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第七十九話

グロムガルド帝国地下帝都──。

上層から下層まで、何十もの階層を持つ巨大な地下空間は混沌に包まれていた。


「うわぁっ!化け物だ!逃げろ!」

「上層へ!上層に逃げるんだ!」


階層と階層を繋ぐ巨大な通路から、悲鳴が響き渡る。

壁から、床から、天井から、次々と漆黒の影が染み出すように現れ、その度に民衆の悲鳴が重なっていく。

上層の商業区画では、露店が倒され、商品が散乱し、シャドリオスの群れが商人たちを追い詰めていた。

中層の居住区では、家々から逃げ出す民たちを、異形の獣が執拗に追いかけ回す。

下層の工業区画では、鍛冶職人たちが工具を武器に変えて応戦しながらも、次々と押し寄せる闇の軍勢に圧倒されていく。


「だめだ!上からも、下からも化け物が沸いてきて……!」

「このままじゃ皆死ぬぞ!」


混乱は瞬く間に帝都全体へと広がっていった。

魔導エレベーターは停止し、階段は人で溢れ、通路は逃げ惑う民衆で埋め尽くされる。

そんな中──。


「撃てぃ!魔導砲、発射!」


轟音と共に、漆黒の影が吹き飛ぶ。

魔導機械兵が民を守るように立ちはだかり、シャドリオスの群れに魔導砲を浴びせる。


「機械兵に負けるな!シャドリオスを押し返すんだ!」


戦士たちは各所で応戦し、魔法使いたちは民の避難路を確保しようと奮闘していた。


「Grrrr……」


しかし──それでもなお、シャドリオスの数は際限なく増えていく。

まるで無限の闇から湧き出てくるかのように。

帝都は今や、光と影が織りなす戦場と化していた。




♢   ♢   ♢





帝都地下三十八階層。

巨大な地底農場が広がるザウバーリング家の領地も、戦場と化していた。

かつてアドリアンとメーラによって蘇った豊かな農場に、今や漆黒の影が這い寄る。


「皆さん、こちらです!安全な場所へ!」


エレノアの声が農場に響き渡る。

彼女は懸命に避難路を指示しながら、民衆の誘導に奔走していた。


「エ、エレノア様!後ろに!」


民衆の悲鳴に振り返ると、シャドリオスの兵士が牙を剥いて襲いかかってくる。


「させませんっ!」


エレノアは父から受け継いだ魔導リングを煌めかせ、咄嗟に魔法を放つ。

青白い光が漆黒の影を貫き、一瞬の閃光と共にシャドリオスは消滅した。


「はぁ……はぁ……!」


魔力を使い果たし、膝をつくエレノア。

しかし周囲には、まだ無数の影が蠢いている。


「まだ、まだ私は!」


彼女は震える手で魔導リングを掲げる。

父の領地と、そこに暮らす民を守るため──。


しかし、もはや魔力は限界に達していた。

天井を覆い尽くすように、際限なく湧き出る漆黒の影。

エレノアと民衆の表情から、最後の希望さえ消えかけた、その時──。


十色の光が空間を切り裂いた。


「──え?」


優美な螺旋を描く魔法の結晶が、エレノアと領民たちの周りに壁を作る。

その直後、結晶は無数の魔法の矢となって変化し、押し寄せるシャドリオスの群れを貫いていった。


「こ、これは……」

「公爵様の魔法だ!」


漆黒の影は次々と光の奔流に飲み込まれ、まるで闇が洗い流されていくかのように消えていく。


「ギ……ギィ……!?」


青く、赤く、金色に輝く魔法の渦が、天井まで這い上がった影をも容赦なく消し去り、シャドリオスは断末魔を上げながら消滅していく……。


「この私の領地に湧いてくるとは……どうやら出てくる場所を誤ったとうだな、怪物ども」


幻想的な魔法が収まった後、そこに姿を現したのは魔環公ザウバーリング。

指に嵌められた十個の魔導リングが、まだ余韻のように美しく輝いている。


「お父様!」

「ふむ……調子はどうだね、我が娘よ。まさかこの程度の雑魚に苦戦していたのではないだろうな?」


彼は皮肉めいた調子でそう言いながら、しかし足早にエレノアの元へと歩み寄る。

その表情には、厳格な魔導師の仮面の下に、確かな安堵の色が浮かんでいた。


「おぉ……公爵様だ!」

「ザウバーリング様が来た!もう安心だ!」


歓声が農場に響き渡る。領民たちは皆、彼が一流の魔導士であることを知っている

沸き立つ民衆を前に、ザウバーリングは魔導リングを美しく輝かせながら、笑みを浮かべた。


「我が領地に随分と見苦しい害虫が湧いているようだな。なんとも面倒な話だ」


そして、彼は背後の魔法兵団に向かって皮肉めいた声を上げた。


「さぁて、先の闘技大会で散々な結果を見せてくれた我が情けない弟子どもよ。このような二流の怪物すら倒せないようでは、私の魔法兵団の面汚しも甚だしいぞ?さっさと片付けてみせろ!」


その言葉と共に、彼の後ろに控えていた帝国魔法兵団が空中へと飛び立った。


「闘技大会では無様を晒したが……怪物相手ではヘマをせんぞい!」


白髪の老魔導師が、杖から渦巻く魔力の竜を放ち、シャドリオスの群れを薙ぎ払う。


「魔環公の前で恥をさらすわけにはいきませんわ!」


気品ある女性の魔導師がマントを翻し、氷の結晶がシャドリオスたちを串刺しにしていく。


「僕にだって出来るんです!」


可愛らしい少年が、魔導書を掲げると、無数の光の矢が闇の存在たちを貫いていった。

次々と繰り出される華麗な魔法の応酬に、漆黒の影は瞬く間に消えていく。

魔法兵団の面々は、まるでザウバーリングに認められようと競い合うかのように、それぞれが独創的な魔法を披露していった。


「なるほど。少しは見られる腕前になったか。この奮戦を大会の時に見せてくれればいいものを……まったく」


ザウバーリングは溜め息をつく。

どうやら闘技大会で自身の弟子たちが悉くすぐに敗退したことを、実は苛立たしく思っていたようだ。


「お父様……来て下さったのですね……!」


エレノアの声には、心からの安堵が滲んでいた。

ザウバーリングは苦笑を浮かべ、いつものように皮肉めいた言葉を投げかけようとしたが──。


「!?」


──その時だった。


「Grrr!!!」

「きゃあ!?」


突如として響き渡る悲鳴。

群がる民衆の中から、一人の少女がシャドリオスに襲われようとしていた。漆黒の影が少女に牙を剥き、その爪が彼女に向かって伸びる。


「リリィ!」


エレノアが血相を変えて叫び、必死に手を伸ばす。

ザウバーリングも咄嗟に魔法を放とうとするが、間に合わない。


だが──その瞬間。


「ガ……ガァァァ!?」


眩い光の奔流が空間を切り裂き、シャドリオスを豪快に吹き飛ばした。

青白い光は、まるで生命を持つかのように蛇行しながら、次々と現れる漆黒の存在たちを消し去っていく。


「詰めが甘いなぁ、魔環公さん」


唖然とする民と、エレノアを他所に聞こえてくる軽快な声。

そこには颯爽と外套を翻す人間の英雄、アドリアンの姿があった。


「やぁエレノア嬢!調子はどうだい?せっかく綺麗になった農場に、随分と趣味の悪い虫が沸いちゃったみたいだけど」


魔法の残り香が漂う中、一切の無駄のない動きで少女を抱きかかえたアドリアンは、お茶会にでも来たかのような軽やかさで言った。


「アドリアン……?どうしてここに来た?陛下はどうしたのだ?」

「皇帝陛下なら、民を宮殿に避難させて奮戦してるよ。皇国の騎士団長どのも援軍に加わったから、戦力過多ってことで俺を公爵様方の援軍として派遣したのさ」

「そうか、陛下が貴殿を寄越したのか……」


そんな会話をする二人。唖然とする民衆とエレノアを他所に、アドリアンは相変わらずの飄々とした態度を崩さない。

その横には魔族の姫メーラの姿もあった。彼女は心配そうな表情でエレノアを見つめている。


「皆さん!怪我はありませんか!?」


メーラの声が響く。疲れ果てた民衆が、救いを見出したかのように彼女を囲む。


「ああ、英雄様だ!」

「聖女様も来てくださった!」


民衆が希望に満ちた表情で彼女に縋り付く。

この地下深くで感じた絶望が、一瞬にして光に包まれたかのように。


「聖女様に、アドリアン様まで……なぜこんな地下深くまで?」


エレノアが困惑したように問いかける。


「いやぁ。聖女様の『奇跡』には、アフターサービスが付いてるんでね。出張修理に来たってところかな?」


彼の軽やかな台詞に、エレノアは思わず苦笑を浮かべた。

その表情には、この非常時に冗談を言える余裕すら持つ英雄への、信頼が滲んでいる。


「ごめんね公爵さま。娘にいいとこ見せたかっただろうに、俺が見せ場を奪っちゃって」

「そのような下らぬことなど考えておらぬわ!こんな時も相変わらず無礼なやつだな!」


茶化すような言葉に、ザウバーリングは顔を赤らめながら反論する。

だが、その時、アドリアンの腕の中で少女が小さく震えた。リリィは恐怖が収まらないのか、いまだに涙を流し続けている。


「うっ……ぐすっ……」


それを見たザウバーリングは、泣きじゃくるリリィの元へと歩み寄ると、優雅な仕草でポケットから小さな人形を取り出した。

緑の糸で編まれた森の精霊を模した、愛らしい人形だ……。


「泣くのはもう終いだ。この私が来たのだから、もう何も恐れることはない」


彼は珍しく優しい笑みを浮かべながら、人形を差し出す。


「ほら、この人形でも抱くがいい。森林国の珍しい人形だ」

「え……わぁ……!綺麗……!」


リリィは目を輝かせながら人形を受け取り、大切そうに胸に抱きしめる。

涙に濡れた頬が、少しずつ笑顔へと変わっていく。

その光景を見ていたアドリアンは、優しい笑みを浮かべた。


「ザウバーリング卿、貴方は子供相手には嫌味も出ないすばらしい公爵様だ。ところで何故人形をすぐに取りだせたので?もしや、いつも持ち歩いて……?」

「……うるさい!こんな時の為に人形を持っていただけだ!決して私がいつも人形を愛でているわけではないぞ!」


アドリアンは、ザウバーリングの言葉に懐かしむような表情を浮かべた。


「そうだったね。貴方はいつも──強がりながら、誰より温かい心を持っていた。そう、あの時も──」


アドリアンの瞳が、遠い記憶を追うように細まる。

まるで時が逆流するように、彼の意識は遥か昔の光景へと溶けていく。

かつて、魔族の襲来に揺れた帝国で、一人の魔術師が見せた慈悲の記憶へと──。


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