品のように美しく、化け物たちの醜さを際立たせていた。


「シェーンヴェル様がいらしてくださった!」

「た、助かったのか……?」


領地の民たちから安堵と喜びの声が上がる。その時、廊下の向こうから整然とした足音が響き始めた。

銀と青を基調とした優美な鎧に身を包んだドワーフの騎士団が、舞踏会に向かうかのような優雅な足取りで姿を現す。


「まぁ」


シェーンヵェルは魔法を操りながら、わざとらしく溜め息をつく。


「遅かったわね。貴方達ったら、また鎧の艶出しに夢中になってたのかしら?まったく、見られる前提の戦いなら、それも許してあげなくもないけれど……」


皮肉めいた言葉とは裏腹に、その声には微かな安堵が混じっていた。


「シェーンヴェル閣下に続け!」


騎士団長が凛々しく剣を掲げる。その鎧は確かに、戦場とは思えないほどに美しく輝いていた。


「優雅に、そして美しく敵を殲滅せよ!我らが美の騎士団の名にかけて!」


整然と並んだ騎士たちは、ダンスの振り付けのように美しく剣を振るい、次々とシャドリオスに襲いかかっていく。


「う~ん」


シェーンヴェルは豪奢な扇子を煌めかせながら、不満げに唇を尖らせる。


「貴方たち。もう少し『美しく』民を守れないかしら?その剣さばき、料理人が肉を切り刻むみたいで趣味が悪いわ。私の領地なのよ?もう少し優雅に、芸術的に──ね?」


皮肉めいた言葉を投げかけながらも、その眼差しは真剣そのもの。

アドリアンによって歪んだ呪いは解かれたものの、彼女の根底には変わらぬ信念があった。

美しさこそが、人々に安らぎを与える──。それは狂気めいた強迫観念ではなく、彼女の揺るぎない美学となっていた。


「ふぅ、この調子じゃ私の領地の美観が台無しになってしまう──」


そう唸っていた時。

刹那、一陣の閃光が階層に差し込んできた。

太陽が地底に降り立ったかのような眩い光が、シャドリオスたちを貫いていく。


「な、なんだ!?」


眩い光が収まると、そこには一人の青年の姿があった。

シェーンヴェルや騎士団、そして民たちが唖然と見つめる中、アドリアンは外套をはためかせながら、堂々と佇んでいた。


「少し派手に登場しちゃったかな?まぁ、オシャレな階層だしこれくらいが栄えるよな」


その飄々とした物言いに、シェーンヴェルは思わず目を細める。

アドリアンは腕の中で抱きかかえていたメーラを、宝物を扱うかのように優しく地面に降ろす。

そしてメーラは──漆黒の瞳に凛とした光を宿し、民たちの前に立った。


「皆さま!皇帝陛下がこの魔族の姫メーラと英雄アドリアンをここに遣わしました!どうか動揺なさらずに、避難してください!」


その凜とした声に、民たちからどよめきが起こる。


「シェーンヴェル様に加えて、なんと英雄様まで……!?これは神々のご加護よりも心強いというものだ!」


歓喜の声が響く中、アドリアンはゆっくりとシェーンヴェルの前に歩み寄る。

そして──舞踏会での挨拶のように、優雅に片膝をつき、深々と一礼した。


「輝美公シェーンヴェル様。この身、再びお側で働かせていただきますよ」


その仕草には、先日まで見せていた執事としての気品が、そのまま英雄の凛々しさと重なり合っていた。


「そう……陛下は大丈夫なのね。……それで?私の執事がこんなに遅れるなんて。お化粧直しでもしていたのかしら?」


シェーンヴェルは扇子で顔を半分隠しながら、意地の悪い笑みを浮かべる。


「申し訳ございません。ですが、代わりにこの不肖な従僕めが、最も美しい舞踏をお見せしましょう。きっと閣下のお眼鞼にも適うはず」


アドリアンはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

その瞬間──彼の姿が視界から消え失せる。


「!?」


閃光のような速度で戦場を駆け抜け、シャドリオスの群れの中へと躍り込んでいく。

その動きは戦いというより、舞踏そのもの。外套が描く軌跡が、薔薇の花びらのように優美に宙を舞う。


「これ、借りるよ!」

「え?」


一瞬の隙を縫って、アドリアンは騎士の槍を軽々と抜き取る。その瞬間、槍は彼の手の中で生命を得たかのように輝きを放ち始めた。

その槍は、アドリアンの手の延長であるかのように自在に舞い、完璧な調和を生み出していく。

アドリアンが織りなす軌跡は、光の糸で空間を紡ぐかのようで──


「──」


──光が、踊っている。


シェーンヴェルはただ黙って、その光景を見つめ続けていた。

かつて、自分こそが最も美しい存在だと信じ、その美を保つことだけに心を奪われていた。

それは呪いによって歪められた執着ではあったが、同時に彼女の誇りでもあった。


だが、今──。


アドリアンが織りなす光の舞踏は、彼女の美意識すら凌駕していく。

それは戦いでありながら芸術であり、殺戮でありながら浄化の儀式のようで……。

漆黒の化け物たちが消えゆく様さえも、夜明けに溶けゆく闇のように美しく見えた。


シェーンヴェルの瞳が、真珠のように潤んでいく。


「──なんて、うつくしいの」


その呟きには、これまでの高慢さも虚飾も消え失せ、ただ純粋な感動だけが込められていた。

それは幼い少女が初めて見る御伽の国のような、素直な驚きに満ちた言葉だった。


「ふぅ──これくらいの優雅さでないと」


アドリアンは 借りた槍を、ダンスの締めくくりのように美しく回転させながら元の騎士に返す。

そして、シェーンヴェルの元へと戻ってくると──


「シェーンヴェル閣下の領地にはそぐわないでしょう?」

「な、なんて華麗な槍捌きなんだ……?」

「すげぇ……これが、英雄の力……」


歓声が響き渡る中、アドリアンに跪かれたシェーンヴェルは、震える声で何かを言おうとした。

その瞳には、まだ先ほどの光の残像が焼き付いている。

だが──。


「おや、でもまだシャドリオスが残っていますね──では」


アドリアンが立ち上がり、シェーンヴェルに向かって静かに手を差し出す。

その仕草には、戦場とは思えないほどの気品が漂っている。

差し出された手は、まるで遥か昔からの約束を果たすかのように、凛として、美しかった。


「この私めと、優雅な舞踏を踊っていただけますか──?我が麗しき美輝公様」


その言葉には、いつもの皮肉めいた色合いはない。

代わりに、深い敬愛の念と、確かな誓いの色が込められていた。


「え……?」


一瞬の躊躇い──そしてシェーンヴェルの表情が、今までに見せたことのないような柔らかさを帯びる。

ドワーフらしい小柄な体躯も相まって、まるで初めての舞踏会に招かれた少女のような、あどけなさすら感じさせた。

彼女は静かに、おずおずとした仕草で自らの手をアドリアンの掌に重ねる。

その手の温もりは、かつて──はるか遠い記憶の彼方で感じたものと、まったく同じだった。

アドリアンの脳裏に、一枚の光景が蘇る。

──それは前世の記憶、戦いの前夜の尊い光景。そして……最後の煌めき。


(あぁ……ようやく、この手を取れた──彼女の、この小さな手を……)


アドリアンの意識が、ゆっくりと遠い記憶の中へと沈んでいく──。


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