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第六十話

帝都『シュヴェルトベルグ』地下18階層。

住居区画には、岩壁を刳り貫いて作られた質素な住居が幾重にも重なり合っていた。

通りには洗濯物が干され、窓辺には鉱石のように輝く花々が植えられ、遠くからはかすかに子供たちの遊び声が聞こえてくる。

魔導機械の光が通りを照らす中、作業を終えた住人たちが、三々五々、家路を急いでいた。


「……」


魔導照明の影に紛れるように、一つの影が素早く動いていく。住居の隙間を縫い、時には壁を伝うように、時には屋根を渡るように。

少年のような姿のドワーフ……『情報屋』スモークである。彼はある一角の壁に手をかざした。一見すると何の変哲もない岩壁。だが、スモークの指が特殊な動きを描くと、壁の一部が静かに揺らめき、入口が現れる。


「ふぅ……」


そこは、彼の隠れ家の一つ。暗がりの中、スモークが照明を点けようと手を伸ばした時……。


「やっほー、待ってたよ」

「うわっ!?」


突然の声に、スモークは驚いて後ずさった。

照明が点くと、そこには──


「お、お、お前ら!何やってる……!?」


アドリアンが長椅子に寝転がり、メーラが机の上に広げられたスイーツの数々を幸せそうな顔で頬張っているという、まるで自分の家のように寛いだ光景が広がっていた。


「やぁ、スモーク。ここの隠れ家はちょっと見え見えすぎるから閉鎖した方がいいって助言したはずだけどね」


アドリアンは意地の悪い笑みを浮かべながら言った。


「おっと、ごめん。それは別の世界でのことだったかな」

「あ、スモークさん!」


メーラは口元を手で隠いながら彼に視線を向けた。


「この『ミスリルの綿雲』、すっごく美味しいです!口の中でふわってとけて……」

「メーラ、美味しいのは分かるけど」


アドリアンが身を起こしながら、意地悪く言った。


「そんなに食べてたら、可愛い服が着られなくなっちゃうかもね」

「もう、アド!」


メーラが頬を膨らませる。

スモークは呆然と、我が物顔で自分の隠れ家を占拠している二人を見つめていた。その小さな体が震え始める。


「てめぇら……」


小さな体を怒りで震わせるスモークに、アドリアンは涼しげな笑みを浮かべた。


「そんなに怒らないでくれよ『相棒』」

「……誰が相棒だ!」

「キミだよ。だって俺はキミのことを何でも知ってる」


アドリアンは長椅子から立ち上がり、スモークの方へ歩み寄る。


「例えば──キミが実は女の子で、本当の名前は『シルヴァ』というとか」


その瞬間、スモークの身体が凍り付いたように硬直した。


「あはは、冗談、冗談」


アドリアンは意地悪く笑う。


「まさか本当にそうだなんて言わないよね?」

「冗談……?そ、そうか。そうだよな……うん……」


スモークの声が震えている。


「それと、キミが『深淵の洞窟』に隠した財宝のことも知ってるよ。でも、財宝の前で立ち往生してる理由が実は──」

「……」


スモークの瞳が細くなる。しかし、その瞳に揺らぎがあるのをアドリアンは見逃さない。


「洞窟に住み着いてる巨大なクモが怖いからでしょ?」

「そ、それも冗談だろ?」

「ああ、そうだね。キミが巨大なクモを怖がってるなんてことあるはずないよね。毎晩悪夢を見て、叫び声を上げて目を覚ますなんてこともないよね?」

「……」


スモークはもう言葉を返せなかった。小さな身体は微かに震え、うつむいた顔は陰に隠れている。

その姿は、凄腕の情報屋というよりも、正体を見透かされた子供のようだった。


「う~ん、キミってば冗談を真に受けちゃって。本当に可愛いよね」


メーラはスイーツを食べるのを完全に止め、不安そうな目でアドリアンを見ていた。


「アド……もう、やめた方が……」

「──ところで」


アドリアンは軽やかな口調で話題を変えた。


「機計公ベレヒナグルと鋼鉄公アイゼンの情報が欲しいんだけど、親愛なる友人として教えてくれないかな?」

スモークはゆっくりと顔を上げた。その表情には不適な笑みが浮かんでいたが、額には幾筋もの青筋が浮き上がっている。


「帰れ。お前に話す事なんてなにもない」

「おや?」


アドリアンは意地の悪い笑みを浮かべながら、首を傾げた。


「でも、俺の口はまだまだ開くんだけどなぁ。例えば──」


その瞬間、部屋の空気が凍り付いたように感じられた。メーラは慌てて手元のスイーツを退避させるように、その場から少しだけ距離を取った。

しかしそれは杞憂だったようだ。スモークは額から冷や汗を垂らしながら、慌てて手を振った。


「機計公と鋼鉄公の情報だったな!?お、教えてやるよ!だからその口を開くな!」


「おやぁ?どうしたんだい、『相棒』?さっきまでそんなに強気だったのに」


スモークは歯を食いしばり、怒りを必死で抑えながら、しかし顔は見る見る青ざめていく。


「お、俺たちは『相棒』だろ。だ、だから、情報を提供させていただこうじゃないか」

「そうだよねぇ!やっぱり『相棒』は分かり合えるんだ!ねぇ、『親愛なる』相棒ちゃん?」


スモークは引きつった笑顔を浮かべながら、言った。


「こんなにも厚かましい人間は生まれて初めて出会ったぜ。本当に素晴らしい相棒を持てて光栄だな」

「そうかい?でもキミの相棒として、これ以上ないお似合いだと思うんだよな」


二人は笑顔で握手を交わす。しかし、その手の握り方は少し強すぎるようで、お互いの指が白くなっていた。

一方、メーラは二人から漂う殺伐とした空気に背筋を震わせながら、懸命にそれを無視しようとするかのように『ミスリルの綿雲』を口に運んでいた。

スモークからは明らかな怒りのオーラが、そしてアドリアンからは意地悪な楽しみのオーラが放たれている。


「も、もう一つぐらい食べても……いいよね」


彼女は小声で呟きながら、次のスイーツ、『クリスタルベリーのタルト』に手を伸ばすのであった……。




♢   ♢   ♢




「機計卿ベレヒナグル……この帝国において、魔導機械の第一人者であり、魔導技術の統括者だ」


スモークの不機嫌そうな声が部屋に響く。


「研究者であり、技術者であり、そして強大な権限を持つ公爵でもある。魔導機械に全てを捧げたドワーフとも言うな。その発展のためなら、手段は選ばない男でもある」


スモークは机に置かれたスイーツの一つを手に取りながら、淡々と語り続けた。


「この帝国が今日まで発展を遂げてこられたのは、魔導機械の研究の賜物と言っていい。特に奴が開発した魔導機械兵──小さな要塞とも呼ばれる大型の鎧は、帝国軍の要となっている。この力があったからこそ、帝国は他国との戦いを制し、今の版図を築けたのさ」


『宝石の雫ゼリー』を口に運びながら、スモークは一瞬言葉を切った。


「ただし──」


スモークは意味ありげな表情を浮かべる。


「最近は研究が思うように進んでいないらしい。行き詰まりとでも言うのかな」

「……ほぅ」


その言葉を聞いて、アドリアンは目を細めた。そして何かを思案するように顎に手を当てる。

そんなアドリアンを横目に、スモークは話を続けた。


「お次は鋼鉄公アイゼンだ」


スモークは『ミスリルの綿雲』を一口かじりながら続ける。

それはメーラの食べかけだったのだが、彼は話に夢中になって気付かなかった。


「帝国軍を統べる大将軍にして、若き日の皇帝とともに戦場を駆け抜けた古強者だ。今では白髪混じりの老将軍となっているが」


スモークは意味ありげな視線をアドリアンに向けた。


「面白いことに、この最先端技術の国で、彼は魔導機械をあまり快く思っていない。『戦士の誇り高き戦いを、玩具で穢すか』とベレヒナグル卿とは度々衝突しているらしい」


メーラとアドリアンが興味深そうに顔を上げる。

スモークはスイーツの最後の一片を口に運びながら続けた。なお、それもメーラの食べかけのスイーツだ……。


「彼は一流の鍛冶職人でもある。そう、まさに典型的な昔気質のドワーフさ。剛直で、誇り高く、伝統を重んじる──」

「だが最近は、帝国軍部の暴走を危惧しているとの噂もある。戦線の拡大が止まらず……勇壮なる大将軍ですらその抑えが効かなくなってきているようだ」


話を終えて、アドリアンは無言で腕を組んだ。この帝国は表面上の繁栄の下に、様々な問題が渦巻いているようだ──。


「──それで?」


スモークの声がアドリアンの思考を中断させる。


「情報を話してやったんだ。報酬はどこなんだ?」

「報酬?」


アドリアンは意地悪く笑って机を指差した。


「机の上に並べてあったじゃないか」


そこには空になった皿が何枚も重なっていて、その前では──メーラが頬を膨らませながら、最後のスイーツを頬張っている姿があった。


「まぁ……残念ながら大半が魔族のお姫様の胃袋の中に消えちゃったみたいだけど」


アドリアンが苦笑する。

メーラは慌てて口を手で覆い、「ほみゃふェにゃはゃい……」と何を言っているのか分からない言葉を呟いた。

その光景を目の当たりにしたスモークの小さな体が震え始める。


「ふ、ふざけるな!さっさとまともな報酬を寄越せ!」

「まぁまぁ」


アドリアンはにっこりと笑った。


「そうだね。じゃあ、『デートのお相手』として帝都のスイーツ通りでお散歩でもしない?『相棒』の分まで、たくさん買ってあげるよ」


スモークの額に太い青筋が浮かぶ。しかしアドリアンは更に追い打ちをかけるように続けた。


「せっかくのデートだからさ、普段の可愛い『シルヴァちゃん』の姿で来てくれると嬉しいなぁ。銀髪が街灯に輝くの、楽しみだなぁ」


その瞬間、部屋に何かが切れる音が響いた。

スモークは穏やかな──しかし、明らかに狂気じみた笑みを浮かべながら、ゆっくりとローブの中から魔導閃光弾を取り出す。


「おっとぉ?」

「わっ……!?」


アドリアンとメーラの瞳が驚愕に見開かれる。


「そんなに輝くのが見たいなら、今この場で、閃光で『キラキラ』と輝く姿を見せてやるよ……!」


スモークが投げた魔導閃光弾が宙を舞う。その瞬間──。


「さようなら、『親愛なる相棒』!キミの輝く姿はまた今度見せて貰うよ!」


アドリアンは一瞬で長椅子から飛び出すと、メーラの細い腰に腕を回し、彼女を抱き寄せた。

メーラが驚きの声を上げる中、アドリアンは彼女を抱きかかえたまま、入り口へと駆け出した。


「また会おう、可愛い相棒!」


アドリアンの声と共に、閃光弾が弾ける。眩い光が部屋中を真昼のように照らし上げ、白く、まばゆい光の奔流が全てを飲み込んでいく。

光は隠れ家の壁を透かし、18階層の住宅街にまで漏れ出していった──。


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