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幕間①

鋼の祭典が終わり、熱狂の渦も徐々に静まりを見せ始めていた。歴史に残る大会で、帝都は未だ興奮の余韻に包まれている。

革新派と旧武派の確執は完全には消えていない。時折、機械兵の訓練場で小さな言い争いが起きることもある。

それでも軍が二つに割れるような深刻な事態は避けられ、徐々に平穏な日常が戻りつつあった。


「わぁ……!凄い!」


しかし、お祭りの興奮は完全には収まらない。

帝都の第一階層では、祝祭が続いているかのような賑わいが残っていた。


「いらっしゃい!できたての魔導炉焼きだよ!」

「ほら、機械油まんじゅうが売り切れる前に!」


通りには露店が軒を連ね、戦士たちも機械兵の操縦士たちも、共に酒を酌み交わしながら笑い合う姿が見られる。

石造りの建物に魔導結晶の明かりが灯り、シャヘライトの街灯が温かな光を投げかける中、屋台の匂いが地底の街に漂っていた。


「アド、見て見て!このキノコ、すごく美味しそう!」


メーラの嬉しそうな声が、露店の喧噪に混ざって響く。

彼女は屋台のショーケースに顔を寄せ、目を輝かせながら巨大な菌類を指差していた。


「へぇ、なかなかの大きさだね。まさに『地底の王様』って感じかな」


アドリアンは優し気に微笑みながら、メーラの傍らを歩く。

普段は皮肉気な仮面を被っている彼だが、この時ばかりは素直な笑顔を見せていた。

二人の周りを行き交うドワーフたちは、人間と魔族という異様な取り合わせに興味深げな視線を向けるが……。

アドリアンが鋼の祭典で活躍した英雄だと分かると一転して親し気に声を掛けてくるのだ。


「あっ!今度はあれ!揚げたての……なんとかって!」


メーラが両手を振りながら、別の屋台に駆け寄る。その仕草は、幼い頃を思い出させるような無邪気さに満ちていた。

アドリアンはその姿を見つめながら、心の中でそっと呟く。


(こうしていると、昔メーラと孤児院にいた時のことを思い出すな)


露店の明かりに照らされたメーラの横顔を見つめながら、アドリアンの脳裏に懐かしい記憶が蘇る。

それは前世の記憶ではない。この世界での、まだ幼かった頃の思い出。孤児院で過ごした、純粋で無垢な日々の記憶。

古ぼけた孤児院から二人で抜け出し、街の祭りに紛れ込んだあの日。

屋台を見つけては目を輝かせ、おやつを分け合いながら笑い合った。

メーラはまだツノも生えておらず、アドリアンもただの腕白小僧。世界の闇も、戦いの意味も知らない、無邪気な子供たちだった。


(不思議なもんだよな。俺って)


アドリアンは自嘲気味に微笑む。

世界を救った大英雄としての記憶。そして、一般人としての記憶。二つの人生が、彼の中で交錯している。

英雄アドリアンは気高く、そして最強の存在。一方、ただの普通の少年アドリアンは、ただメーラのことを守りたいという純粋な想いを持っていた。

今の自分は、どちらなのだろう。


──いや、もしかしたら、その両方なのかもしれない。


「ア、アド……これって……買っちゃだめ?」


メーラが振り返り、満面の笑みを浮かべる。

その無邪気な表情に、アドリアンは思わず微笑み返した。


今のメーラは、魔族の姫としての華やかな衣装も、儀式めいた態度も身につけていない。

ごく普通の村娘のような服に身を包んだ、ただの魔族の少女の姿。

アドリアンもまた、執事の燕尾服も、英雄の装束も纏わず、地味な服装のただの旅人のような出で立ち。

二人で静かな時間を過ごそうとしていたのだが──。


「お!オメーもしかして英雄さまかぁ!?おいおい、うちの屋台に来てくれるとは嬉しいねぇ!」


屋台のおやじが、まるで旧知の友人でも見つけたかのような大声を上げる。

アドリアンは思わず苦笑を浮かべた。鋼の祭典で見せた『英雄の力』は、今や帝国中の誰もが知るところとなっている。


「おい、みんな見てみろ!英雄様がうちの店に!」

「なんだって!?あのアドリアンが!?」

「おぉ!本物だぁ!触らしてくれぇ!」


次々と集まってくるドワーフたち。

彼らは人間を警戒する様子も、魔族を蔑む素振りも見せず、まるで昔からの知己のように、あるいは家族のように親しげに話しかけてくる。


「こりゃ参ったな。どうやら帝国じゃ散歩もゆっくり出来ないみたいだ」


今のドワーフたちは、強さを認めながらも恐れることなく、純粋な親しみを込めて接してくる。


「うちの特製キノコ炒め持ってってよ!」

「いやいや、こっちの肉串が旨いって!」

「魔導焼き饅頭もどうぞ!」


次々と声を掛けては、返事も待たずにメーラの手に食べ物を押し付けるドワーフたち。

あっという間に両手いっぱいの屋台の食べ物を抱えることになったメーラは、呆然と呟いた。


「こ、こんなに食べれない……」

「やったねメーラ。これで今日の食事代が浮いた。なんて太っ腹な帝国民たちなんだ」


アドリアンの言葉にメーラは困ったように肩を竦める。

人だかりは次第に大きくなり、噂を聞きつけた者たちが続々と集まってくる。

目を輝かせるドワーフたちの熱い視線に包まれながら、アドリアンは心の中で溜め息をつく。静かな夜の散歩のつもりが、すっかりお祭り騒ぎになってしまったようだ。


「英雄様!うちの娘に一言お願いします!」

「人間のくせに結構カッコイイじゃない?」

「おい、一杯どうだ!?」


アドリアンは次々と言い寄ってくるドワーフたちに、笑みを浮かべながら応対していた。


「ねぇねぇ!英雄様、私の手作りお菓子食べて!」

「いやいや、粗末な物より私の特製シチューの方が美味しいわ!」


ドワーフの少女たちまでもが、我先にとアドリアンに詰め寄ってくる。

ただ強いだけではなく、観衆に姿を見せ、そして希望を与える存在……アドリアンは、それこそが英雄の義務であると理解していた。

故に、笑顔を浮かべながら英雄として振る舞うのだ。


「……おや?」


しかし、その時……アドリアンの瞳が『ある人物』を捉えた。すると彼は満面の笑みを浮かべ、叫ぶように言った。


「……懐かしい状況だね。みんな順番を守って、踏みつけ事故だけは避けようね!特に、あそこでみんなに紛れてこっそり逃げようとしている……可愛らしいお嬢さん!」


その声に、少女の身体が明らかに震えた。

銀色の髪を緩やかに纏め、可憐な装いに身を包んだドワーフの少女。


「……!」


民衆の視線が少女に集まった時には、アドリアンは既に少女の横に立っていた。

アドリアンの姿が光のように消え、一瞬にして移動するというその超人的な動きに、周囲から驚きの声が上がる。


「すげぇ、動いただけで風が巻き起こったぞ!」

「英雄様の姿が一瞬消えたように見えた……!」


歓声を上げる群衆をよそに、アドリアンはニコニコと笑みを浮かべながら可憐な少女を見下ろす。

銀色の髪に縁取られた愛らしい表情は、見る見るうちに引き攣っていった。


「ど、どうした……んですの?英雄様が私に何か御用ですか?」


少女は心底困ったように、左へ身を翻す。しかし、そこにはもう意地の悪い笑みを浮かべたアドリアンが立っていた。

慌てて右に逃げようとすると、まるで分身でもしたかのように、そこにも彼の姿。

後ずさろうとしても、気付けば背後にまで回り込んでいる。


「み、見知らぬ女性の通り道を塞ぐなんて!人間は本当に失礼な生き物なのね!」


少女は明らかに芝居がかった声で言い放つ。


「人間は見知らぬ人にも親切に話しかけることで、素敵な『出会い』を楽しむ生き物なんだよ。特に可愛らしい銀髪の少女には」


アドリアンは微笑みながら、少女の全ての逃げ道を完璧に封じていく。

猫が鼠を追い詰めるような、楽しげな表情で。


「えーっと、アド?」


メーラは何がなんだか分からないという表情で、二人の奇妙な追いかけっこを眺めている。

他のドワーフたちも同様に、何故あの英雄が一人の少女にここまで執着するのか理解できず、首を傾げていた。


「おいテメェ!いい加減にしやがれこのクソ人間──」


少女の声が荒々しく変わりかけた瞬間、彼女は慌てて両手で口を覆い、か弱く微笑む。


「あっ、なんでもございませんわ。うふふ」


その豹変ぶりに、周囲のドワーフたちは更に困惑の色を深める。

しかしアドリアンは相変わらず意地悪な笑みを浮かべたまま、飄々とした態度を崩さない。


「英雄さま?なんで私のようないたいけな少女を追いかけ回すのです?もしかしてそういうご趣味でも?」

「何故って……前に言ったじゃないか。『デートのお相手』として帝都のスイーツ通りでお散歩でもしないか?って」


アドリアンの言葉に、少女の表情が見る見る青ざめていく。


「!」


その瞬間、メーラの脳裏に一つの場面が蘇った。

それは地下深くに隠された情報屋の住処での出来事。意地悪な笑みを浮かべるアドリアンと、怒りに震えるスモークのやり取りだ……。


『ふ、ふざけるな!さっさとまともな報酬を寄越せ!』

『そうだね。じゃあ、『デートのお相手』として帝都のスイーツ通りでお散歩でもしない?『相棒』の分まで、たくさん買ってあげるよ』

『せっかくのデートだからさ、普段の可愛い『シルヴァちゃん』の姿で来てくれると嬉しいなぁ。銀髪が街灯に輝くの、楽しみだなぁ』


メーラは目を見開き、銀髪のドワーフの少女をじっと見つめた。

その可愛らしい装いの下に、あの凄腕の情報屋スモークの姿を重ね合わせる。


「ま、まさか……」


メーラは震える瞳で、目の前のドワーフの少女を見つめ直す。

あの荒々しい情報屋が、こんな可憐な少女の姿を──。


「ス、スモ……」

「おっとメーラ。それ以上は『可愛い彼女』の秘密の為に言わない方がいいかもね」


メーラが名前を口にしかけた瞬間、アドリアンは華麗な動きで彼女の前に立ちはだかり、軽やかに口元を押さえた。


「むぐぅ……!?」


メーラはあたふたと首を振るが、アドリアンは優しく、しかし確実に彼女の口を押さえている。

そしてシルヴァの方へ向き直った。


「ところでお嬢さん、我々と一緒に散歩でもどうです?ドワーフの街並みを案内していただけると嬉しいのですが」

「……嫌だと言ったら?」


シルヴァの声には明らかな警戒心が滲んでいた。


「そうだねぇ。その時は残念ながら、俺の手がメーラの口から離れちゃうかもしれない。すると彼女の言葉の続きが聞こえちゃうかもね。ス、モ、っていう響きから始まる素敵な言葉が」

「ぐっ……テ、テメェ……後で覚えておけよ……」


シルヴァは可愛らしい声を装いながらも、歯の間から憎々しげに呟く。


「おっとぉ?後で会ってくれるなんて嬉しいな。これは運命の出会いってやつかい?可愛い相棒」


アドリアンの意地悪な笑みに、シルヴァの額に青筋が浮かぶ。


「ぐっ……!おい、その食い物、寄越せ!」


彼女は怒りに震える手で、おろおろするメーラが抱えていた大量の屋台の食べ物を奪うと、その可憐な装いからは想像もつかないような豪快な食べっぷりを見せる。

可憐な少女のイメージとは真逆の、まるで飢えた獣のような勢いで。


「……スイーツ通りは、あっちだよ」


シルヴァはぶっきらぼうに言い放つと、踵を返して歩き出す。

そんな彼女の背中を見つめるアドリアンとメーラ。

ドワーフの少女には不釣り合いな荒々しい足取りと、それでも街灯に美しく輝く銀髪。

その不思議な光景に、二人は思わず顔を見合わせた。


「今日は沢山甘いものが食べられそうだね。今日は帝都のみんなが奢ってくれそうだし」


アドリアンは意地悪な笑みを浮かべながら言う。


「……あんまり食べ過ぎると、太っちゃうかも」


メーラはクスリと笑いながら、そう応えた。

夕暮れの帝都の街並みに、シャヘライトの灯りが次々と灯されていく。

三人の奇妙な影が、その温かな光の中に溶け込んでいった。



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