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第十八話

ジャリジャリと、奴隷の鎖が音を立てる。

額にツノを生やした奴隷たちは手足に鎖を繋がれた状態で地に這っていた。

身体には酷い痣が刻まれ、骨と皮だけのような身体で……それでも尚、奴隷たちは何かに縋るように……必死に藻掻いていた。


「──あっ……」


そのあまりの無残な姿にメーラが声を漏らす。

同胞である魔族たちが、こんなにも悲惨な状況にある──。

彼女の目には、自分自身の姿がこの哀れな奴隷たちと重なって見えていたのだ。


「……」


メーラの目が、倒れ伏した奴隷の一人と交差した。

虚ろな瞳がメーラの罪悪感と無力感を駆り立てる。

メーラは指一本動かす事出来ずに彼らを傍観していたが、彼女とは対照的にアドリアンはすかさず一歩前に出て優しい言葉をかけていく。


「大丈夫かい」


アドリアンの声が重苦しい空気を切り裂いた。彼は奴隷たちに歩み寄り一人を抱きかかえようとした。

その光景にレオンも我に返ったように動き出した。「私も……!」と彼は慌てて奴隷に手を伸ばす。


「うぅっ……あぁ……」


衰弱しきったその身体には、鞭で叩かれた痕が無数に刻まれていた。

アドリアンが彼らの身体に触れようとした瞬間……奴隷の魔族は最後の力を振り絞るように、彼の腕を掴む。


「おやめくださいまし……。私に慈悲を掛けても何もお返しできません。どうか、私など捨て置いてください……」

「……!」


アドリアンは身体を硬直させた。

この奴隷たちは自分たちを助ける価値すらない存在だと、そう言い切っている。

虐待の傷跡が刻まれた肉体、飢えで干からびた身体、自己価値を完全に失った心。

その全てを包み込む絶望的な眼差しと言葉が、アドリアンの心を鋭い刃物のように貫いた。


「……いいんだ。何も言わなくて」


アドリアンは奴隷を慎重に抱き上げた。

その身体からは生命の温もりはほとんど感じられなかったが、それでも生きていた。かすかな鼓動が、生への執着を物語っているのだ。

──英雄とは何か。

希望を失った者に、再び光を与える者ではないのか。


「君たちを助けさせて欲しい」


アドリアンは奴隷の魔族にそう告げた。それは懇願であり、願いであった。

彼らの返答を聞く前に、アドリアンは奴隷たちに向かって手を翳す。

すると掌から暖かな光が漏れだし、奴隷たちの身体を覆っていく……。


「ほぉ」


アカネはその光景を見て声を溢した。あの光は光魔法による治癒術である。

しかし、ただの治癒術ではない。相当に高位な魔法だ。

治癒魔法を使える者は稀少な存在だ。それ故に彼らは国や教会、貴族など、様々な権力者に引っ張りだこになる。

まるで、希少な宝石のように大切にされ……それと同時に鎖で繋がれるのだ。


「お前は治癒師だったのか」

「ただ単にありとあらゆる魔法を使えるだけさ。大したことじゃないよ」


その言葉は、謙遜というよりも皮肉に満ちていた。

アドリアンの手から発せられる光は、まるで生命そのものが液体になったかのように、奴隷たちの傷ついた身体に染み込んでいく。

レオンはその様子を見て、「おぉ……!」と感嘆の声をあげた。


「アドリアン殿は治癒術すら操る大魔法使いであらせられるのですね!」

「そう、何でもできる大魔法使いさ。だけど、彼らを本当の意味で救えない無能な大魔法使いでもあるんだ」


確かにアドリアンの魔法によって奴隷たちの傷は瞬く間に癒えた。

しかしその魔法は彼らの心の傷までは癒せない。奴隷としての身分を変えることも、彼らが受けた屈辱を帳消しにすることもできない。

アカネはアドリアンの言葉を反芻するように、尻尾を不規則に揺らす……。


「こ、これは……」

「痛みがなくなった……?」


奴隷たちは自身の身体の傷が癒えたことに驚く。

身体を襲う痛みが一瞬で消えたのだ。奴隷たちは驚きの表情でアドリアンを凝視する。

先ほどまで風前の灯火だった彼らの命が再び灯りを取り戻した。彼らは確かに生きて、呼吸をしている。

……しかし、その表情は決して喜びに満ちたものではなかった。


「何故、私たちを助けたのですか。この苦しみからようやく解放されると思ったのに」


その表情は悲痛に染まり、生きているのを後悔するかのような口ぶりだった。

レオンはそれを聞いて突然の雷撃を受けたかのように、その場に立ちすくむ。


「なっ……貴方たちは……!」


この奴隷たちは……何故こんな言葉を言うのか。

命が助かったというのに、何故そんな表情をするのか。

レオンには理解できなかった。アドリアンが治癒魔法を掛けなければ、確実に死んでいただろうに……。


「君たちは死にたいのかい?」


アドリアンはそう尋ねた。その口調は優しく、そして悲しげなものだった。


「……死にたくはありません。ですがもう生きるのが辛いのです」


奴隷の一人がそう答えると、他の奴隷たちも堰を切ったように口を開く。


「自由になれる日など、来ないのでしょう。ならばいっそ……」

「生きていても、ただ苦しむだけ……」


彼らは口々にそう呟いた。彼らの目は暗く濁り、希望の光は完全に消え失せているように見えた。

しかし、それは当然だ。彼らには生きる気力が無いのだ。希望が見えない。未来に光がない。

……そんな状態で、どうして生きたいと思うだろうか。


「人間とはなんとも醜悪なものだ。このような哀れな奴隷を作り、自分たちはのうのうと暮らしているのだからな」


アカネは鋭い目つきで言い放った。

その瞳は炎のように激しく燃え、奴隷という存在を作った思想そのものを憎悪しているように……。


「偽善の施しで苦しみを引き伸ばすとは、なんとも洗練された拷問だ。死んで楽になる方がよっぽどマシだな。それとも、『キツネ狩り』の名うてのアドリアン殿は、彼らを救う魔法の杖でも持っているのかね」


強烈な皮肉を含んだその言葉。

しかしアドリアンは、まるで褒められたかのように笑みを浮かべていた。


「ありゃ、見抜かれちゃったか。そう、俺は救世主なのさ。偽善の権化として生まれついた使命感で、目に入る全てを救わずにはいられないんだ。それに俺は……『魔法の杖』を持ってるからね」


「はぁ?」とアカネは目を剥き、こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりにアドリアンを凝視した。

彼は横で震えていたメーラの手を取り、奴隷たちに見せつけるように前に出す。

震えるメーラの手を掴んで前に引っ張り出した。突如のことにメーラは驚きのあまり目をパチクリさせるが、アドリアンは彼女の動揺など一顧だにせず調子に乗って喋り続けた。


「諸君!目の前の御方をよくご覧あれ。なんと、亡国の姫メーラ殿だ。世界中を股にかけ、君たち魔族を救うべく奔走している御仁さ」

「えっ……は!?わ、私は、その……」


メーラは困惑の声を上げる。

アドリアンは彼女の混乱を鎮めようとするかのように、口元に人差し指を当てた。

そして奴隷たちに向かって大袈裟な身振りで語り始める。


「いつの日か諸君を束縛する鎖から解放する。だから、それまでは生きることをやめないでいただきたい。まあ、諦めても構わないけど、その場合は解放の喜びを味わえないからおススメはしないね」

「な、なにを言っているのです。何故、人間が魔族を解放するのですか……?」

「人間?おや、誤解があるようだ。彼女はね……」


アドリアンはメーラの額に手を翳した。

するとどうだろう、『変身魔法』の幕が劇的に落ち、メーラの立派なツノが観客の前に姿を現したのだ。

奴隷たちの目が、驚愕のあまり裂けんばかりに見開かれる。


「ま、魔族!?」

「そんな……まさか」


メーラのツノを見て、彼らは信じられないといった表情で後ずさった。

そんな彼らにアドリアンは優しく語りかける。


「昔、魔族が興した国があってね。今はもう消えちゃったけど、偉大な国だったんだ。そしてこの御方はその国の王族様の血を引く御方なんだよ」

「えっ……」

「この御方は魔族の国を復興させるために世界中を旅しているんだ。そして、復興した暁には魔族は皆奴隷の鎖から解き放たれ、新しい国でのんびり暮らせるってわけさ」

「そ、そんなことが……」


奴隷たちはメーラに畏怖の眼差しを向ける。

魔族たちの視線を一身に受けたメーラは、顔を俯かせながら、か細い声で呟いた。


「わ、私は……その……」

「──だから君たちも生きるのを諦めないでくれ」


メーラはその言葉にハッと顔を上げた。

彼は魔族の奴隷たちに『希望』という光を与えてくれたのだ。


「ほ、本当なのですか……?」

「魔族の国だなんて……」

「私たちは生きられるの……?」


奴隷たちは困惑したように口々に呟く。

彼らの目には長い冬の後に見る最初の春の芽のような、かすかな『希望』の光が宿っていた。


「メーラ殿は魔族の姫だったのですか……!」


レオンもまた、驚愕に目を見開いている。

魔族の国が復興する……それが本当なら、これは歴史的な出来事だ。


「レオン卿。彼女が魔族の姫だと知って幻滅したかい?」

「まさか。私は種族で差別する愚か者ではありません。……それに私の探している方も、魔族の女性ですから」

「……へぇ?」


レオンの想い人は魔族だったのか、とアドリアンは興味深げに頷く。

偏見を持たぬ若者というのはなんと素晴らしいことか。

アドリアンはレオンに微笑むと一段と彼への評価を引き上げた。


「そ、その……私は……」


奴隷たちはメーラに羨望の眼差しを向けている。

どうやって魔族を解放するつもりなのか。魔族の国とはどのようなものなのか。様々な疑問が頭を過ぎる。

だが彼らは一様に口を噤んだまま、静かにメーラの言葉を待った。それは期待と不安が入り混じった表情だった。


「わ、私は……私は!」


その言葉には確かな重みがあった。そしてそこには『希望』が宿っていた。

メーラは意を決したように顔を上げ、奴隷たちに宣言する。


「私は、必ず貴方たちを助けます!だから……生きてください!!」


その言葉は道徳の教科書から抜け出してきたかのようなありきたりなフレーズだった。

しかしそれは奴隷たちの心に、乾いた大地に染み込む雨のように浸透していった。

アドリアンの治癒魔法が彼らの体を癒したとすれば、メーラの言葉は彼らの心を癒したのだ。


「おぉ……姫さま……!」

「私たちはまだ生きていていいんですね……!」


奴隷たちの表情に光が差し、メーラに羨望の眼差しを向ける。

彼女は一瞬気圧されるが、その視線を真正面から受け止め、力強く頷いた。


──勿論、メーラが姫だなんて全て作り話だ。


魔族の国など存在しないし魔族の姫なんて架空の存在だ。全てはアドリアンが即興で紡ぎ出した、華麗なる嘘の産物。

しかし奴隷たちにとって、その嘘は『希望』となった。彼らの目には、その嘘が紛れもない真実として映っている。

だからこそメーラは、アドリアンが蒔いた希望の種を枯らさぬよう、必死に水をやり続けるのだ。


そんな光景を、アカネは尻尾をゆらゆらとさせながら静観していた。


「おや、アカネ嬢。魔族の姫様にそんなに熱い視線を送って、恋に落ちたのかな?」

「とんだ茶番だな」

「おや、流石フォクシアラのお嬢様にはお見通しか」


フォクシアラ一族は敵を騙す狡猾な知恵で有名だ。つまり、嘘を見破る鋭い洞察力も持ち合わせているということ。

アカネにとって、アドリアンの嘘を暴くのは、子供のパズルを解くくらい簡単なことだった。


「茶番は嫌いかな?お嬢様」

「……嫌いではない。ただ、茶番というものは長続きしないものだ」


アカネの言葉にアドリアンは「確かにね」と頷く。

しかし、彼はその『嘘』を『嘘』で終わらせる気はなかった。


「でもね、俺はこの嘘がいつか本当になる日が来ると信じているんだ。嘘から始まった物語が、いつか歴史を変える。そんな芝居を演じてみたくないかい?」

「……」


アカネは黙ったまま、その言葉に反応を示さなかった。

しかし、彼女の尻尾は、まるで興味を示すかのようにゆっくりと動いていた。


──その時。


「おい!何をやっている!」


男の怒声が響き渡る。

その声の主は、如何にも奴隷商人といった風貌をした中年の男性だった。


「ひっ……!」


彼の姿を見て奴隷たちは一様に怯えた様子を浮かべる。

恐らくは彼がこの奴隷たちの持ち主なのだろう、とアドリアンは推測した。


「何をぐずぐずしているんだ!奴隷の分際で、休憩時間でも始まったと思ったか!」


男は鞭を振り回しながら、奴隷たちに怒号を飛ばす。

その姿にアカネは嫌悪の表情を浮かべ思わず牙を剥き出しにするが、アドリアンは手を翳し彼女を宥めた。


「アカネ嬢。血と叫びのサーカスも悪くないけど、もっと『洗練された芝居』を披露してあげよう」

「……なに?」


アドリアンはアカネにウィンクすると、鞭を振り回す奴隷商人に向かって歩みを進める。

商人は近付くアドリアンに気付かず、そのまま奴隷たちに向かって鞭を振り下ろし、そして──。


「っ!?」

「なっ──」


その場にいた者が、あり得ない光景に息を飲んだ。

なんとアドリアンは振り下ろされた鞭を無防備でその身に受けたのだ。

鞭というのは肉を引き裂き、時には骨を砕くほどに恐ろしい武器だ。その痛みは筆舌に尽くし難い苦痛である。

故に通常ならば痛みに悶え、蹲るところだが……

アドリアンに鞭が触れたその瞬間──鞭が根元から折れる音が、乾いた空気に響き渡った。


「えっ?」


商人の顔から血の気が引いていく。

突然現れた青年が鞭をその身に受け、しかも身体には傷一つ付いていない。

理外の光景に商人はよろめきながら後ずさり、地面に尻餅を付く。

そんな彼を見下ろし、アドリアンは急に冷酷な表情を浮かべた。

役者が舞台で役柄を切り替えるかのようなあまりにも唐突な変貌ぶりだ。


「王女の御前で我が国の国民を傷付けようとするとは……」


アドリアンの声は氷のように冷たく、しかし同時に燃え盛る炎のように威圧的だった。

そして身体から膨大な魔力を溢れさせながら手を翳し、言った。


「魔族の国とアルヴェリア王国の外交関係を、お前の愚行でぶち壊すつもりか!」


アドリアンの大声が市場全体に響き渡り、魔力が街全体に広がっていく。

それはまるで……この一帯が巨大な劇場となったかのような錯覚を人々に感じさせるものであった──。


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