帝国の宮殿の一画……トルヴィア姫の私室。
そこは姫様らしい豪華絢爛な部屋……というわけではなく、物々しい武具が所狭しと並べられている。
戦斧や魔導銃、さらには巨大な鉄槌まで。まさに "戦姫" と呼ぶに相応しい部屋のはずなのだが……。
「ミミズのぬいぐるみ!?流石ドワーフの国ね、こんな面白いぬいぐるみがあるなんて!」
よく目を凝らすと、武具の間に可愛らしいぬいぐるみたちが顔を覗かせていた。
地底に生息する 『ミミズの王様』 をモチーフにした愛らしい人形や、ドワーフたちが珍重する 『輝きキノコ』 を模したふわふわのぬいぐるみ。
戦姫として恐れられるトルヴィア姫の部屋は、一見すると武人らしい厳かな空間に見えて、実は随所に女子の気配が漂っているのだった。
「レフィーラさん、それ本物のミミズ魔獣だから触る時は気を付けてね」
「うそっ!?」
「冗談よ」
トルヴィアの茶目っ気のある声に、レフィーラが慌てて手を引っ込める。その様子を見て、トルヴィアはくすりと笑う。
部屋の中には他の客人たちの姿もあった。
「こ、ここが本物のお姫様のお部屋……?」
メーラが恐る恐る部屋を見回していると、レフィーラが不思議そうに首を傾げる。
「え?貴女もお姫様なんでしょ?」
「あっそ、そうです!私も魔族のお姫様です!うふふ……」
レフィーラの素直な問いかけに、メーラは慌てて取り繕うように笑顔を作る。
その仕草には、まだ「姫」という役割に完全に慣れていない様子が滲んでいた。
一方、部屋の隅では──。
「こ、ここがドワーフの皇族の部屋……?ねぇ、あのぬいぐるみ動き出したりしない?」
ケルナが震える声で言う。彼女はドワーフの帝国に未だ慣れていないようだ。
「あのね、ぬいぐるみが動く訳ないでしょ。貴女怯えすぎよケルナ」
ペトルーシュカは呆れたように言いながら、ケルナの頭上を旋回している。
今日はトルヴィア姫が、女性の貴賓を集めて部屋で交流を深め合う日……。
そう書くと堅苦しい表現だが、実際のところは、最近知り合った女子を集めての気軽な女子会である。
「トルヴィアちゃんの部屋、すっごく面白いよ!あ、このベッド座っていい!?ふわふわで気持ち良さそう!」
招かれた四人の中でも、レフィーラは特に元気いっぱいだ。エルフとは思えないほど天真爛漫な様子で、部屋中を駆け回っている。
「どうぞ、遠慮しないで。ドワーフの名工が魂を込めて作り上げた逸品よ。きっと気持ちいいはずだわ」
トルヴィアはそんな彼女のことを嫌いになれなかった。
姫という身分を前にしての礼を失した態度……普通ならば眉を顰めるところだが、彼女の無邪気さには思わず毒気を抜かれてしまう。
エルフとドワーフ、種族的にはあまり仲の良くない……というか仇敵とも言える間柄。森を守るエルフと、地を掘り進むドワーフは、その価値観の違いから幾度となく衝突を繰り返してきた。
しかし、レフィーラはそんな種族間の確執など眼中にないかのように、トルヴィアと打ち解けている。
「うわぁ!本当だ、すっごく気持ちいい!ねぇケルナ、一緒に座ってみよう!」
そんな姉を、まるで別種の生き物でも見るかのように見つめるケルナ。
彼女はメーラの手をギュッと握ると、その背中に身を寄せるように隠れてしまった。
「ケルナったら相変わらずの怖がりね。ていうか、いつのまにそんな仲良くなったの?メーラちゃんとケルナは」
レフィーラは不思議そうに首を傾げる。
普段ならば自分から離れず、その背中に隠れているはずの妹が、何故か今はメーラを盾(?)にしているのだ。
極度の人見知りである妹が、最近会ったばかりの魔族の姫に懐くとは──。
「だって、メーラお姉ちゃんは優しいし……」
ケルナは小さな声で言いかけ、しかしすぐに黙り込んでしまう。
その時、ペトルーシュカが空中を優雅に舞いながら、声を上げた。
「メーラ姫は、お姫様らしくお淑やかだものね。ケルナも心惹かれるのも当然かしら。でもね、本来はレフィーラもケルナもお姫様と触れ合う血筋じゃないのよ。貴族の家柄でもないのに、こうして懐かれて迷惑じゃない?メーラ姫」
「えぇっと、私もケルナちゃんとは気が合うから……全然嫌じゃないです」
それはメーラの心からの言葉だった。
血筋だとか家柄だとか、そんなものはメーラにとってはどうでもいいことなのだ。そもそもこの魔族の姫という立場自体が急ごしらえの作り話なのだし。
メーラはケルナの小さな手の温もりを感じながら、心の中でそっと微笑む。
こうしてケルナが懐いてくれるというのは、妹が出来たようで嬉しかった。血筋や身分なんて、そんなものより大切なものがあるということを、メーラは誰よりもよく知っているのだから。
そう、アドリアンとの関係のように──。
そうして、女子会が始まった。
ドワーフの小柄なメイドたちが優雅にお茶とお菓子を運び、彼女たちはゆったりと寛いでいく。
上品すぎず、かといって騒がしすぎない、心地よい空気が部屋に満ちていた。
レフィーラとトルヴィアが和やかに談笑する中、メーラとケルナは小さなアクセサリーを見て目を輝かせていた。
「あぁ!綺麗だねケルナちゃん!」
それは鉱石のかけらを精巧な歯車で包み込んだペンダント。
シャヘライトの光を受けて七色に輝く石の周りを、繊細な金属細工が取り巻いている。
「お姉ちゃんに買って貰ったんだ。ドワーフさんたちの露店が並ぶ通りで……」
メーラは、目の前のエルフの少女、ケルナを見ているとなんだか暖かい気持ちになる。
見た目通りの可愛らしさと純真さを持つ少女……。彼女が何者なのか、エルフの国でどんな立場なのかは詳しく知らない。だが、今こうしてケルナと友達のように話せていることが、メーラには何よりも嬉しかった。それだけで十分だった。
だが……。
「あ!あとねあとね!フェイリオン様からこれを買って貰ったの!」
そう言って、ケルナはテーブルの上に『とある物』を置いた。
「!?」
その瞬間、メーラの動きがピタリと止まる。彼女の表情が一瞬にして凍りついたかのように変わった。
「これね……拳に付けて、敵を殴る武器なの!ドワーフの国にも私の『好きな』武器があるだなんて!」
ケルナが得意気に見せたそれは、ドワーフ特製の魔導ナックル。
拳に装着すると魔力を増幅し、一撃の破壊力を何倍にも高める武器だった。
メーラが言葉を失っている中、ケルナは水を得た魚のように饒舌に説明を始める。
「あのねあのね!これって私が今まで付けてたものよりも凄いの!魔導機械の力で衝撃を増幅して、敵の鎧だって貫通できるんだって!それに、魔力を込めると破壊力が三倍になって、岩だって粉々にできるんだよ!」
「ふ、ふぅん……」
ケルナの瞳は無邪気に輝いているのに、その説明の内容は妙に専門的で物騒。
彼女の純真な笑顔と、手にした武器の危険性のギャップに、メーラの目は泳いでしまう。
その時、ペトルーシュカが魔力の光を放ちながら、メーラとケルナの間に割って入ってきた。
「はいそこまで!ここでする話じゃないでしょ」
そしてメーラに向き合うと、彼女は申し訳なさそうに続ける。
「ごめんなさいね、メーラ姫。この子は姉のように『守護者』の力は持っていないんだけれど、エルフの戦士として育ってきたのよ。だから時々、こういう物騒な話を楽しそうにしてしまって……」
「そ、そうですか……はい……」
意外な一面を知ってしまったメーラ。
可憐で華奢なエルフの少女が、実は戦士として育ってきたという事実。
確かに友達なのには変わりはない。むしろ彼女の無邪気な笑顔は、より一層愛らしく感じられる。
……ただし、「岩を粉々にできる」という説明が、どうしても頭から離れてくれない。
そうしてメーラが必死にその物騒な映像を振り払おうとしていた時、いつの間にか横にレフィーラの姿があった。
彼女は意味ありげな笑みを浮かべながら、メーラの耳元で囁いた。
「ねぇねぇメーラちゃん!聞いてもいい!?貴女の騎士様、アドリアンって一体何者なの!?」
突然の問いかけに、メーラは「え?」と小さく声を上げた。
それはレフィーラのかねてからの疑問だった。
エルフの作法を完璧に理解し、人間でありながら魔族の姫やドワーフの姫と親しく接する。そして何より、闘技場で見せた想像を絶する強さ……。
そんな謎めいた人物の正体が気にならない訳がない。
トルヴィアもまた、さりげなく耳を傾けている。
彼女もまた、アドリアンという存在に興味を持っているのは明らかだった。
「えぇっと……」
メーラは困ったように視線を泳がせる。
アドリアンについて、自分は何を話せばいいのだろう。
孤児院にいる時から優しく接してくれる、家族のような存在──。
だが、その言葉は飲み込まなければならない。孤児院で過ごした日々は、今の自分には語れない秘密なのだから。
ならば、どう説明すればいいのか。
そもそもアドリアンと自分の関係性とは、一体何なのだろう。
友達?それは少し違う気がする。
兄妹?それも、しっくりこない。
でも、その二つの言葉以外に、彼との関係を表す言葉が見つからない。
「アド……じゃなくて、アドリアンは私の大切な騎士。彼は人間ですが、誰よりも強く、そして──」
メーラは一瞬言葉を探すように目を伏せ、静かに続けた。
当たり障りのない、しかし嘘ではない言葉を。
彼女は最近の『姫』の役目で、このような曖昧な物言いが上手くなってしまった。それがいいことなのか悪いことなのか、自分でもわからないが。
「私をいつも守ってくれる、かけがえのない存在なのです」
その真摯な言葉に、レフィーラはじっと見入るように、メーラの横顔を見つめた。
そして──。
「あ、そっか!メーラちゃんってアドリアンのこと好きなんだね!私と同じ!♪」
レフィーラは屈託のない笑みで言い放つ。
「そう、私はアドリアンのことが好き……ってはい!?好きっ!?な、なな、なんのことですか!?」
メーラの声が裏返り、顔が見る見る赤く染まっていく。
「い、違います!アドとはそんな……!」
慌てふためくメーラを、レフィーラは茶化すように追い立てていく。
頬を真っ赤に染めて否定するメーラと、からかうように楽しむレフィーラの姿は、まるで仲の良い姉妹のようでもあった。
「はぁ……」
その光景を眺めながら、トルヴィアは小さく溜息をつく。
折角あのアドリアンの謎めいた正体について知れると思ったのだが……残念ながらメーラはそれを話すつもりはないようだ。
それに、すっかり『女子会』らしく色恋沙汰の話題になってしまった以上、これ以上の追及は無意味だろう。
「……あぁ、そうだ」
姦しくなる部屋を横目に、トルヴィアはふと何かを思い出したかのように口を開く。
「皆さん、そう言えばもうすぐ宮殿前の大広場で、父……皇帝陛下が演説をすることになってるの」
トルヴィアの言葉に、先ほどまでのふざけた空気が一瞬で引き締まる。
「えぇっと、前に言ってた魔族のお姫様と、私達エルフをみんなにお披露目する演説だっけ?」
レフィーラは珍しく真面目な表情で確認した。
「ええ。そこでエルフの皆さんと……そして、メーラ姫にも帝国の民の前で演説をしていただくことになっているの。シャドリオス討伐に向けての連合の意義を、皆さんの口から伝えてもらえればと」
その言葉に、先ほどまで頬を赤らめていたメーラは、きょとんとした表情を浮かべる。
そうか、いよいよその時が来るのか──。
女子会の賑やかな空気は、いつの間にか緊張感に包まれていた。
恋する少女のような表情から、魔族の姫としての凛とした佇まいへと、メーラの表情が変わっていく。
「……」
窓から差し込むシャヘライトの光が、魔族の姫の横顔を照らしていた。