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第四十八話

「ふふ……」


ザウバーリング卿の領地の一画でフードの男が薄暗い笑みを浮かべていた。

巨大な洞窟に広がる農場は、かつての豊かさを失い、今や見る影もない。

魔法の光結晶は色を失って暗く、灌漑設備は錆び付き、作物は枯れ果てている。


「実に素晴らしい光景だ」


ノーマは内心で嗤う。


「薄汚いモグラどもが食料の為に必死に耕す姿は、まさに最高の芝居……」


ザウバーリングの領地は、帝国の食糧供給における重要拠点。ここが機能を失えば帝国全体が混乱に陥る。

食糧不足は、やがて民衆の不満となり、貴族への反感となり……。


「そう、これは帝国崩壊への第一歩」


彼は薄く笑みを浮かべた。

そしてノーマは、フードの下で目を細めた。脳裏に、とある人物の姿が浮かぶ。

全ての憎しみと虚無を纏う、あの闇の存在に……。


「全ては、あの御方の望む通りに」


彼の声は、まるで祈りを捧げるかのように静かだった。しかし、その目には狂信的な光が宿っていた。


「ノーマ様!」


突然の声に、彼は表情を一変させた。苦悩に満ちた、誠実な相談役の顔に。

駆け寄ってきた農夫に、ノーマは深い憂いを湛えた目で応えた。


「マルガス殿。また収穫が芳しくないと聞きました。本当に心配です」

「はい……」


マルガスと呼ばれたドワーフは肩を落とした。


「幾ら耕しても駄目でした。このままでは、冬を越せるかどうか……」

「私にできることがあれば、何でも」


ノーマは真摯な表情で言った。


(愚かな虫けらが。その不安に歪む顔こそ、最高の愉しみだ)


その時、小さな声が聞こえた。


「あの……ノーマ様」


振り向くと、幼いドワーフの少女が立っていた。

擦り切れた服を着た少女は、両手で何かを大切そうに抱えている。


「リリィ?どうしたんだ」


マルガスが心配そうに声をかける。


「これ……」


少女──リリィは震える手で、手作りの人形を差し出した。


「収穫の女神様……作ったの。みんなのために、兵隊さんの為に、ノーマ様にあげるから……お願いします」


それは粗末な布で作られた、収穫の女神を模した人形だった。不器用な縫い目、所々ほつれた糸。

しかし、その一針一針には、純粋な祈りが込められていた。


「お母さんが教えてくれたの。こうすれば、女神様が私たちを守ってくれるって……」


リリィの目には涙が光っていた。


「みんなが……また美味しいものを食べられますように」


周りに集まったドワーフたちの目も、潤んでいた。

ノーマは優しく微笑んで人形を受け取った。


「ありがとう、リリィ。これは本当に素晴らしい贈り物だね。きっと、女神様も喜んでくれるよ」

「こんな小さな子も頑張ってるんだ。俺達ももっと頑張らなきゃな……!」

「よぉし!今度はもっと奥深くまで岩石を掘って、開拓してみようか!」


少女は嬉しそうに頷き、父親と共に去っていった。

他のドワーフたちも、感動的な光景に心を打たれ、それぞれの仕事に戻っていく。

そうして誰もいなくなった後……。


「く……くく……」


ノーマの口元が、不気味な笑みに歪んだ。

彼は人形を高く掲げ、勢いよく地面に投げつけた。


「こんなゴミを作って祈ったところで何とかなると思っているのか……ははっ」


彼は意図的にゆっくりと、人形を踏みつけた。

布が引き裂かれ、中の綿が散らばっていく。しかし、それだけでは飽き足らず、彼は更に踵で捻るように踏みつけた。

人形は無残にも引き裂かれ、汚れた地面に散らばった。少女の祈りを込めて作られた収穫の女神は、今や泥まみれの布切れと化した。


「神ねぇ……」


ノーマは嘲るように笑った。彼は引き裂かれた人形の残骸を見下ろし、言った。


「神様、お願いします?笑わせるな」


彼は嘲るように人形の顔を踵で押しつぶす。


「地面の下で這いつくばって暮らす劣等種の祈りなど、誰も聞き届けやしない」


ノーマはポケットから透明な虫を取り出した。それは薄く光を放ち、不気味に蠢いている。


「さあ、今日もお前たちの『芝居』を楽しませてもらおうか。必死に原因を探り、希望を持ち続けるその姿を」


彼は虫を水路に放つ。それは素早く水の中に潜り込んでいく。

ノーマの瞳には歪んだ愉悦の色が浮かんでいた。彼にとって、この領地の衰退は、まるで上質な演劇を観るような娯楽だった。


「エレノア様も、本当に素晴らしい主演女優だ。あの清らかな瞳で絶望する姿は……ふふ、なんともお労しい」


彼は再び領地を見渡した。作物が育たず、困窮する住民たち。その苦悩に満ちた表情は、彼にとって最高の愉しみだった。

今日も哀れなモグラ共の狼狽え絶望する姿を見ようと、領地を練り歩くノーマ。

しかし、その途中だった。


「おや?」


彼の目の前を、ドワーフたちが一様に明るい表情で駆けていく。

普段見慣れた暗い表情とは打って変わって、彼らの目には希望の光が宿っていた。


「何だ?」


彼が首を傾げていると、近くを走り過ぎるドワーフたちの会話が聞こえてきた。


「おい、食料がまた取れるようになるって本当か?」

「あぁ、なんでもエレノア様が原因を特定したらしい!」

「──なに?」


ノーマの表情が凍りついた。そんな馬鹿な。呪い虫を特定出来るわけがない。

そこへ、さらに衝撃的な会話が飛び込んできた。


「しかも、『聖女』様が訪れて、これから土地を元に戻してくれるんだってよ!」

「『聖女』だぁ?よく分からんが見に行ってみっか!」


ノーマの顔から血の気が引いた。フードの下の表情が、見る見るうちに歪んでいく。

歓声を上げながら走り去っていくドワーフたちを、彼は凍りついたように見つめていた。




♢   ♢   ♢




ザウバーリング卿の領地は俄かに活気づいていた。

普段は重苦しい空気が漂う地下農場に、今日は異様な熱気が満ちている。

領主の屋敷──エレノアの質素な住まいを取り囲むように、次々とドワーフたちが集まってきていた。

老いた農夫、疲れた表情の職人、痩せこけた女性たち、そして希望に満ちた目をした子供たち。

彼らは皆、屋敷の方を見つめながら、興奮した様子で言葉を交わしていた。


「本当に土地が元に戻るのかねぇ」

「エレノア様が約束したんだ、きっと大丈夫さ」

「聖女様って、一体どんな方なんだろう」


ざわめきは次第に大きくなっていく。しかし、それは不安や怒りのものではない。

長い間失われていた希望が、彼らの声に混ざっていた。

その時、一人の女性が民衆の前に姿を現した。


「領民の皆さま。お集まりいただきありがとうございます」


エレノアである。彼女はゆっくりと前に進み、領民たちに歩み寄る。いつもの質素な服装だが、その表情には今までにない強い光が宿っていた。

ドワーフたちのざわめきが静まり、全ての視線が彼女に注がれる。枯れた農地が広がる地下空間に、一瞬の静寂が訪れた。

エレノアの後ろには、異質な存在感を放つ二人の姿があった。

人間の青年と、魔族の少女。アドリアンとメーラの姿に、ドワーフたちは興味深げな視線を向けている。


「おい、ありゃ誰だ?」

「人間と、魔族……?」


困惑の声が、地下空間にぽつりぽつりと漏れ出る。

ドワーフたちの間で、不安げな視線が行き交う。彼らの期待は、突然の異種族の登場に戸惑いへと変わっていた。

しかし、そんな困惑の声を押し切るようにエレノアの清らかな声が響いた。


「──長らく、私たちの領地は苦しい状況が続いておりました」


エレノアは一呼吸置き、微かな微笑みを浮かべて続けた。


「しかし、その苦境は今日で終わりです。私たちの土地を救う方が、遥々訪れて下さいました」


ドワーフたちの間で、小さな驚きの声が上がる。

エレノアは後ろに控える二人に手を伸ばした。


「こちらが、魔族の姫にして聖女であらせられる、メーラ様です」


エレノアの言葉と共に、メーラはゆっくりと前に歩み出た。

彼女の淡い紫色の髪が、魔法の光結晶に照らされて柔らかく揺れる。彼女の纏う深紫のドレスは、歩くたびに優雅な波紋を描く。

裾が光を受けて煌めくたびに、まるで夜空の星々が舞い踊るかのよう。その姿は、暗い地下空間に、まるで異世界の光が差し込んだかのような印象を与えていた。


「……」


ドワーフたちは唖然とした様子で、彼女の歩く姿を目で追いかけていた。

異種族。それも、劣った種族である筈の魔族であるはずなのに、メーラの佇まいからは、そんな偏見を一瞬で吹き飛ばすような威厳が漂っていた。


「この地に住まう、ドワーフの皆さま」


メーラの儚くも美しい声が鈴のように響き渡る。その声には不思議な力が宿っており、聞く者の心を静かに捉えていった。


「私は、あなた方がどのような苦境に立たされているか……それを存じ上げております」


メーラの透き通った瞳がドワーフたちを見つめた。

その眼差しは慈愛に満ちており、彼女が心から領民たちを心配していることが伝わってくる。


「ですが、どうかご安心を。この魔族の姫であるこの私が、必ずやこの地を救ってみせます」


彼女の言葉には、不思議な説得力があった。まるで神託のように、その言葉はドワーフたちの心に直接響いてくる。

そして、その横に控えていた人間の青年が一歩前に出る。アドリアンの姿には、メーラとはまた違った威厳が漂っていた。

彼は壮麗な佇まいで民衆の前に立ち、力強い声で宣言した。


「さぁ、皆さま。これから魔族の姫君にして『聖女』であらせられるメーラ様の奇跡がご覧になれます」


アドリアンは優雅に一礼して続けた。


「本日限りの特別公演、『聖女様の土地復活ショー』の開幕です。荒れ果てた土地が生まれ変わる様を、最前列でご覧いただけるなんて、皆様なんとお幸せなことでしょう」


メーラは思わずため息をつきそうになるのを堪えた。横で、エレノアが不安そうな目で二人を見ている。


「もちろん、入場料は無料。お土産付きと言いたいところですが、それは収穫が復活してからのお楽しみ、ということで!」


彼の陽気な声が、枯れた地下空間に響いた。その声には不思議な力があり、重苦しい空気を少しずつ溶かしていくようだった。


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