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第二十三話

大戦士アカネ。

彼女の目は、今、信じられない光景を捉えていた。


(なんだ……あやつの強さは……!?)


彼女の視線の先では、想像を超える戦いが繰り広げられていた。

カイの姿が残像となって空間を駆け巡るが、アドリアンはその猛攻の中でも優雅に舞うように動いていた。

彼はまるで軽い体操でもしているかのように、カイの全ての攻撃を簡単に避けていく。


「そら、こっちだ!」

「ぐっ……!?」


そしてアドリアンが反撃に転じる瞬間、アカネは思わず息を呑んだ。

彼の動きは、アカネの目にさえ捉えきれないほどの速さだった。

しかしそれ以上にアカネを震撼させたのは、アドリアンから放たれる圧倒的な威圧感だった。


「ふざけるな……!ふざけるな!なんだその力は!」

「まだ反抗する気概があるとはね」

「うるさい!貴様さえいなければ、全て上手くいってたんだ!」


アドリアンは深いため息をつき、まるで手に負えない子供を見るかのように首を振る。


「頭脳派を気取ってた割には最終的には物理的な力に頼りたがる。それがお前の限界だよ」

「黙れ!貴様に僕の何がわかる!」

「わかるさ。俺は長年、色々な人を見てきたからね。力に溺れる奴、権力に固執する奴、金に目が眩む奴……。そんな奴らを山ほど見てきたんだ」


アカネは気付いた。アドリアンの瞳は何かを懐かしむように、それでいて物悲しそうに揺れていた。

アカネの心の中で、記憶が蘇る。里の年長者たち、幾多の経験を積んだ者たちが見せる表情。若者には決して持ち得ない、人生の苦楽を知り尽くした者だけが持つ眼差し。


「だからわかる。お前のその目……お前は、自分の弱さに目を背けている」

「……!?」


アドリアンの言葉にカイが目を見開く。


「力に固執するあまり、お前は自分の心の底にある『本当の願い』を見失っている」

「な……何を言って……」

「お前だって本当はわかっているんだろう?自分が何を求めているのかを」

「……知らない!そんなの知るか!!」


静寂を破るように、カイの爪が空気を切り裂く音が響いた。闇の力を纏った鋭い斬撃が、アドリアンめがけて放たれる。

しかしアドリアンは、カイの斬撃をわずかな動きで避ける。その姿は月光の中で舞う蝶のように美しく、それは単なる戦いの技術を超え、まさに芸術の域に達していた。

目が離せない──アカネは、ただただアドリアンの戦いを見つめていた。


「お前に僕の何がわかる!」

「ああわからない。だけどお前だって俺のことを何もわかっちゃいない。こういう時はどうするか分かるかい?男と男が互いに語り合う時の方法をさ……」


カイの爪が、牙が、アドリアンの肉体を抉ろうとする。

アドリアンはその全てを紙一重で躱していく。そのまま一気に距離を詰め、カイの腹部に拳を放った。


「……ガハッ!?」


その一撃は重く、カイは数メートル吹き飛び地面に叩きつけられた。


「そう……拳と拳で語り合うのさ。昔、とある乱暴な獣人に教えて貰ったんだよ。なんとも野蛮だよな?でも、シンプルで一番気に入ってるんだ」

「ぐっ……がはっ……」


強化薬で強くなったカイの動きはアカネを超えている。だが、それを易々と上回るのがアドリアンの動きと速さだ。

それは単なる訓練では得られない、死線を幾度も潜り抜けた者のみが持つ動きだった。


「獣人は……長老たちは僕を見下し、蔑み、そして僕を見捨てた!だから僕には復讐する権利があるんだ!」

「そうだな。弱者を見下し、蔑むその長老たちとやらはとても醜いね。──だけど今のお前は、その長老たちと同じだよ」

「──!」


アドリアンの足が閃光のように動く。回し蹴りがカイの腹部を捉え、衝撃と共に彼の身体が宙を舞った。


「ぐはっ……!」


突如として白い光が空に奔った。アドリアンが飛翔し、空中に吹き飛ばされたカイの身体をさらに蹴り上げた。

そのまま吹き飛び、地面に落下したカイは、よろめきながらも立ち上がる。


「分かったような口を聞きやがって……!お前だって、自分が弱者の側だったら僕と同じことを思ったはずさ!!」

「確かに、お前が言うところの『強者』の俺が何を言っても虚しく聞こえるかもしれない。でも、弱者だった『この世界のアドリアン』もきっと俺と同じようなことを言っただろう」


アドリアンは空を見上げ、かつての自分を想った。

何の力もないただの青年。だが、その精神はまさしく英雄であり、自分であって自分でない誰か。

力なんて持ってなくても、より小さく弱い存在を守ろうとする心。

それはきっと──。


「力を持っても、持ってなくても……自分より弱い存在を守ろうとする人は、いるんだ」

「……!」


カイの口数は徐々に減っていき、アドリアンの言葉に反論する言葉も尽きたようだった。

そしてその代わりに攻撃を激しくしていく。

アドリアンはそれを舞踏のように避けていく。悪しき攻撃はアドリアンの身体に触れることはない。


「さっき、アカネ嬢が無力なお姫様とお坊ちゃんを身を挺して守ったのを見たかな?お前はアカネ嬢を弱者を見捨てる獣人って言ってたけど……俺にはそうは見えないな」

「うる……さい……!」


闇を払いながら、空中で踊るようにカイと壮絶な戦いを繰り広げるアドリアン。

カイは何かに怯えるように必死に攻撃を繰り返すが、アドリアンはそれを全て受け流していた。


(こんな……こんな人間が、いるとは……)


アドリアンから目を離せない。芸術品を鑑賞するように、ただただこの戦いに心惹かれていた。

彼の蹴りが、拳がカイを捉えていく。カイの闇をアドリアンの、星の煌めきが浄化していく。


「僕は『願い』のために、全てを捨てたんだ!今更、戻れるか!」

「その『願い』は、最初に抱いた時と今とで変わったんじゃないのか?」

「──!」


一瞬、カイの動きが鈍った。それを見逃すアドリアンではない。彼は刹那に距離を詰める。

そしてカイ掴み上げながら宙に舞うと、そのまま渾身の力で大地へ投げ飛ばした。


「……!」


カイは受け身を取ることもできず、肺の中の酸素を全て吐き出した。

そんな彼の側にアドリアンはゆっくりと降り立った。


「商人たちに持ち上げられ、奴隷という無力な人達を虐げ、その金と立場で力を手に入れ、そして強者になった。でも、お前はそれで本当に満足だったのか?ただ力を持てばそれで良かったのか?」


アドリアンはカイに問いかける。

だが、彼は何も答えない。ただ地面に倒れ伏したまま荒い呼吸を繰り返していた。


「さぁ、カイ。『お仕置き』は……これからだよ」

「!?」


アドリアンの手から光の奔流が溢れ出た。

それは、先程空に放った大魔法の光と全く同じものだ。


──まさか、この街中で大魔法を放つつもりなのか?


その光景を側で見ていたアカネが驚愕に目を見開いた。そしてアドリアンの瞳を見て、理解した。

その眼は真剣そのもので、自分の想いを絶対に曲げない頑固者だということを雄弁に語っている。

本気だ、アドリアンはカイもろとも全てを消し去ろうとしている。


「や、やめろ……!!」


カイの必死の懇願にアドリアンは何も答えない。ただ静かに手をカイに掲げるだけだ。

アカネの尻尾が揺れる。心臓が高鳴る。

今、目の前で起こっている出来事を決して見逃すまいと。


「やめてくれ……頼む……!」


カイは悲痛の表情を浮かべて懇願する。

アドリアンがその手に集めた光は、カイ一人を灼くにはあまりにも強大すぎた。それはまるで小さな太陽そのものだった。

そして彼は静かに言った。


「お前が『願い』を本当の意味で叶えたいと願うなら……」


光が眩き輝く中、彼の声は不思議とよく響いた。


「それを俺に見せてくれ」


時間が止まったかのような静寂が訪れる。


「──」


アカネとカイの視線が交差した。

その瞳は、恐怖と涙に塗れ、それはかつての弟の目そのものだった。


──その一瞬の交錯が、アカネの中で何かを呼び覚ました。


そして。

周囲の人々が驚きの声を上げる中、アカネの体が動いていた。


「!?」


気がつけば、彼女はカイとアドリアンの間に割って入っていた。

まるでカイを庇うように、手と尻尾を広げて……。


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