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第六十四話

魔導機械の轟音と、レフィーラの歓声が混ざり合う中、研究室の扉が静かに開かれた。


「機計卿ベレヒナグル様。本日は貴重なお時間を頂戴し、誠にありがとうございます」


メーラの清らかな声が響く。彼女は魔族の姫らしい気品を纏い、深々と一礼する。

その後ろでは、ケルナが小さな影のように身を寄せ、おずおずとした様子で研究室の様子を窺っていた。


(へぇ……?)


アドリアンは意外そうな表情を浮かべる。いつの間にか、内気なエルフの少女と魔族の姫が打ち解けている様子に、微かな驚きを覚えた。

そう言えば部屋で二人で話していたような……性格的に気が合うのだろうか。


「レフィーラ嬢」


彼は優雅に声をかける。


「そろそろ魔導機械の探検も一段落しようか。 機計卿のお部屋が、戦場と化してしまう前に」


その言葉に、レフィーラは珍しく素直な表情を見せる。


「えぇー? でもぉ……」


彼女は不満げに口を尖らせたが、すぐに表情を和らげた。


「うん、アドリアンがそう言うなら……ちょっとだけ、大人しくしてみる」


メーラの丁寧な挨拶と、レフィーラの意外な従順さに、ベレヒナグルの怒りは幾分か収まったように見える。

しかし、その鋭い眼差しは依然としてレフィーラに向けられたまま。まるで危険な実験器具を監視する研究者のように、警戒の色を緩めることはなかった。

少しばかりの静寂が戻った時、メーラは口を開こうとする。メーラとアドリアンの目的は、ベレヒナグル卿の支持を得ることであるが──


「姫君」


ベレヒナグルが、メーラの言葉を遮るように口を開く。


「貴女が何故ここに来られたのか、私には分かっている。全ては計算通りの展開だ」


彼は機械仕掛けの杖を軽やかに回しながら、魔導機械が紡ぐデータのように言葉を繰り出す。


「魔環公と輝美公を既に味方につけたそうだね。面白い。あの頑な性格で悪名高い公爵たちを、よくぞここまで手玉に取った」


モノクル越しに、メーラと目を合わせる。

無機質な瞳が、魔族の姫を見極めるように細まった。


「貴女は無垢な少女に見えて、実は相当な策士なのかな? ……ふむ、実に興味深いことだ」


その言葉には、皮肉なのか純粋な賞賛なのか、判別のつかない色が混じっていた。

誰もが、その矢継ぎ早な独白に言葉を挟む余地を見出せない。高速で回転する歯車のように、彼の言葉は止まることを知らなかった。


「私は回りくどい会話は大嫌いでね」


ベレヒナグルは杖を鳴らしながら歩き出す。


「だから率直に答えよう。連合の件についてだが──勿論、反対だ」


カチ、カチ、と機械仕掛けの杖が冷たい音を刻む。


「では、これにて会話は終了。さぁ、出ていきたまえ。研究の邪魔だ」


その一方的な、会話とも言えない会話に、メーラたちは唖然と口を開けたまま、まるで動きの止まった機械のように硬直してしまった。


「お、お待ちください機計公!まずは私共の話を──」


メーラの慌てた声を、アドリアンは静かに手で制す。そして一歩前へと進み出た。

三人の少女の視線を背に受けながら、アドリアンはベレヒナグル卿と向き合う。


「失礼ですが、機計公。会話というものが、魔導機械との独り言ではなく、目の前の生身の相手と交わすものだと、貴方の素晴らしい計算式は教えてくれなかったのでしょうか?」


その皮肉に満ちた言葉に、ベレヒナグルは完全な無視を決め込む。

代わりに彼は、愛おしそうに魔導機械に語りかけていた。


「7929号よ、今日の君の動作は0.3%ほど遅れているね」


アドリアンは更に声色に艶を乗せ言った。


「どうやら貴方の耳は、機械の音にしか反応しないよう、特別な改造が施されているようですね。ご自身でなさったので?」

「8275号、その歯車の音が少し不規則だ。調整が必要かもしれないね」

「機械相手なら『はい』としか言わないから楽でしょうけどね。たまには『いいえ』という返事も聞いてみては?」

「ふむ、シャヘライトの純度が0.1%低下している。これは由々しき事態だ」

「機械への愛を語る貴方の姿は、まるで初恋に夢中な少年のようで実に可愛らしい。ただそろそろ夢からお覚めになった方がよろしいかと」


無視と皮肉の応酬は、永遠に噛み合わない歯車のように続いていく。

メーラ、レフィーラ、ケルナは、この奇妙な……いや、会話とすら呼べない光景を、首を傾げながら眺めていた。まるで異世界の劇場を覗き見るかのように。


「やれやれ」


アドリアンは諦めたように肩を竦める。その仕草には、どこか芝居がかった色が混じっていた。


「ねぇアドリアン」


レフィーラが目を輝かせながら前に出る。


「そのおじさんに用があるんでしょ?だったら、さっきみたいに機械を触りまくれば反応してくれるんじゃ……うっ!?」


その瞬間、ベレヒナグルの鋭い視線が一直線にレフィーラを貫く。

モノクルの奥で幾何学模様が狂ったように回転を始め、魔導機械の照準器のように彼女を捉えていた。

レフィーラは思わず言葉を飲み込み、ピューピューと口笛を向き素知らぬふりをした。


「ありがたい申し出だけど」


アドリアンは意地の悪い微笑みを浮かべながら言う。


「エルフの守護者様とドワーフの公爵様の戦争が始まったら、この研究室どころか、帝国の半分くらいが吹き飛びそうだから、今日のところは大人しくしていようか?」


そして──彼は誰にも聞こえないように、密やかな言葉を紡ぐ。


「しょうがない、前世の貴方の知恵を借りるよ、ベレヒナグル……」


その囁きには、どこか懐かしむような、そして確信に満ちた色が滲んでいた。

アドリアンは、意図的に声を通るように発する。その視線は、ベレヒナグルが向き合う複雑な魔導演算機に向けられていた。


「うーん、なんて素晴らしい魔導演算装置なんだ。シャヘライトの結晶を配置し、刻印された魔導回路を通じて演算を実現するなんて」


ベレヒナグルは眉を顰める。

そのような浅薄な知識と賛辞で自分の気を引こうとするとは、何と浅ましい男か──

しかし、そう思った矢先だった。


「特に注目すべきは、二重歯車式自動補正機構だね。外周部に配置された72枚の微細歯車が、内部の魔力干渉を自動的に抑制する。シャヘライトの純度が99.9%を下回った際も、歯車の回転数を0.03%ずつ調整することで、安定した演算を継続できる」

「……なに?」


ベレヒナグルの声が震える。その知識は、この魔導機械を作り上げた者にしか分からないはずの構造だった。


「でも」


アドリアンは意味深な微笑みを浮かべながら続ける。


「歯車の枚数を108枚に増やし、回転軸を黄金比で調整すれば、魔力効率は現状から32%ほど改善できるはず。俺なら、そう設計するんだけどなぁ~」


その瞬間、ベレヒナグルの瞳が極限まで見開かれた。

アドリアンの言葉が、機械の起動信号のようにベレヒナグルの心を揺り動かす。


「待て……なるほど、そうか!」


彼はまるで霊感に打たれたかのように、突如として魔導演算機に手を伸ばした。その指先には魔力が渦巻いている。

カチャリ、ギシリ、カラン──

機械仕掛けの指輪を煌めかせながら、ベレヒナグルの手が目にも止まらぬ速さで動き出す。歯車を増設し、魔導回路を描き直し、シャヘライトの結晶を再配置していく。


「72枚から108枚……そして、この軸を黄金比で……」


彼の呟きに合わせて、魔導機械が次々と姿を変えていく。レフィーラたちは、その神業とも言える技術に息を呑んで見入っていた。

そして──


「おぉ……!」


改良を終えたベレヒナグルの表情が少年のように輝きを放つ。

改良された魔導演算機を前に、ベレヒナグルはゆっくりとアドリアンへ視線を向ける。その瞳には、驚愕と共に、かつて見たことのない光が宿っていた。


「き、貴殿……」


しかしアドリアンは、まるでそれが当然のことであったかのように、既に隣の魔導機械へと視線を移していた。

それは魔力変換装置らしき機械で、無数の結晶が幾何学的な配列を描いている。


「この装置にも気になる点がありますね、魔力の流れを制御する結晶の配置が、少々非効率的かと」

「何!?どこだ!?ここか!?」

「例えば──」


アドリアンは軽やかに指を動かし、空中に魔力で図を描く。


「結晶を五芒星形に再配置し、各頂点の角度を72度から68.5度に調整する。そうすれば魔力の損失を最小限に抑えられる。さらに中心点にルビーシャヘライトを据えれば……」


その言葉を聞いた瞬間、ベレヒナグルの体が再び震えるように動き出す。

今度は更に速い手さばきで、彼は魔導機械の改良に取り掛かった。その姿は、まるで芸術に取り憑かれた匠のようで……そして完成した瞬間──


「これは、なんということか……!」


魔導機械から放たれる光が、部屋全体を青く染め上げる。

明らかに、動きが違う……!ベレヒナグルの表情に、希望が灯る。


「貴殿!この魔導機械はどうだ!?」


ベレヒナグルは、まるで新しい玩具を見せる子供のように次々と機械を指し示す。


「この結晶配列の無駄は!?歯車の回転角度は!?」

「あぁ、それはね──三番目の歯車列を逆回転させれば、魔力の循環効率が43%上がるはずです」

「おぉ!そうか!そうなのか!」


ベレヒナグルは矢継ぎ早に機械を改良していく。その姿は、先ほどまでの頑なな態度が嘘のようだった。


「では、この装置は!?この魔力制御系統の欠陥を指摘してみたまえ!」

「ふむ、その結晶の角度を3度傾けるだけで……」


かつての帝国四公爵の一人が、まるで好奇心旺盛な少年のように目を輝かせながら、アドリアンの言葉の一つ一つに聞き入っていく。

その光景を目の当たりにして、メーラ、レフィーラ、ケルナは互いの顔を見合わせた。


「ねぇ。彼らが話してる言葉って何語?機械語とかあるの?」

「い、いえ……そのようなものはないかと……多分」

「……」


三人の少女たちの前で、魔導機械を巡る熱狂的な対話は、まるで終わりを知らないかのように続いていった。




♢   ♢   ♢




「こほん。みっともないところを見せてしまい、失礼した」


ベレヒナグルは咳払いをし、まるで先ほどの熱狂が嘘のように威厳を取り戻す。

しかし、その背後に並ぶ改良された魔導機械群は、彼の満足げな表情を雄弁に物語っていた。


「やれやれ……機計卿におかれましては、魔導機械の改良にご満足いただけたところで、私共の『つまらない』お話にもお時間を頂戴できますかね?」


その皮肉めいた言葉に、ベレヒナグルは機械仕掛けの杖を床に叩きつける。

トン。

その音が部屋に響き渡り、そして──


「連合の話だったな。私は君たちを支持する。以上だ」


その瞬間──

部屋の空気が凍り付く。魔導機械の規則正しい音さえも、まるで息を潜めたかのように静かになった。


あまりにもあっけない承諾に、アドリアンとメーラは言葉を失う。


「連合って何?」

「支持って……?」


レフィーラとケルナも困惑した表情を浮かべ、二人は顔を見合わせる。


「それは誠に……光栄な話なのですが」


彼は意図的に言葉を区切った。


「帝国四公爵様が、国家の重大な事柄を、魔導機械の改良程度で決めてしまわれても良いので?」

「会話に時間を費やすことこそが、最大の非効率だ」


ベレヒナグルはモノクルを光らせながら、まるで数式を解くように簡潔に返す。

しかし、突如として彼の表情が変化する。まるで新たな発明の閃きを得た時のように、その瞳が煌めいた。


「そうだ、貴殿」


彼は急かすような素振りを見せる。


「その並外れた魔導機械の知識、もっと詳しく伺いたい。新型魔導機械兵がもうすぐ完成間近なのだ。是非、実際に見て意見を聞かせて貰おうではないか。あぁ勿論、拒否しても構わないがその場合は支持を取り下げると思ってくれたまえ」


魔導結晶の柔らかな光の中、ベレヒナグルの研究室に新たな歯車が廻り始めようとしていた。


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