闇に包まれた部屋。
月光だけが細い光線となって窓から差し込み、冷たい銀色の光を石の床に落としている。
その中心に影のような存在が佇んでいた。
漆黒の闇が凝り、いかなる光をも吸い込み逃がさぬような暗黒を纏った人影である。
影の中にあって唯一露になっている双眸が赤い光を放っていた。
「街の騒乱を見て参りました」
部屋の片隅に、黒いフードを深く被った女が膝をつき震える声で報告を始める。
女の声は、闇の中で儚く響いた。
影に覆われた存在は、ゆっくりと顔を向ける。その動きに合わせ、闇がうねるように見えた。
その気配だけで女の背筋に氷のような冷たさが走る。
「あの男は凄腕の魔法使いでございます。大魔法を事も無げに行使し、風の精霊すらも召喚し、炎上する街を一瞬で鎮火させた。その姿は、まさに大魔法使いという名に相応しい人物……」
フードに隠された女の表情は伺いしれない。
だが、その口調には畏怖の響きが強く現れている。
「街の住民らが何処かの国の姫の護衛だと噂しておりました。この街にたまたま立ち寄っただけの可能性がございます……」
目の前の存在が闇の中でわずかに動く。
その瞬間、部屋の空気が重くなったように感じられた。
「何処の国の姫か」
「あの少女を遠目に見ましたが、人間なのは間違いございません。ですが……アルヴェリア王国にあのような姫はいなかったかと」
沈黙が部屋を支配する。
永遠にも感じられる時間だった。
「人間の姫。ならば計画の脅威とはならない……」
フードの女はその言葉に僅かに安堵の表情を浮かべる。
しかし次の瞬間、影の存在の眼光が鋭く光った。
「しかし油断はするな。暫くは監視し、姫と大魔法使いの動向を逐一報告せよ。些細なことでも構わない」
「かしこまりました」
女は深々と頭を下げ震える足で立ち上がる。フードの隙間から、一筋の冷や汗が頬を伝う。
その姿が、月光に照らされた重厚な扉の向こうへと消えていく。
扉が閉まる音が闇の中で鈍く響いた。
部屋に残された影の存在は、窓際へとゆっくりと歩み寄る。
月光がその姿をわずかに浮かび上がらせるが依然として正体は闇に覆われたままだ。
「私を排除しようとする世界の意思。異世界からの脅威は何処だ……」
その言葉が闇に溶けていく。まるで呪文のように部屋中に響き渡る。
月が雲に隠れ、部屋は再び漆黒の闇に包まれた。
「私の計画に反する力が働いているのを感じる……だが、私は決して止まらない……」
影の存在は、月光が雲間から再び現れるのをじっと待ち続ける。
その赤い眼光が、闇の中で妖しく輝いていた。