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第二十七話

「アドリアン……いや、人間の英雄よ。此度は世話になったな」


アカネは憑き物が取れたように清々しい声で言う。

カイとの確執も消えた今、彼女はフォクシアラの頭領として大草原に帰らなくてはならない。

去り際に、彼女はとある物をアドリアンに手渡してきた。


「おや、アカネ嬢。この素敵な首飾りはなんだい?」

「それはフォクシアラの友好の証だ。大草原に来た時にその首飾りを見せれば大概の獣人はお前にひれ伏すだろう」


大きな牙のような形をした首飾りは、アカネが身に付けていた物だ。

アドリアンはそれを受け取るとはにかむような笑顔で礼を言った。


「これはなんとも嬉しい贈り物だ。これがあれば、リガルオン一族に堂々と挑戦状を叩きつけられるってわけだね」


アカネの表情が一瞬凍りついた。

「リガルオン」―― その名は、大草原の獣人たちを束ねる強大な一族を指す。

草原の戦士たちが畏怖の念を抱く存在であり、その首領の力は並の獣人では及びもつかない。


「ふっ、面白い冗談だ。……冗談だよな?」


アカネは笑おうとしたが、その声は震えていた。

やはり返せ、という言葉が喉まで出かかったが、大戦士として一度贈った物を返せと言うのもはばかられる。


「いやぁ、大草原に行くときが楽しみだね。この首飾りを掲げながらリガルオン一族の前で『俺はフォクシアラのアドリアンだ!いざ大草原の主の座をかけて勝負!』って宣誓するときが今から待ち遠しいなぁ」

「やはり返せ。そして大草原に来るな」

「ははは、冗談だよ。彼らに挑むときは俺個人として挑むから安心しなよ」


アドリアンの笑顔にアカネは呆れて言葉を失った。

この英雄は本気でリガルオン一族と一戦交えようとしているらしい。

そして不意に「あ、そうだ」とアドリアンが何かを思い出したように言う。


「この首飾りもいいけど、アカネ嬢の尻尾の毛も少し分けて貰えたら嬉しいな。キツネさんの毛は、きっとふわふわで気持ちいいだろうし」

「えっ……?」


アカネが思わず変な声を上げた。普段の凛々しい戦士の姿からは想像もつかない、間の抜けた声だ。

この突拍子もない反応には理由があった。フォクシアラでは、尻尾の毛を贈ることは「愛の告白」と同じ意味を持つのだ。つまり、アドリアンの言葉は求婚と同義。

アカネは顔を真っ赤にしながら言葉を絞り出した。


「そ、それは……まだ出会ったばかりだし……あ、いや、お前は人間だから知らないのか……そうだよな、うん」


アドリアンは人間だ。恐らくフォクシアラの文化を知らないが為にそんな事を言ったのだろう。

アカネはそう自分を納得させながら尻尾の毛を摘まむと、それをアドリアンに手渡した。

アドリアンが悪戯っぽい笑みを浮かべながら尻尾の毛を受け取ると、突然、驚いたような表情を作る。


「おや、これは意外だな。フォクシアラでは愛する者にしか毛を渡さないんだろう?もしかして、アカネ嬢は俺のことを……」


その瞬間、アカネがアドリアンの靴を強烈に踏みつけた。


「あぐっ!?」

「き、貴様……!知っていて言ったな!?知ってて私の尻尾の毛を欲するなど、なんという破廉恥な男だ!!」

「あ、痛たた……。冗談だよ冗談。ちょっとしたからかいさ」


アカネは恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしていた。そんな様子を見ていたアドリアンは苦笑する。


「ねぇメーラ、酷いと思わないかい?俺はただ毛をくれって言っただけなのに……んぐっ!?」


彼の言葉は、突然の痛みで遮られた。今度は、メーラが彼の足を踏みつけたのだ。


「メ、メーラ?どうして俺の足を踏んだんだい?」

「……知らない!」


メーラは顔を真っ赤にし、プイッとそっぽを向いた。

メーラ自身、なぜ怒っているのかよく分かっていなかった。アドリアンとアカネのやり取りを見て、何かモヤモヤした感情が湧き上がり、思わず彼の足を踏んでしまったのだ。


「これは参ったね。両手に華も困りものだ」

「全くお前は……まぁいい。色々と迷惑をかけたが、旅の武運を祈っているぞ」


アカネは、最後にそれだけ伝えると尻尾を揺らしてランドヴァール邸から去っていった。

カイはこの街で奴隷市場を監視する役目があるので大草原には帰れないが……アカネはそんな弟の意思を尊重した。

カイはカイのやり方で、奴隷を守る。アカネはアカネのやり方で大草原を守る。

それで良いのだ。


「アカネさん、また会えるかな」

「会えるさ。きっとまた」


アドリアンは断言する。

この世界には、限りない可能性が秘められている。

遠い未来のいつか、また彼女たちと相見える時が来るだろう。

加護が教えてくれた訳ではなく、アドリアン自身がそう思ったのだ。


「アドリアンどの、貴方は私にとっての英雄です……!彼女を無事に救っていただき、そして他の魔族の方々をも救うとは……!」


そしてレオンもまた、アドリアンに対して感謝と尊敬の眼差しを向けていた。


「魔族の皆さんには、この屋敷で働いていただきます。突然の自由は戸惑うかもしれませんが、新しい生活を始める機会を提供させていただきたいのです」


その言葉には英雄への感謝の気持ちが込められていた。しかし同時に、メーラという魔族の姫への政治的な配慮も垣間見える。

それでも、この申し出は解放された魔族たちにとってかけがえのない機会となるはずだ。


「アドリアン様、我々魔族を解放していただきありがとうございます」


レオンの傍らにいるメイド服を着た女性……イルマが深々とお辞儀をする。彼女もまた、レオンの御付きのメイドとなった。

黒髪を靡かせる美しい魔族……かつては殺し合いに興じた彼女を見て、アドリアンは奇妙な感覚を覚えていた。


「礼を言う必要などありません。私はただ、お美しい貴女がこのランドヴァール邸の高級化粧品を使えば、さらに輝きを増すだろうと思って解放しただけです」


その言葉を受け、イルマの唇が艶やかな笑みで彩られた。「まぁ、お上手な御方」と彼女の声には、かすかな色気が滲んでいる。

アドリアンは彼女の反応に内心で驚いていた。前の世界の彼女ならば「殺すぞ」という言葉を投げつけてきたはずだ。それが「まぁ」という柔らかな返事に変わるとは……。

世界が変わり、環境も変われば人は変わるということなのだろうか。


「礼を述べるならば、姫君に申し上げるべきでしょう。魔族が自由を勝ち取ったのは、彼女の慈悲心なのですから。私などは、ただの使い走りに過ぎません」


アドリアンは大げさに横にいたメーラに手を向けた。メーラは「えっ!?」と驚きつつも、表面上は平静を装う。


「おっしゃる通りです。姫君への感謝を申し上げるのが筋というものですね」


イルマはにっこりと微笑むと、そのままメーラに一礼した。


「我らが主、メーラ様……心の底から感謝申し上げます。この命、貴女のために捧げましょう。どうか我が同胞たる魔族にも、慈悲を分け与えてくださいませ」


彼女の口調は落ち着き払い、礼節を弁えたものだった。

とても奴隷生活をしていたとは思えない礼儀作法だが、一体どこで覚えたのだろうか。


「あ、えと……こほん。イルマ。貴女の忠誠心はよく分かりました。ですが、私のために命を使うのではなく、貴女自身の幸せのために、愛する者の為にその命を大切にしてほしいのです」


メーラの返答に、イルマは目を丸くしやがて微笑んだ。


「かしこまりました。では私はこの命を……愛する者の為に使いましょう」


そう言って、イルマはレオンの方へ視線を向けた。二人の目が合い、そこには初々しさと同時に、確かな幸福感が宿っていた。


「それにしても、メーラ様は本当に王族の血が色濃く出ておりますね。昔見た肖像画にそっくりで、私は一目見て貴女様が貴き御方だと気付いて……」

「──え?」


イルマがメーラに何かを言おうとした、その時であった。

彼らの背後から、聞き慣れた声が響いてくる。


「レオンどの。此度は貴方のお悩みが解決できて、誠に喜ばしく思いますぞ」


ザラコスだ。彼は巨体を優雅に動かしながら、アドリアンたちの元へゆったりと近づいてくる。

その姿を見てレオンは目を輝かせ、頭を下げた。


「閣下とアドリアン殿のご尽力あってこそ、彼女を救出できました。皇国の騎士団長たる閣下を、私の身勝手な願いに巻き込んでしまい、申し訳ございません」

「若き者の悩みを解決するのは、我ら年長者の務めというものです。それに、この一件で皆が幸せな結果を得られたのですから」


ザラコスは豪快に笑いながらレオンの肩を軽く叩いた。華奢なレオンはそれだけでよろめいてしまう。


「おいおい、ザラコス。レオン卿は君とは違って、本物の上流階級だぞ。荒っぽい真似は控えた方がいいんじゃないか?」

「何を言う。儂だって れっきとした貴族の生まれだ。それに……」


彼はレオンを見やり、声を和らげた。


「レオン殿は次期ランドヴァール侯となる方だ。武家の誇りを背負う者が、この老いぼれに押し負けてどうする」

「老いぼれ、だって? 恐竜みたいな怪力の持ち主を老いぼれなんて呼べるわけがないだろう」


アドリアンの軽口に、ザラコスが「ガハハ」と豪快に笑う。

そんな二人の姿を見てレオンは恐縮し、メーラとイルマは口元に手をあてて笑いを堪えていた。

しかし、不意にレオンは何かを思い出したように、ザラコスに向き直る。


「そういえば閣下。先程、我が父ランドヴァール侯から伝令が届きまして……」


その言葉にアドリアンとザラコスは「おや」と反応した。

しかしレオンの芳しくない表情を見て、その伝令とやらがあまりいい知らせではないことを悟る。


「伝令の内容は……兵の増援要請と、シャヘライトの追加輸送に関するものでした」


それは即ち、ランドヴァール侯は戦場から戻るつもりがないという意志の表れであった。

アドリアンの脳裏に、旅の吟遊詩人リリアナの言葉が蘇る。


『今、アルヴェリア王国とグロムガルド帝国の軍勢が近くの平野で睨み合っているんです』


その軍勢が、今もなお睨み合いを続けているのだろう。日に日に膨れ上がる戦禍の火種は、いつか大きな爆発を起こすに違いない。


「困ったことだ。このままでは侯爵との対話の機会すら得られん。いや、それ以前の問題だ。今回の戦争があまりに大規模化すれば、国家間でのシャドリオス対策など、望むべくもない……」


ザラコスは尻尾を振りながら、悩ましげに唸った。

幸い、まだ衝突には至っていないようだが大規模な軍勢同士の衝突は取り返しのつかない禍根を残すことになる。

そうなれば互いに話し合いなど出来るはずもなく、泥沼の戦争に突入してしまう。

元々犬猿の仲である人間の国とドワーフの帝国だが、ここにきてそれが顕在化してしまったようだ。


「ザラコス、お友達の竜人様の力を借りられないのかい?大量のドラゴンが空を覆い尽くす光景を見れば、彼らだって慌てふためいて共闘しようとするんじゃないかな。まあ、仲良しごっこが始まるってわけだ」

「ふん。この辺り一帯が生命の息吹を忘れた焦げカスになってもかまわんのなら、この儂が女王陛下にお願いしてやろう。どうだ?」


物騒な台詞にレオンはギョッとするがアドリアンは「それは困るね」と苦笑いを返した。


「そもそもだな、儂は一介のリザードマンに過ぎん。竜人様に意見するなど、己の分際をわきまえておる」

「じゃあ、お散歩の提案はどうだい?戦場の上をひょいひょい飛び回ってくれるだけでいいんだ。ほら、優雅に」

「残念だが他の爬虫類でも当たってくれ。ヤモリでも探せば見つかるだろう」


アドリアンの舌先三寸の言葉が飛び交うが、彼自身、自分の提案が夢物語だと痛感している。

ザラコスは騎士団長と言えど、リザードマンと竜人との間では隔絶された身分差が存在するのは確かなのだ。

友人であるザラコスに迷惑をかけるわけにはいかない。そう悟ったアドリアンの頭に、次の一手が浮かんだ。


「さて、冗談はここまでにして。真面目な顔をする時間だ」


彼は顔を引き締めたが、その目はどこか楽しげに輝いていた。


「レオン卿。援軍だの、シャヘライトだの、そんな役立たずを前線に送る必要はないんだ。もっと効果的な方法がある。戦争をあっさり終わらせられる秘策がね」

「え?そ、それは一体……?」


アドリアンの顔に、悪戯っぽい笑みが浮かんだ。その笑顔は、悪ふざけを思いついた子供のようだった。


「それはね──」


アドリアンは、くるりと一回転して優雅に一礼してみせた。そして言った。


「英雄を一人、戦場のど真ん中に放り投げればいいだけさ」


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