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第三十六話

二人の声が同時に響き渡った。

メーラはポカンと口を開け、その表情には「ど、どうして?」と書いてある。

姫としての威厳を忘れて視線を送り続けるメーラに、ガラフィドは少しだけ申し訳なさそうに顔を掻いて言った。


「……皇国、そして魔族の国と組むだけならば異論はない。だが、今現在戦争中の帝国と組むのは無理だ」


ガラフィドの言葉に同調するようにトルヴィアが目を伏せながら言った。


「アタシたち帝国も、王国と組むのだけは無理よ。だってこの平野でこれから殺し合いしようとしてるのに、なんで手なんか組まなきゃいけないの?」


それを聞いてメーラはハッとした表情になった。

確かにアドリアンは豪快な手法で王国と帝国の代表を話し合いの場に引きずりこむ事には成功した。

だが、別に戦争を辞めるとは誰も言っていない。

その証拠に、王国と帝国の軍勢は未だに緊張を保ったままだ。


「やれやれ、頭がお堅いお二人さん……いや、軍隊か」


アドリアンは肩を竦めた。だが、彼も大将と殴り合っただけで仲良しこよしで王国と帝国が手を握り合ってくれるとは思っていなかった。

何しろ軍隊というのは一人で行動しているのではない。多数の貴族や有力者の思惑が複雑に絡み合う……言うなれば意識の集合体なのだ。

大将が「はい、この戦争はヤメ!」と言ったところで『それなりの理由』がないと、配下たちが納得しないのは分かり切った事である。


「今回の戦争には、俺の影響下にない貴族たちも多数参戦してるんだ。それどころか、俺と同格の貴族まで何故か軍勢を送り込んできてやがる」


ガラフィドが苛立たし気に言った。

アドリアンは彼の様子を見て、今回の戦は彼にとってもいつもと違う、異質な戦争であると悟った。


「名目上の大将は俺だが……最早、俺の一存ではこの戦争は止められん」


その口調には怒りと、そして自らの無力さを嘆くような響きがあった。

静まり返る会場だが、不意にトルヴィアが怪訝な表情を浮かべて口を開く。


「王国も、なの?」


その言葉に皆の視線がトルヴィアに集まる。その視線を受けながら彼女はポツリと呟いた。


「アタシたちの方も似たような状況よ。普段なら絶対に動かないはずの貴族たちまでが、この戦争に熱心なの」


アドリアンの眉がピクリと動く。彼の鋭い直感が、何か重要な情報を感じ取ったようだ。


「とにもかくにも……対シャドリオス連合以前に、この戦争を止めるのはアタシの力じゃ無理」

「そうだな。最早、俺にもどうすることも出来ん」


二人の言葉に、会議場に重い空気が漂う。アドリアンは無言で何かを思案し、メーラはただただ目を右往左往させるばかり。

連合を組むのは、この戦争を止めるのが前提であった。ここで大規模な衝突を許してしまうと、そんな話ではなくなってしまうのだ。


諦めが会場を包む中、突如としてザラコスの声が響く。


「ほうほう」


ザラコスがひょうきんに笑った。その表情には、何か閃いたような光が宿っていた。


「つまり、このエルム平野での戦争が起こらなければ、連合の話を前向きに考えて貰えるということですかな?」


ザラコスの言葉にガラフィドとトルヴィアは不可解な視線を向けた。

それは不可能だと言っているのに、どうしてそんな事を言うのだろうか、と。

トルヴィアが、少し躊躇いながらも口を開く。


「……まぁ、万が一にでも今回の戦争が不発に終わったら……アタシが皇帝に掛け合ってもいいわ。そんなことが出来るのであればね」

「ランドヴァールとしても、この戦争さえ起こらなければ帝国との連合もやぶさかではないとは考えてるが……」


二人のそんな言葉に、ザラコスは満足気に頷いた。その表情には、「言質は取ったぞ」と言わんばかりの自信が溢れている。

そして、アドリアンもまたおやおやと笑みを浮かべている。


「騎士団長殿。お二人の言葉、聞いたかい?」

「あぁ、よ~く聞こえたよ。この老人の耳にもはっきりとな……」


アドリアンは薄く笑いながら、ザラコスはうんうんと頷きながら。

そして意味ありげに二人はおもむろに空を見上げた。


「皆様方。今日は空が綺麗だとは思いませんかな」

「……は?」


それは誰の声だっただろうか。突拍子もないことを言うザラコスに、皆の視線が集まる。


「彼の言う通りだね。今日は雲一つない青空だ。たまには、空を見上げてのんびりと過ごすのも悪くはない」


アドリアンもまた空を見上げながら、まるで歌うように言葉を紡ぐ。

一様に皆が戸惑う中、二人に釣られるようにして空を仰ぐ。


その時であった。


「……?」


空の遠くに、黒い点のようなものが見えた。

それは徐々に大きくなってきて……。


「おや?なんだろうあれは。鳥さんかな?どう思うザラコス」

「さて。鳥にしては大きすぎるかもな」


──突如として、空が暗くなった。

上空に巨大な影が現れる。それは雲を押しのけるかのように、ゆっくりと姿を現した。


「なっ……」

「えっ……?」


黒い鱗に覆われた巨体が太陽の光を遮る。その翼は空を覆う幕のように広がり、地上に巨大な影を落とす。


──ドラゴンだ。


それも、途方もなく巨大なドラゴン。

ガラフィドとトルヴィアの顔から血の気が引く。メーラは、口を開けたまま呆然としている。

そんな中、ザラコスが何事もないかのように呟いた。


「おぉ、皇国の貴き御方が散歩……ならぬ散飛なされている。おぉっと、よく見ればあの御方は散飛好きで有名な竜人様であらせられるなぁ」


ドラゴンの羽ばたき音が平野に響き渡る中、アドリアンが冗談めかしてザラコスに言う。


「恐ろしいね。彼がくしゃみしただけで、王国軍も帝国軍も全滅しそうだ。あのドラゴン殿が風邪を引いてないことを祈るよ」


ドラゴンの存在が、戦場の空気を一変させる。両軍の兵士たちも、戦意を失い、ただ呆然と空を見上げるばかり。

アドリアンとザラコスの会話が続く。


「素晴らしい散歩コースだね。でも、もし彼が着地したら、きっと素敵な新しい湖ができるんだろうな」

「そうだな。風景の改造は竜人様の趣味でもあるからな。まぁ、その湖に両軍が沈むかもしれんが、それも風景の一部といえばそうかもしれん」


そんな会話が繰り広げられる中、ガラフィドとトルヴィアが驚愕の表情でザラコスを見た。


「ザ、ザラコス殿。先程貴方は皇国の方々はこのような平野に興味はないと言っていた筈だが」

「ほう、よく覚えてらっしゃる。だが、その後にこうも続けましたぞ。『散飛』コースとしては、貴き御方たちの興味を惹いているかもしれませぬ……とね」


ガラフィドは「うぐっ……」と言葉を詰まらせた。

続いてトルヴィアが怒りと驚愕が入り混じった声で言う。


「……戦争に首を突っ込んでくるだなんて、皇国は帝国と敵対したいのかしら?」


ザラコスは、にこやかに答える。


「何を仰る。あの御方はただ散飛しておられるだけだ。空は誰の領土でもありませんからな。そしてワシはただ良い散飛コースを教えただけ……」


そして、ザラコスは少し声を落として続ける。


「それに、敵対というのは同格同士が使う言葉。皇国と帝国が敵対することはありませぬ。あるとしたら、ただの蹂躙だけ……ちょうど、人間がアリの巣を踏み潰すようなものですな。もちろん、皆様方が立派なアリ……おっと失礼、なんでもない」


その言葉にトルヴィアは顔を歪ませるが、一瞬何かを考えた後に呆れたように、諦めたように「はぁ……」とため息を吐いた。


「やられたわ。最初から、このつもりだったのね」


ドラゴンの出現により、王国軍も帝国軍も慌てふためき、最早戦どころではなくなった。

先程まで進軍の命令を出そうとしていた貴族の指揮官たちは撤退の準備を始め、兵士たちは武器を落とし、力なくその場にへたり込んだ。

アドリアンは、そんな両軍を見て苦笑を浮かべた。そして、ガラフィドとトルヴィアに向き直り言う。


「さてドラゴンさんが散歩ならぬ散飛してるわけだけど、その下でアリさんたちは戦争を起こす気がまだあるかい?」


ガラフィドとトルヴィアは、呆れたように笑いながら言った。


「くっくく……生憎だが、俺は自殺志願者じゃないんでね。普段戦争に来ない腰抜け貴族たちも今頃泣き喚いてるかもしれん。『ママ、早く帰りたいよ』だなんて言いながらな」

「……アンタたちの思い通りになるのは癪だけど、空から焼かれるのを待つくらいなら、まだ勝ち目のある戦争に参加するわ。今は撤退してね」


その言葉を聞いてアドリアンはにこりと微笑んだ。

そしてアドリアンとザラコスは横目で視線を合わせる。その視線は『上手くいったな』という言葉が込められていた。


それと同時に二人は、ガラフィド達に聞こえないようにヒソヒソ話を始める……。


「……おい、あのドラゴンの幻影はどのくらい持つんだ?」

「実は俺もわからないんだ。あんなに大きなのは初めてだから、何時間かは持つとは思うんだけど」

「なら、安心だな」

「もしかしたら次の瞬間には消えて無くなるかもしれないけど。幻影だけに」

「おい!」


──この戦場に来る前。アドリアンとザラコスは一計を案じていた。


『まず、俺が王国と帝国を交渉の場に座らせる為に大将相手に暴れてみるよ。恐らくは、どちらも乗ってくる……』

『ふむ。交渉の場を設けるのはいいとして、そこからどう説得する?単なる話し合いでは、この戦争は止められんだろう』

『そこで俺の「幻影魔法」の出番さ』


アドリアンは掌に魔力を集め、小さなドラゴンの幻影を生み出す。その姿は、まるで本物のように精巧だった。


『巨大なドラゴンの幻影を出現させて、両国の軍隊の戦意を失わせる。これなら流血を避けられるはずだ』

『……素晴らしい幻影魔法だ。だが、所詮は幻影。それでも止まらなかったら』


その瞬間、アドリアンが生み出した幻影のドラゴンが火を噴いた。

それはザラコスの鼻に吹きかけられ、彼は熱さから思わず身体を仰け反らせてしまう。


『む、むぅ……!?幻影だと分かっていても、熱く感じる……!?』

『俺の幻影は特別製でね。痛みも熱さも幻だけど、他の幻影魔法とは一味違うんだ』


──これがアドリアンたちの周到な計画だった。

まず、アドリアンが両国の大将を挑発し、交渉の場に引き出す。しかし、恐らく両国は平和的な提案を即座に拒否するだろう。そこで登場するのが、アドリアンの作り出した幻影のドラゴン。

この幻影は実際には皇国とは無関係だが、皇国の騎士団長ザラコスの存在が、その印象を決定的なものにする。誰もが「皇国が戦争に介入してきた」と考えざるを得なくなる。

この策が成功すれば、戦争は回避できる。万が一失敗した場合……幻影のドラゴンに暴れさせて戦意を喪失させる。

これこそが英雄アドリアンが編み出した、流血を避けつつ戦争を終結させる策だ。彼の並外れた魔法の力と、鋭い洞察力が結実したプランだった。


「おっとぉ?あのドラゴンさん、なんか不機嫌そうな顔してないか?」

「そう言われればしてるのぅ。まるで今すぐに下に向かってくしゃみをしたいような、そんな表情をされている……」


二人のやり取りを、ガラフィドとトルヴィアは半ば恐れた表情で見ている。

そんな中メーラが空を見上げたまま、のんきな声で言った。


「ドラゴンさん、大きいな……」


メーラ姫は、何も知らされていなかった。多分、演技にボロが出てしまうだろうから……。

そんな可哀想なメーラ姫の声は、ドラゴンの咆哮に掻き消される。


──後に、ネタばらしをされた時のメーラの咆哮はドラゴンの咆哮より凄まじかったという……。




♢   ♢   ♢




「待ちなさい!何故撤退の準備をしているのです!」


王国軍の陣営の中で女の声が響いた。それに対して王国の貴族が答える。


「お前はあのドラゴンが見えないのか?あんなのが飛んでる下で戦えるわけがないだろうが!」

「あのドラゴンはただの幻影です!私も幻影魔法の使い手だから分かる!精巧だが、あれは本物ではないはずだ!」

「はず、だと?ふざけるな、そんな推測で戦えるわけがないだろう!焼き殺されたいのならお前が一人でドラゴンの下で踊ってろ!」


女……漆黒のフードを被った謎の人物は、王国貴族の言葉に唇を噛む。

──思惑が外れた。

王国の貴族達を扇動し、帝国の貴族達も操り、ようやくこの平原で大規模な戦を起こせるその直前までいったというのに……。

女は忌々し気に空を飛び続けるドラゴンと、中央の丘を見やった。


「あの男さえ、いなければ……!」


突如として現れた男。両軍を挑発し、戦意を喪失させ時間稼ぎをした後に、トドメのドラゴン。

あの幻影のドラゴン普通ならば見破れない程の精巧さだ。幻影魔法の使い手である女とて真似できない程の凄まじい幻影魔法。

それこそが、あの男の異常さを物語っているのだ。


「この戦争は泥沼になり多大な犠牲を出せたのに……!」


迂闊だった。あの男があれほどまでの力を持っていたとは。

フリードウインドの街で見せたのは男の力の一端だったのだ。


あの常軌を逸した力……恐らくはあれこそが、あの御方が言っていた「異世界からの脅威」に違いない。


「……くそっあの御方にご報告せねば」


女はそう吐き捨て、黒い外套を靡かせながら魔法を発動させる。

そして次の瞬間には、女の姿は消えていた。


「くそ、お前の口車に乗せられて来てみれば……遠征費用だけが嵩んで……ん?何処へ行った……?」


女がいなくなった場所で、王国貴族がそう呟いた。



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