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第七十五話

突如として悲鳴が響き渡った。

停止したはずの魔導機械兵が、操縦者もいないというのに、再び蠢き始めたのだ。


「な、なんだと!?」

「くそっ、まだ動くのか!?」


戦士たちの声が響く中、魔導機械兵の装甲から、これまでにない強烈な青白い光が溢れ出す。暴走の予兆に、観客席からも悲鳴が上がった。


「うおおっ!?」


轟音と共に放たれた衝撃波が、周囲の戦士たちを容赦なく吹き飛ばしていく。

アイゼンもシュタールユングも、まるで藁人形のように闘技場の壁まで叩きつけられた。


「まずい……!」


ベレヒナグルが震える声で叫んだ。


「シャヘライトが臨界点を超え、魔導融合爆発を起こしている!これまでの数百倍のエネルギーで暴走する……このままでは、闘技場ごと吹き飛ぶぞ!」


その言葉に、会場全体が凍り付く。

観客も、戦士たちも、貴賓席の面々も──全てが恐怖で固まってしまった。

死を覚悟した表情が、あちこちで浮かび上がる。

その時、皇帝ゼルーダルが威厳に満ちた声で立ち上がった。


「全ての者に告ぐ!闘技大会を直ちに中止する!近衛隊長!民を安全な場所へ避難させよ!」


もはや避けられぬ危機を告げる皇帝の声に、会場は更なる混乱に包まれる。

観客席のあちらこちらから悲鳴が響き渡り、パニックの予兆が見え始めていた。


「子供と女性を先に逃がすんだ!」

「待て、人が多すぎて出口が……!」


観客たちの混乱した声が響き渡る中、貴賓席では二つの強大な魔力が立ち昇る。

ザウバーリングとシェーンヴェルが立ち上がり、魔力を展開し始めていた。

その表情には、普段の皮肉めいた貴族の面影はない。今、そこにいるのは民を守ろうとする覚悟を決めた戦士の顔だった。


「輝美公!闘技場全体に防護魔法を展開する!私たちの魔力で爆発の威力を少しでも抑えるぞ!」

「ええ魔環公、心得ておりますわ!──こんな時でも、優雅に参りましょう!」


二人の公爵の小さな身体から、巨大な魔力の渦が放出される。

青く輝く魔力が空気中に浸透し、防護魔法の結界を形作っていく。

そして、エルフたちというと……。


「フェイリオン!私達も加勢を!」


焦るレフィーラの声。しかしフェイリオンは彼女を手で制す。


「どうして止めるの!?」

「……」


しかしフェイリオンは答えない。

ただただ、冷静な表情で暴走している魔導機械兵を見つめるばかり。


「ワシの剣で闘技場の壁を破壊してより多くの人々が逃げられるようにするっ!皇姫殿はこの隙に皇帝陛下をお連れして脱出を!」

「いいえ、私も行くわ!」


そんな中、ザラコスは大剣を構え、トルヴィアは巨大なウォーハンマーを掲げると、二人は同時に貴賓席の手すりを蹴った。

ドワーフの小さな身体と、鱗に覆われたリザードマンの巨体が空中で交差する。


「断私は皇帝の娘である前に、一人の戦士!この場から逃げるわけにはいかない!」


トルヴィアの凛とした声が響き渡った。

二人は武器を構え、階下へと跳躍する──

そんな二人の背を見て、アドリアンは打ちひしがれたように肩を落としているベレヒナグルへと目を向けた。


「ベレヒナグル卿。貴方の計算で、この状況は予想出来ていましたか?」


彼は何も答えない。ただただ狼狽え、身体を震わせるばかりだった。


「理論と計算だけでは、生きた存在の限界は測れない。時には想定外の奇跡が起きる──それこそが、私たち『生きもの』の本質なのかもしれませんね」

「……」


その言葉に、ベレヒナグルは目を見開いた。

理論と計算に縛られていた彼の世界が、一瞬にして揺らぐ。


「では、理論漬けの公爵様に、ちょっとした奇跡を見せてさしあげましょうか。ああ、でもモノクルは外した方がいいですよ?──理論では説明できないものを見るには、その方が良さそうですから」

「……何?」


そして、アドリアンはベレヒナグルに微笑むと不意に息を大きく吸い込み──。


「はぁーっ!!!」


アドリアンの雄叫びが、闘技場全体に轟き渡る。

それと同時に、彼の姿が一筋の光となって闘技場を駆け抜ける。空気が轟音を上げ、宙を蹴る度に衝撃波が闘技場全体に響く。


「……むぅ!?」

「きゃあっ!?」


空中にいたザラコスとトルヴィアの目の前を、青い残光を残して一陣の風が駆け抜けた。

それはまるで彼らが止まっているかのような、圧倒的な速度差。二人は目を見開いたまま、光の軌跡を追うことしかできない。

アドリアンの足跡に青い光が残り、その軌跡が風の流れを作り出していく。


──加護【風神】


風の加護の完全上位互換であるそれは、風が存在する限りアドリアンに加速の力をあたえるのだ 。

アドリアンの姿は残像となって、魔導機械兵へと一直線に迫っていった。


「……!」


赤く不気味な光を放つ魔導機械兵が、全ての武装を一斉に展開する。

複数の魔導砲から青白い光線が放たれ、超振動ブレードが閃光となって斬りかかり、装甲の隙間からは高圧の衝撃波が放出される。

三重の攻撃の前に、人が反応出来る訳がない──そう思った者もいただろう。


しかし──。


「遅い」


アドリアンは片手を軽く上げ、まるで蚊を払うような仕草で光線を弾き返す。

その手には淡い光の膜が纏わりついていた。


「おっとこれは危ない玩具だ」


超振動ブレードが彼の指先に届く直前、アドリアンの右手に光の渦が巻き起こる。

その渦は、まるで生きているかのように蠢き、振動ブレードを包み込んでいく。


「こんな危険な玩具は──」


握り締めた右手に力が込められ、金属を軋ませる轟音が響き渡る。

そして──超振動ブレードが、まるでガラス細工のように砕け散った。


「申し訳ないが、没収!……いや、破壊かな」


アドリアンは魔導機械兵に向き直ると、満面の笑みを浮かべた。


「さて──」


彼は右手を天を指すように掲げ、観客席に向かって声を響かせる。


「こんな素晴らしい闘技会の締めくくりには、華やかな演出が必要だよね?」


アドリアンは地面に低く構えると、その拳に魔力を纏わせる。一瞬、青白い光が彼の右腕を走った。


「──それっ!」


彼は閃光のような速さで機体の直前まで踏み込むと、渾身の一撃を魔導機械兵の中心に叩き込んだ。轟音と共に巨大な機体が、宙へと打ち上げられる。

アッパーの衝撃で装甲が次々と剥がれ落ちていく中、漆黒の機体は、螺旋を描いて上昇していった。


アドリアンは打ち上げられた機体に向かって、魔力を纏った指先を差し向ける。

眩い光が彼の周囲を渦巻き、その指先に集約されていく。


「──エーテル・ブレイズ!」


彼の指先から放たれた光は、それまでの魔導機械兵が放った光線などとは比べ物にならなかった。太陽そのものを閉じ込めたような、純粋な黄金の輝き。

光の軌跡が空中に残り、黄金の道のように輝く中、機体の中心で魔力が炸裂した。

暗闇を切り裂くような眩い光。


そして──。


「おやすみ!」


アドリアンの声と共に、巨大な機体は空中で大爆発を起こし、まるで花火のように無数の光の粒となって散っていった。


シーンと。


闘技場に、深い静寂が満ちる。


「えーっと、魔環公。今の魔法はなにかしら?」

「……知らん!我々が最上位だと思っていた魔法の、更に五段階程上をいくとんでもない魔法だということだけは分かるがね!」


シェーンヴェルとザウバーリングの会話が響く中、誰もが今目の当たりにした光景を理解できずにいた。

その時、遅れてやってきたザラコスとトルヴィアが声を掛ける。


「おい、アドリアン。お主、さっき自分じゃ敵わないとか言ってなかったかね?随分と余裕そうじゃないか」

「そうね。確かにそう言ってたわ」


ザラコスとトルヴィアの言葉に、アドリアンは爽やかな笑みを浮かべた。

二人は、今の光景を見て頬を引き攣らせている。


「うん?人の言葉は最後まで聞かないとダメだよ二人とも」


そして、アドリアンは指を立てる。


「『あの機体は暴走によって、シャヘライトの魔力を限界まで爆発させてる。俺の力じゃ……』の続きが気になるかい?」


ザラコスが尻尾を揺らし、トルヴィアが首を傾げると、アドリアンは指を揺らして続けた。


「続きはね──『俺の力じゃ、あんな玩具みたいな機体じゃ弱すぎて、手加減するのが難しくて困る。みんなの見せ場を奪っちゃうから、大人しくしてようかな』──ってな具合だったんだ」


アドリアンの言葉に、ザラコスとトルヴィア、観客たちも、戦士たちも、貴賓席の面々も口をポカンと開けるばかり。

そして、ベレヒナグルがわなわなと震えながら言った。


「け、計算外だ……!あの男の前では私の計算式など意味を為さない!あんな非合理的な存在、私の理論では説明がつかん!こ、これが奇跡なのか……?」


その瞬間、会場が爆発するような歓声に包まれた。


「すげぇ!あれが噂の人間の英雄か!?」

「英雄様ー!こっち向いてぇー!」

「あの魔導機械兵を簡単にぶっ壊しちまうだなんて、なんて奴だ!!」


貴賓席でアドリアンの活躍を見ていたメーラもまた、彼の強さと美しさに目を奪われていた。


「アドは……やっぱり、凄いんだ……!」


その呟きは、『魔族の姫』としての気品ある物腰を忘れた、純粋な少女のような声色だった。

メーラの瞳には、アドリアンへの深い信頼と、かすかな憧れの色が宿っている。


「私も、アドみたいに……」


だが、彼女はすぐに我に返り、慌てて姿勢を正した。

周囲の貴族たちに、素の声が聞こえていないことを願いながら。

エルフの使節団も、同様だった。アドリアンが生み出した光景に息を呑んでいた。


「すごい……なに、あの魔法は……」


レフィーラは立ち上がり、目を極限まで見開き、震えていた。その黄金の髪が興奮で揺れている。


「お、お姉ちゃん、あれって人間の魔法なの……?」


ケルナは姉の後ろに隠れるようにしながら、震える声で問いかける。

その瞳には恐れの色が浮かんでいた。


「嘘でしょ、人間にあんな力があるなんて……」


ペトルーシュカが舞い上がりながら叫ぶ。妖精の放つ光が興奮で明滅を繰り返している。

フェイリオンは杖を強く握りしめ、顔を僅かに歪ませた。

長年の外交官としての経験をもってしても、目の前の光景は理解の範疇を超えていた。


(やはりあの男……只者ではなかった。恐らくは、最初からこうなるのが分かっていたのだろう。これは本国に伝令を送り……)

「きゃー!アドリアン、素敵!」


レフィーラの甲高い歓声が、フェイリオンの思考を遮った。

彼が顔を向けると、レフィーラは両手を頬に当て、まるで年頃の少女のように目を輝かせている。

いや、年頃には違いないのだが、彼女は森林国の誇る『守護者』の一員なのだ。それがこうも、まるで村娘が王子に恋をするような仕草をするなんて……。


フェイリオンは杖を軽く握り締めながら、静かに目を細める。


「……やれやれ、このタイミングで、想定外の『英雄』が現れた。しかも、その力は我々の理解を超えているとは」


彼は一度言葉を切り、貴賓席に視線を向ける。


「加えて、魔族の姫の騎士を務めているというのなら……今後の力関係も、大きく変わることになるかもしれませんね」

「でも、それって悪いことなのかな……?」


ケルナの問いかけに、フェイリオンは思案する。


「それはまだ分からない。ただ、あの人間の存在が、これからの外交に大きな影響を与えることは間違いない……」

「ま、レフィーラがあの人間に目を付けた以上、しばらくは騒がしくなるのは確かだけど」


三人は揃って深いため息をつくと、再び熱気に包まれる闘技場に視線を向けたのであった。


そして、貴賓席の中央では──


「ふむ……あの力、あの佇まい。あれぞまさしく英雄よ」


皇帝ゼルーダルは頬に手を付き、しかし鋭い目付きでそう言った。

彼は髭を撫でながら、闘技場に立つ人間の英雄と、その傍らで身体を震わせ、顔を真っ赤にして怒っている娘の姿を見つめる。


轟くような歓声と共に花束や小物が闘技場に投げ込まれる。

アドリアンは満面の笑みを浮かべながら、観客の声に応えていた。


──そして、不意に。


わざとらしく遥か頭上の貴賓席──皇帝ゼルーダルに向かった手を振った。


「……まったく、悪戯好きな英雄だ」


皇帝は呆れたように、深いため息をつく。

まるで手に負えない子供を見るような、諦めの色が彼の瞳に宿っていた。

会場の熱気はとどまる所を知らず、観客たちは思い思いに叫び、その偉業を賞賛し続けたのであった──




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