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第七十七話

シュヴェルトベルグの宮殿前、大広場。

無数のシャヘライトが放つ青白い光の下、何万というドワーフたちが広場を埋め尽くしていた。


「皆の者、静粛に!」


近衛の魔導機械兵が拡声器で呼びかけると、喧噪が嘘のように消え失せた。

ドワーフたちは一斉に息を呑み、目を前方へと向ける。


その時である。


壇上に一人のドワーフが姿を現した。

いや、一人の「巨人」と言った方が相応しいかもしれない。

ドワーフとは思えぬ大柄な体格と、重厚な鎧に身を包んだその姿こそが、帝国の頂点に立つ皇帝ゼルーダルであった。

彼は豊かな髭を優しく撫でながら、温かな声で口を開いた。その声は魔導機械によって増幅され、広場の隅々まで届いていく。


「我が帝国の民よ。先の『鋼の祭典』は、まさに歴史に刻まれるべき素晴らしい祭典となった」


その言葉に、観衆から小さな歓声が漏れる。


「戦士たちは己の魂の輝きを見せ、魔導機械兵は新たな時代の扉を開いた。革新と伝統が見事に調和を見せた。これぞまさに、我らが目指すべき未来の姿」


広場に大きな歓声が沸き起こる。

人々は祭典での熱狂を思い出すかのように、興奮の声を上げていた。

皇帝は一呼吸置き、その表情を一転させる。


「そして、実は我が民に伝えねばならぬことがある」


その声には、これまでにない重みが込められていた。


「魔族の姫、メーラどの。こちらへ」


皇帝は振り返り、柔和な声で呼びかけた。

その背後には四公爵の姿があり、トルヴィア姫、そしてエルフの貴賓たち。

その中に、アドリアンとメーラの姿も見えた。


「……!」


突如として名を呼ばれ、メーラは小さく体を震わせる。

この大勢の前で……いや、帝国の民全ての前で姿を見せるのだ。その重圧に、彼女の小さな体が震えていた。


「メーラ。俺が付いてるよ」

「……うん」


しかし、アドリアンが優しく手を取り、そっと背中を押すように導く。

その温もりに勇気をもらい、メーラは小さな一歩を踏み出した。


「我が民よ!」


皇帝ゼルーダルの声が広場に轟き渡る。


「実は、魔族の国との連合を築こうという話が持ち上がっているのだ。シャドリオスという異形の魔物から、我らの世界を守るための連合軍の結成がその目的だ!」


その言葉に、観客席から驚きの声が上がった。

魔族の国との連合?そもそも、魔族の国というものがあるのか?

困惑の声が渦巻く中、皇帝は更に衝撃的な事実を告げた。


「それだけではない!アルヴェリア王国も、ドラコニア皇国も!そしてエルヴェニア森林国までもが、この連合に参加を表明しているのだ!」


その瞬間、大広場全体が騒然となった。


「アルヴェリアもドラコニアも!?」

「森林国まで!?」


ドワーフたちの間に動揺が広がっていく。

長年の宿敵アルヴェリア、強大な軍事国家ドラコニア、そして永遠のライバルたる森林国──。

その全てが一つの旗印の下に集うという事実は、彼らの想像を超えていた。


(凄い人の数……でもっ!)


メーラは群衆の反応に身を震わせそうになる。

しかし、背後にいるアドリアンの気配が、彼女に冷静さを取り戻させていた。


「──帝国の皆様」


やがて、小さな……だが、力強い声が広場に響いた。


「私が魔族の姫だということに、驚かれているでしょう」


メーラの声が魔導機械によって増幅され、広場全体に響き渡る。

彼女はギュッと手を握り締め、力強さを増した声で続けた。


「魔族は長い間、奴隷としか見なされず、虐げられ続けてきました。姫など……国など存在するはずもないと思われているでしょう」


彼女は一呼吸置き、まっすぐ前を見据える。


「しかし、私はここにいます。確かに、この足で立っています。そして、私には願いがあります」


メーラの声が、次第に力強さを増していく。

群衆の中からは、もはや動揺の声も上がらず、皆が彼女の言葉に聞き入っていた。


「世界を脅かす怪物、シャドリオスを打倒すること。世界に安全を取り戻すこと。そして──我が魔族を奴隷の身分から解放し、皆様と対等に言葉を交わせる平和な世界を作ること」


大広場は水を打ったように静まり返っていた。

ドワーフたちは、魔族の解放と世界規模の連合という、にわかには信じがたい話に困惑の表情を浮かべる。


「魔族の姫だって……?」

「いきなり、奴隷解放と言われても……」


混乱の声が飛び交う中、一人のドワーフがメーラの横に並び立った。


「魔族の姫君よ、失礼する」


突如として、魔環公ザウバーリング卿の姿が現れる。

彼は十個の魔導リングを美しく輝かせながら、優雅に口を開いた。その姿は、まさに帝国が誇る魔導師の頂点。

群衆からどよめきが起こる。魔環公という帝国随一の魔導師にして最高位の大貴族が、魔族の姫の横に立つという光景に、誰もが息を呑んでいた。


「諸君は知っているかね?」


彼はやれやれ、と肩を竦めながら続ける。


「この可愛らしい『魔族』の姫君が、わが領地の干ばつを癒し、帝国の食糧難を救ってくれたことを。おかげで、私の手のかかる領民たちは、今では『聖女様』と呼んで彼女を崇めているのだよ。まったく困ったものだね」


その言葉に、会場が再びざわめき始める。

しかし、魔環公の言葉には嘘がない。彼の領地の民が、メーラを慕っていることは広く知られた事実だった。


「帝国の将来を左右するような重大事には四公爵と皇族の同意が必要となるわけだが──これは実に面白い提案だと思わんか?」


ザウバーリングはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「もっとも、普通ならばこのザウバーリングなど、他種族などどうでもいいのだが……」


彼は、指に嵌めた魔導リングの輝きを見つめている。

何処か、暖かい瞳だった。


「私も恩を仇で返すような恥知らずにはなりたくないのでね。ああ、ちなみに帝国の臣民たちよ、もしも彼女が我が領地の干ばつを解決してくれなかったら、諸君たちも今頃は飢えに苦しんでいたということを、覚えておきたまえ。諸君らも恥知らずにはなりたくないだろうからね」


彼の皮肉めいた言葉の裏には、確かな重みが込められていた。

そして、彼は高らかに宣言した。


「この魔環公ザウバーリングは、魔族の姫メーラ殿下を全面的に支持する。彼女の思い描く未来に賭けてみようではないか」


その瞬間、十個の魔導リングが一斉に輝きを放ち、広場全体を青く照らし出した。


「まさか、魔環公が!?」

「あの気難しい公爵様が、あの娘を支持する?信じられん……」


ドワーフたちは目を見開いていた。

ザウバーリングと言えば、気難しく、そして何より保守的な考えの持ち主として知られている。

そんな彼が、魔族の解放を支持するというのだ。


「メーラ姫」


どよめきの中、シェーンヴェルが優雅にドレスを靡かせながら前に進み出る。

その姿は、まるでこの広場を舞台に見立てているかのような華やかさだった。


「──私は、美しいものが好き」


彼女は透き通るような声で語り始める。


「世界の美は全て私のもの。そう思い上がっていた──でも」


そう言って、シェーンヴェルはメーラの肩に優しく手を置いた。

その仕草には、肉親を慈しむような温かみが滲んでいた。


「この子が、私のその驕りを壊してくれたの。彼女の献身的な努力が無ければ、エルフの国との外交も、ここまで円滑には進まなかったでしょうね」


観衆から驚きの声が上がる。


「シェーンヴェル様が、他人を褒めただと!?」

「エルフとの外交も、魔族の姫のお陰だったのか……」


ドワーフたちは目を見開いていた。

美の化身と呼ばれ、誰よりも気位が高いことで知られるシェーンヴェルが、魔族の少女を褒め称えるなど──誰も予想だにしなかった光景だった。


「うーん……?」


フェイリオンたちエルフの面々は、唐突な展開に呆気に取られていた。

レフィーラとケルナ、そして妖精のペトルーシュカは、首を傾げながら互いの顔を見合わせる。

連合?奴隷の解放?何のことだろうか?

しかし、フェイリオンだけは内心で苦々しい思いを抱えながら、外交官らしい穏やかな微笑みを浮かべていた。


(図られたか……。連合も奴隷解放も、その真意は分からぬが、この場で我々の意思表明を引き出そうというわけか)


フェイリオンはそう推察し、沈黙を保つことを心に決める。

今この場での最善手は、何も語らぬこと。それこそが、厄介な事態に巻き込まれることを避ける唯一の──。


「ねぇねぇ、連合ってなに?面白そうだから森林国も参加しま──んぐぅ!?」

「!」


レフィーラが無邪気な声を上げた瞬間、フェイリオンは素早く彼女の口を塞いだ。


「うん?外交官殿?」


アドリアンはそれを見て、からかうような声で言った。


「今し方、レフィーラ嬢が何か素敵な言葉を仰っていたような気がするんですが。それとも私の耳が間違えたのでしょうか?」

「さぁ?」


フェイリオンは涼しい声で返す。


「エルフの長い耳をもってしても、そのような発言は聞こえませんね。人間の耳で聞こえたというのは、きっと何かの錯覚でしょうな」


しかし、その言葉とは裏腹に、フェイリオンの手の中でレフィーラは「んんー!」と抵抗を続けていた。


そんな愉快な光景の中、今度は二人の公爵が、揃って前に進み出た。

戦いの余韻が残る大広場で、機計公と鋼鉄公は、メーラの両脇に並び立つ。


「私は」


ベレヒナグルは静かに口を開いた。


「魔族の姫君と、その騎士が設けたこの場があったからこそ、自身の過ちに気付くことができた。技術の進歩だけを追い求め、大切なものを見失っていた愚かさに」

「そうじゃな」


アイゼンも深く頷きながら続ける。


「革新派だの旧武派だの、くだらない派閥争いに終止符を打てた。今思えば──」


彼は懐かしむような表情を浮かべ、呟くように言った。


「何故我々は、あんなにもいがみ合っていたのだろうな。今となっては、実に馬鹿らしいことのように思える」


その言葉に、四人の公爵が揃って頷き合う。

かつての確執が、まるで嘘のように溶けていくような光景だった。


「な、なんて光景だ……」

「四公爵が、揃って手を取り合うなんて」


観客席からは、驚きの声が次々と漏れ出る。

長年に渡って対立を続けてきた四公爵が、今、魔族の少女を中心に一つになろうとしている。


「これこそが新しい時代の幕開けじゃないのか!?」

「そうだ!革新と伝統が和解し、魔族との融和も──」

「まさに、歴史が動く瞬間を見ているようね!」


最初の戸惑いは次第に興奮へと変わり、大広場は新たな熱気に包まれ始めていた。


──その熱気が渦巻き始める中。


一人の男が前に歩み出た。

その立ち姿は、まるで姫を守護する騎士のように凛々しく、神々しささえ漂わせていた。


「……」


英雄・アドリアン。鋼の祭典でその力を見せつけた、人間の青年。

アドリアンは、穏やかな笑みを浮かべながら前へと進む。

しかし、一瞬だけ目を瞑り、そして開いた時──彼の表情からは、いつもの軽薄さが完全に消え去っていた。

その瞳には、英雄としての威厳が宿り、ただ一人の人間である彼が放つ圧倒的な存在感に、貴賓も観客も、全てが息を呑んだ。


「この英雄としての力は、俺一人のものじゃない」


アドリアンは力強く、しかし温かみのある声で語り始めた。


「この力は、皆の未来のためにある。そして何より──」


彼はメーラを慈しむように見つめ、続ける。


「魔族の姫が描く、新しい世界の実現のために存在してるんだ。俺は彼女の考えに共感し、その騎士として、その実現のために剣を振るうことを誓った」


観衆たちは身を乗り出し、英雄の一言一句を聞き逃すまいとしていた。

圧倒的な強さを持つ英雄の言葉には、確かな重みがあった。

その時、ザラコスもまたメーラの傍らに進み出る。

その巨躯と尻尾を誇らしげに揺らしながら、力強い声で宣言した。


「我がドラコニア皇国も、メーラ姫を全面的に支持する所存だ。彼女の聖女とも呼ぶべき慈悲深さ、そして世界を一つにしようとする崇高な志に、我が国は深く感銘を受けておるのだ」


大広場は静寂に包まれていた。

その場に集う全ての者の視線が、一点に注がれている。


「すげぇ……」

「四公爵に、英雄様、そして皇国まで……」


ざわめきが渦巻く中、全ての視線が皇帝とトルヴィア姫へと向けられる。

今や、皇族の決断だけが、この歴史的瞬間の結末を決するのだ。


「──この皇帝は、全面的にメーラ姫を支持する!」


ゼルーダルの声が、響き渡った。


「奴隷という歪んだ制度は消し去り、世界は一つとなって共に戦うのだ。怪物の脅威に対し、手を取り合えば、いつしか国同士の確執も消えていくと、ワシは信じておる!」


彼は満足げに髭を撫でながら、四人の公爵を見やる。


「我が誇り高き四公爵のように、かつての敵も今や親しき友となるのだ!」


父である皇帝の言葉を背景に、彼女の瞳には複雑な感情が揺れている。

彼女の表情からは、何かを言おうとして、しかし押し殺しているような苦悶の色が滲んでいる。


「……」


そして、不意にアドリアンと視線が合った。彼はただ優しく微笑むばかり。


「はぁ……しょうがないか」


トルヴィアは小さくため息をつくと、肩から力を抜いた。重い荷物を降ろしたかのように、彼女の表情が和らいでいく。

そして、彼女は顔を背けながら……しかし力強い声で宣言した。


「皇姫トルヴィアも、メーラ姫を支持する!」


その瞬間──。


「うおおおおっ!皇族様まで!!」

「すげぇ!俺たちは今、歴史的な瞬間にいるんだ!」


大広場が轟音に包まれる。

まるで階層が崩れ落ちてしまうかのような歓声と熱気が、空間全体を震わせていた。


「わぁ……!」


メーラの視界に、信じられない光景が広がっていた。

数万のドワーフたちが歓声を上げ、祝福の言葉を投げかけてくる。

花束が宙を舞い、帝国の旗が揺れ、その光景はまるで夢のようだった。


孤児院で、アドリアンが読んでくれた絵本の中のお姫様──。

虐げられた身分から、人々の祝福を受ける存在へと変わっていく運命の主人公。

その物語の主役に、今の自分が重なって見えた。


(これが、アドの実現したかった、光景──)


メーラの瞳に、涙が滲む。

それは喜びの涙であり、感謝の涙。あれだけ敵対していた公爵たちからの支持を得て、ようやく目的が果たされたのだ。


メーラは嬉しさのあまり、アドリアンの方へと顔を向け──


「──え?」


祝福の歓声が満ちる大広場で、メーラの表情が凍り付く。


歓喜に包まれた群衆の影で、彼女の視界に異様な光景が映り込んだ。


漆黒の鎧に身を包まれた闇の兵士たち。黒い靄を纏った異形の獣たち。


『Grrrr……』


それらが、地面から、天井から、壁から、次々と姿を現す。

闇そのものが具現化したかのように、黒い存在たちが湧き出てくる。


一瞬の出来事だった。


歓喜に包まれていた大広場が、あっという間に闇の存在たちに取り囲まれていく。

シャヘライトの光が、次々と漆黒の靄に呑み込まれていった。


「メーラ!!!」


アドリアンの絶叫が響き渡った、その瞬間──。


メーラの周囲を、漆黒の波が襲い始める。


闇の兵士たちの剣が、獣たちの牙が、まるで津波となって彼女へと襲い掛かった。


シャヘライトの光が一斉に消え去り、帝都の地下深くに築かれた広場から祝福の声は消え去り、悲鳴だけが響き渡った。



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