奴隷市場の光が夜空を照らす。
その光の中でキツネの尻尾が揺らめき、三人に向かって手招きしていた。
「ほら、お三方。早くしないとお目当てのものが売れてしまうかもしませんよ?」
女がそう言いアドリアンたちを急かす。
雑多な市場にあって彼女の声は喧騒を切り裂くように響き渡る。
その後ろ姿……揺れる尻尾を、アドリアンはじっと見つめていた。
──あの後。
アドリアンは女性の同行を快く受け入れた。……というか、勝手に付いてきたというべきか。
兎に角彼女は三人と共に奴隷市場を歩き回っていた。まるで市場の案内役のように。
「キツネのお嬢さん。実は俺達、この奴隷市場に慣れてなくてね。もう少しゆっくり見たいんだけど」
「おや、そうでしたか。実は私もこのような場所は初めてですのよ」
彼女の言葉を聞き、レオンは首を傾げた。
この女性が何者かは分からないが、今まで奴隷の振りをしていたというのに「初めて」というのはどうにも違和感がある。
「し、しかし貴女はさっきまで奴隷として……」
そんな純真無垢なレオンの台詞をアドリアンは遮るように口を挟んだ。
「あぁ、お互いに初心者同士というわけだ。なんとも心強いね」
アドリアンは、まるで子供たちに内緒話をするかのように、レオンに向かって人差し指を唇に当てる。
女に見えないように、そして息を潜めてレオンとメーラ、二人に小声で囁いた。
「レオン卿、俺はね、『危険感知』っていう加護を持っているんだよ」
「え?」
突然アドリアンがそんなことを囁きレオンは目を丸くした。
加護……それは常人を遥かに超える能力を発揮できる神からの授かり物である。
護衛であるアドリアンが加護を持っているのは大変心強いが、何故今それを言うのか。
「『危険感知』の加護は俺と、その周囲に起こり得る全ての脅威を予知する加護なんだけどさ、これがよく当たるんだ」
一種の未来予知のようなものだろうか?本当だとしたら、凄まじく強力な加護だ。
何故だかアドリアンのその佇まいが不思議と神聖なものに感じ、二人は黙って話に耳を傾けた。
「で、その『危険感知』くんが今、警報を鳴らしているんだ。どうやら前を歩くキツネさんが、その危険の震源地らしい」
その言葉を聞いた瞬間、レオンとメーラの背筋が、まるで電気を流されたかのように一直線になった。
──彼女が、危険の発生源?
アドリアンの加護がそう告げるなら、彼女は敵なのか?
「ア、アド。危険って……なにが起こるの?」
「そこまでは分からないけど……血と悲鳴が飛び交う殺戮ショーか、この市場一帯が火に包まれる大火災か……。あぁ、でも心配しないでいいよ。最悪でも、この市場にいる人たちが全員死ぬ程度だからね」
レオンの仮面の下を冷や汗がつたい、メーラはアドリアンに縋りつくように彼の服を握りしめ、プルプルと震えている。
アドリアンが嘘を言うとは思えない。彼は『危険感知』の加護により、予め起こり得る危険を察知しているのだ。
それも、とびきり血生臭い、最悪の予知を……。
「で、では何故彼女と一緒に行動することにしたのですか……!?」
加護が危険と判断した彼女と行動を共にするなど、自殺行為に等しい。
危険だと分かっているのなら同行を拒否すべきだったのではないか?
いつ破裂するか分からない爆弾を懐に忍ばせているようなものではないか?
レオンの至極真っ当なその問いにアドリアンはニヤリと笑い、言った。
「そこが面白いところでね。俺は他にも加護を持っているんだけど……その別の加護が言っているんだ。『彼女と一緒に行動した方がいい』ってね。これぞ人生の矛盾ってやつさ」
「えっ……」
訳が分からなかった。どうして危険な存在と一緒にいた方がいいということになるのか。
まさに矛盾した言葉だがアドリアンの表情には迷いも怯えも感じさせない。
レオンが深くアドリアンを問いただそうとした、その時である。
「おや、内緒話ですか?私を除け者にするなんて、もしやキツネ嫌いのネズミさんたちかしら?」
「……っ!」
アドリアンとレオンの間に、いつの間にかあのキツネ耳の女性が立っていた。
音もなく、気配もなく、まるで最初からそこに居たかのように。大きな耳をピクリと動かし、二人に微笑んでいる。
──だが、目は笑っていない。
彼女の口元から覗く牙を見てレオンの鼓動が跳ねあがり、メーラはびくんと身体を硬直させた。
そんな二人とは対照的にアドリアンは優しく微笑んだ。
「これは失礼。彼らに貴女のような美人を口説き落とす方法を聞いていたんだ。キツネ狩りの秘訣みたいなものさ」
「うふふ、お上手ですこと。でしたら、私にその口説き文句が効くかどうか、今試されます?狩りの腕前を拝見したいわ」
「いや、今はやめておこう。俺は奥手なんだ。君に見つめられたら、もう何も言えなくなってしまうよ」
どちらも本音を言わぬ、まるで二匹のキツネが互いの尻尾を引っ張り合うような会話が繰り広げられる。
二人は表面的には笑顔を浮かべているが、瞳の奥にある感情は大きな警戒と少しばかりの興味が秘められている。
レオンとメーラは、「危険」である彼女とどうしてアドリアンが平然と会話をしているのか分からなかった。
「そう言えばお嬢さんのお名前を伺ってなかったね。何と呼べばいいのかな?『危険なキツネさん』では長すぎるし」
「そうですねぇ、アカリとでも呼んでいただければ」
明らかに偽名だ。
アドリアンは分かっていると言わんばかりに、彼女に向かって頷いた。
「アカリ嬢ね。いや、素晴らしい名前だ。今適当に付けたかのような響きがとても粋だね。創造性と即興性に富んでいて素敵だよ」
「貴方のその舌の滑らかさも素敵ですわ。きっと多くの『商品』を値切るのに使われてきたのでしょうね」
一見和やかに見える二人の会話だが、その実、強烈な毒が含まれている。
そんな中、レオンとメーラはただ翻弄されるだけの観客のような存在と化していた。
会話に混ざろうとは思わないが、アドリアンとアカリの会話に聞き耳を立てながら奴隷市場を練り歩く。
「ところでアカリ嬢。何故奴隷の演技などしていたんだい?」
「奴隷の気持ちを味わいたくて。自由を奪われ、モノ扱いされる気分を体験したかったの」
アカリはそう言うと、獣人特有の長い、そして鋭利な爪をキラリと光らせ目を細める。
「感想は?」
「最高の一言。この爪と牙でちょっとした殺戮パーティーを開きたい気分ですわ」
アカリの瞳が閃いた瞬間。彼女の尻尾が突如として天を衝くように立ち上がり、キツネの毛が一斉に逆立った。
それと同時に殺気が辺りを覆う──。
争いごとに疎いメーラとレオンですら感じられるほどの濃厚な殺気が、アカリから溢れ出していた。
「……」
しかし、アドリアンはその殺意の奔流を浴びても、まるで心地よい春風にでも当たっているかのように微動だにしなかった。
それどころか、彼の口元には楽しげな笑みが浮かんでいる。
「よく手入れされている爪と牙だ。流石フォクシアラの戦士だね。雄々しさの中に草原の女王の魅力が同居している、素晴らしい爪牙だよ」
フアドリアンの口から「フォクシアラ」という言葉が零れた瞬間、アカリの動きが急停止した。
まるで時が凍りついたかのように。彼女の目がアドリアンに釘付けになり、その瞳には殺意と困惑の色が浮かんでいた。
「何故、私がフォクシアラ一族だと?」
「簡単さ。大草原にはキツネ族が溢れかえっているけど、君のその耳と尻尾の美しい毛並みときたら『私は超エリート戦士です』と叫んでいるようなものさ。まあ、毛並みだけでそこまで自慢するのも大したものだけど」
アドリアンはその場でくるりと回転し、優雅に頭を下げた。
そしてガラスの靴を履かせるかのように地面に膝を付く。
「さて、キツネ族の大戦士階級と言えば、ルミナヴォレンとフォクシアラの二択だ。ルミナヴォレンは筋肉自慢の野獣狐……もとい、勇猛な戦士たちの集まりだが、フォクシアラは優雅に舞い、幻術を操る芸術家集団……」
アドリアンはアカリの体を上から下まで眺め、にやりと笑った。
「もしや、その優雅な衣装の下に隠れているのは、ゴリラのような逞しい筋肉だったりするのかな?それとも、人を欺く狡猾なフォクシアラの華奢な体つきかな?」
アカリは無表情を装っていたが、その尻尾は彼女の感情を裏切るように、まるで楽しげな犬のようにゆらゆらと揺れていた。
暫し沈黙が流れ、突如アカリの口元がほころんだ。
彼女は爪先でアドリアンの顎をくすぐるように撫で始める。
「──面白い男だ。私の素性を見抜くとは」
その声は、先ほどまでの甘ったるい調子とは打って変わって冷たく、鋭い刃物のようだった。
妖艶な仕草は消え失せ、代わりに現れたのは戦場から舞い戻ってきたばかりの将軍のような威厳だった。
アドリアンはにやりと笑い、立ち上がると手を差し出した。
初対面の挨拶をするかのように彼はアカリの瞳を真っすぐに見つめる。
「おや、それが本当のキミか。まあ、これが初めましてってわけだね。俺はアドリアン。ただの退屈な人間の男だよ」
アカネはアドリアンの軽薄な態度に眉をひそめながらも、その手を取った。
彼女の握力はアドリアンの骨を砕くほどではないが、十分に警告となるほど強かった。
「私はアカネ。フェルシル部族連合の誇り高き戦士だ」
彼女は一瞬躊躇した後、付け加えた。
「そして、お前が言うところの『毛並みの良い』キツネ族でもある」
アカネの自己紹介を聞き、アドリアンは満足げに頷いた。
フェルシル部族連合とは大草原に住まう獣人を主種族とする連合体である。その規模は王国や帝国に匹敵する程のものだ。
そして彼女は大戦士階級の『毛並みの良い』キツネ族の娘と名乗った。大戦士階級とは、人間の国で例えると貴族階級に値する。
「だ、大戦士階級の獣人……!?」
これにはレオンも驚愕し、一歩後退る。人間と違い、貴族位の獣人は皆が一流の戦士でありその戦闘力は並の兵士を遥かに凌ぐ。
しかもフォクシアラという部族の名はレオンも聞いたことがある程の名家である。
メーラは二人の会話の意味がよく分かっていなかったが、レオンの反応を見るに目の前のキツネの女性が只者ではないことだけは察した。
「それで、キツネ狩りが趣味のアドリアン殿はこの私をどうする気かな」
「いや、特に何もする気はないさ。ただキミと話がしたいだけだからね」
その言葉にアカネは眉を吊り上げた。
──彼女は、隙を見てアドリアンを殺すつもりであった。
アカネは彼の内包する魔力や強さを十分理解していたし、その洞察力や頭の良さにも気づいていた。
故にアカネは自分の目的の障害となるアドリアンと共に行動し、隙を見せれば即座に首を刎ねるつもりだった。
しかしアドリアンはアカネの思惑を知ってか知らずか、無防備に身体を晒し、まるで友のように話しかけてくる。
「部族連合の大戦士階級のお嬢様か。草原の貴族様なら毛並みが良いのも納得だね」
「貴族と呼ぶのは控えてもらおう。我々の一族は力と知恵で地位を得た戦士だ。人間の世界のような生まれだけで特権を得る連中とは違う」
「そりゃ失礼。では戦士様と呼ばせていただこう。それで、フェルシル部族連合の高貴な……もとい、強き戦士様が、なぜこんな場所で奴隷のふりをしていたんだろうか?王国や帝国に匹敵する大勢力の重要人物が、こんな危険な真似をする理由でもあるのかな?」
その言葉にアカネは一瞬沈黙した。
メーラとレオンは動きを止めた彼女を見てごくりと唾を飲む。アドリアンはそんな彼女の沈黙を、ただじっと眺めていた。
するとアカネは纏わり付かせていた殺気を収め、爪を牙を隠す。
そんな彼女を見てメーラとレオンはホッと安堵の息を吐いた。どうやら危機とやらは去ったらしい。……一時的に。
「私はな、奴隷にされた身内を助けに来たんだ」
ポツリ、と。
アカネはそう呟き、夜空を見上げた。
彼女の言葉にアドリアンは喜びと困惑を混ぜたような複雑な表情で笑った。
「なるほどね。貴女も奴隷になった者を助けに来たというわけか……奇遇だね」
「……なに?」
「俺たちもね、ここに誰かを探しに来たんだよ。まさか、戦士様と同じ目的を持っているなんてね」
アカネの尻尾が一瞬止まり、その目がアドリアンに釘付けになった。
すると突然アドリアンがレオンの肩を掴み、ずいっとアカネに差し出すように前に出す。
「ひぇっ!?」
急にアカネの目の前に引きずり出されたレオンは仮面の下を真っ青に染め、小さな悲鳴を発した。
目の前に立つアカネは、まさに危険の塊。敵国の一流戦士である彼女を前に、レオンの心臓は太鼓のように激しく鳴り響いた。
「ア、アドリアン殿!?な、なにを!?」
「この青年はね、想い人を探しにこんな場所まで来たんだ。なんと健気で純情な青年だろうか」
アドリアンの言葉にアカネは怪訝に眉を顰めた。
仮面を被った青年……。この市場で仮面を被っているということは貴族か、もしくは裕福な商家の一族……。
どちらにせよ、アカネにとって『いけ好かない』身分の人間だということだ。
「純情、か。人間の価値観では金で女を買うのが健気と言うのか?随分と成熟した道徳観だな」
アカネの言葉にレオンは「うぐっ」と言葉を詰まらせる。
確かに、自分は金で彼女を買おうとしている。そのことは事実であり、否定しようもない。
だが……。
「……確かに、貴女の目には、私はただの金持ちの道楽息子に映るでしょう。しかし、私は彼女を救うと誓ったんです。偽善、独善……そう呼ばれても構いません。貴女が弟君のために戦うように、私も彼女のために戦うんです」
レオンは、アカネの瞳をじっと見つめて言った。見た目は華奢で、女子のような身体のレオンだがその気迫は本物だ。
アカネは彼の身から発せられる気迫に一瞬気圧される。
この青年はただ金で女を買おうとしている下種な男ではない……。大草原で育ったアカネの勘がそう告げた。
「……まぁいいさ。私の邪魔をしなければ、私もお前たちの茶番劇の邪魔はしないでやる」
何故だろうか。
当初はこの市場にいる人間を皆殺しにしようと思っていたアカネであったが、彼らを目の前にしてその意志は揺らぎつつあった。
「ありがとう、アカネ嬢。俺個人としては、貴女がこの市場で華麗に舞うのを見てみたい気もするけど、立場的にそれは難しいから。きっと血しぶきの中で踊る貴女の姿は絶景だろうにね」
アドリアンがそう言うと、アカネはフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
キツネの尻尾が不機嫌そうに左右に揺れているのが、なんとも可愛らしい。
──その時であった。
「うっ……あっ…… 」
アドリアンの目の前で、操り人形の糸が切れたかのように数人の奴隷が地面に崩れ落ちた
彼らの身体は痛々しいまでに引き裂かれていた。どうやら過酷な仕打ちで体力の限界を迎えてしまったようだ。
「……っ!」
無残な姿の奴隷を見て、メーラの心臓が大きく波打った。
なぜなら、その奴隷たちの額には。
メーラと同じように。運命の烙印のように……。
ツノが生えていたから──。