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第四十一話

皇帝ゼルーダルの値踏みするような瞳が三人を射抜く。皮肉と牽制で満ちていた謁見の間は、最早静寂が支配する場となった。

誰もアドリアンの言葉を遮ろうとはしないし、口を挟もうともしない。


「グロムガルド帝国皇帝陛下。こうして拝謁の機会を賜り、恐悦至極にございます」


ドリアンは胸に手を当て、しなやかな動きで腰を深々と折った。

その姿は、まるで別人のように優雅で礼儀正しく、先ほどまで公爵たちに皮肉たっぷりに秘密を暴いていた無礼な自称英雄の面影はどこにも見当たらない。


「トルヴィア殿下のお話にも登場しました私アドリアンと、こちらにいらっしゃる魔族の姫君メーラ姫……そして皇国の騎士団長ザラコス殿。私たち三人で、世界の行く末について陛下とお話させていただきたいのです」


そしてアドリアンはメーラに向かって手を差し伸べた。メーラは一瞬身体を硬直させたが、決意を籠めたように息を呑むと、アドリアンの手を握る。

メーラは一歩前に出る。その動きは優雅でありながら、儚さも感じさせた。ザラコスも続いて前に出ると、三人の姿は妙な調和を醸し出した。

魔族の姫が人間の英雄と皇国の騎士団長を従えているかのような、奇妙な光景が皇帝の前に広がる。


「ふむ、世界の命運……か」


ゼルーダルは髭を触りながら胡散臭そうに、だが興味深げに玉座に座ったまま三人を見据える。

彼の脳裏には先程トルヴィアの説明で出てきた「対シャドリオス連合」というワードが浮かんでいた。


「魔族の姫、と言ったな。其方は何故シャドリオスに対抗しようとしているのだ?」


メーラとアドリアンの視線が交差し、そこには暗黙の了解が流れた。二人の間で練り上げた物語が、今まさに幕を開けようとしていた。


「皇帝陛下。私は古の魔族の国の王族の血を引く者で……」


メーラが静かに語り始める。ゼルーダルはそれを静かに聞いている。

最初に比べてメーラの演技は上手くなった。しかし、生粋の貴人からすればまだ拙い立ち振る舞いと言葉遣いだろう。

しかし皇帝は話を遮ることなく、彼女の話をただ黙って聞いていた。


「シャドリオスに滅ぼされた我が国を復興するため……」

「私の騎士である英雄アドリアンと共に奴隷となった同胞を救い、世界を一つに……」


皇帝は黙って聞いていたが、その表情からは何を考えているのか読み取れない。

ただ、彼の目が時折アドリアンとザラコスに向けられるのが見て取れた。

ザラコスは一歩前に出てゼルーダルに跪いた。


「皇帝陛下。我がドラコニア皇国はシャドリオスの脅威を重く考えております。奴等を野放しにしておけば、いずれ世界は戦火に包まれる……だからこそ、列強国で一丸となり対抗せねばならないと私は考えております」


そしてザラコスはアドリアンをちらと見た。アドリアンはザラコスに目礼すると、皇帝に向かって語りかけた。


「この私、アドリアンはアルヴェリア王国にも、何処の勢力に属しておりません。メーラ姫個人に仕えるただの英雄でございます」


──英雄。

その言葉を聞いてゼルーダルは「ほぅ?」と笑みを見せた。


「英雄、か。最近の英雄は自分で自分を英雄と称するのが流行っているのか?次は何だ?自分で自分を神と呼ぶのか?」


ゼルーダルは髭を撫でながら面白そうにアドリアンを見た。

アドリアンは軽く笑った。


「いえいえ、陛下。神様にはなりたくありません。神様は休日がないでしょうからね」

「……くく、そうか。確かにそうだな」

「それに、力を持った者が己を英雄と宣言するのは自然のことでございます」


大帝国の皇帝に不遜な態度──周囲の公爵たちの間から、怒りの唸り声が聞こえ始めた。彼らの目には、この若者の不遜な態度への憤怒が燃えていた。

突如、魔環公ザウバーリングが叫んだ。


「人間如きが調子に乗るなよ……!何が英雄だ、貴様など私の権力と魔法で……」

「ザウバーリング卿、その両手の指に嵌めた指輪とてもカッコいいですね。確か昔、ママに『ボクちゃんには超高級シャヘライト75%の指輪がお似合いザマス♡』なんて言われて、断れなかったとか。お母様の愛情たっぷりのプレゼント、今でも大切にしてるだなんてなんて親孝行な公爵様でしょう」


ピタリとザウバーリングの野次が止まった。

謁見の間が再び静寂に包まれる中、アドリアンはまるで何でもないかのように続けた。


「そう、私こそが英雄。例え王国軍の大軍を相手しても。例え帝国の最新鋭の魔導兵器を相手しても。私はそれらを一瞬で蹴散らしてみせましょう」


余りにも自惚れたアドリアンの一言に機計公ベレヒナグルが口を挟む。


「陛下、この狂人の戯言を聞く必要はありません。我が帝国の魔導兵器は例えドラゴンを相手しても……」


だが、アドリアンは彼の言葉を遮った。


「ベレヒナグル卿、婚約者に逃げられた後にお造りになった『計算子ちゃん』の調子は如何ですか?最近、彼女との会話は弾んでいますか?それとも、まだ『エラー:愛情が見つかりません』とか言われちゃってます?」


ベレヒナグルの機械仕掛けの杖がカタンと床に倒れた。


「ああ、そうそう。計算子ちゃんにお伝えください。数字を『0』で割ると世界が崩壊するんじゃなくて、ただ単にエラーが出るだけだって。彼女、最近そのことで悩んでいたみたいですからね」


謁見の間に静寂が戻る。ベレヒナグルは冷や汗を出しながらモノクルの位置を直す素振りをしつつ無言になった。

その様子を見ていたゼルーダルは肩を震わせ笑いを堪えて、言った。


「くっ……くく……。それで?その英雄様がどうして魔族の姫に付き従っているのだ?」

「私が彼女に付き従う理由……それはただただ、彼女の理念と志に共感したからでございます」

「理念と志だと?」


アドリアンは真っ直ぐにメーラを見た。

その視線を受け取った彼女は小さく頷いた。

そして再び口を開く。


「私の想い……それはこの世界の人々が手を取り合い、共に暮らしていくことです。その為には魔族だけではなく、全ての種族の奴隷を苦境から助け出すつもりです」

「……ほう?奴隷を全て……な」

「はい、陛下。奴隷などというものが存在しなく、全ての種族が互いに理解しあい、支え合って生きていく世界……それこそが私の想う世界なのです」


メーラのその言葉に皇帝は深く考える素振りを見せた。

だが、その瞬間に輝美公シェーンヴェルが侮蔑の表情を浮かべながら声高々に叫んだ。


「まぁ、なんて無知な小娘だこと。奴隷は労働力としてなくてはならないもの……その労働力を解放すれば、国力が衰退するでしょう。それどころか、国が回らなくなるわ。理想しか見えていないお姫様ごっこはおよしになったら?」


シェーンヴェルの嘲りに、アドリアンは「おや」と呟いた。


「シェーンヴェル卿、貴女が奴隷制度の廃止を反対なさるのは分かります。だって、毎日100人もの召使いに身の回りの世話をさせている御方ですからね。でも実は自分で髪も梳けないし、服も着られない貴女様は奴隷がいなくなったら困りますものね。まさに『美の奴隷』だ」


アドリアンの言葉を聞き、彼女は羞恥に身体を震わせた。何かを言おうとするが、口をパクパクするだけでアドリアンの口は止まらない。


「奴隷制度がなくなれば国が回らなくなる?違いますよ。回らなくなるのは、貴女の贅沢な生活だけです。さて、本当の『美しさ』とは何でしょうか?少し考え直した方がよろしいかと」


彼女は扇で顔を隠し、怒りに震える。

だが知られたくない事実だったのか、反論することはない。


「公爵様方。あなた方のお口は、まるで止まらない噴水のようですね。ところでご存じでした?今私の口から出ているのはほんの前座だということを。私が本気になったら貴方たちが破滅するようなことも言えるということを……」


その言葉に三人の公爵は一様に身体を震わせる。


「ですが、ご心配なく。もしあなた方が、お口という扉にしっかりと鍵をかけてくださるなら……私も、この危険な口を開けずに済むでしょう。──ただし!」


アドリアンの目が再び危険な光を放った。


「……時々、私の舌が滑ってしまうこともあるかもしれません。舌って、本当に制御が難しい筋肉なんですよね。特に、面白い秘密を知っているときは」


広間は、重苦しい沈黙に包まれた。公爵たちは、まるで自分の影に怯えるかのように、不安げな表情を浮かべていた。

不意に、ゴホンと誰かが咳ばらいをした。それは皇帝ゼルーダルであった。


「英雄殿。静寂を取り戻していただき感謝する。それで、話の続きであるが……」


皇帝はメーラを見据えて言った。


「──ワシ個人としては、連合に賛成である」


その瞬間、謁見の間に緊張が奔った。

公爵たちの顔が驚愕で歪み、何か言おうとして口を開いた。

しかしアドリアンの方をちらりと見ると、彼の唇がもごもごと動いているのが見えた。

その瞬間、公爵たちの口は閉ざされる。


「本来は、奴隷なんてものは必要ないのだ。彼らとて我々と同じように生きている存在……それを縛り付けるのは歪んでおる」

「陛下……」


メーラは感極まったように声を震わせた。

しかしアドリアンとザラコスは違う。彼らは目を細めて、皇帝の言葉の続きを待っていた。


「──だが、ワシの一存では決められん」


メーラは唖然とした。皇帝の一存では決められない?皇帝なのに、そんなことがあるだろうか。

彼女の反応を他所に、アドリアンとザラコスは半ば予想していたように肩を竦めた。


「どうやら帝国の階級制度も歪んでいるようで」

「やはり、しがらみというのは皇帝陛下ですら逃れられませぬか」


二人のそんな呟きの意味がメーラにはよく分からなかった。


「連合ともなると、帝国の重要な決定だ。それには四人の公爵の賛成が不可欠なのだ」

「四人……?」


メーラの声は小さく疑問符を帯びていた。彼女の目が大きく開かれる。

彼女はゆっくりと首が錆びついた人形のように、四人の公爵たちへと顔を向けた。彼女の動きに合わせて、広間の空気が重く沈んでいく。


「……」


公爵たちの顔には不愉快さを隠そうとしない表情が浮かんでいた。彼らの目は一斉にアドリアンに向けられ、その視線は仇敵を見るかのようだ。

メーラの頭の中で、先ほどまでの出来事が走馬灯のように駆け巡る。アドリアンの軽快な言葉遊び、公爵たちの赤面、そして彼らの秘密をほのめかすような発言……。

彼女の口から小さな「あっ」という声が漏れた。メーラの顔から血の気が引いていくのが見て取れた。


対してアドリアンは、まるで何も気にしていないかのように、にこやかな笑みを浮かべていた。


「そういう訳ですか。なるほどなるほど。では、四人の公爵様。どうか我々の提案に乗っていただきたく存じます!」


四人の公爵たちは顔を見合わせた。

そして、彼らは言った。


「嫌だね。断るよ、断固として」


魔環公ザウバーリングが、指輪をキラキラさせながら答えた。


「拒否する。私の不快指数は極限まで上昇した上に計算上、そんな提案は成立しない」


機計公ベレヒナグルが、まるで計算機を叩くように指を動かしながら言った。


「断固反対ですわ。この髪型が乱れるほど反対よ」


輝美公シェーンヴェルが、髪を掻き上げながら高らかに宣言した。


「……返答できん。口を開けば秘密が漏れそうだ」


鋼鉄公アイゼンは、口を固く閉じたまま、小さな声で呟いた。


広間に四人の拒絶の言葉が響き渡った。アドリアンに散々からかわれた後では、当然の反応だろう。

ザラコスは、皮肉な笑みを浮かべながらアドリアンに向かって言った。その頬は彼に対する怒りでピクピクと動いている。


「アドリアン殿、貴殿の軽口のお陰で四人の公爵方との仲が素晴らしいものになったよ。まるで蜂の巣をつついたような素晴らしさだ」


アドリアンは、まるで褒められたかのように胸を張った。だが、ザラコスに対して不満を感じさせる表情で言った。


「お褒め頂き光栄ですね、騎士団長どの。でも、彼らの口を塞ぐにはこうするしかなかったのですよ。それに、私の記憶では貴方も自然に話に乗ってきたような気がするんですがね」


表面上はにこやかだが、互いに怒りをぶつけあっているのは明白だった。

そんな中、メーラは俯きながら呟いた。


「で、ではご賛同いただけるのは皇帝陛下とトルヴィア姫の二人だけですか……そんな……」


悲壮感溢れるメーラの台詞。

だが、そんな彼女に追い打ちをかけるように、予想外の声が響いた。


「待った」


声を上げたのは、トルヴィアであった。

全員の視線が一斉にトルヴィアに集中する中、トルヴィアは堂々と宣言した。


「──私も反対よ」


皇帝も、メーラも、アドリアンも、ザラコスも……更には四人の公爵たちですら、驚愕の表情を浮かべた。

謁見の間全体がまるで時が止まったかのような静寂に包まれる。全員の口が、驚きのあまりポカンと開いたまま、静寂が訪れた。


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