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第八十話

──それは、遥か昔の記憶。


帝都の地上には、黒い絨毯を敷き詰めたかのような魔族の大軍が押し寄せていた。

援軍の到着まで、数日。

しかし、その数日すら持ちこたえられないことは、誰の目にも明らかだった。

そんな絶望的な状況の中──。


「こんな時こそ、最高の酒を飲もうじゃねぇか!」

「そうだそうだ!皆で飲んで騒ごうぜ!」


帝都の宮殿前にある酒場は、戦士たちの笑い声で溢れかえっていた。

地面を叩く音、杯を掲げる声、粗野な歌声が響き渡る。


「ドワーフってのはな」


アドリアンは苦笑を浮かべながら、街灯に寄りかかっての光景を見つめていた。


「いくら高貴な身分でも、いくら偉ぶっても、根っこの部分は変わらねぇんだ」


豪快な笑い声を上げながら、戦士たちは酒を煽る。

魔族の大軍を前にしても、彼らの表情には恐れの色など微塵もない。

むしろ、これから始まる壮大な祭りにでも参加するかのような、昂揚感すら漂わせている。

それがドワーフという種族。

豪快で、諦め知らずで、そして──


「どうせ最後の夜かもしれねぇんだ。ここはひとつ、皆で秘密の暴露大会ってのはどうだ?」


その一言で、の空気が一変する。

酔いに任せた戦士たちが、次々と秘密を暴露し始めた。


「実はよぉ、俺、嫁に内緒で貯金使って武器買っちまってんだ!」

「へへっ、俺なんか昔、隣の娘に告白する時に緊張で気絶しちまったぜ!」


爆笑の渦が広がる中、次の順番は──魔環公ザウバーリング。


「さすがの公爵様は、こんなバカげた真似には付き合わねぇだろ」

「そりゃそうだ。あの高貴な方が……」


しかし、普段の澄ました態度が嘘のように、ザウバーリングは酒に赤らんだ顔で立ち上がった。


「へっ……俺だってなぁ!」


彼は普段の優雅な口調を完全に崩し、豪快に言い放つ。


「子供の頃にやらかした失敗を話してやるよぉ!?魔法の実験で髪を真っ赤に染めちまって、一週間も部屋に引きこもってた事があるんだぞぉ!」


一瞬の静寂の後、が割れんばかりの爆笑に包まれる。


「はっはっは!なんてこった!」

「げははは!信じらんねぇ!」


しかし、酔いに任せたザウバーリングの暴露は、まだまだ続いていった。


「待てぇい!まだまだあるぞ!」


彼は魔導リングを煌めかせながら、さらに声を張り上げる。


「実はな!今でも密かにミニチュア魔導人形を集めてるんだ!部屋に戻ったら『今日も可愛いね』なんて話しかけてるのよぉ!でもな!でもな!」


ザウバーリングは片手で机を叩きながら、もう片手で酒杯を掲げる。


「公の場では『男らしく』振る舞わなきゃって、必死こいて澄ました顔してんだ!あぁ、なんて照れくさいんだ!でも、いいよな!もう……エレノアもいないんだからさ……」

「うおおお!魔環公様の意外な素顔だぁ!」

「まさか、あの気難しい公爵様がぁ!?」


ザウバーリングは周りの歓声に気を良くしたのか、さらに大きな声で続ける。


「最後にぃ、もっと凄いの教えてやるよ!寝る時は、ぬいぐるみを抱いて寝てんだ!名前までつけてんだぞ!『ミス・フラッフィー』!皇国で買った、このぉ~くらいのウサギのぬいぐるみなんだぁ!」


彼の両手で大きさを示すしぐさに、は最高潮の盛り上がりを見せていた。


「……」


そんな光景を、アドリアンは静かに見つめていた。

酔いに身を任せ、戦士としての仮面を脱ぎ捨てたドワーフたち。

その無防備な笑顔には、生きとし生けるものの尊さが満ちていた。


(あぁそうか。普段の貴方たちは、皆『仮面』を被っていたんだね)


アドリアンの瞳に、深い慈しみの色が宿る。

生と死の境界線で、最後の時を笑顔で過ごそうとする者たちの姿に、彼は限りない愛おしさを感じていた。




♢   ♢   ♢




漆黒の影が、大河の如く地下帝都へと流れ込んでいく。

通路という通路を埋め尽くすように、魔族の軍勢が押し寄せていた。


「迎撃用魔導機械兵、展開!」


複数の魔導機械兵が整然と横一列に並び、光の弾幕を張り巡らせる。

通常ならば、肉を割き、骨を砕き、魂すら焼き尽くすその光線群は──


「なんとくだらん玩具か」


壮年の魔族の指揮官が、氷のような声で呟く。

彼の額から生えた角が不吉な輝きを放ち、その周りの空間が歪み始め、次の瞬間には魔導機械兵は粉々に粉砕された。

魔導結晶の破片が宙を舞う中、魔族たちは嘲笑の声をあげる。


「これがモグラ共の誇る技術か。所詮、虫けらの作り物だな」

「はは、こんなもん魔族の子供すら殺せねぇよ」


角を生やした魔族の軍勢が、不敵な笑みを浮かべながら進軍していく。

彼らの額に生えた角は淡く不気味な光を放ち、その一つ一つが強大な魔力を蓄えた証だった。


「ここは通さねぇ……!」


ドワーフの戦士たちが戦斧を振り上げ、突撃を仕掛ける。

しかし、魔族たちはその突撃すら物ともしない。 一閃の魔力によって、重装備の戦士たちが次々と吹き飛ばされていく。


「魔導砲、一斉射撃!」


魔導機械兵が一斉に魔力弾を放つも、それすら魔族の指揮官の片手の動きで、まるで水流のように逸らされていく。

地下帝都に、戦士たちの叫びと機械の軋む音が響き渡る。その音は、帝国の防衛線が次々と崩れ落ちていく音でもあった。


だが、その時である。


「し、将軍!敵の軍勢が……」


魔族の兵士の一人が指揮官へと言った、その瞬間──。


「がっ……!」


魔族の胸を一筋の青白い光線が貫いた。

目の前でその光景を目にした将軍は動じずに、しかしゆっくりと魔法が放たれたであろう空中へと顔を向ける。


「──随分と不作法な害虫どもだ。誰の許可を得て、この帝都に足を踏み入れた?」


そこには魔環公ザウバーリングの姿があった。

深い藍色のローブには金糸で魔法陣が刺繍され、肩には宝石を散りばめた装飾が輝いている。指には十個の魔導リングが青く煌めき、膨大な魔力を迸らせている。


「ほぅ、魔環公か。これはベゼルヴァーツ様に良い手土産が出来たな」

「手土産?ああ、貴様の遺骨のことか。だが残念だったな、今から貴様らを骨まで燃やし尽くしてやるから、別の手土産を考えておくがいい」


次の瞬間──。

魔環公の指輪が眩い光を放ち、空間そのものが歪み始める

無数の魔法陣が宙に浮かび上がり、天蓋のように広がっていく。


「これが帝国最高の魔導師の力だ。目に焼き付けろ!」


その言葉と共に、魔法陣から放たれた光の奔流が魔族の軍勢を呑み込んでいった。

漆黒の闇を青白い光が貫き、轟音と共に地下帝都が揺れる。


「くっ……流石に公爵ともなるとモグラでも凄まじい魔力を持っている……だが、所詮は一人……!」


魔族たちが、宙に浮くザウバーリングを睨み付け、角から漆黒の魔力を溢れさせる。

しかし、その時──。


「高貴なる公爵さまが一人で戦場にいるわけないだろ?少しは考えたらどうだい、魔王軍の諸君!」


透き通るような声が響き渡る。その瞬間、魔族たちの身体が戦慄に包まれた。

この声。そう、この声は──。


アドリアン!


その名を認識した時には既に遅かった。

眩い光が空間を切り裂き、まるで流星の雨のように魔族たちを貫いていく。

魔族たちの放つ防御魔法が、紙のように引き裂かれていった。一瞬の閃きが、魔王軍の前線を薙ぎ払っていく。


「おいアドリアン!この私の見せ場を奪うんじゃない!」


空中から聞こえるザウバーリングの怒声にアドリアンは、戦場を舞いながら応えた。


「これは失礼!ところで公爵様、昨夜の『ミス・フラッフィー』の話は……」

「うるさい!今はそんな話をしている場合ではない!」


ザウバーリングの怒声と共に、魔導リングから放たれた光の奔流が魔族の群れを薙ぎ払う。

一方のアドリアンは、まるで舞うように剣を振るい、次々と襲い掛かる魔族たちを両断していく。


──その時、雄々しい叫びと共に、ドワーフの軍勢が両側から駆け抜けていく。

彼らの表情には昨夜の酒宴の名残など微塵もなく、鬼気迫る戦意に満ちていた。


「押し切れ!魔環公とアドリアンが援護してくれる!」

「魔導機械兵、前進せよ!」


戦士たちは地響きを立てて突撃し、魔導機械兵の轟音が帝都に響き渡る。

その奇妙な光景を見た魔王軍の将が、アドリアンとザウバーリングの意図を悟った。


「貴様ら、わざとここで足止めを……!?おのれ、小賢しいわ!モグラ共を地上に出させるな!」


魔族の将が咆哮を上げ、配下の魔族たちに命令を下す。

だが、その声が響き渡った時には既に遅かった。

ドワーフの軍勢は、練り上げられた計画通りに、魔族の包囲を突き破って進軍していく。


「貴様ら、大公様を狙うつもりか……!そうはさせるか!」


魔族の将が怒りの形相で角から邪悪な魔力を放出し、巨大な火球を掌に産み出す。

それをドワーフたちの軍勢へと投げつけるが──。


「まったく、何度同じ愚行を繰り返せば気が済むのかね?この魔環公がいる限り、軍勢には指一本触れさせんよ。下等生物には学習能力も欠如しているということか」


彼は両腕を優雅に広げ、まるで交響曲を奏でるかのように指を踊らせた。

指輪の光が次々と連鎖し、その軌跡が空中に美しい紋様を描いていく。

火球が彼の指揮に呼応するように凍てつき、氷の彫刻のような姿となって、そして──粉々に砕け散った。


「魔環公に続け!帝国魔法兵団の意地を、見せてやれ!」


その号令と共に、魔環公の弟子たちが一斉に魔法を放つ。

白髪の老魔導師が杖を掲げ、魔力の竜を放ち、気品ある女性魔導師の扇から、氷の結晶が放たれ、可愛らしい少年魔導師が魔導書を広げ、光の矢を放っていく。

師の織りなす交響曲に、弟子たちの魔法が和音のように重なっていくその光景を見て、アドリアンは思わず感嘆の息を漏らした。


「はは、流石だ──」


まるで命の灯を具現化したかのような魔法の数々。

それは単なる破壊の術ではなく、仲間を守るための光そのものだった。

魔導機械兵の存在に隠れがちだが、ザウバーリングの育てた帝国の魔法使いたちは、確かに彼の技法と魂を受け継いでいるのだ。

そんな彼らに見惚れていると、ザウバーリングが意地の悪い笑みを浮かべながら言った。


「我が魔法兵団の美しさに見とれているところ申し訳ないが……こんな所で足を止めている暇があるのなら、さっさと行ったらどうかね?それとも私の弟子たちの魔法に魅せられて、動けなくなってしまったのかな?」


その皮肉めいた言葉には、確かな信頼と期待が込められていた。


「ザウバーリング!帰ってきたら、またぬいぐるみの話でも聞かせてくれるかい?『ミス・フラッフィー』の続きが気になってしょうがないんだ!」


その言葉にザウバーリングは一瞬顔を歪めるも、すぐにフッと優し気な表情を浮かべる。


「貴様というやつは……。こんな状況でもその意地の悪い性格は変わらんのだな。そうだな、次は……今度は貴様の恥ずかしい話を聞かせてもらおうか」


そして、アドリアンは背を向け、ドワーフの軍勢と共に突き進んでいく。

その背中に向かって、ザウバーリングの魔法の光が道を照らすように輝いていた。




♢   ♢   ♢




瓦礫の山と化した帝都を、アドリアンはゆっくりと歩いていた。

かつての賑わいは消え失せ、笑い声も歓声も、もはやどこにも聞こえない。

宮殿は崩れ落ち、かつてドワーフたちと豪快に笑いあった大広場には、ただ虚しく風が吹き抜けていく。


「……ここに、いたんだね。ザウバーリング」


崩れた柱の傍らに、魔環公の姿があった。

指に嵌められていた魔導リングは砕け散り、その体には無数の傷跡が刻まれている。だが、その表情は穏やかで、まるで眠りについたかのようだった。

彼の周りには、最期まで主を守り続けた魔法兵団の面々が横たわっている。

白髪の老魔導師、気品ある女性魔導師、可愛らしい少年魔導師──。彼らは皆、師の元へと集い、そして共に命を散らしたのだ。

最期の交響曲を奏で終えた楽団のように、静かに、そして凛として。


「ザウバーリング……みんな……」


アドリアンの声が震える。彼は瓦礫に片膝をつき、そっと友の冷たい手に触れた。

その時、彼を待っていたかのように、最後の一つだけ辛うじて残っていた魔導リングの輝きが、ゆっくりと消えていく……。


「帰ってきたら、俺の恥ずかしい話を聞くって……約束したじゃないか」


アドリアンの声が、虚しく響く。

あの状況で、寡兵で魔王軍を押し留めようとすれば、こうなることは誰にでも分かっていた。

だけど、この光景を認めたくない。


「こんな最期は、貴方には似合わない。──でも。貴方は最後まで……気位の高い公爵様で、そして誇り高き魔法使いだったんだね」


瓦礫の傍らに、血に塗れた人形が転がっていた。

『ミス・フラッフィー』と呼ばれていたその人形は、ガラスの瞳で虚空を見つめている。


「……」


廃墟に響き渡るアドリアンの嗚咽を、主を失ったぬいぐるみだけが聞いていた。

小さな証人は、最期まで戦った魔環公の誇り高き最期を見届け、そして今、親友を失った英雄の悲しみを静かに見守っている。

ガラスの瞳に映る光は、まるで涙のようにも見えた。




♢   ♢   ♢




──それが、前世の記憶。

アドリアンの思考は、記憶の海から微睡ながら、「今現在」へと舞い戻る──。


「さぁ、誰よりも『男』らしく、誰よりも優雅な、この魔環公ザウバーリングが来たからにはもう安心だ!シャドリオスなんぞ、私の魔法で木っ端みじんにしてやろう!」


前世の悲しい記憶から現実に引き戻されたアドリアンの目の前では、ザウバーリングが満面の笑みを浮かべながら、リリィの頭を優しく撫でていた。

その仕草は、高貴な公爵というよりも、温かな父親のようで……。いや、まさにそれこそが本当のザウバーリングの姿なのかもしれない。


「ザウバーリング卿。突然だけど、俺の恥ずかしい話を教えてあげようか?」

「は?き、貴様は何を言っているんだ?」


突然そんなことを言われ、魔環公は困惑したようにパチクリと目を瞬かせる。

しかし、リリィの腕に抱かれたぬいぐるみだけは、ガラスの瞳でじっとアドリアンを見つめていた。 その小さな瞳に映る光は、まるで前世での約束を思い出したかのように、そして今世での新たな誓いを確かめ合うかのように、静かな輝きを放っていた。


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