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第四十五話

グロムガルド帝国はシャヘライトの魔力とドワーフの卓越した技術が融合した地下世界の大帝国である。

その権力構造の頂点に立つのが、四人の公爵たちだ。


そして、その内の一人──魔環公ザウバーリング卿。

名門の生まれであるザウバーリング卿は、その血筋と実力で『魔環公』の位を先代より受け継ぎ、若くして四公の座に上り詰めた天才である。


「……くそ、食料不足が未だに続いているのか」


宮殿の一画にある執務室の机で、執務をするドワーフの青年。

10代半ばの少年のように見えるその男性こそがザウバーリング卿その人である。


「そもそも、私は最初からエルム平野への出兵に反対だったんだがね。無駄な遠征のせいで兵糧も金も、まるで蒸発したかのように消えていく……全く素晴らしいね」


ザウバーリング卿は、小さく不満の声を漏らしながら、優雅に万年筆を走らせていた。

その姿はまるで小さな子供が駄々を捏ねているような姿だが、彼は見た目とは裏腹に深い叡智と絶大な権力を持つ人物である。

両手の全ての指に嵌められた魔導リングは彼の家に代々伝わる秘宝であり、そこに嵌められている宝石一つで庶民が一生遊んで暮らせるほどの価値が秘められているのだ。


「閣下」


大量の書類との格闘に飽きてきたザウバーリング卿は、無意識に魔導リングを回し始めた。

その時、一人の従者が恭しく声をかけた。


「来客がございます」

「……なに?」


従者の言葉に彼は目を丸くした。この執務室に来客とは珍しい。


「一体誰だね? 私の貴重な時間を割くほどの相手なのか?」


ザウバーリング卿は眉を顰めながら、そして不愉快さを隠さずに言った。

この執務室に来れる程の相手は、限られるからだ。

それは他の公爵たち……顔を合わせようものなら嫌味と腹の探り合いの応酬が始まり、とてもではないが仕事にならないだろう。

……今しがた、退屈して魔導リングを回し始めた彼ではあるが、それでもこの執務室に他の公爵を招き入れる程、彼は愚かではない。


「その、それが……」

「なんだ、早く言いたまえ。私の忍耐力にも限度があるのでね」


従者の煮え切らない態度にと露骨に苛立ちを露わにするザウバーリング卿。

だが、次の従者の言葉に彼は大きく目を見開くこととなる。


「『ふわふわぬいぐるみパーティー』にお誘いしたいと仰る人間の御方が……」


ザウバーリング卿の顔から血の気が引いた。


「……な、に?」


彼の脳裏に浮かんだのは、あの憎らしい人間の青年の顔だった。謁見の間で散々恥をかかされた相手。その時の屈辱が、鮮明に蘇ってきた。

暗殺者でも送ってやろうかと思ったが、一応は貴賓として招いた客であるため殺さずにおいたのだが……。


「帰らせろ。私は今いないと言え」


その時だった。勢いよく扉が開き、アドリアンが颯爽と入ってきた。


「やぁ、ザウバーリング卿。お久しぶりでございます。正確に言うと、一日ぶりくらいかな」


ザウバーリング卿は、その言葉を聞いて一瞬凍りついたように動かなくなった。

彼の表情には、怒り、恐怖、そして言いようのない屈辱感が混ざっていた。


「ところで『ふわふわぬいぐるみパーティー』を楽しみにしていた卿には申し訳ないのですが、その前にご相談したいことがあるのですよ」

「……そんなものに行くだなんて一言も言ってないし、そもそも楽しみになんてしていないが」


ザウバーリング卿が不愉快さを隠さずにそう言った。

その時だった。部屋の扉が再び開き、ドレスを身に纏った少女……メーラが姿を現したのだ。


「魔環公ザウバーリング卿、お邪魔いたします」


ザウバーリング卿は、突然の来訪者に一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに貴賓を迎える態度に切り替わった。

この憎たらしい青年はともかく、魔族の姫君は皇帝直々に貴賓として扱えとの仰せがあったのだ。


「……おや。魔族の姫君か。どうぞ、お入りください」


内心では『魔族という劣った種族の小娘』という思いは持っているが、貴賓としている以上それなりの対応をせねばならない。

ザウバーリングは額に青筋を浮かべながら、努めて冷静な声を出した。


「わざわざこのようなところにまでいらっしゃるとは、一体どのようなご要件でしょうか? 魔族の姫君よ」


メーラは、ザウバーリング卿の落ち着いた態度に安堵の表情を浮かべつつ、丁寧に答えた。


「魔環公閣下、お時間を頂戴し恐縮です。私が参りましたのは、先日の謁見の間でのことについてお伺いしたく……」


彼女は一瞬躊躇したが、続けた。


「何故、連合に反対されたのでしょうか?」


あぁ、その事でここに来たのか、とザウバーリング卿は納得する。

そして彼はちらりとアドリアンを見た。


「そうですねぇ……貴女の騎士殿のあまりにも愉快な冗談を聞いたせいで、真面目な話が耳に入らなくなってしまったのかも」


メーラが困惑した表情を見せると、ザウバーリング卿は急に表情を変え、「冗談ですよ、冗談」と言った。

これは懲らしめが必要な態度かなぁ、とアドリアンがそう思い再びその軽口を発揮しようとする。

しかし、その前にザウバーリング卿はコホンと咳ばらいをすると姿勢を正し、話し始めた。


「連合に反対した理由? それはもう、とても単純なことですよ」


彼は声を落とし、大切な秘密を明かすかのように続けた。


「ご存知の通り、連合というのは素晴らしいものだ。兵士たちに贅沢な兵糧を与え、軍費を天井知らずに増大させる絶好の機会……」


ザウバーリング卿の表情には、苦々しさと皮肉が混ざっていた。


「我が帝国は確かに強大だ。まるで底なしの財布を持っているかのように。ですが、悲しいかな、物資にも資金にも限りがあるのだよ」


ザウバーリングは、そこで一旦言葉を切った。そして、メーラを試すかのように続けた。


「魔族の姫君よ。貴女が連合を結成するのは自由だ。素晴らしい理想に基づいた決断でしょう」


そして、彼は子供に諭すような口調で、しかしその目は鋭く光りながら言った。


「ただ一つだけ教えていただきたい。もし、そのご立派な連合のせいで、費用が嵩み、我が帝国の民たちが飢えることになったとしても……構わないのですかな?」


ザウバーリングの言葉には、甘さと皮肉が同時に含まれていた。

彼はメーラの答えを待ちながら、魔導リングを意味ありげにくるくると回し始めた。


「それは……」


メーラは何も言えなかった。確かに、連合を組むとなれば様々な戦費が発生し、国の負担になることは確実だ。

彼の話しぶりから察するに帝国とて余裕がある訳ではなく、むしろ食料不足に困っているのだろう。


──だが。メーラは、それでも意思を曲げることはなかった。


以前の彼女ならば簡単に引き下がっていただろうが、今は違う。

彼女の心には、アドリアンが今までに見せてくれた勇気と優しさが、確かに息づいていた。


「魔環公閣下。私たちは貴方の敵ではありません。貴方と、そして帝国の助けになりたいのです」


メーラの真っ直ぐな視線が、ザウバーリングを射抜いた。

その瞬間、ザウバーリングは彼女の無垢な瞳に宿る強い意志に気圧された。

彼が「ただの小娘」と思っていたその目には、予想外の深い決意が宿っていたからだ。


「……敵ではない、ね。助けになりたいと仰ってくれるのは有難いが、一体どうやって? 一体何を?魔族の姫君よ、私は貴女に何も求めていませんが」


ザウバーリングは、一瞬動揺したことを悟られないよう平静を装いながら続けた。

そしてメーラが何かを口にしようとした時……不意にアドリアンがメーラの前に歩み出て、口を開く。


「魔環公閣下」


彼は丁寧に、しかし少し皮肉めいた口調で言った。


「確かに、帝国の食糧事情は厳しいようですね。特に、ある特定の領地での……困難は深刻なようですが」


ザウバーリングの目が僅かに見開かれた。アドリアンは、その反応を見逃さなかった。


「その困難は、ある若くて……才能豊かな方の管理下で起きているのでしょうか? 例えば貴方の血縁者の方とか」


ザウバーリングの顔が一瞬青ざめた。アドリアンは、まるでとどめを刺すかのように言った。


「私たちならば、貴方の悩みを解決できます。食糧不足の問題も、そして……もしかしたら、とある方の……経験不足による問題も」


部屋に緊張が漂う。ザウバーリングは、アドリアンとメーラを交互に見つめ、何か言葉を探しているようだった。

情報屋──スモークがアドリアンに教えた情報。

それはザウバーリング卿の領地で食糧不足が深刻化しているというものだった。

そして、その領地の責任者はザウバーリング卿の娘……。


「──何が言いたいんだ?」


ザウバーリングの全身から、今までの比ではない凄まじい魔力が溢れ出した。

部屋の空気が重く、息苦しくなる。魔導リングが不気味な光を放ち、威圧的な魔力が部屋中を満たす。


栄えある一族の彼の娘が引き起こした食料調達不足。

それは一族の恥であり、彼の権力基盤を揺るがしかねない重大事だった。

さらに、娘が食料を不正に横領しているという噂まで密かに流れ、彼はこのことに頭を悩ませていた。


「私を脅しているのか。我が娘の不正を疑っているのか」


アドリアンは、ザウバーリングの目を真っ直ぐに見つめ、静かに言った。


「──違う。彼女は、そんなことをするような女性じゃない。決して」


そして、アドリアンもまた今までの軽口とは違う、真剣な表情と、そして真摯な声で続けた。


「それを俺たちが証明してみせる。『家族想い』の貴方に代わって、彼女の潔白を証明してみせる」


アドリアンは、ザウバーリングの瞳を真っ直ぐ見つめ、言った。

彼の瞳からは強い意志が感じられる。それは、決して口先だけのものではないことを物語っていた。


「……」


部屋に重い静寂が訪れた。ザウバーリングの魔力の波動が、まるで潮が引くかのようにゆっくりと収まっていく。

ザウバーリングは唖然とした様子で、アドリアンを見つめ続けていた。怒り、疑念、そして僅かな希望。それらが入り混じり、彼の言葉を奪っているようだった。

そして、数秒後。彼はようやく口を開いた。


「お前たちは」


彼は言葉を探すように一瞬躊躇った。


「本当に……我が娘の潔白を証明できるというのか?」


その問いには、怒りや威圧よりも、むしろ切実さが感じられた。

ザウバーリングのその言葉に、アドリアンは、にやりと笑みを浮かべ、軽やかな口調で言った。


「身の潔白?ああ、もちろんそれもやりましょう。でも、それだけじゃあ簡単すぎてつまらないでしょ?」


彼は軽やかな口調で続けた。


「せっかく舞台に立ったんですから、もっと派手にやろうかなって。この食糧不足も、『ついでに』さっさと解決してしまいましょう」


彼は大げさなジェスチャーで自分とメーラを指し示した。


「なにしろ、ここにいるのは偉大なる英雄アドリアンと、高貴なる魔族の姫君メーラ殿下なんですからね。たかが食糧不足くらい、朝飯前ですよ」


アドリアンは意味ありげにウィンクした。


「どうです? 魔環公閣下。私たちに任せてみる気になりました? もちろん、失敗したらこの首を差し出しますよ。まあ、その時はぬいぐるみにでもして飾ってくださいな」


ザウバーリングは無言のまま、アドリアンとメーラを交互に見つめていた。

そして暫くすると、ゆっくりと首を垂れた。


「……」


疲れと安堵が混ざった、若公爵の溜め息が部屋に響いた。


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