大広場の片隅。
一人の男が無感情な眼差しで壇上に上がり、演説をする『魔族の姫』を見据えていた。
長いフードの陰に隠された瞳には、感情の欠片すら宿っていない。
「……」
『世界を脅かす怪物、シャドリオスを打倒すること。世界に安全を取り戻すこと。そして──我が魔族を奴隷の身分から解放し、皆様と対等に言葉を交わせる平和な世界を作ること』
メーラの力強い言葉が広場に響き渡る度、男は嘲笑を漏らした。
「──ふん」
その声には、底知れぬ憎悪と、そして何より深い虚無が滲んでいる。
(平和な世界?対等な関係?……そんなものが、存在すると思っているのか)
ノーマの脳裏に、過去の光景が走馬灯のように蘇る。
奴隷として虐げられ、尊厳すら奪われた日々。
そして、『あの御方』に出会い、漆黒の力を授かった時の希望と憎しみ──。
『奴隷という歪んだ制度は消し去り、世界は一つとなって共に戦うのだ。怪物の脅威に対し、手を取り合えば、いつしか国同士の確執も消えていくと、ワシは信じておる!』
皇帝の声が響き渡る中、ノーマは静かに目を閉じた。
(こんな茶番劇を見せられるとはな)
彼の胸の内で、冷たい嘲笑が渦巻く。
遥か遠くの壇上では四人の公爵が、かつての確執も忘れたかのように魔族の少女を取り囲み、聖女でも守護するかのような態度を見せていた。
「なんて美しい光景なんだ……魔族の姫が導く、新しい世界の夜明けだ!」
周囲のドワーフたちの、そんな声が聞こえてくる。
ノーマはそれを一笑に伏し、手を握りしめた。その手には、高純度のシャヘライト結晶が握られている。
(世界を一つにする──?くだらん戯言を)
ノーマは大広場に集う者たちを見下ろすように視線を巡らせる。
歓声を上げ、祝福の言葉を投げかける民衆たち。
これまでの魔族への迫害など、なかったかのように笑顔を浮かべるドワーフを見て、ノーマは拳を握る。
(俺は決して忘れん。この世界で、どれほどの同胞が虐げられ、嘲られ、踏みにじられてきたのかを)
漆黒の霧が、さらに濃く、さらに禍々しく渦巻いていく。
この瞬間を、どれほど待ち望んでいただろう。帝国の重要人物が一堂に会するこの機会を。
(なにが魔族の姫だ。なにが奴隷解放だ。)
──そんなものは、ない。
魔族の国などというものも、虚構の存在だ。大昔には存在したが、既に滅びたのだから。
故に、あの魔族の少女も、彼女が言っていることも……全てが、嘘。
「……」
彼の手の中で、シャヘライトの結晶が不吉な輝きを放つ。
結晶から吸い上げられる魔力が、男の全身を漆黒の霧で包み込んでいく。
(──英雄殿。お前の手際の良さには感心したよ)
彼は大広場の中央、アドリアンへと視線を向ける。
(四人の公爵に仕込んだ『呪い』を、あっさりと払ってくれた。お陰で、当初の計画は全て水の泡となった)
ギリギリ、と男の拳が握られた。 フードの下から覗く瞳には、深い憎悪の色が宿っている。
(機械兵に直接細工をすれば機計公が異常に気付く……だからこそ、操縦者の装備に干渉装置を取り付けて魔導融合を引き起こそうとした。確かに途中までは順調だったが……)
漆黒の魔力が、男の掌から漏れ出す。
計画は完璧だった。
そのはずなのに。
(英雄アドリアン……ッ!たかが人間風情が、この私の計画を……!)
闇の魔力は次第に濃度を増していき、実体を持つかのように男の周りを渦巻いていた。 彼の計画は、あの英雄の存在によって完全に狂わされてしまった。
洗脳魔法も解かれ、魔導機械兵の暴走も防がれ、そして今や帝国全体が連合という道へと向かおうとしている。
(だが、どう足搔こうと結末は変わらない)
ノーマの周囲で、漆黒の霧が激しく渦巻き始める。
シャヘライトが放つ魔力と、黒き主から与えられた力が共鳴を起こし、周囲の空気が一瞬で凍てつくように冷たくなった。
(それに、公爵たちを操り内部崩壊を画策するよりも……この方が、遥かに痛快というものだ)
彼の言葉が闇に呑まれる中、地面から、壁から、天井から、次々と漆黒の影が這い出してくる。
それは人の形を模しながら、決して人とは呼べぬ異形の存在。
獣の姿を借りながら、決して自然界の生き物とは思えぬ化け物。
「さぁ、始めようか──」
ノーマの瞳が、底なしの闇を湛えて輝く。
「行け、【無感の軍勢】よ。この歪んだ世界に、相応しい最期を齎すのだ」
♢ ♢ ♢
「あ……」
歓声が渦巻いていた大広場に、次々と漆黒の影が染み出すように現れ始める。
メーラの周りを、闇の兵士たちと異形の獣が取り囲んでいく。
(足が、動かない……!)
恐怖で硬直したメーラの前で、影の獣たちが牙を剥き、闇の兵士たちが一斉に襲いかかる──。
「メーラ!!!」
アドリアンの声が響いた瞬間、メーラの体が宙を舞う。
「──え?」
轟くような声と共に、一筋の閃光が闇を切り裂いた。
気づけば彼女は、アドリアンの腕の中にいた。お姫様を抱く騎士のように、彼は軽々とメーラを抱き上げている。
「お姫様を狙うだなんて、シャドリオスってのは風情がないな。いや、逆に古典的すぎてあるのかな?」
アドリアンは軽やかな声で言った。しかし、その瞳には鋭い光が宿っていた。
「ア、アド……」
「大丈夫だメーラ。俺が付いてる」
彼はメーラを優しく抱きしめながら、闇の軍勢に向き直る。
その姿は、絵本から抜け出してきた騎士のように、しかし膨大な魔力を放ち、周囲のシャドリオスたちを圧倒している。
「うわあああっ!化け物だ!」
「逃げろ!出口を探せ!」
「か、囲まれてる!?」
天井から降り注ぐ漆黒の影。地面から湧き出る異形の獣。
一瞬のうちに、大広場は阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「おのれシャドリオス……!我が民を、狙ってきおったか……そうはさせんぞ!」
皇帝ゼルーダルは巨体を震わせつつも、その手には巨大な斧が握られ、闘気を全身から漲らせている。
そんな混乱の渦中で──。
「ねぇ、アドリアン」
トルヴィアが、アドリアンに言葉を投げかける。
「もしかしてこれもアンタの『素敵な演出』?もしそうだったら、このハンマーでアンタを叩き潰さなきゃならないけど」
彼女は優雅な仕草でウォーハンマーを構えながら、しかし真剣な眼差しでアドリアンを見据えていた。
「いやぁ、残念だけど」
アドリアンはメーラを抱いたまま、軽やかに返す。
「今回ばかりは、俺の手の届かない所で誰かが勝手に脚本を書き換えちゃったみたいなんだ」
その言葉を聞いて、トルヴィアは心得たように頷く。
そして、巨大なウォーハンマーをブンブンと振り回し始めた。
「──ふぅん、そう」
トルヴィアはウォーハンマーを肩に担ぎながら、笑みを浮かべた。
「なら話は簡単よ。今やるべきことは、ひとつしかないってこと」
彼女は公爵たちに向かって、高らかに宣言する。
「帝国の民は私たちが守る!シャドリオスの化け物どもに、好き勝手させるつもりなんて毛頭ないわ!」
その凛とした声に呼応するように、皇帝ゼルーダルの雄叫びが響き渡る。
「我が誇り高き戦士たちよ!」
皇帝は巨体を正し、戦場の将軍のように叫んだ。
「今こそ我らの真価を示す時!民を守れ!シャドリオスの軍勢から、我らの帝都を守り抜くのだ!」
檄に応えるように、戦士たちの雄叫びが大広場に轟く。
しかし──。
突如、広場に設置された魔導放送機から、警戒システムの緊急信号が鳴り響いた。
「緊急警報発令!帝都防衛網からの一斉通達!」
無機質な機械音が、大広場全体に響き渡る。
「シャドリオスの大規模出現を確認!全階層での発生を検知!更に──魔導センサーより、各公爵領での大規模な闇の反応を観測!」
魔導放送機から次々と放たれる警報に、四公爵たちの動きがピタリと止まった。
我が領地に、シャドリオスが──!?四人の表情に、領民を案じる切迫した色が浮かぶ。
しかし、その思考を払ったのは皇帝の斧が地面にめり込む轟音だった。
「四公爵よ!この場は我等が守護する!お主達は自らの領地へと赴き、領民たちを救うのだ!」
「し、しかし……!陛下を残していく訳には……」
ザウバーリングの声は最後まで紡がれることはなかった。
──轟音が広場を震わせる。
皇帝ゼルーダルの斧が一閃され、その瞬間、空間そのものが引き裂かれていく。
無数のシャドリオスたちが、断末魔の声を上げながら粉々に砕け散っていった。
その凄まじい破壊力に、四公爵たちは勿論、戦士たちも唖然とした表情を浮かべる。
巨大な体躯に秘められた力が、想像を超える威力を示していた。
「なに心配しておる。最強の戦士たるワシが、この場を守り抜こうというのに。さぁ、『皇帝』からの勅命だ。自らの領地へ赴き、民たちを救うのだ!我が誇り高き四公爵たちよ!」
「ぎ、御意!」
その言葉に公爵たちは背筋を正し、各々の領地へと向かっていく。
帝国の最高戦力たる四公爵たちは、後ろ髪を引かれるように大広場を振り返るが──。
「!?」
その瞬間、広場全体が青白い光に包まれた。 無数の光の光線が、天からの祝福のように降り注ぐ。それは星々が零れ落ちてくるかのような幻想的な光景で、シャヘライトの輝きと呼応するように美しく煌めいていた。
「お……おぉ!英雄様の魔法だ!みんな、無闇に逃げ回るな!」
『Grrrrr!?』
その魔法の雨は、シャドリオスたちを容赦なく貫いていく。
漆黒の存在たちは、ガラス細工のように砕け散り、光の粒子となって消えていった。
魔法を放ったアドリアンは、飛行魔法で中央に浮かんでいた。
彼は四公爵たちに向かって悪戯っぽくウインクをする──その仕草には、「ここは任せておけ」という確かな自信が込められている。
「全く……相変わらず派手なやつだ」
ザウバーリングが呟く。十個の魔導リングが、アドリアンの魔法に呼応するように輝きを放っていた。
「でも、今までで一番美麗な魔法ですわ。あんな魔法が使えるのなら、もっと早く見せて欲しかったけど」
シェーンヴェルは扇子で顔を隠しながら、その魔法の美しさを讃える。
「私が計算出来ない魔法……あれこそが、魂の煌めきか」
ベレヒナグルはモノクルの奥の瞳で、魔法の結晶の軌道を追いながら呟き……。
「ヤツならば、安心して陛下を任せられる……!」
アイゼンの声には、確かな信頼が込められていた。
四公爵たちは安心したかのように、青白い光に包まれたアドリアンの雄姿を見上げる。
そして今度こそ、迷いのない足取りで各々の領地へと向かっていった。
「随分と派手な魔法だのう!『英雄』よ!」
皇帝の声が轟く中、アドリアンは意地悪な笑みを浮かべて応える。
「これは皇帝陛下とトルヴィア姫に捧げる花火ですよ。せっかくの演説の締めくくりだから、派手にやらないと」
「はぁ、相変わらずね。私達よりも貴方が抱えている『お姫様』に捧げたらどう?お姫様が嫉妬しちゃうかも」
トルヴィアの皮肉めいた言葉に、アドリアンは軽やかに肩をすくめる。
見ると、彼がお姫様抱っこしているメーラが、アドリアンから離れるように身を震わせ、不安げな瞳で彼を見上げていた。
「アド……」
「大丈夫だよ、メーラ。君を絶対に守る。だって──」
アドリアンは、青白い魔法の光に照らされながら、優しく微笑んだ。
「君は俺の大切な『お姫様』なんだから」
アドリアンは冗談めいた会話を交わしながらも、次々と押し寄せる漆黒の存在たちを薙ぎ払っていく。
皇帝の斧が空間を引き裂き、トルヴィアのウォーハンマーが闇を押し潰し、アドリアンの魔法が天から降り注ぐ。
「さぁ、帝国の戦士たちよ、民を守るために、魂を燃やせい!」
「御意!陛下の前で情けない姿は見せられぬ!絶対に民を守るのだ!」
皇帝の雄叫びが響く中、戦士たちもまた、大広場を駆け巡っていった。
そんな中……。
「……」
フェイリオンは冷静な瞳で、帝国の面々が奮闘する様を見つめていた。
(なぜこのタイミングで、シャドリオスが……?帝国の重要人物が勢揃いした場で、単なる偶然とは思えないが……)
外交官としての冷徹な思考が、次々と状況を分析していく。
エルフの国にとって最も有利な立ち回りを探るべく、彼は様々な選択肢を天秤に掛けていた。
その時──。
「きゃあっ!」
悲鳴が響く。
シャドリオスの群れが、逃げ遅れたドワーフの少女を追い詰めていた。
「っ!」
次の瞬間、フェイリオンの体が動いていた。
彼自身が意図する前に、その脚は少女の前へと躍り出ていた。
「──はぁっ!」
杖を優雅に振るい、舞踏のような動きでシャドリオスの群れを薙ぎ払う。
「ギィ……!?」
「困ったものだ」
フェイリオンは震える少女を優しく抱き寄せながら、自嘲気味に呟いた。
「外交官たるもの、国益を第一に考えて行動せねばならないというのに。私も、まだまだ未熟なようだな」
そして、彼はレフィーラたち配下の面々に向き直る。
「レフィーラ!ケルナ!ペトルーシュカ!今すぐ民を──」
フェイリオンの声は空を切った。
彼の目の前で、既に三人の姿は華麗な戦いの輪舞を描いていたのだ。
「精霊様!私に力を!」
レフィーラの声が響き渡る。
彼女が具現化させた青白い光の弓が、闇を切り裂くように輝きを放つ。
放たれた矢は光の雨となって降り注ぎ、次々とシャドリオスを消滅させていった。
「お姉ちゃん、援護するよ!」
普段は臆病なケルナの声が、凛として響く。
彼女の小さな拳が閃光となって放たれ、異形の獣たちを次々と粉砕していく。
その戦いぶりは、可憐な少女の姿からは想像もつかない迫力に満ちていた。
「精霊魔法の力、その目に焼き付けなさい、化け物ども!」
妖精のペトルーシュカは、宙を舞いながら精霊魔法を繰り出す。
彼女の周りを光球が乱舞し、シャドリオスに襲われた民衆たちの前に、光の壁を作り出していった。
フェイリオンは呆れたような、しかし誇らしげな表情を浮かべる。
「こんな時まで、私の指示を待たずに好き勝手するとは。全く、手に負えない部下たちだな」
彼の腕の中で、幼いドワーフの少女が目を輝かせながら叫んだ。
「すごい!エルフのお姉ちゃんたち、強いっ!」
ドワーフの少女がそう言った、その時。
メーラを抱いたアドリアンが、颯爽とフェイリオンの前に現れる。
「うんうん、凄いよね。エルフさんたちの戦い方はドワーフとも、人間とも違うから見ていて気持ちがいいよ」
そして、眉を顰めるフェイリオンに言った。
「エルフの皆様まで、対シャドリオス連合に『参加』してくださるとは。いやぁ、本当に心強いなぁ」
フェイリオンは薄く目を細め、涼しげな声で返した。
「森林国はまだ『参加』を表明していませんよ、英雄殿。ただ、この場で民を守ることと、連合への参加は──全くの別物で……」
その言葉の途中、轟音と共に天井が崩れ落ちてくる。
フェイリオンは呆れたように首を振りながら、少女を抱え直した。
「この話の続きは、また今度にさせていただきましょうか。英雄殿は『誤解』なさるような方ではないと存じておりますがね」
フェイリオンの瞳が、意味ありげに煌めく。
「うん、それが良さそうだ。ところで『誤解』なんて、とんでもない。俺は君たちのことを、とってもよく分かってるつもりだからね」
轟音と共に崩れ落ちる瓦礫の中、その皮肉めいた会話は、闇に溶けるように消えていった