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第五十三話

エルフとは──。

優美な容姿と鋭い耳を持つ長命の種族であり、生まれながらにして魔法の才に長け、精霊や妖精たちと深い絆を結んで暮らす者たちだ。

大陸東部に広がる広大な樹海の中に存在する、エルフたちの王国……それが『エルヴィニア森林国』である。

国土のほとんどが原生林に覆われ、彼らは自然と完全な調和を保ちながら暮らしているのだ。


そして、自然を蔑ろにするドワーフの国グロムガルド帝国とは仇敵の間柄。


森林国の森は強力な魔法により難攻不落の要塞と化しており、グロムガルドの侵攻を幾度となく退けてきた。

エルフとドワーフは決して相容れない仲。資源の採掘を重視するドワーフと、自然との共生を掲げるエルフ。その価値観の違いは深く、憎しみの連鎖は留まることを知らない。


しかし──。


「犬猿の仲であるエルヴィニア森林国から、使節団が送られてきた……と」


アドリアンの言葉にシェーンヴェルは扇子を静かに閉じ、小さく頷いた。


「えぇ。そして、外交を司るこの私がその使節団の応対を任されているというわけ」


本来ならば、エルフの国とドワーフの国は使節団などを送り合う間柄ではない。

軍隊を互いの国に送り合うことはあっても、外交官が行き交うことはないのだ。


「それは奇妙なお話ですね。エルフとドワーフ……一体どんな風に会談するのでしょう?お互いの悪口を言い合うだけで一日が終わりそうですが」


アドリアンの記憶の中でも、エルフとドワーフの関係は凄まじく険悪なものだった。

この世界でも、そして彼が以前知っていた世界でも同様だ。かつて魔族の脅威に直面した時ですら、彼らは表面的な協力関係を結ぶのが精一杯。

基本的には水と油のように相容れない存在同士。だからこそ、この突然の使節団は異常だと感じていた。


「私達ドワーフは『まとも』な常識を持ち合わせているけどね。エルフの奴等は、木の上で精霊とお茶会でもしていれば満足な連中よ。自然の声が聞こえるだの、妖精と踊るだのと戯言ばかり」


シェーンヴェルの言葉に、アドリアンは苦笑いを浮かべた。


「確かにドワーフの方々は『まとも』ですからね。山を丸ごと掘り尽くすほどに『まとも』で、大地に穴を空けることしか考えない『常識種族』。一方のエルフときたら、木々に謝罪しながら実を収穫するなんて、なんて非常識な種族でしょうかね」


皮肉たっぷりの軽口にシェーンヴェルはキッと睨み付けるが、アドリアンは気にせずに軽やかに話題を変える。


「ところで閣下は、何故そんなことを私達に?」

「まだ分からないの?エルフの応対を私と共に行い、奴等にこの帝国の威光を知らしめてやるのよ」


その言葉にメーラとアドリアンの動きがピタリと止まった。

なんという無茶ぶりだろうか、流石のアドリアンもこれには肩を竦めるしかない。


「それは魔族の姫として、エルフとドワーフの仲を取り持てという意味でしょうか?」


メーラは困惑したような表情を浮かべ、丁寧にメイド服の裾を正しながら言う。

しかし彼女は悪戯な笑みを浮かべて首を横に振った。


「魔族の姫君としてではなく、私の従者として行動しろと言っているの。せっかく『完璧な召使い』を名乗るのなら、それなりの仕事をしていただかないと」


ここまで来るとアドリアンは彼女の思惑を察し始める。

──彼女は、対シャドリオス連合に賛成する気など毛頭ないのだ。

魔族の姫として行動すれば、その立場上、正式な会談で二種族の仲を取り持つことは可能かもしれない。

しかし、一介の従者として行動してエルフとドワーフという水と油の関係にある種族の会談を成功させるなど、至難の業だ。


それこそがシェーンヴェルの目論見なのだろう。元々エルフ相手にまともな会談など成立するはずがないと考えている彼女は、失敗することを前提に、この茶番を演出しようとしているのだ。

アドリアンは思わず苦笑する。彼女は自分たちの「従順な召使い」という立場を逆手に取り、エルフとの会談を意図的に失敗に導き、それを理由に連合への参加を拒否しようとしている。


「──なるほど」


アドリアンはゆっくりと、優雅な笑みを浮かべた。

ほくそ笑むシェーンヴェル。その表情には明らかな勝利の色が浮かんでいた。

彼女は宝石を吟味するように自分の長い髪を指で弄び……そして、言った。


「──では、私の『従順なる僕』に一つ任務を授けましょう」




♢   ♢   ♢




──とある日、一台の馬車がグロムガルド帝国の王宮に到着した。

白銀と翠玉を基調とした優美な装飾が施された馬車は、まるで森の精霊が編み上げたかのような気品を漂わせていた。


「ふん……まさか我々が地底なんぞに来るとはな」

「そう言うな。これも任務だ」


馬車の周囲には、完全武装のエルフの騎士たちが護衛として付き従っている。

その優美な姿とは裏腹に、彼らの瞳には明らかな警戒の色が宿っていた。ドワーフの国に足を踏み入れることへの不快感を、彼らは微塵も隠そうとはしていない……。


「……」


そんな彼らを厳戒態勢で見つめ、佇むのは帝国の魔導機械兵。

馬車の行く先の両脇に配置された巨体の機械兵たちは、低い駆動音を響かせながら、エルフたちの一挙手一投足を監視している。

そうしてエルフの馬車は王宮の中庭へと導かれる。騎士たちは恭しく馬車の扉を開けた。

そこから姿を現したのは、高貴で、壮麗たるエルフの使者……。


「う~ん!やっと着いたのね!長かったぁ……!」


──ではなく。

快活という言葉を絵に描いたような、少女が飛び出してきた。

金髪のポニーテールを揺らしながら、彼女は騎士たちを吹き飛ばすようにして馬車から飛び降りる。


「わぁ!すごい!ここって本当に地下なの!?」


彼女は背伸びをしながら、胸を張って中庭を見回す。もっとも、薄い胸を張られても威圧感はない。

碧眼を輝かせながら、彼女は歯車の連なりや魔導結晶の輝きに見入っている。その天真爛漫な様子に、護衛の騎士たちは明らかに困惑の色を浮かべていた。


「レ、レフィーラ様!どうか落ち着いてください!」


しかし彼女は既に、噴水の周りを駆け回り始めていた。エルフの使節団の代表としては、あまりにも自由奔放な振る舞いである。


「あ、これが噴水の動力装置!?すごいわ!」


レフィーラと呼ばれたエルフの少女は一瞬で噴水の傍まで駆け寄り、巨大な歯車の連なりを食い入るように観察する。


「この結晶の配置が絶妙ね!魔力の流れを制御してるのかしら……」


次の瞬間には壁際まで移動し、埋め込まれた魔導結晶を指でなぞっている。

そして彼女の視線は、両脇に佇む魔導機械兵に向けられた。


「わぁ!これこれ!」

「レフィーラ様!危険です!」


護衛の騎士たちが悲鳴にも似た声を上げる中、レフィーラは既に機械兵の装甲をぺたぺたと触り始めていた。


「へぇ、近くで見ると随分と繊細な造りなのね。戦場じゃ遠目にしか見えなかったから、こうして触れるなんて貴重な機会!」


中に搭乗しているドワーフの戦士たちは、予想外の事態に困惑を隠せない。

魔導機械兵たちは互いの顔を向き合わせ、どう対応すべきか途方に暮れているようだった。

その時、馬車の中から落ち着いた男性の声が響く。


「レフィーラ、落ち着きなさい」


その一言に、レフィーラの動きが一瞬止まった。

馬車から現れたのは、まさにエルフの貴族そのものといった風格の男性だった。

純白のローブに身を包み、手にした杖には古代からの魔力が宿っているのが見て取れる。

その後ろから、小さな影が覗くようにして姿を現す。


「お、お姉ちゃん……!お願いだからやめてぇ」


レフィーラの妹、ケルナだ。彼女は男性の背後に半ば隠れるようにして、震える声を上げる。

巨大な歯車が連なる異様な光景や、無機質な魔導機械兵の存在に、明らかな恐れを感じているようだった。


「なんでよ!見なさいケルナ!これがドワーフの技術よ!精霊の力を借りなくたって、こんなにも見事な仕組みを作り上げているの!噴水の水が描く軌道だって、私たちの魔法に負けないくらい美しいわ!」


レフィーラの声は興奮で高揚している。

エルフの使節団の代表としては、あまりにも相応しくない振る舞いに、護衛の騎士たちは頭を抱えるばかりだった。

そうして、最後に馬車から小さな光が舞い降りるように現れた。


「まったく……守護者ともあろうものが、機械なんかにべたべた触って。レフィーラ、アンタの品性は一体どこに置いてきたの?」


手のひらサイズの妖精が、レフィーラの頭上を旋回しながら呆れた声を上げる。

小さな身体から放たれる光の粒子が、彼女の周りを淡く照らしている。


「昨日も『エルフたるもの優雅に振る舞うべき』って散々言ったよね?それなのに着いた早々、子供みたいに走り回って……」


妖精は宙に浮かびながら、胸を張るレフィーラを見下ろす。


「特に胸を張るのは控えめにね?張るものが無いのに空回りしてるみたいで、見ていて痛々しいから」

「うっ……」


──その時である。不燕尾服を纏った壮麗な人間の青年が姿を現した。

彼は優雅な足取りでエルフたちの前に歩み出る。その場にいる全員の視線が彼に集まった。


「高貴なるエルフの皆様方、ようこそおいでくださ……」


完璧な執事の立ち居振る舞いで一礼すると、歓迎の言葉を紡ごうとして──。


「!」


その時、レフィーラとケルナの姿が彼の視界に入った。

アドリアンの動きが、まるで時が止まったかのように静止する。


一瞬。だが、永遠にも思えるような沈黙。


その静寂を斬り裂くように、レフィーラがアドリアンを指差し、叫んだ。


「に……」


アドリアンの眉が僅かに動く。


「?」

「人間だぁぁぁぁー!?」


その予想外の反応に、場の空気が一変する。

護衛の騎士たちは思わず顔を背け、ケルナは男性の背後に更に隠れ、妖精のペトルーシュカは深いため息をつく。

そして高貴なエルフの男性は、まるで頭痛に襲われたかのように額に手を当てた。


「ねぇねぇ、どうしてドワーフの国に人間がいるの!?」


レフィーラは好奇心を抑えきれない様子で、アドリアンの周りをくるくると回りながら質問を投げかけていた。その純真な瞳には、人間への興味が溢れている。


「私、人間を見るの初めてなの!エルフの国じゃ人間なんて滅多に見られないから!ねぇ、本当に魔法使えないの?精霊の声は聞こえない?」

「……」


無邪気な問いかけに、アドリアンの瞳の奥に深い思考の色が宿る。

徐々に……レフィーラの声が、別の声と重なって聞こえ始めた。


──それはこの世界ではない、別の世界の彼女の言葉。


「ねぇねぇ、答えてよ!私、人間のことすっごく知りたいの!」

『──助けなどいらなかったのに。私一人で十分だった』


かつての彼女の冷たい声が、現実の純真な声に重なっていく。


「あ、もしかして私が怖い?大丈夫だよ、エルフは人間を襲ったりしないから!」

『──精霊に加護を貰えない下等種族なんかに、何が分かる!』


まるで幻のように、前世の彼女の姿が現れては消える。

氷のような眼差しで人間を見下ろし、刺すような言葉を投げかけ続けた戦士の姿が。


(──あぁそうか。この世界では、君はこうして純真に笑えるのか)


純真な笑顔と、憎悪に満ちた表情が、アドリアンの脳裏で重なり合う。


そうだ。


あの日、あの場所で。


初めて彼女と出会ったのだ。


魔族の大軍が押し寄せ、天が血に染まったあの戦場で……。


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