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第五十二話

シャンデリアの下、豪奢な調度品に囲まれた応接室。

シェーンヴェル卿は堂々たる態度で椅子に座っているものの、その表情には明らかな苛立ちが浮かんでいた。

そして皮肉なことに、アドリアンとメーラは、本物の従者のように彼女の椅子の両脇に立っている。


「このふざけた真似はいつまで続けるつもり?」


シェーンヴェルは遂に堪忍袋の緒を切らした。


「私を馬鹿にしているのなら──」

「とんでもございません」


アドリアンは申し訳なさそうな表情を浮かべながら、しかしその目は意地悪く笑っている。


「今の私は、シェーンヴェル閣下の従順なる僕。閣下の瞳の輝きを曇らせぬよう、一日76回の目薬を用意し、30分ごとの空気の入れ替えを行い、3分ごとの靴下の編み直しをさせていただく、忠実なる下僕でございます」


あまりにも完璧な従者の態度で言い放たれた皮肉に、シェーンヴェルは言葉を失った。


「……お前に何を言っても無駄ね」


シェーンヴェルは諦めたように溜め息をつくと、メーラの方へ向き直った。


「貴女は魔族とは言え、れっきとした姫君でしょう?王族の誇りとやらはどこへ置いてきたの?こんな……召使いなどに、身を落とすなんて」


メーラは可憐な仕草で膝を折り、しかしその瞳には魔族の姫らしい凛とした光が宿っていた。


「ええ、確かに私は魔族の姫。ですが、『使用人の真似事』で傷つくような誇りは持っていません」


その声には、アドリアンほどの皮肉さはないものの、確かな芯の強さが感じられた。

まぁ、メーラは庶民出身……それも孤児なので王族の誇りなどないし、彼女からすればこのメイド服も上等なものなので、むしろ嬉しいくらいなのだが。


「それに、シェーンヴェル閣下とお話をさせていただくため、このような策を取らざるを得なかったのです」

「どういう意味?」

「ご存じないのですか?」


アドリアンが意地の悪い笑みを浮かべながら割り込んできた。


「閣下は従者たちに『魔族の姫とその騎士を絶対に部屋に入れるな』と厳命なさっていましたよね?まぁ、その結果がこれです」


アドリアンはそう言うと優雅にくるりと一回転し、お辞儀をした。


「閣下の命令は完璧に守られ、アドリアンとメーラは入れませんでした。代わりに『新人の従者』が入っただけです」

「……」


コツコツと、大理石の床に彼の足音が響き渡る。アドリアンは更に追い打ちをかける。


「従者の方々は忠実に守りました。ただ、新人の身元確認まではしていなかったようですが」


シェーンヴェルは額を押さえた。自分の出した命令が、このような形で裏をかかれるとは。

というか明らかに身長が高く、ドワーフには到底見えないこの二人を新人として招き入れるとは使用人達の間抜けさには脱帽するばかりだ。


「……まったく。私の従者たちの知性を疑わざるを得ないわね」

「何を仰る」


シェーンヴェルは呆れた声で呟くが、アドリアンはにこりと微笑んだ。


「むしろ賢明な判断かと。『主人の命令は守りつつ、面倒ごとは上に任せる』という処世術としては、実に見事じゃありませんか?」


シェーンヴェルの額に青筋が立つ。だが、必死に怒りを抑えて彼女は冷たく言い放った。


「お二人とも、もう結構ですわ。どうせ私を愚弄しに来ただけでしょう?さっさと退出なさい」


アドリアンは困ったような表情を浮かべながら、大袈裟に肩を竦める。


「せっかく閣下の『新しい従者』となったというのに、私たちの力量もご覧にならずに追い出してしまうのですか?」

「力量?お前が執事の真似事などできるとは思えないわ」

「──果たしてそうでしょうか」


アドリアンは無言で深々と一礼すると、すでに用意していた銀のワゴンへと歩み寄った。その上には、見事な紅茶のセットが整然と並んでいる。

最高級の磁器でできた純白のティーカップには、金の縁取りが施され、その横に添えられた銀のポットからは、芳醇な香りが立ち昇っていた。

その手つきは、まるで長年の執事であるかのように完璧だった。茶葉を計り、お湯を注ぐ一つ一つの所作が、まるでダンスのように優雅で美しい。


「本日は『失われた紅茶園』の最後の一葉と言われる茶葉をご用意いたしました」


アドリアンは爽やかな笑みを浮かべながら言った。


「『世界一美しい方』には、一度使った茶葉など差し上げるわけにはまいりませんので、完璧な新品でございます」


紅茶を注ぐ手つきは芸術的とさえ言えるほどで、琥珀色の液体が優雅にカップへと注がれていく。

部屋中に漂う香りは、最高級の茶葉でさえ及ばないほどの芳醇さを放っていた。


「この香り」


シェーンヴェルは目を見開いた。これほどの紅茶を目にしたことがない。彼女は恐る恐る、優雅な動作でティーカップに口をつけた。

その瞬間、シェーンヴェルの瞳が輝きを放つ。今まで口にした紅茶の中で、間違いなく最高の味わいだった。

芳醇な香りと深い旨味が口の中いっぱいに広がり、まるで花園の中を散歩しているかのような優美な余韻が残る。


「なんて素晴らしい……!」


思わず声を上げてしまうほどの感動に、シェーンヴェルは一瞬、自分の立場さえ忘れていた。

だが、その時である。


「ではこちらは廃棄させていただきましょうか」


まだティーポッドには紅茶が残っているというのに、アドリアンはポットに手をかける。


「えっ!?何故!?」

「申し訳ございません。しかし閣下の『一度使ったものは即刻廃棄』というお言葉通り……」


アドリアンは深々と頭を下げながら、さも申し訳なさそうに続ける。


「たった今、一度お口をつけてしまいましたので」

「あっ……」


シェーンヴェルはハッとした。自分の言葉が、こんな形で返ってくるとは。


「い、いえ、これは……特例よ。全部飲むわ。勿体ないし……」


彼女の声は僅かに慌てていた。

アドリアンは優し気に微笑み、頷く。その笑みは子供をあやす親のようだ。


「左様ですか。閣下の寛大なお心遣い、深く感謝申し上げます……おっと、次はお召し替えの時間です。不肖ながらこのアドリアン、お手伝いをさせていただきます」


アドリアンは恭しく一礼すると、シェーンヴェルを魔導鏡の前に座らせ、すでに完璧に準備されたドレスを手に取る。


「閣下にはシンプルな装いこそが相応しいかと。余計な装飾は、本来の美しさを隠してしまいますので」


皮肉めいた言葉とは裏腹に、その手つきは芸術的なまでに優美だった。

シェーンヴェルの髪に触れる指先は繊細で、一筋一筋を丁寧に梳かしていく。

普段なら大勢の美容師がかかりきりになる作業を、アドリアンはたった一人でこなしていく。それは技術というより、魔法のようだった。

メーラも黙々と、しかし確かな技量でドレスの裾を整える。魔族の姫とは思えないほど手慣れた仕草で、生地の一枚一枚まで計算された美しさを作り上げていった。


「私なら、閣下の輝きを最大限に引き立てられます」


アドリアンはそう言いながら、化粧道具に手をかける。

シェーンヴェルは困惑しながらも、黙って二人の手に身を委ねた。


「……」


そうして魔導鏡の前に現れたのは、今までとは全く違う彼女の姿だった。豪奢な装飾も、けばけばしい化粧も、複雑な髪型もない。

ただ、シンプルな上質のドレスに身を包み、なだらかな曲線を描く金髪が肩を流れる一人の女性。その素朴さの中にこそ、真の気品が宿っていた。



「これは」


シェーンヴェルは自分の姿に見入ってしまう。華美な装飾に頼らない、本来の美しさがそこにはあった。

固まる彼女の背後から、アドリアンとメーラの声が響く。


「ご自身の素顔を見たのは何十年ぶりでしょうか?」

「……」

「毎日100人もの使用人が塗り重ねていた化粧の下に隠されていた、本物の『世界一の美姫』。あまりにお美しいので、私も目を逸らさねばなりませんね。このままでは、閣下の瞳の輝きで失明してしまいそうですから」


その言葉に、シェーンヴェルは反論の言葉を探そうとした。

──しかし、その時。


「本当に、綺麗です……」


メーラの声は、まるで清らかな泉のように澄んでいた。そこには一片の飾り気もない、ただ純粋な感嘆の色だけが浮かんでいる。

魔族の姫が、ドワーフに向ける言葉とは思えないほどの、真摯な輝きを瞳に宿らせていた。

シェーンヴェルは、その素直な賛美の言葉に、今までにない初めての感情を抱いた。

それが、なんなのかは分からないが。


──そうして、シェーンヴェルの周りでは、アドリアンとメーラの完璧な仕事ぶりが続く。

それは単なる従者の仕事を超えて、まるで芸術のようですらあった。


「お部屋の空気が重たく感じられますね」


アドリアンは窓際に立ち、優雅に手を翳す。


「『天使の溜息』の代わりに、『意地悪な執事の嘆息』はいかがでしょう?より純度が高いかと。何せ、閣下の贅沢な要求に応えるたびに、深いため息が出ますので」


シェーンヴェルが反論しようとした時、メーラが静かに彼女の元へ歩み寄り、上質なショールを優しく肩に掛ける。


「少し冷えてきましたから、温かくしていてください」


その仕草には、まるで本物の侍女のような気遣いが溢れていた。

生地の一枚一枚まで計算された包み方は、長年の経験がなければできないはずの技量を示していた。


「お菓子の時間です」


今度はアドリアンが銀の盆を手に現れる。その上には、宝石のように美しい色とりどりのマカロンが並んでいた。


「『一口で捨てる』と決めていらっしゃる閣下のために、特別なマカロンをご用意しました。食べる前から『捨てる予定』を立てているなんて、なんと効率的なのでしょう。さすが閣下、時間の使い方まで完璧です」

「お前ね……」


シェーンヴェルは呆れた声を漏らす。しかし、差し出されたマカロンの味は素晴らしく、思わず顔がほころんでしまう。


「もう一ついかがですか?『二個目は許されない』お決まりでしょうか?」


そうして数時間が過ぎ、二人の完璧な給仕は続いていた。

髪の手入れから衣装の微調整まで、すべてが申し分のない出来栄えだった。


「さぁ、お次はなんでしょうか?」


アドリアンが笑みを浮かべる。その目には、またしても悪戯心が宿っていた。


「閣下のトイレの世話まで、完璧にこなしますよ。『世界一美しい方』のお手洗いともなれば、それなりの作法があるでしょうから」


シェーンヴェルの鋭い視線が彼を射抜く。周囲の従者たちも、息を呑んで固まる。


「ご安心を」


さらに追い打ちをかけるように、アドリアンは優雅に一礼しながら続ける。


「幼いメーラ姫のトイレのお世話も昔していたので、慣れています。おむつ替えから──ぐはぁっ!」


その瞬間、メーラの足が音もなくアドリアンの足を踏みつけた。しかもそれは、メイドの仕草とは思えないほどの威力だった。

優雅な仕草の中に込められた怒りの力が、悲鳴となって響く。


「あら」


メーラは天使のような笑顔で言った。その笑顔の下には、確かな殺気が漂っている。


「私の足が『偶然』滑ってしまいましたわ。本当に、申し訳ございません」


悶絶するアドリアンと、天使のような笑顔で謝罪するメーラの様子を眺めながら、シェーンヴェルの表情が変化していく。

周囲の従者たちは息を潜め、彼女の怒りを予期して身体を強張らせていた。

しかしシェーンヴェルは予想外の反応を見せる。不意に、困ったような、力の抜けた笑みを浮かべ、優雅な溜め息をついた。


「何て困った従者を雇ってしまったの。おかげで私の贅沢も、まるで子供の背伸びみたいに見えてきてしまったわ。一体、誰のせいなんでしょうね?」


彼女は二人に向き直り、シェーンヴェルは言葉を継ぐ。


「──いいわ。話を聞きましょう。どうせ、『連合』の話でしょうけど」


その言葉に、二人の表情が明るく輝いた。

しかし──。


「ただし!」


シェーンヴェルが人差し指を立てる。その仕草には、まだ少しばかりの威厳が残っていた。


「ただし、条件があるの。私の『面倒事』を、まずは解決して?だって、今の貴方達は私の従者なんでしょう──?」


アドリアンとメーラは顔を見合わせる。彼女の口元には、意地悪な笑みが浮かんでいた。

まるで、今までの皮肉への仕返しを楽しみにしているかのように……。


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