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幕間②

皇国の騎士団長──。

リザードマンとしての武の頂点、誉れに立つ人物……いや、爬虫類であるザラコス。

皇国では竜の女王の後継人として祭り上げられ、竜人ですら一目置くという老いた爬虫類だが、そんな彼は今や、頭と尻尾を下げて目の前の小さなドワーフの貴族と『実にお上品な』会話を交わしていた。


「ほほう、これはこれは。皇国の騎士団長どのが、私如きの前で尻尾を地面に擦り付けてくださるとは。身に余る光栄でございますなぁ」

「帝国の大貴族、ドンナーシュラーク伯爵閣下の御前にご挨拶もせずに帰るなど、そんな失礼はできませぬ」


ザラコスは、その巨体を折り曲げながら、まるで床を磨くかのように尻尾を地面に擦りつける。

巨体を誇るザラコスが、小柄なドワーフの貴族に頭を下げる姿は滑稽だ。

だが、仕方がない。これも『騎士団長』としての仕事なのだから。


──アドリアンは帝国の四大貴族・公爵たちの支持を取り付けることに見事に成功した。

皮肉屋の魔環公も、美狂いの輝美公も、頭でっかちの機計公も、頑固者の鋼鉄公も……アドリアンの手の平で踊らされ……いや、魔族の姫の理念に感動し、賛同を示している。

帝国内において、連合という前代未聞の大事には公爵の賛成が必要不可欠だ。故にそれは確かな前進と言えるのだが……。

残念なことに、帝国には数多の貴族がいる。公爵たちの陰に隠れ、取るに足らない存在とも思える彼らだが、その数は膨大だ。


(……この嫌味な感じ、魔環公の配下だな。くっ……鋼鉄公の配下ならば話が早くて助かるというのに……!)


文字通り身体も権力も小さな彼らだが、無視できる訳ではない。一匹一匹は取るに足らない小虫でも、大群となれば獅子をも倒すように。

ザラコスは嫌々ながらも、そんな『小さな』貴族たちへの根回しを任されていた。彼らの権威を満足させ、プライドを保ちながら、しかし決して本質的な譲歩はしないという、実に面倒な仕事を。


(だが、コイツで最後だ……)


帝国の貴族たちは実に面白い。上司の性格がそのまま部下に感染するのだから。

ザラコスは今までの長い道のりを思い出して、思わず尻尾を揺らした。


魔環公の配下は見事なまでに嫌味な性格に染まっており──。


『皇国は随分平和なようですねぇ。騎士団長どのがこうして一人で遠征しても問題ないとは』

『竜人の小間使い……おっと失礼、世話係……おっと更に失礼。忠実なる僕であるリザードマンどのは、さぞかし気苦労が耐えないことでしょう。取るに足らない存在である帝国の貴族にこうして尻尾を地面に擦り付けることになるとは』


一方、輝美公の配下は──。


『まぁ!リザードマンの方が私の前に跪くだなんて!でも仕方ないわよね。この完璧な美貌の前では誰もが平伏するもの。ふふっ、私って本当に罪作りね』

『皇国の騎士団長様?そんな大した肩書きの方が、こうして私に頭を下げてくださるのも当然よね。私のような気品ある貴族の前では、皇国の方ですら目が眩んでしまうでしょうから』


機計公の配下ときたら──。


『ほう、皇国の騎士団長か。実に興味深い。そうだ、ついでに新開発の魔導実験に協力して頂こうか。リザードマンの魔導反応というのは、これまで研究事例が乏しくてね』

『あぁ、連合の話?まぁ後にしよう。それより私の研究室に来てくれ。生きたリザードマンの研究データを採取できる機会など滅多にないのでね。ふむふむ……この鱗の構造は……』


そして鋼鉄公の配下に至っては──。


『おうおう!皇国の騎士団長どのじゃねぇか!?そんな堅っくるしい話は後だ!まずは一杯やろうぜ!』

『なんだ?連合の話か?そういうのは拳で語り合うもんなんだぜ!がはは!』


全ての貴族が、まるで人格をコピーしたかのように上司に似通っていた。

ザラコスは心の中で深いため息をつきながら、この厄介な根回しの旅を続けるしかなかった。


──しかし、それもこの目の前の人物で最後だ。

ザラコスはいつも通り連合の件をよろしく、という形式的な言葉を伝え、魔環公の配下らしい別れ際の皮肉に耐える。


「ところで私のところに挨拶に来るのがずいぶん遅かったねぇ。何故なんだい?もしかして最後とか?まさかね」


皮肉に皮肉を重ねる言葉を聞き終え、ようやくザラコスは解放された。


「お、終わった……」


宮殿の廊下で、彼の大きな体から力が抜けていく。

長い尻尾が地面に垂れ下がり、肩から深いため息が漏れた。

遂に、全ての貴族への根回しを終えたのだ。

この帝都で、彼が頭を下げなければならない相手は、もう誰一人として残っていない。


「──いや、違う」


そう、まだ残っていた。エルフの外交官──。

いつの間にかこの地下宮殿に紛れ込んできた、森林国の特使として派遣されてきたフェイリオンなる高慢な耳長族は、間違いなく彼が頭を下げなければならない相手だ。


「くそ、どうしてエルフがドワーフの国に来るんだ。仲が悪い筈だろう……」


思わず愚痴を零すも、ザラコスは尻尾をビタンと床に叩き付けて気合を入れ直す。

どうせいつかはエルフの国にも行く予定だったのだ。それが少し前倒しになっただけ……。

ザラコスは溜息を吐きながら、エルフの外交官がいる貴賓室へと重い足と尻尾を引き摺っていった。




♢   ♢   ♢




エルフたちがいる貴賓室に入ったザラコスは、目の前の光景に唖然としていた。


「それでね、俺はいつもこう言ってたんだ。『お嬢さん、最近精霊の声が聞こえないとおっしゃいますが、貴女の高慢な態度を見ていると、精霊たちが逃げ出すのも無理はありませんね』ってね」

「ほう……?なんと、確かにその返しならばあの高慢ちきな女官たちを黙らせることが出来ますな」

「う~む、貴殿は人間にしておくには惜しい。エルフの宮廷で育ったのではないかと疑ってしまうほどの皮肉の才能ですぞ」


アドリアンとエルフの騎士たちが、旧知の間柄であるかのように談笑している。


「ザラコスじゃないか。どうしたんだい?あぁそうか、エルフさんたちに挨拶しにきたんだね」


アドリアンはザラコスの気苦労など知らないかのように手を振る。


「アドリアン、何故ここに?」


ザラコスは呆れたような、諦めたような表情でそう言った。

アドリアンが居るところには、必ずと言っていいほど面倒事が渦巻いている。それを知り尽くしているからこそ、彼の表情には深い疲労の色が滲んでいた。


「そりゃ、エルフさんたちと友好を深めてるのさ。ちょうど今、エルフの宮廷での面白い話で盛り上がってたところなんだ。キミもどうだい?」


その言葉を聞いて、ザラコスは思わず尻尾を床に叩きつけそうになる。

本来ならば数ヶ月かけて慎重に進めるべき外交を、この男は気軽に茶会でも楽しむかのように軽々と進めているのだから。

そう言うアドリアンの言葉に、ザラコスは疲れたように首を横に振る。


「生憎だが、仕事中でな。それに、若者に混ざるにはワシは老いぼれすぎるからのう」

「へぇ、外交官どのと同じ台詞を言うなんて。もしかしたら気が合うんじゃないか?老いた二人で、若者たちの愚かさを嘆き合うとか」


アドリアン視線をある方向へと向ける。

そこには騎士たちの談笑の輪から離れ、一人優雅にソファーでくつろいでいる外交官フェイリオンの姿があった。


「どうやら、あの御方は『若者』の茶会には混ざりたくないみたいでね。一人寂しくお茶を楽しんでる。キミたち、年齢的には良いお話相手になれそうだけど」


その提案に、ザラコスは思わず尻尾を揺らした。

エルフの外交官と二人きりでお茶を楽しむなど、考えただけでも気が重い。

しかもフェイリオンという名は皇国にすら名が響き渡る、名家の出身の貴族だ。

まさに胃薬が手放せなくなりそうな相手だが、仕方がない。仕事とはそういうものだ。


「……ま、年齢のことを言うなら、俺もキミたち側なんだけどね」

「今何か言ったか?」

「いや、気のせいだよ。さぁ『若い』騎士さんたち!まだまだエルフの方々が好きそうな話がたくさんあるからね!偉そうに歩こうとするあまり、のけぞりすぎて転んだ貴族様の話とか」


アドリアンは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、子供たちの輪に戻るかのように騎士たちの談笑に視線を戻す。

本来なら高慢を絵に描いたようなエルフの騎士たちが、人間の前でこうして屈託なく笑うとは、何とも不思議な光景だ。


「アドリアンどのは実に面白い方だな。何百年も生きてきたかのような深い洞察力を持っておられる」

「あぁ。この若さでこれほどの教養と皮肉の才を持ち合わせているとは。エルフの血が混ざっているのではと疑ってしまうほどだ」


再び始まった騎士たちの賑やかな談笑を横目に、ザラコスはフェイリオンの元へと重い足取りで歩みを進める。

すると、フェイリオンは初めからザラコスの存在に気付いていたかのように──いや、むしろ到着が遅いことを楽しんでいたかのように、ゆったりと立ち上がると優雅に礼をした。


「ようこそ、皇国の騎士団長どの。随分と長くお待ちしておりましたよ。ハーブティーが冷めてしまうほどには」


彼はにこりと微笑み、そして言った。


「森林国の挨拶が帝国の後になるとは、なんとも興味深い優先順位ですね。皇国は重要な事柄を最後に取っておく慣習があるとは、寡聞にして存じませんでした。さすがは世界最強の国、私どもの想像を超える独特の礼儀作法をお持ちで」


帝国の貴族たちよりも遥かに洗練された、剣のように研ぎ澄まされた皮肉の鎧を纏った挨拶。

それを聞いて、ザラコスは内心で深い深い溜め息を吐くのであった──。



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