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第四十四話

帝都『シュヴェルトベルグ』。

ドワーフの国の心臓部であり、技術と野心が渦巻く地下都市。幾重にも重なる『層』は、まるで地下に築かれた巨大な蜂の巣のようだ。

ドワーフの都市は上層へ行けば行くほど、洗練された技術と華やかさが目を引く。一方、下層に潜れば潜るほど、混沌と冒険が渦巻いている。

都市は横にも広がりを見せるが、最下層に近づくにつれ、粗野な喧騒と開拓者たちの熱気が渦巻いていた。

ここでは、未知の鉱脈や古代の遺物を求めて、日夜、奈落への探索が続けられているのだ。


「う~ん、ここはいつ来ても薄暗くてどんよりしてて、暑苦しい場所だ」


人間の青年、アドリアンの声が、湿った空気に吸い込まれていく。それを聞き彼の隣を歩くメーラが応じた。


「でも、凄い熱気だね」


二人の周りでは、ゴツゴツとした岩肌に掘られた酒場から陽気な歌声が漏れ、露店では奇妙な機械や怪しげな薬が売られていた。鍛冶屋の金槌の音が響き、遠くからは未知の洞窟を掘り進む機械の唸りが聞こえてくる。

アドリアンとメーラは、シュヴェルトベルグの最下層をさらに奥へと進んでいった。周囲の喧騒が徐々に薄れ、闇と静寂が二人を包み込んでいく。


「ア、アド?私たちどこに向かってるの?」


不意に、メーラが不安げに尋ねた。


「ああ、ちょっとね。とある『情報屋』に会いに来たんだ」

「情報屋?こ、こんな場所に?」

「最高の情報屋はね、誰も見つけられない場所にいるものさ」


アドリアンは迷いなく歩を進める。通常なら人が通れそうもない狭い隙間を縫い、時には見えない透明の橋を渡り、時には上下逆さまに歩くような感覚で進んでいく。

やがて、二人は奇妙な形をした岩の前で立ち止まった。一見すると何の変哲もない岩だが、アドリアンはその前でにやりと笑った。


「着いたよ」

「え?ここ?」


メーラは困惑した表情で周りを見回した。

アドリアンは岩に手をかざし、何かの呪文を唱えるように指を動かした。すると、驚くべきことに岩が霧のように消え、その向こうに小さな洞窟が現れた。


「わっ……」


洞窟の中は、想像を超える光景だった。無数の書物や羊皮紙が壁一面を覆い、奇妙な形の装置が至る所に置かれている。

そして、その中心には一つの机。机の向こうには、少年の姿をしたドワーフが座っていた。


アドリアンは満足げに言った。


「ほら、見つけたよ。最高の情報屋の住処を」


情報屋のドワーフは、アドリアンを見るなり身構えた。その小さな手には、小型の魔導爆弾が握られている。


「何者だ。何故、この場所が分かった」


彼の声は低く、警戒心に満ちていた。

アドリアンは、その緊迫した空気を意に介さず、涼しげな笑みを浮かべた。


「煙っ……相変わらずこんなボロボロの場所を選ぶとは。どの世界でも、お前の『居心地の悪さ』への執着は健在みたいだな、スモーク」


スモーク、と呼ばれた情報屋の少年は眉をひそめる。

だがアドリアンはにこにこと笑いながら手に持っていた小包を机に置く。

スモークは警戒してその小包を見ていたが、アドリアンは気にせずに包みを開けた。


「ほら、『クリスタルベリーのタルト』だ。ドワーフの鉱石のように輝く果実がのっているよ。それから『鍛冶屋の炎プリン』。表面がカラメルで炙られていて、まるで熱した鉄のようだ。おっと、これは君のお気に入りだったはず。『宝石の雫ゼリー』。七色に輝くゼリーの中に、エメラルドのような緑の果実が閉じ込められている……」


スモークの目が次第に大きくなっていった。彼の手の中の魔導爆弾は、いつの間にか下げられていた。


「それに、『ミスリルの綿雲』。口の中で溶けるふわふわの綿菓子だ。表面には銀粉がまぶしてある。最後は、『ドラゴンの吐息クッキー』。ほんのり辛くて、噛むと中から甘いクリームが溢れ出す」


アドリアンは全てのスイーツを並べ終えると、にっこりと笑った。


「さあ、どれから食べる?甘い物好きの、最高の情報屋さん」


スモークは完全に戸惑っていた。

何故、この人間は自分の好みを知っているのか。まるで、自分の心を見透かされているようだ。


「お前……一体何者だ?なぜ、なぜ俺が好きなものを……」

「ただの旧友さ。君の好みを知っている旧友」


メーラは目を丸くして、並べられたスイーツとスモークの反応を交互に見ていた。

彼女は唇を少し尖らせ、アドリアンの方をチラリと見た。


「私にも少し分けてくれればいいのに……」


と小さく呟いたが、誰も気づいた様子はなかった。

スモークは小さな溜め息を一つつくと、スイーツの山の中から『宝石の雫ゼリー』を手に取った。


「ふん……俺が甘味好きなことは一部の者しか知らんのだがな。どうやって知った?」

「それは長い話になるね」


アドリアンは肩をすくめた。


「でも今は情報が必要なんだ。君の力を借りたいんだよ、旧友」


スモークの瞳を覗き込むように、アドリアンは言った。

スモークは、アドリアンの言葉に深く考え込んだ様子で、しばらく沈黙した。


「ふん、旧友か」


スモークは小さく呟く。その仕草は何処か可愛らしく、だが同時に、老練な狡猾さを感じさせた。


「俺には覚えがないが、お前は確かに俺のことをよく知っているようだ。まあいい、聞こう。何が知りたいんだ?」

「──四人の公爵についての情報が欲しい」


アドリアンは静かに、しかし力強く言った。


「彼らを取り巻く状況、確執、そして……彼らが本当に欲しているものをね」


公爵、という単語がアドリアンの口から出た瞬間、スモークの目が大きく見開かれる。

触れてはいけない禁忌に近付いてしまったかのように、彼はゆっくりと後ずさりをした。


「四人の公爵だと?お前、よほどの大物か、それとも死にたいのか?」

「俺はただの好奇心旺盛な観光客だよ」

「観光客が四人の公爵の秘密を知りたがるとでも?」


眉を顰めるスモークに対してアドリアンは肩をすくめた。


「観光ガイドには載っていない、ちょっとした裏情報が欲しいだけだよ。例えば……魔環公ザウバーリング卿は自分の魔法の指輪を夜な夜な磨き上げては『ママ……』と呼びかけている、とか」


スモークの顔が青ざめた。彼が何も言えずにいるのを見て、アドリアンは微笑んで言った。


「冗談だよ」

「……冗談ね。公爵たちの機嫌を損ねて帝国で生きていけると思ってるのか?」


スモークは皮肉っぽく言った。


「まあ、お前が自分の墓穴を掘りたいなら、俺は止めないがな」

「俺は『生きる』だけじゃなく、帝国を『変える』つもりだからね。少々のリスクは覚悟の上さ」

「少々のリスク?」


スモークは鼻で笑う。無知な人間の青年を嘲笑うように、彼は言った。


「お前、本当に分かってないな。公爵たちの怒りを買えば、地上に戻る前に蒸発してるぞ」


アドリアンの表情が一変した。それまでの軽口や皮肉めいた態度が消え、その目には鋭い光が宿った。


「俺には為さなければならないことがある。英雄として、力を持つ者の責務として」


アドリアンの声は低く、しかし力強かった。

その言葉には重みがあり、部屋の空気さえ変えるようだった。メーラは息を呑み、スモークは思わず身を引いた。


「俺は……いや、俺たちは、ただ生きるだけの存在じゃない。変革をもたらす力を持っている。その力を使わないで、何のために生きるんだ?」


部屋に静寂が満ちた。メーラはアドリアンの横顔を見つめる。その横顔は、年相応の青年というにはあまりにも老成し過ぎているように思えた。

スモークは無表情でアドリアンを見つめていたが、やがてゆっくりと手に持っていた『宝石の雫ゼリー』を口元まで運ぶと、一口で平らげた。


「そうか。お前は、そういう奴か……」


彼はそう呟くように言った。メーラは驚いた様子でスモークを見たが、アドリアンは何も言わずにじっと彼を見ていた。


「報酬は、このスイーツの他にもあるんだろうな?」


アドリアンの顔が喜びに輝き、突然の衝動に駆られたように前に飛び出した。


「キミならそう言ってくれると思っていたよ、旧友!」


彼は叫ぶように言うと、小柄な情報屋を思いきり抱き締めた。スモークの体は予想以上に柔らかく、華奢だった。


「お、おい!何するんだ!」


スモークの声が裏返る。その調子は、普段の低い声とは明らかに違っていた。

アドリアンは友情の喜びに我を忘れ、スモークの頬に自分の頬をすりつけた。


「やっぱりキミは最高の友達だよ!」

「や、やめろ!離せ!」


スモークの悲鳴のような声が響く。その顔は見る見るうちに真っ赤に染まっていった。

メーラは目を丸くして二人を見つめていた。


「ア、アド……ちょっと……」


彼がここまで喜びを露わにするのは珍しい。故にメーラは少しだけ咎めようと口を開いたが……。


「このバカ人間!離せと言っているんだ!」


スモークの叫び声が部屋中に響き渡る。

その瞬間、スモークの手から何かが滑り落ちた。床に転がった球体が、不吉な輝きを放ち始める。


「「「あっ」」」


三人の声が重なった瞬間、爆弾が眩い光を放った。


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