「それでは皆様方。こちらでごゆるりとお寛ぎくださいませ。只今我が主を呼んで参りますので」
貴賓室に通されたエルフ一行。アドリアンは華麗な一礼と共に部屋から出ていった。
部屋の内装は不思議な調和を見せていた。
フェイリオンは興味深そうに魔導機械を観察し、ケルナは部屋の装飾に目を輝かせる。
護衛の騎士たちも、警戒は解けないながらも、この異質な空間に感嘆の声を漏らしていた。
「ほぅ。ドワーフ共も意外と貴賓というものを心得ているようですな。地底で暮らす野蛮人のくせに」
騎士の一人が、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「精霊の力を借りずにここまでやれるなんて、まぁ多少の知恵はあるようで」
別の騎士も続く。だが、その時フェイリオンの鋭い視線と共に冷たい声が響いた。
「我々は外交使節団です。相手を蔑む言葉など、言語道断。貴方達はこの使節団の長である私の品位を落としたいのですか?」
その言葉に騎士達は血の気が引いた。フェイリオンの視線には、怒りの色が明確に浮かんでいる。
「も、申し訳ございません!」
騎士たちは慌てふためいて、深々と頭を下げる。エルフの騎士といえど、外交官フェイリオンの怒りを買うことは、命取りにもなりかねない。
「フェイリオン様、どうか私どもの軽率な言動を……」
「よろしい。ただし、これ以上の失態は許しません」
「はっ!」
エルフの騎士たちが額に汗を浮かべる中、リリィは意地悪そうに笑みを浮かべた。
「珍しいわね。いつもならレフィーラが真っ先に騎士たちを叱りつけるのに」
しかし、その言葉にも反応しないレフィーラ。彼女は依然として、窓の外を呆けた目で見つめたままだ。
先程アドリアンから貰った白百合の花を指先で優しく撫でている。
彼女らしから雰囲気に、フェイリオンは心配そうに眉を寄せた。
「何か悪いものでも食べたのか?」
「あ!」
ケルナが心配そうに声を上げる。
「お姉ちゃん、また道に生えてた見たことない草とか食べちゃったの?前にもあったよね……」
「きっとさっきの人間に貰った花でも食べちゃったのよ」
リリィが意地悪く笑う。
「もしかして『美しい』なんて言われて舞い上がっちゃったりして?あぁ、そんな訳ないか。食べ物にしか興味がないからね、貴女は」
騎士たちも、和やかな空気に乗って口を開く。
「『星弓の射手』様は食い意地が張っておられますからねぇ……」
「あの時の毒茸事件は伝説ですよ」
からかいの声に、ようやくレフィーラの反応が変わる。
「アンタらねぇ!」
彼女は頬を膨らませ、普段の野蛮で粗暴な──いや、純真な性格を取り戻しかける。
その時、静かなノックの音が扉に響いた。
「大変お待たせいたしました」
「!!」
燕尾服に身を包んだアドリアンが、完璧な執事の佇まいで姿を見せる。その気品ある物腰に、エルフたちも思わず背筋を正す。
だが、最も大きな変化を見せたのはレフィーラだった。
先ほどまでの野性的とも言える振る舞いが嘘のように消え失せ、背筋を伸ばし、両手を前で組んで上品に微笑む。その変貌ぶりは別人のようだった。
「レ、レフィーラ様が淑女のような振る舞いを……?」
「そんな馬鹿な。森の奥で毒茸を食べ過ぎて、頭が正常になってしまったのか……?」
護衛の騎士たちが、小声で囁き合う。
その囁きを聞いたレフィーラの体が微かに震える。怒りで拳を握り締めながらも、彼女は優雅な笑みを浮かべたまま、騎士たちにギロリと視線を向けて呟いた。
「皆様?後ほど練習場で、私の『星弓』の腕前を存分にご披露させていただきましょうか?動く的は難しいとおっしゃいますが、私にとってはそれが楽しゅうございますから……ねぇ!」
レフィーラの握られた拳から、粉々になった白百合の花びらがパラパラと舞い落ちる。その光景を見た騎士たちは顔を真っ青にして口を噤んだ。
その様子を見ていたアドリアンはくすりと笑みを漏らしていた。
「!」
その笑みに気付いたレフィーラは、慌てて上品な微笑みを取り繕う。
「い、いやですわね。何か聞こえましたかしら?うふふふ……」
その明らかに不自然な貞淑ぶりにエルフたちは呆れたような、心配するような視線を送る。
しかしアドリアンは、そんなレフィーラの様子を気にする様子もなく、呟いた。
「星弓の射手様。天真爛漫な本来の御姿こそが、最も輝いていらっしゃいます。ですから、無理な仮面などお被りにならなくとも」
「え……?それって……」
レフィーラがその言葉の意味を理解しようとした時、扉が開かれる音が響く。
「おっと。『世界一の美姫』にして『一度着たドレスすら信用なさらない』我が主、シェーンヴェル閣下のご登場でございます。さぁ皆様、心からの拍手を。もちろん、拍手も使い捨てで結構ですが」
その皮肉めいた紹介に、エルフたちは言葉を失う。まともな従者がこのような物言いをするはずがないからだ。
そして、遂に扉が開かれる。
「──ご機嫌よう。森林国からの使者どの」
まず目に飛び込んできたのは、まばゆいばかりの輝き。
シェーンヴェルの纏うドレスは、まるで夜空の星々を織り上げたかのような豪奢さで、その裾には無数の宝石が散りばめられている。
メイド姿のメーラが傍らに控える中、彼女は優雅な足取りで貴賓室に入ってきた。
「……ほぅ」
フェイリオンたちは息を呑む。
これが噂に聞く『輝美公』か──と。
地底に住まうドワーフだというのに、その立ち姿は高貴で、纏うドレスはエルフの貴人のそれをも凌駕する華やかさ。
「うふふ」
しかしその微笑は徐々に変化を見せ始める。別人のような冷たい微笑みへと。
彼女の絢爛な姿に慄くエルフたちをよそに、アドリアンの表情にはいつもの皮肉めいた笑みが浮かんでいた。
彼にとって、彼女の豪奢な装いこそが最大の皮肉なのだから……。
(全く、彼女は相変わらず意地が悪いな)
シェーンヴェル卿との会話が、アドリアンの脳裏に蘇る……。
『──では、私の『従順なる僕』に一つ任務を授けましょう』
『任務、ですか?』
『えぇ。簡単なことよ。それは、決してエルフを怒らせないこと。彼らの『繊細な』お心を傷つけないように、最大限の注意を払って──あぁ、でも私は別よ?私ってば正直だから、彼らを怒らせてしまうかも……ふふっ』
何たる無茶ぶりか。アドリアンは心の中で溜め息をつく。
彼女は明らかにエルフたちを挑発するつもりでこの場に臨んでいる。その上で、自分たちには「怒らせるな」という矛盾した命令を下す。
──しかし、だからこそ面白い。
プライドが高く、ほんの些細な侮辱にも烈火の如く怒り狂うエルフという種族を、シェーンヴェルの毒舌から守り切ってみせよう。
それはまるで刃の上を舞うような危うい綱渡りだが……。
(いいよ、シェーンヴェル。今度は僕が君の尖った言葉を包み込んであげよう。前の世界では、君が俺の無謀な行動の後始末をしてくれたからね)
豪奢な貴賓室の中央、洗練された意匠の机を挟んで二人の貴人が向かい合う。片や絢爛なドレスに身を包んだシェーンヴェル。もう片や、静寂と貴賓を身に纏う外交官フェイリオン。
フェイリオンの背後には、彼の影に寄り添うようにして控えるケルナ。
その傍らで、手のひらサイズの妖精ペトルーシュカが光を放っている。その後ろには、緊張した面持ちの護衛の騎士たち。
「……」
レフィーラだけが、明らかに場違いな様子でアドリアンを見つめ続けていた。その視線には純粋な好奇心だけでなく、何か別の感情も宿っている。
室内に満ちる緊張の空気。魔導結晶の柔らかな光の中、シェーンヴェルがゆっくりと口を開く。
「さて──」
彼女の唇が意地悪な笑みを形作る。アドリアンは既に察していた。今から放たれる言葉が、どれほど刺々しい皮肉に満ちているか。
そして、彼女が発した言葉は──。
「エルフの皆様方とお話できる機会を得られて、私の心は喜びで一杯ですわ。まさか、木の上に住む『お猿さん』たちが私たちの国までご足労くださるなんて」
「……なに?」
一瞬にして、部屋の空気が凍り付く。
フェイリオンの瞳が危うい光を宿し始める中、アドリアンの燕尾服が、微かに揺れた。
(さぁ、楽しい茶番劇の始まりだ)
アドリアンの瞳に、挑戦的な光が宿る。シェーンヴェルの『仕掛け』に対して、どう『受け』を作るか──。
その瞬間、運命の幕が上がる。