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第五十六話

貴賓室の空気が、一瞬にして凍り付く。

シェーンヴェルの言葉に、フェイリオンの瞳が鋭く細まった。

そこには冷たい怒りの感情が宿り、エルフ特有の気高さが殺気へと変わろうとしている。

護衛の騎士たちもまた、もはや殺気を隠そうともせずに佇んでいた。


(ふふ、こんな些細な挑発で怒りを露わにするなんて。この後どんな口実を設けようかしら?「エルフの危険分子が我が国を脅かした」とか?)


シェーンヴェルの唇が、小さな勝利の笑みを形作る。

部屋の外には精鋭の魔導機械兵が待機しており、エルフたちが少しでも不穏な動きを見せれば、即座に帝国兵たちがなだれ込む手はずとなっている。


「貴殿……」


フェイリオンが氷のような声を絞り出そうとした。


だが、その時──。


「おっと皆様、我が主の『賛美の言葉』をお聞き逃しになられたのではないでしょうか?」


アドリアンの姿が、まるで風のように二人の間に滑り込むように割って入る。


「実は、ドワーフにとって、『お猿さん』という生き物は実に神秘的な存在でして」


アドリアンは優雅に回りながら、言葉を紡ぐ。


「地底で暮らすドワーフには、滅多にお目にかかれない生き物。木を自在に登り、空を飛ぶような動きで枝から枝へと飛び移る……それはまるで精霊の化身にしか見えないのです。故に我が主の言葉は、最大級の賛辞だったのでしょう」


その言葉に誰かが反応を示す前に、矢継ぎ早に続ける。


「なにせドワーフは地底に暮らす身。太陽の光も、月の輝きも、満天の星々も、全て遠い存在。そんな私どもから見れば、皆様は天空の遥か彼方に住まう神秘的な存在なのです」

「ほう……?」

「……!」


シェーンヴェルは目を見開いた。こうも即座に自身の侮蔑が掻き消されるとは。

普通ならばこの一言でエルフたちは怒り狂い、そのまま国へと引き返し、これまで通り帝国と敵対関係を続けていた筈。

──しかし、そうはなっていない。


「ふむ、なるほどなるほど」


フェイリオンの口元に、微かな笑みが浮かぶ。化かされているのは分かっているが、その表情には明らかな興味と、そして試すような色が混じっていた。


「輝美公殿。地底で暮らす『野蛮』な種族の方々にしては、随分と面白い解釈をなさるのですね」


──再び、部屋が凍り付いた。


「精霊の末裔たる我々の知性が、岩と鉄にしか囲まれず育たなかった方々には理解し難いのは当然のことかもしれません。ですが安心なさい。私どもは慈悲深い種族です。地を這う『虫けら』の言葉を真に受けるほど狭量ではございませんので」

「なっ……!」


シェーンヴェルの目が怒りで見開かれた。

それと同時に、護衛の騎士たちが息を呑む。普段は侮蔑な言葉を口にしない外交官が、こうも刺々しい言葉を使うとは、と。

だが、聡明な彼は完全に理解していた──シェーンヴェルの挑発的な態度も、アドリアンがそれを有耶無耶にしようとしていることも。

その上で、この茶番劇をより面白いものにしようと、あえて最高級の皮肉を投げかけたのだ。


(相変わらず意地の悪い性格は変わってないなフェイリオン……前世でも口喧嘩だけは天下一品だったもんな、キミは!)


アドリアンの胸中は、フェイリオンへの罵詈雑言で溢れていた。どうやらエルフの言葉からシェーンヴェルも守らなければいけないらしい。

今度は守るべき相手が二人。しかも、互いを傷つけ合おうとしている二人を同時に───。

アドリアンは柔らかな微笑みを浮かべたまま、一歩前に進み出る。


「なんという素晴らしい相互理解でしょうか!」


アドリアンは優雅に両者の間を行き来しながら、微笑みを絶やさない。


「シェーンヴェル卿は『地を這う虫けら』と呼ばれて喜んでおります。なにせ、大地の恵みを知り尽くした種族の誉れ高い呼び名。一方フェイリオン様は『お猿さん』と呼ばれ、天空の自由を謳歌する存在として称賛されている。これはまさに、相互の文化を称え合う美しい外交ではありませんか」


二人の間で繰り広げられる舌戦を、アドリアンは華麗な話術で中和していく。


「ふぅむ。地を這う生き物が、知性を持って活動する様というのは、生命の神秘ですな」


フェイリオンが新たな毒を口にする。


「私どもにとっては、実に興味深い観察対象だ。特に、虫けらが知的生命の真似事をする姿は、愛らしくもあり……」


その言葉が完全に吐き出される前に、アドリアンがすかさず応じた。


「ああ、なんと素晴らしい賛辞でしょう。我らドワーフが大地と共に生きる姿を、生命の神秘として評価してくださるとは。さすがは天空より物事を俯瞰なさる高位のお方!」


そのやり取りを聞いていたシェーンヴェルは頬をひくつかせながら口を開く。


「木の上で騒ぎ立てる猿の姿も、実に愛らしいものですわ」


彼女の声には明らかな嘲りが込められていた。


「精霊様に愛されているとかおっしゃってますけど、私から見れば木の上で枝から枝へと飛び移る様は、ただの獣そのものですわ。……ああ、でも、さすがに猿は『精霊の声が聞こえます』なんて嘘は吐きませんわよね?その点では、猿の方がよっぽど誠実で気品がありますわねぇ」


その露骨な皮肉に、エルフたちの表情が険しくなる中、アドリアンは即座に割って入る。


「まさに至言!」


アドリアンは目を輝かせながら言葉を継ぐ。


「エルフの方々の自然との調和を、純粋無垢な存在に例えるとは!お猿さんは嘘も皮肉も知らぬ存在、それはまさに精霊の寵愛を受けた証。閣下の比喩は、最大級の敬意の表現と言えましょう」

「お二方とも、お互いを『褒め称える』ことにかけては天才的!このアドリアン、感服いたしました……!」


その巧みな話術に、フェイリオンは内心で笑みを漏らす。

──なんたる茶番。しかし、余興としては面白い。

そんな時だった。アドリアンが両の手を合わせ、宣言する。


「さて、お互いの文化交流を果たせましたところで、一旦『友好』の証としてのティータイムへと移らせていただきましょうか」


場の空気が切り替わるような言葉。突拍子もない言葉に、全員の目が点になる。


「さぁメーラ。高貴なる方々の為の特別な茶会の準備をしようではありませんか」

「え?あ、はい!」


部屋の視線を一身に受けながら、アドリアンとメーラは茶会の準備を始める。アドリアンの動きは完璧な執事のそれで、次々と優雅に道具を配置していく。一方のメーラは、たどたどしくもその一生懸命な仕草が愛らしく、不思議と場の雰囲気を和ませていく。

しかし、それは単なる主賓だけのお茶会ではなかった。

シェーンヴェルとフェイリオンだけでなく、レフィーラやケルナ、そして護衛の騎士たち全員分のテーブルと椅子が用意される。


「さぁ、天空の花園から舞い降りた可憐なお嬢様方。どうぞお掛けください」

「……へ?」


アドリアンは華麗な仕草でレフィーラとケルナの椅子を引く。まるで王宮の舞踏会での貴公子のような優雅さだった。

レフィーラは呆けたような表情を浮かべ、ゆっくりと頷いて引かれた椅子に座り、一方のケルナは、おどおどとした様子で姉に倣う。

人間の執事からこのような待遇を受けることなど想定外だったのか、どう反応すべきか迷っているようだった。


「さぁ、騎士の皆様もどうぞおかけくださいませ」

「い、いや……我々は護衛の身。座る訳には……」


メーラの言葉に騎士たちは焦った様子でフェイリオンに視線を送る。

どうすればよいのかと無言で問いかける瞳に、フェイリオンは静かにエルフ語で応える。


「ヴァリス・エターナ、セルフィディオン……ミランティア(座るがよい。胡散臭い人間が織りなすこの茶番、少し面白くなってきたではないか)」


その言葉を受け、騎士たちはおずおずと席に着く。

武装したまま優雅な椅子に座る姿は少々様にならなかったが、アドリアンとメーラはそれすら自然な形でもてなしていく。

さらには妖精のペトルーシュカのための、手のひらサイズの可愛らしいテーブルセットまでもが。


「妖精様のための特別なお席も用意させていただきました」

「……まさか、私のための席まで?」


ペトルーシュカは驚きの声を上げる。手のひらサイズの純白の椅子と、繊細な装飾が施された小さなティーカップ。

それは妖精のために特別に作られたものとしか思えない出来栄えだった。


「もちろんです。精霊の世界と我々を繋ぐ架け橋たる妖精様を、立たせたまま……いや、飛ばせたままにしておくなど、そのような無粋な真似はできません」


アドリアンの言葉には、いつもの皮肉めいた色合いがなく、純粋な敬意が込められていた。

その態度に、ペトルーシュカは思わず光の粒子を優しく散らす。


「意外と心得ているのね。地底の人間のくせに」

「『地底の人間のくせに』とは、何とも嬉しい褒め言葉。これもまた、妖精様ならではの優雅な皮肉というものでしょうか」


その完璧な準備に、一同は言葉を失う。

そして──。

アドリアンの佇まいが一変した。


「──イルディア・セレニタス、アストラリス・エターナ」

「!?」


彼の口から紡がれる言葉は、古のエルフ語。それも王族や最高位の貴族のみが許される儀式の言葉だった。

エルフたちの瞳が見開かれる。一介の人間が、エルフの最上位作法を完璧に理解しているとは──


(待て……この男はエルフ語を──)


そう、この男は完璧にエルフ語を理解している。

つまり、先ほどまでエルフ語で交わした密談、全てが筒抜けだったということだ。


「ヴァリス・ルミエラ、アストラミランティ。フィリアスフィール、ペラネ(『茶番だが少し面白くなってきた』とおっしゃる通り、私もこの状況を心から楽しませていただいております。『胡散臭い人間風情』の茶番に、最後までお付き合いくださいませ)」


フェイリオンは平静を装いながらも、その瞳に警戒の色を宿らせた。一体、目の前の人間は何者なのか──。


「──実は私、高貴なる耳長の貴人の皆様方とは、随分と深いご縁がございましてね。……昔の話ですが」


アドリアンは優雅な手つきで紅茶を注ぎながら、まるで昔話でもするかのように語り始める。

シェーンヴェルのカップには深い琥珀色の紅茶を、フェイリオンには香り高い緑茶を、それぞれの好みを見抜いたかのように選び分けていく。


「森の中では、三日三晩木の上から降りてこなかった小さなお姫様に、『大地を踏む者に語りかけるなど御免です』と説教され」


レフィーラとケルナのカップには、甘い香りの紅茶を注ぎながら続けた。


「宮廷では、自分の影にすら頭が上げられないほど気位の高い官僚の皆様と、実に『心温まる』会話を交わし」


騎士たちにも、一人一人の雰囲気に合わせた茶葉を選びながら、華麗に舞い……。


「戦場では、剣を振らないで皮肉を振りまくエルフの戦士様たちに憤りを覚えたものですが……それでも何故か不思議と縁が途切れず」


ペトルーシュカの小さなカップにも、繊細な動きで紅茶を注ぎ入れる。


「そうして気が付けば、エルフの皆様の優雅な物言いまで、すっかり覚えてしまいました」


不意に、アドリアンとシェーンヴェルの視線が交差した。

彼女の顔は見事なまでに歪んでいた。


(お、おのれ……!)


アドリアンはエルフの作法も、言葉も、全てを完璧に理解している。

それはつまり、エルフの接待の仕方も熟知しているということ。自分が無理難題を突きつけた時から、この男は全てを分かった上で……!

シェーンヴェルの額に青筋が浮かぶ。意図的にエルフたちを怒らせようとしても、この男がいる限り──。


「──さぁ、どうぞ心行くまで互いを称え合ってくださいませ。この『胡散臭い人間風情』が、皆様の言葉を完璧に通訳させていただきますのでね」


シェーンヴェルは自分の企みが完全に裏目に出たことを悟りながら、この意地悪な執事の真骨頂を目の当たりにすることになるのだった。


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