エルム平野のど真ん中、先ほどまで激戦が繰り広げられていた場所が今や即席の宴の場と化していた。
帝国軍のドワーフたちが円陣を組んでアドリアンを取り囲んでいる。彼らの顔には笑みが浮かび、歓声と笑い声が絶え間なく響いていた。
「君たちの戦槌の振り方は見事だったよ。特にあの回転技!まるでバレリーナのようで、とても華麗だった」
「バレリーナだぁ?からかってんのか?」
「いや、褒め言葉だと思うぞ。人間の中では最高の賛辞なんだろう、きっと」
周囲のドワーフたちが大笑いする。トルヴィアもまた、少し赤面しながらも楽しそうに会話に加わっている。
「アンタね、さっきの戦いでは本当はもっと余裕があったんでしょ?」
「ああ、君の言う通りだよ。実は片手で戦っていたんだ。もう一方の手は、髪型が崩れないように抑えていたからね」
トルヴィアの顔が真っ赤になる。
「なんですって!?」
「でも、君の炎で焼かれそうだったのは確かだよ。でも、それは君の美しさにだけど」
「こ、この……!」
トルヴィアが顔を怒りと羞恥で拳を振り上げるが、周囲のドワーフたちは二人のやりとりを見聞きして、ますます笑うばかりだ。
「おっと、人間様がご機嫌を取っているぞ!」
「姫様、そんな甘い言葉に乗せられちゃダメですよ!」
トルヴィアがキッと兵士達を睨むも、彼らは一向に意に返さない。
先程まで殺し合っていたとは思えぬほどの、和気あいあいとした雰囲気。
そんな彼等の様子を見て、離れた場所にいるメーラとザラコスは平穏な様子で会話をしていた。
「アドリアンったら楽しそうね。ドワーフの方々と、すっかり意気投合しているみたい」
「うむ。力に任せた乱暴な方法だが、ドワーフは力を貴ぶ戦士だからな。彼奴は連中の気性と合ったんだろう」
そんな二人の会話を聞きながら、ガラフィドは全身を震わせていた。
──帝国軍の大将ともあろうものが、あのような子供のような立ち振る舞いをしでかすとは。
「……」
ガラフィドは信じられなかった。仮にも皇族という立場のトルヴィアが、アドリアンの挑発に乗ってしまうとは。
ドワーフの兵士達も彼女の行動を咎めない。まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。
がんじがらめに縛られた自分の在り方と、トルヴィアの奔放で自由な姿。
それが何故か対照的に感じられて……。
そんな時だった。ガラフィドの耳に、アドリアンの拡声魔法が飛び込んできたのは。
『今ここで宴会をしてもいいけど……まだ面子が足りてないな』
アドリアンが周囲を見渡しながら、そう呟く。
そしてわざとらしく、遠くにいるガラフィドを見て「おっ」と声を上げた。
『そこに誰かいるね!名前は確か……ガラフィド!』
その瞬間、王国軍全体に緊張が走る。
ランドヴァール侯……武家の頭領、王国軍の英雄を名指しして、アドリアンは手招きしている。
彼の名は王国だけではなく周辺国家にも響き渡っている。様々な敵対国家と領土を接地している彼は王国の軍部の実質的な長なのだ。
そのガラフィドを……あろうことか、アドリアンは呼び捨てにした。
王国軍の兵士達の怒りのボルテージが上がっていく中、アドリアンは平然と、更に過激に続ける。
『ガラフィド!なんで君も混ざらないんだい?その重そうな勲章が動くのを邪魔してるのかい?それとも、ランドヴァールとかいう家名が重すぎて動けないのかな?』
ガラフィドの眉がピクリと吊り上がる。それと同時に、抑えていた怒気が爆発的に膨れ上がった。
「閣下!」
「い、怒りを抑えてくださいませ!挑発に乗ってはいけません!貴方様は王国軍の総帥なのですぞ!」
側近たちの言葉にガラフィドはハッと我を取り戻し、深呼吸する。
そうだ。自分は栄えあるランドヴァールの当主。あんな小僧の挑発に乗っかり、我を忘れるなどあってはならない。
「そ、そうだな。俺は王国軍の大将だ。一人で突っ込むほど馬鹿ではない」
──しかし、アドリアンの挑発は止まらなかった。
『あ、わかったぞ!きっと、その豪華な椅子と一体化しちゃったんだね。大丈夫、ドワーフの職人さんたちが喜んで分離手術をしてくれるよ!』
『その髭、全然似合ってないけど、もしかして付け髭かな?ほら、風が強くなってきたよ。飛ばされないように気をつけて!』
『もしかして……戦場以外で歩くの忘れちゃった?大丈夫、ここまでゆっくり這ってきてもいいんだよ。みんなで応援するからさ!』
『君は戦うよりも演説するのが得意なのかな?こりゃ参った、武人じゃなくて演説家だったとは!身体に似合わず口だけが上手いんだね!』
周囲のドワーフたちが、笑いを堪えきれずに吹き出す。
トルヴィアも、呆れながらも口元に笑みを浮かべていた。
「アンタ、あのランドヴァールによくそんなこと言えるわね」
「キミは言えないのかい?まだまだ言い足りないくらいなんだけど。それとも、ドワーフの礼儀作法で『ヒゲオヤジをからかってはいけない』ってのがあるのかな」
「ふん、アタシだって言えるわよ。ただ、アンタみたいに無駄に舌が長くないだけで」
そんなやり取りが繰り広げられる中、ガラフィドは目を血走らせて、闘気を全身から放っていた。
そのあまりの怒気に側近たちもたじろぎ、思わず身を引いてしまう。
「メーラ姫よ。貴き御身の目に入れるにはアレは些か激情が過ぎる。少し離れましょう」
「そ、そうね。こ、こ、怖いわけではなくてよ?」
すぐ横にいるメーラは冷や汗を垂らしながら彼の様子を見守っていた。
確かに彼を挑発するとは事前に聞かされていたが、ここまで貶すとは思っていなかった彼女は巻き添えを食らわないように距離を取る。
そして、ガラフィドの瞳はアドリアンただ一点だけを見つめていた。
「お、おのれ……!このガラフィドを……この俺を……!」
そうして、最後の堰が切られるその寸前……アドリアンが最後の一撃と言わんばかりに、平野中に響き渡るほどの大声を上げた。
『ランドヴァール侯ガラフィド!こんな若造にここまでからかわれて、まだその豪華な椅子から動けないのか!?それとも、『偉大なる演説家』様は、部下たちを前線に送り込んで、自分は後ろでお茶でも飲みながら観戦するのか!?』
アドリアンは大げさなジェスチャーを交えながら続ける。
『あぁそうか!きっと今、部下たちに向けて『勇気ある撤退』の演説を準備してるんだな!邪魔をして申し訳ない!さぁどうぞどうぞ、お言葉を拝聴させていただきますよ。侯爵様の『逃げ足の速さは正義』スピーチを!』
その一言に、ガラフィドの中で何かがプツリと切れた。
「貴様ぁっ!!!」
ビリビリと空気が震えるような怒号と共に身体強化の魔法が発動すると、ガラフィドの筋肉が膨張し鎧の隙間からその様子が見て取れる。彼の背中のマントが風を切って舞い上がり、まるで大鷲の翼のように広がった。
「覚悟しろ、小僧!このガラフィドが、お前の無礼を討ってくれる!」
その瞬間、ガラフィドの姿が消えた。地面が大きく陥没し、轟音と共に砂埃が巻き上がる。
一瞬の静寂の後、アドリアンの目の前で激しい衝撃波と共に、ガラフィドの巨体が現れる。その着地の衝撃で、周囲の地面に蜘蛛の巣状のひび割れが広がった。
砂埃が晴れると、怒りに満ちたガラフィドの姿が現れる。彼の目は赤く光り、鼻からは白い煙のようなものが吐き出されている。
その威圧感に帝国兵たちですら息を呑み、動きを止めていた。
遠く離れた丘から、一瞬で戦場の中心へと飛来したガラフィド……その超人的な跳躍力は、もはや人間の領域を超えている。
しかし、アドリアンだけは涼しい顔で立ったまま。むしろ、楽しそうな笑みさえ浮かべていた。
静寂の中、彼は横にいるトルヴィアに小声で呟いた。
「まるで怒り狂ったクマさんだね。クマさん退治、手伝ってくれたりはしない?」
「ヤダ。挑発したのはアンタだし、自業自得ってやつよ。それにクマさんよりも暴れ牛の方が近いわね。ほら、鼻から煙出てるし」
「残念。でも、暴れ牛か。なら赤い布でも振ってみようかな。あ、トルヴィア、君の髪を借りてもいい?」
「アンタね、本当に死にたいの?まあいいわ。アンタが踏み潰されるのを楽しく見物させてもらうから」
そんな二人の会話を遮るように、アドリアンの前にガラフィドが立つ。
その目は怒りに燃えており、今にも飛びかからんばかりだ。
「やぁガラフィド!ようやく来てくれたね。椅子から離れるのは大変だったかい?」
「あぁ、テメェの減らず口のお陰で『侯爵』とかいうくだらねぇ重荷を下ろせた。随分と身体が軽くなったぜ……クソガキ一人捻り潰せるくらいにはな……」
口調がガラリと変わり、まるで荒くれ者のような口調になった彼を見て、アドリアンは心底嬉しそうに、まるで友人に話しかけるかのような口調で言う。
「ガラフィド。やっぱり君はその方が似合う。髭や肩書なんて気にしない、血と肉の詰まった生粋の戦士だ」
「うるせぇ!テメェも、その口舌に振り回された奴らも!全員まとめてぶっ飛ばしてやる!さぁ、武器を取れ!」
ガラフィドが地面に唾を吐き捨てると、アドリアンは心の底から嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いいねいいねぇ、君のそういう所が見たかったんだ!武器なんていらない、俺と君の間にはね!」
アドリアンはそう言うと構えた。背は高いが、細身のアドリアン。ガラフィドほどの巨漢を相手に、彼の肉体は余りにも頼りない。
しかし、その佇まいからは揺るぎない自信が滲み出ており、アドリアンの姿に不思議な魅力を与えていた。
そして武器をいらぬ、というアドリアンの言葉にガラフィドは一瞬呆気にとられる。だが次の瞬間には獰猛な笑みを口元に浮かべ、同じように構えを取った。
「上等だぁ……!このガラフィドの拳、受けてみやがれぇ!」
ガラフィドの拳が閃光のように放たれる。その速さは、周囲の空気を切り裂き、かすかな爆音すら生み出していた。
アドリアンの瞳がその拳を捉える。彼の世界が、突如としてスローモーションに変わった。
迫り来る拳を見つめながら、アドリアンの心に懐かしい光景が浮かび上がる。
──遠い昔、別の世界での戦いの記憶。かつての戦友たちの顔、激戦の中で失われた命々。
それらの映像が、万華鏡のように次々と彼の脳裏を駆け巡る。
(また、こうして戦える。あぁ、本当に……夢のようだ……)
その感情は喜びか、悲しみか、それとも後悔か。
様々な想いが渦巻く中、彼の意識は追憶の彼方へと飛んでいく──