「お仕置きだと?上から目線でベラベラとよくしゃべる奴だ!だがこうも群衆が多くてはさっきのような大魔法も使えまい!」
尻尾が竜のように暴れ狂い、周囲の建物を削り取っていく。
民衆を気にせず、むしろ巻き込むように暴れまわる尻尾に人々は悲鳴を上げて逃げ纏った。
「きゃあああ!!」
「あぶない!逃げろぉ!」
地面を削り、建物を穿ち、全てを薙ぎ払う。
そして暴れ狂う闇の尻尾が奴隷の一人に向かっていった。
「ひっ……!?」
そのままであれば身体を貫かれ、命を落としていたであろうその一撃。
それは奴隷に届く前に庇うように前に出たアドリアンによって弾かれた。
「ほぉ」
その反応にカイが感嘆の声を漏らす。
本当に見ず知らずの、奴隷如きを救うとは思っていなかったからだ。
「奴隷を救う為にわざわざ身を挺して庇うとは!馬鹿な奴だ!」
「お前みたいに闇の力をおしゃぶり代わりに吸いながら暴れてるモフモフ坊やの方が、よよっぽど馬鹿に見えるぞ」
アドリアンは微笑んでそう言った。
皮肉と嘲笑が混じったその台詞にカイは歯ぎしりをするが、次の瞬間にはニヤリと笑って言った。
「馬鹿にしやがって……!なら、全部破壊してやるよ!」
カイの姿が消えた。
─上か! アドリアンは咄嗟に頭上を見上げる。
月明りに照らされたカイが両手を広げ、そして掌を合わせる。そこから黒い靄のようなものが凝縮され放たれた。
しかしアドリアンに向けて放たれたものではない。靄は真上へと進行方向を曲げて上空に打ち上げられる。
そして球体になったかと思うと……そのまま弾け飛んだ。
「……!」
それは数百もの闇の塊に分かれたかと思うと、そのまま地上目掛けて降り注ぐ……。
「はは、空から降り注ぐ闇の力だ!どうだ、この破壊の雨から見知らぬ人間共を守ってみろ!」
市場の破壊、そして人々への被害を敢えて狙った闇の雨。
あんなものが地上に落ちてこれば何十人、いや、何百人の犠牲が出るかも分からない。群衆はただ、空を見上げて呆然とするしかなかった。
しかし、その中にあってもアドリアンだけは落ち着いていた。
「──お前さん。ちょっとばかり調子に乗りすぎじゃないかい?」
破壊を齎す闇の雨が迫る中、アドリアンは無言で微笑み、そして拳を振り翳して叫んだ。
「『絶対障壁』」
瞬間、人々の頭上に眩い光の天幕が形成される。
激しい音と共に、闇の雨が光の防壁にぶつかった。闇の力と光の力がぶつかり合い、辺りに衝撃が走る。
「な……!?」
カイは驚愕した様子でその光景を見ていた。
この市場……いや、街全体を覆い尽くす規模の防護魔法!?そんな馬鹿な……!
しかし、いくら破壊しようにもその防護魔法は微動だにしない。それどころか、徐々に闇の力が削られているようだった。
「バカな!こんな力……!?」
カイが顔を歪める中、破壊の雨は徐々に勢いを減らし、遂には止んだ。
人々はこの一連の光景を茫然としながら眺めていたが、やがて状況を呑み込むと大歓声を上げてアドリアンを讃えた。
「す……すげえ!!あの兄さんが俺らを守ってくれた!」
「あ、ありがてぇ!」
人々の歓声を聞きながら、アドリアンは微笑んで呟く。
「せっかくの雨だったのに残念だったね。それとも、お前の闇の力は単なる水鉄砲だったのかな?まあ、どっちにしても、この街じゃ傘も要らないってことだ」
アドリアンは笑いながらそう言った。その言葉にカイは再び苛立ちを募らせて叫ぶ。
「そんな簡単に……僕の攻撃が……ふ、ふざけるな!!」
カイの姿が暗く、そして影のように黒く染まっていく。
「もういい……!全て、全て壊してやる!!」
カイは怒りの咆哮を上げ、目にも止まらぬ速さで周囲を飛び回る。
爪を一振りする度に斬撃が周囲の家屋が粉々に破壊され、瓦礫が舞い上がる。
粉塵と瓦礫が悲鳴と共に舞い上がり、逃げ惑う人々の頭上に降り注ぐ。
「闇の力で遊んでたら、お漏らししちゃったみたいだな。メソメソ泣くのはやめた方がいいぞ」
そんな中、一筋の光が闇を貫く。アドリアンの姿がまるで舞うように現れた。
彼の手から放たれる光が、降り注ぐ瓦礫を粉々に砕く。
常人には視認出来ぬ程の速さで動きでカイの攻撃を躱し、そして人々を守る。
「おのれ……!」
アドリアンの動きは無駄がなく、人々を守りながらも、カイへの反撃の機会を逃さない。
カイは悔しさに顔を歪めながら、必死に飛び回り周囲を破壊しようとするがアドリアンはそれ以上の速度でカイの攻撃を躱し、そして反撃する。
「何故だ!僕は強くなったのに!前の無力なキツネじゃないのに……!」
「あぁ、強くなったかもしれないね、でも動機が少し不純だったな。そんな性根で力を持っても、ただのイタズラ好きな子狐が生えたばかりの爪で威嚇しているようなもんだ。可愛いけど、何の意味もない」
「うるさい!お前に僕の何が分かる!僕はただ、力さえあれば……!」
再びアドリアンに向かって飛び、爪を振り上げる。しかしアドリアンはその動きを予期していたかのように指で受け止めた。
「なっ……!?」
「力さえあれば何だって?世界征服でもするつもりか?今のお前じゃ、せいぜい近所迷惑な深夜の騒音くらいしか起こせそうにないぞ」
渾身の破壊の力を込めた爪が……獣人の鋭い爪が、ひ弱な人間の指で止められている。
アドリアンの蹴りがカイの腹部にめり込み、そのまま吹き飛ばす。強烈な一撃を受け、カイは地面に転がった。
「ぐぅ……!」
「俺はお前の苦しみを体験したわけじゃない。だから、偉そうなことは言えないさ。でもな、その苦しみを他人にばらまいて、まだ自分は運命のいじめっ子に泣かされた可哀想な子だって言い張るのは、おかしいんじゃないか?」
「黙れ!僕は復讐するんだ!僕が人間に捕まっても、助けてくれなかった傲慢な奴等に……!」
カイは叫び声を上げながら尻尾を勢いよく突き出し、アドリアンを貫こうとした。
だが、アドリアンは避けようとも防ごうともせず、そのままその一撃を身に受けた。
カイは絶句した。アドリアンは闇の力で増強された尻尾の一撃を受けてなお、無傷であった。
「嘘だ……そんなはず……」
「なるほど、人間に捕まった、か」
不意に、アドリアンがポツリと呟いた。
「俺はね。色々な『加護』を持っているんだ。どんな攻撃も防げるような加護魔法を無限に放てるような加護。そして……『嘘が少しだけ分かる加護』、なんてものまでね」
「……!」
その瞬間、カイの顔色が変わった。
「どんな嘘を吐いているかは正確には分からないんだけど、嘘を吐いている……というのは分かるんだ」
「う、嘘だ!そんな加護、聞いたこともない!」
「どんな嘘かな。拷問を受けて辛い思いをしたのはその耳と尻尾が証明しているし、真実だろう。フォクシアラと姉への恨み?奴隷商人?立場?地位?それも本当だろうね。じゃあ、残るは……」
「黙れ!!」
カイの牙が、爪がアドリアンを襲うが、彼はそれを全て躱していく。
荒れ狂うカイの攻撃を避けながら、アドリアンは静かに呟いた。
「人間に捕まった……の部分かな?」
「──」
カイの動きが、ピタリと止まった。
「おや、その反応。当たりってとこかな」
「な、なにを……」
アドリアンの言葉にカイの身体がわなわなと震える。
その反応を見たアドリアンは囁くように言った。
「人を騙す時は、簡単に表情を変えてはいけないよ。騙すのが得意なキツネさん」
「黙れ!!」
カイが再び暴れ狂うように爪と牙をアドリアンに突き立てようとしたがアドリアンには当たらない。
「全てお前の妄想だ!!証拠もなにもない、ただの妄言だ!」
カイの猛攻は続く。アドリアンは優雅に、風に舞うように攻撃を避けていた。
その途中、急にアドリアンは「おや」と呟きクスッと微笑んだ。
「なんというタイミングだろう。ちょうど、とあるトカゲさんから連絡があったから、中休みとして一緒に聞いてみようか」
「なにぃ……?」
息を切らしたカイとは対照的に、アドリアンは涼しげな表情であった。
そして、アドリアンはくるくると指先を回し、とある魔法を発動させた。
「!?」
空中にとある映像が映し出される。
──映像魔法。
高度な魔法技術を要する、特殊な魔法である。
映し出された映像は、薄暗い部屋でリザードマンがもぞもぞと動いている姿であった。
ザラコスである。
彼は首を傾げ、尻尾をゆらゆらと揺らしている。
「ザラコス、聞こえるかい」
アドリアンがザラコスに向かって声をかける。すると、ザラコスは「むっ!」と驚いた表情になった。
『おい、アドリアン!遅いではないか!というか、さっきのド派手な魔法はなんなんだ!お主、街を吹き飛ばす気か!?』
「えーっと、ザラコス。怒った顔も可愛いんだけどさ、君の姿は沢山の人達に映像魔法で映し出されている。だから、もっと優雅にね」
アドリアンがそう言うとザラコスはハッと我に返り、『コホン!』と咳払いをした。
そうして空中に映し出された映像の中で、ザラコスは上品に尻尾を振りながら言った。
『ドラゾール。その男を前に。『優雅』にな』
『御意』
もう一人のリザードマン……ザラコスの護衛であるドラゾールが一人の男を『優雅』に地面へと放り投げる。
優雅とは程遠い、乱雑に地面に投げ捨てられた男は顔面を蒼白にして、身体を小刻みに震わせていた。
「お、おい……あれは副総督じゃないか?」
「本当だ。何やってんだ?」
ザワザワと群衆たちがざわめき始める。それと同時にカイの目が大きく開かれた。
男はカイの部下であった。奴隷市場の総督であるカイの右腕の、副総督である。
「アドリアンどの、ザラコスどのは邸宅にいたのでは……?」
レオンがアドリアンにそう問いかける。アドリアンは「ごめんよ」とはにかみながら答えた。
ランドヴァール邸で待っている筈の彼らが何故ここに?
今まで戦いの蚊帳の外にいたメーラとレオンは二人揃って目を丸くした。
「二人に内緒にして悪かったね。でも、敵を騙すにはまず味方からって言うだろ?」
ザラコスは、アドリアンと別行動でこの市場の闇を調査していた。
当初の予定では市場の闇を暴きつつ、高位のリザードマンですら魔族の姫であるメーラに平伏するというショーを予定していたのだが、こうしてカイが暴れたお陰で予定は大幅に変更となった。
アドリアンは通信魔法で随時ザラコスと連絡を取り合いながら、それこそカイと戦っている最中もザラコスに指示を送り続けていたのである。
「この男が全て吐いてくれたぞ。そこにいるカイとやらの過去をな」
「な……に……?」
カイが信じられないと、宙に浮かぶ映像の中にいる副総督を睨み付ける。
「貴様!この僕を、売ったのか!?」
「この声は総督!?し、仕方ないだろう!俺だって自分の命が大事なんだ……!」
「この、裏切り者が……!」
カイと副総督の醜い言い争いを、ザラコスはふっと鼻で笑った。
そして大声で、この市場にいる全員に聞こえるように叫ぶように宣言した。
「お主にこの男を責める権利があるのかね?自ら望んで人間に捕まり、人間の世界で奴隷商人として卑劣な手段で成り上がった『総督』殿よ」
「……!」
「カ、カイ総督は言っていた!獣人の里では強者になる機会がなかった……。だから人間の軍隊を利用してわざと捕まって、この奴隷商人の世界に足を踏み入れたと!……な?いいだろ、喋ったんだから助けてくれ!」
「う、ぐ……きさ、ま……」
部下である男の言葉に、カイの顔色がみるみると青くなっていく。
そんな中、アドリアンが「なるほどね」と頷いて言った。
──カイ。
彼は、何とかして成り上がりたかった。『強者』の地位に付きたかった。
だが、獣人の国では力こそ全てだ。だから彼は人間の世界に足を踏み入れようとした。
しかし、獣人がいきなり人間の国で活動できるわけがない。
だから、わざと奴隷になったのだ。
奇妙なことに、アルヴェリア王国では奴隷あがりの地位を持つ異種族がたまにいる。主人から気に入られ、奴隷という身分でありながら出世する者がいるのだ。
獣人の里では、力こそ全て。しかし、この世界では知恵と冷酷さが力の代わりとなるのだ。
「カイ、お前の復讐心とやらは自分を見下していたという憎しみの感情と、自分が強者になれないという悔しさや妬みから来ているもの……それを復讐という立派な言葉で包んじゃって、自分で自分をだましているんだね。お見事。茶番としては上出来だよ」
シン……と周囲が静まり返る。
アカネも、群衆たちも、言葉を失い、カイとアドリアンの会話に聞き入っていた。
「……ふ……ふふ」
不意に。カイの身体が揺らめいた。
炎のように、ゆらりと彼の身体から禍々しい力が溢れ出てくる。
「──ご名答。ああ、僕の復讐は茶番だ。全ては力を手に入れる為の芝居だよ」
カイはピタリと笑うのを止め、狂気じみた目でアドリアンを睨みつける。
「だが、それがなんだと言うんだ。僕が強者になるには人間を利用するしかないだろう?そして僕はその機会を得た。ならそれを利用しない手はないだろう?」
「そんな、理由で……?」
アカネが呆然と呟く。
彼女はカイがそんな理由で人間達を利用し、奴隷を虐げ、そして自分達を欺いていたとは思いもよらなかったのだろう。
「その為に奴隷生活にも耐えた!まぁ、耳と尻尾がボロボロになったのは計算外だったが……それでも僕はこうして成り上がったんだ!」
カイが狂気じみた声で叫ぶ。その瞳には、最早アカネは映っていない。
「僕は賢いからね。奴隷として商人に気に入られて……この頭脳を利用して取り入って……最後には主人を陥れてのし上がる。それが僕のやり方だ」
カイが手を大きく広げて、大きな声を張り上げた、その時である。
カイの身体を強烈な圧が襲う。本能的にその方向へと顔を向けると、そこにはアドリアンが静かに立っていた。
だが、アドリアンから発せられる圧は並大抵のものではない。
「カイ。お前の本音が聞けて良かったよ」
「本音だと……?」
「そう、本音さ。お前の身勝手な本心。俺はそれをずっと聞きたかったんだ。まるでゴミ箱の中身を見るようだったけどね」
アドリアンは優雅に微笑みを浮かべる。しかしその瞳には怒りが宿っていた。
そして彼はゆっくりと歩みを進めた。
「お、おい……!止まれ!」
今までとは比べものにならない強大な圧を前に、カイは動揺を隠せない様子でアドリアンを止めよう。とする。
「それ以上近寄るな!」
「それは無理な話だね。だってこれから──悪いキツネくんを、お仕置きするんだからな!」
その言葉が市場に響き渡る瞬間、アドリアンの姿が霧のように消えた。
空気が裂けるような音と共に、アドリアンの拳がカイの腹部に叩き込まれる。
「ぐぁっ!?」
カイの声が絞り出されるように漏れる。
息つく暇もなく、アドリアンの次の攻撃が放たれる。鮮やかな軌道を描くアッパーがカイの顎を捉えた。
「ぐっ……!?」
夜空に、一筋の影が描かれる。それは打ち上げられたカイの身体だった。
その瞬間、アドリアンも跳躍した。
アドリアンは空中でカイの身体を掴むと、そのまま地面に向けて急降下した。
そして地面に叩き付け、轟音と共に砂煙が舞い上がる。土埃が収まるとそこには仰向けに倒れるカイの姿があった。
「あっ……かはっ……」
着地した際の衝撃でカイは上手く呼吸ができず咳き込んでいる。
そんな彼を、アドリアンは冷たい眼差しで見下ろして、そして言った。
「さぁ、俺の拳は少し痛いぞ。悪いことを全部忘れるくらいにはな」
アドリアンの瞳が再び煌めき、カイの視界でその光が瞬いた。