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第四十六話

地下帝国の農場は、ドワーフの技術と創意工夫の結晶であった。

広大な洞窟の天井には魔法の光を放つ巨大な水晶が取り付けられ、地上の太陽光を模倣されていた。

複雑な換気システムが、洞窟の壁面を縫うように張り巡らされている。そこかしこに設置された魔導機械が、絶え間なく水や栄養分を作物に供給していた。

農場の一角には、キノコの栽培エリアがあり、幻想的な光を放つ様々な種類のキノコが暗がりで輝き……別の場所では、地下水脈を利用した養魚場が設けられ、特殊な魚類が泳いでいた。


しかし、かつての活気は失われていた。多くの栽培棚が空っぽになり、稼働していない魔導機械も目立つ。

働くドワーフの数も少なく、彼らの表情は暗く、疲れているように見えた。


「どうして」


そんな土地を呆然と見ながら、一人のドワーフの女性が呟いた。


「どうして、作物が育たないの……」


彼女の名はエレノア。ザウバーリング卿の娘である。

金色の髪を靡かせ、ドワーフ特有の少女のような外見。しかし、その表情には深い疲れが浮かんでいた。


「エレノア様、このままでは」

「分かってる。分かってるわ……」


従者のドワーフの言葉を遮り、エレノアは厳しい表情を浮かべた。

父ザウバーリングから任された領地の統治。かつてはこの場所こそが帝国の食糧事情を一手に担う存在であり、その豊かな生産物を帝国全土に供給していた。

しかし今、彼女の目の前には帝国内でも最も貧しい土地が広がっている。


──ある時を境に作物の生育が急落し、その収穫量は目に見えて低下したのだ。


原因は不明のままだった。本来であれば今頃、帝国内に豊富な食料を供給しているはずだったのに、現実は厳しいものだった。


「何か手を打たないと」


エレノアは唇を噛んだ。このままでは帝国に食料を供給できなくなる。

一刻も早く対処しなければ……。しかし……。

──私に何ができる? 自問するエレノアだったが、答えは出ないままだ。


「エレノア様」


エレノアが無残な領地を見て呆然と立ち尽くしていると、背後から声をかけられた。

振り向くと、そこには一人のフードを被った男が立っている。

ドワーフと比べて遥かに長身の男は、フードの奥の顔を暗闇で隠したまま恭しくエレノアに首を垂れる。


「ノーマ。どうでしたか」


ノーマと呼ばれた男は、ゆっくりと顔を上げた。フードの陰から、鋭い目が光っているのが見えた。


「この地はもう駄目です。放棄するしかないかと」


ノーマは数年前、突如としてこの領地に現れた謎の人物だった。どこからともなくふらりと現れ、様々な革新的な提案を民やエレノアに進言し、この領地の発展に大きく貢献してきた存在だった。

フードを被り素顔を隠し、明らかにドワーフではない長身。エレノアは最初こそ彼の存在を訝しんだが、その卓越した知識と的確な助言によって、次第に信頼を寄せるようになっていた。


彼の存在は、この領地の数少ない希望の一つだった。


「そう」


しかし、エレノアは力なく呟いただけだった。

ノーマの言葉は容赦がないが、決して間違ってはいない。このまま領民を飢えさせるわけにはいかないのだ。

彼女は歯を食いしばった後、言葉を絞り出した。


「……分かりました」

「賢明な判断です」


ノーマはそれだけ言うと、再びフードを深く被り直した。その表情は窺い知ることができない。


「噂についてもお聞きになっているでしょう」

「ええ……私が食糧を横領しているという馬鹿げた噂ね。そもそも横領する食料なんてありはしないのに」

「その噂は、誰かが意図的に流しているものです。貴女を陥れ、この領地の混乱を助長しようとしている……」


エレノアは拳を握りしめた。その噂は彼女の耳にも届いている。

しかし、彼女は決して動じなかった。この領地を預かる者として、毅然とした態度で民に向き合わなければならないのだ。


「エレノア様、ここは是非私めに任せていただけましたら全てを解決してご覧にいれましょう」

「え?」


ノーマの言葉にエレノアは驚きを隠せなかった。


「解決するって……」

「私に、一時的に権力を譲っていただきたい。私が貴女の名の下に行動することで、真の黒幕を炙り出せるやも……」


その言葉が完全に理解される前に、突如として足音が響いた。

荒々しい息遣いと共に、一人のドワーフの従者が慌てた様子で二人に駆け寄ってきた。


「エレノア様!ザウバーリング閣下からの使者がお見えになりました!」

「父様から?」


彼女の目に、瞬時に様々な感情が交錯した。

困惑、恐れ、そして深い疲労感。エレノアは深いため息をつき、肩を落とした。


「一族の恥と、私をお責めになるのかしら……」


姿勢が崩れ、彼女は項垂れる。

従者は痛ましそうにその様子を見ていたが、ノーマは、フードの陰から静かにこの光景を見つめていた。


「……」


その眼差しには、同情や憐れみではない何かが浮かんでいた。




♢   ♢   ♢




アドリアンとメーラが地下38階層にあるザウバーリング卿の領地に到着したのは、地上であれば夕方に当たる時間帯だった。

しかし、地下深くにあるこの場所では、昼も夜もない。代わりに、巨大な魔法の光結晶が天井に取り付けられ、一定の明るさを保っている。


「地下にこんな農場があるんだ……」


メーラは驚愕の表情を浮かべて呟いた。

彼女の目には地下とは思えぬ広大な空間が映り込んでいる。


「驚いたかい?実は地下で作物を育てるのは帝国でも難しいんだ。昔は地上で耕作をしていたみたいだけど……農業技術が発達してからは地下でキノコさんを作っているみたいだけどね」


ザウバーリング卿の祖先は地下で農業をする技術を確立して、その地位を確固たるものにした一族だ。

彼らは魔法と科学を融合させ、この驚異的な地下農場システムを作り上げ帝国の下地を作り上げたのだ。


「ドワーフの人たちってすごいんだね」

「うん、そうだね……でも」


彼の視線の先には、かつての栄華を物語る農業設備とは対照的な、荒れ果てた農地が広がっていた。

枯れた作物、乾いた土、錆びついた灌漑設備。その光景は、この地の現状を如実に物語っていた。

アドリアンはゆっくりと膝をつき、手で土を掬い上げた。彼の指の間から乾いた土がさらさらと落ちていく。


「この土には生命力がない。まるで何かに搾り取られてしまったかのように……」


彼は近くの水路に歩み寄り、水面を覗き込んだ。


「水質も良くない。これでは作物が育つはずがない」


アドリアンは何かを考え込むように、しばらく水面をじっと見つめた。

その様子をメーラは静かに見守っていた。彼女もまた、何か思うところがあるようだ。

暫く考え込むアドリアンであったが、メーラへゆっくりと振り返り穏やかな笑顔で答えた。


「……さて、悩むのは程々にして、ここの領主様、エレノア殿にお話を聞いてみようじゃないか」


そうして二人はエレノアの屋敷へと向かった。到着してみると、その建物は領主が住むには思えないほどこじんまりとしていた。

質素な外観、控えめな装飾。それは権力者の住居というよりも、一般の民家のようだった。


「えっと、ここが領主さまのお屋敷?」


メーラの目が点になる。あのザウバーリング卿の娘だというからには豪華絢爛なお屋敷に住んでいるかと想像していたからだ。

しかし目の前に広がる光景はメーラの想像とはかけ離れている……。


「エレノア殿は清貧という言葉がよく似合う女性だからね。彼女の住居を見ても食料を横領しているだなんて噂を信じる人はどうかしてるとは思うけど」


彼は屋敷の入り口に向かって歩き始めた。

くるくると指を回し、まるで友人に会いに行くような気軽さで言った。


「さあ、行こう。『清貧の聖女』に会いに」




♢   ♢   ♢




「ようこそいらっしゃいました」


二人を出迎えたのはドワーフの従者……ではなく、エレノア本人であった。

貴族とは思えぬような至って普通の……それどころか、農業に従事しているような質素な衣に身を包み、長い金髪の髪を後ろに束ねていた。


「お出迎えありがとうございます、エレノア殿」


アドリアンは恭しく頭を下げた。メーラも慌ててそれに続く。

エレノアの表情は厳しいものだった。その目は鋭く、二人の来訪が歓迎すべきものではないことを暗に伝えていた。


「……父からの使者と伺いました」


彼女は静かに言った。その表情には不安や恐れといった感情が浮かんでいるようにも見えた。

しかし、アドリアンはそんな様子に構うことなく話を続ける。


「いえ、父君からの使者ではありません」

「え?」


彼は口元に笑みを湛えると、穏やかな口調で語りかける。

エレノアの表情が一瞬驚きに染まる。彼女の細い指が、思わず胸元の飾りを掴んだ。


「こちらは魔族の姫君、メーラ殿下です。そして私は……」


彼は少し間を置いて、まるで舞台の上の役者のように演劇的に続けた。


「その騎士にして英雄、アドリアンと申します。どうぞ、お見知りおきを」

「魔族の姫君?それに、英雄……?」

「急な訪問で驚かせてしまって申し訳ありません。実は、この地で起きている問題についてお伺いしたくて来ました」

「……」


エレノアは警戒した様子でアドリアンを見つめていた。その表情には困惑や怒り……様々な感情が入り混じっているように見える。


「……そうですね。こんな場所までご足労いただいたのですもの、お茶の一つでも出さねば失礼ですね」


しかし、やがて諦めたようにため息をつくと、彼女は静かに微笑んだ。

その微笑みにはどこか諦めのような感情が見え隠れしているように見えた。

しかしアドリアンは手で彼女を制し、にこやかに言った。


「あぁいや、お茶は結構。清貧を貫く貴女様が出すお茶には興味がありますが……事態は急を要するので本題に入らさせていただきます」


彼は一歩前に進み、エレノアの目をまっすぐ見つめた。


「この枯れ果てた土地の原因である貴女を、どうにかしましょうか」


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