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第十九話

アドリアンの叫びが周囲に響き渡る。それは市場全体に響き渡るような大声だった。


「な、なにを言っている……?」

「彼女を何方と心得るか!魔族の国の王女メーラ様であらせられるぞ!」


商人が怪訝な表情を浮かべる。

そもそも魔族と言えば、奴隷市場の掃き溜めにしか見当たらない、二束三文の使い捨て種族だ。

そんな連中に国があるなんて、酔っ払いの寝言程度の信憑性しかない。


「なんだなんだ?喧嘩か?」

「おぉ、なんか面白いことになってきたぞ!」


だがその疑念も、周囲で囃し立てる人々によってかき消されてしまう。

アドリアンの叫びを聞いた者たちが、周囲に集まり始めていた。


「王女……?」

「魔族の国?そんなもの初めて聞いたぞ」


人々の呟きが聞こえる。そのどれもが信じられないという響きを持っていた。

アドリアンは段々と事が大きくなる様子を見てニヤリと笑う。

何故なら、これこそが彼の狙いなのだから。


「奴隷にされ、無残な仕打ちを受ける魔族の哀れな姿を見てメーラ姫はお怒りである! だが、魔族に限った話ではない……ありとあらゆる種族の奴隷が、使い捨ての道具のように扱われているのを目にして、涙を流しておられるのだ!」


その混乱は徐々に周囲に伝播していく。

次第に人集りは大きくなり、市場の一区画を占有するに至り、燃え滾る炎のように騒めきが激しくなる。

そしてその中心でアドリアンが叫んだ。


「この市場の責任者を出したまえ。さもなくば、姫の怒りの鉄槌が降り注ぐことになるだろう!」


その言葉に人々は顔を見合わせる。彼らの視線はアドリアンと、彼の背後で震えている少女……メーラに注がれていた。

まだ幼子と言っていいほどの年齢の少女が、怒り鉄槌を降す?しかも、無力な魔族が?


「何を言い出すかと思えば……魔族なんぞに何ができるというんだ!馬鹿馬鹿しい!」


幾分か冷静になった商人がアドリアンに食ってかかった。


「そうだ、魔族が何だってんだ!無力な種族に何が出来る!」

「下らない世迷い言はよせ!」


奴隷商人たちの目には、魔族など使い古しの雑巾程度の価値しかない。

力も魔力もなく、壊れたオモチャのように反抗する気すらない、完璧な奴隷候補というわけだ。


「諸君らはきっとこう思っていることだろう。『たかが魔族ごときに何が出来る』とね」


アドリアンはそう言うと華麗に翻り、民衆の真ん中で両手を広げた。


「だがそれは大きな誤りだ!その証拠に殿下の従者であり騎士であるこの私が、彼女に代わって力の一端をお見せしようではないか!」


アドリアンの掌から魔力の奔流が噴出した。

先ほどの優しげな光魔法とは打って変わって、今度は暴力的なエネルギーが溢れ出す。

空間が歪み、空気が震える。その圧倒的な魔力に、市場全体が揺れ始めた。


「な、なんだあれは!?」

「魔法か……?い、いやこんな大規模な魔法なんて……」


驚愕の表情を浮かべる人々と慌てふためく商人たち。

レオンもまた彼らと同じく狼狽え、アカネは尻尾の毛を逆立て、彼女の目は驚きのあまり瞳孔が開ききっている。

メーラはアドリアンの放つ魔力に怯えながらも、その瞳は真っ直ぐに彼を見つめていた。

アドリアンはそんな彼女に向かって優しい微笑みを浮かべるが、その表情とは裏腹に放出する魔力は群衆を威圧している。


「刮目せよ!これがメーラ姫の騎士・アドリアンの力だ!!」


アドリアンが掌を天に向けると、光の奔流が一気に噴出した。その光は、夜空の星々を一瞬で霞ませるほどの輝きを放つ。

周囲の人々は、目の前で太陽が爆発したかのように、視界を奪われた。


「うわぁぁ!?」

「な、なんだこの光は!?」


人々は悲鳴を上げるがその光は決して彼らを傷つけることはない。

光りは天を穿つように立ち上り、やがて雲を突き抜け空一面に広がった。

夜だというのに、昼のような明るさが街を包み、人々は空を見上げる。

光の柱は天を刺すかのように立ち続けたが、やがてその勢いは萎え、消え去った。

後に残されたのは、静寂と、ぽかんと口を開けた人々の姿だけ。


「諸君、いかがだったかな?メーラ姫の忠実なる僕、アドリアンの腕前をたっぷりと堪能していただけただろうか」


アドリアンの声が静寂を切り裂く。彼の独り舞台と化した場で、群衆は口をぽかんと開けたままだ。

しかし、次第に……彼らの心に不穏な感情が忍び寄る。

あの破壊的な光が街に降り注いだら。もし、自分たちに向けられたら。


「さて、私の素晴らしい才能をご覧いただいたところでさらなる驚きをお届けしよう。ここにいらっしゃるメーラ姫はこの私など足元にも及ばぬほどの実力者だ。なにせ彼女は『魔族の王族』なのだからね」


アドリアンはメーラの前に膝をつき、その手の甲に唇を寄せた。

まるで優雅な舞踏会の一幕のようでありながら、同時に見る者全てにメーラという少女の持つ恐るべき力を思い知らせる光景だった。

メーラ自身も普段の弱々しい態度を一変させ、決意に満ちた眼差しで群衆を見据えていた。

平素なら涙を流して震えているところだろうが、魔族の奴隷たちの存在が彼女を『姫』として立たせているのだ。


「ひ、ひぇ……なんてこった……」

「魔族の王族なんて聞いちゃいねぇぞ!」


これまで魔族の奴隷を散々こき使っていた商人たちは狼狽え始めた。


「弱い者いじめを楽しんでいたようだが、より強い者が現れた途端、手のひらを返す……君たちこそ、上手い軽口を言えなくて失敗した道化師そのものだな」


市場全体がアドリアンの手中にあると言っても過言ではない状況に人々は恐怖するしかなかった。

そしてその様子を見ていたアカネはアドリアンの実力を見て驚愕すると共に、その圧倒的な魔力に気圧されていた。


(なんという魔力……!こやつ、単なるペテン師ではない!)


戦場を渡り歩いてきたアカネでさえ初めて感じる強者の気配。今まで遭遇した誰よりも圧倒的な存在感だった。

アカネにはアドリアンの狙いが分かっている。

騒動を大げさに演出し、この市場の商人や庶民にメーラという魔族の王女の存在を刻み付けようとしているのだ。

──しかし、それはきっと作り話だ。魔族の国なんて聞いたこともないし、王族なんて存在するはずがない。

アドリアンはあの少女を祭り上げようとしているのだ。だからこそ騒ぎをここまで大げさにして、メーラの影響力を高めようと画策している。


「……」


不意にアドリアンとアカネの視線が交差する。

彼は悪戯っ子のようにウィンクし、アカネに対して微笑んだ。


『アカネ嬢。血と叫びのサーカスも悪くないけど、もっと『洗練された芝居』を披露してあげよう』


アカネの頭に先ほどのアドリアンの言葉が甦る。

なるほど、これぞまさに『洗練された芝居』だ。少なくとも爪と牙で彩る残虐なショーよりは遥かに興味深い。


「おぉ、私たち魔族の救世主は本当に存在したのか……!」

「メーラ様、アドリアン様……どうか我々をお守りください!」


先程まで絶望の表情に染まった魔族たちは二人に縋りつくように跪いた。

その目には希望と崇拝が入り混じっている。この混沌とした状況において、彼らにとって二人は救いの神に映ったことだろう。


「もう恐れることはない。この私と姫がいる限り、君たちに指一本触れさせはしない!」


なんとも滑稽な茶番劇。

なんとも空々しい偽善。


だが、何故だろう。

アカネは、アドリアンの振る舞いを見て胸の奥から湧き上がる不思議な感情を覚えていた。

この茶番劇をもっと見てみたい。アドリアンがどのように演じるのか、この目で見届けたい。

そんな衝動が沸き上がるのを抑えきれない。


(私は何を考えているのだ……?)


アカネは自問自答を繰り返す。しかし、その答えは霧の中に隠れたままだ。

騒ぎは市場全体に伝染病のように広がり、メーラとアドリアンは群衆の視線を一身に浴びることになった。

アカネは傍らでその様子を観察していたが、突如彼女のキツネ耳がピクリと動いた。


「……む?」


足音だ。それも複数。しかも、こちらに向かって着実に近づいてくる。

アカネは静かにその方向へ顔を向けた。それと同時に、アドリアンも耳を澄ませる。


「やっと本当の『芝居』を始めれそうだ」


アドリアンの表情から一瞬だけ道化の仮面が滑り落ちた。その瞳の奥には冷徹な計算が光っている。

そして、足音の主たちが姿を現す──。


「騒がしいですねぇ。一体何の騒ぎですか」


人混みをかき分けて現れたのはこの街の衛兵たちと、とある男であった。

衛兵たちは市場に不釣り合いな重装な鎧を着こみ、腰には剣を携えている。その姿は衛兵というより騎士に近い。

そして衛兵に守られるようにして現れた男。

金色の髪に金色の瞳、端正な顔立ちだがその目は糸のように細く、口元は妖艶に微笑んでいる。


──ようやくお偉いさんがきたか。


アドリアンは内心でほくそ笑んだ。

見た目は若いが恐らく彼がこの奴隷市場の総督なのだろう。

アドリアンはこの劇に幕を下ろすべく、そして『姫』のお披露目をすべく一歩前に出た……。


「な……何故だ……何故、お前が……」


だが、背後から聞こえた声がアドリアンの歩みを止めた。

振り返って見るとアカネの顔は蒼白に変わり、瞳孔が開いていた。彼女の尻尾は硬直し耳は前に倒れている。

彼女の視線の先には、今しがた現れた男。


風が吹き、アカネと男の金色の髪が同じように靡いた。

そして、まるで双子の星のように二人の金色の瞳が同時に煌めいた。


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